――もと 施設労働者しせつろうどうしゃ犯行はんこうみみうたがう――

障害者しょうがいしゃインター日本にほん、「つよいかり」と 抗議声明こうぎせいめい

26日にじゅうろくにちの、
けきらぬ うしどきに、
神奈川県かながわけん 相模原市さがみはらし県立知的障害者施設けんりつちてきしょうがいしゃしせつ
津久井つくいやまゆりえん」が
刃物はものった おとこおそわれた。
ここにおいて、
その おとこによって
19人じゅうくにんとお あまり ここのたりの 人人ひとびと)が
ころされた。
さらに そのうえ、
26人にじゅうろくにん(はたち あまり ゆたりの 人人ひとびと)が
おとこ手傷てきずわされたのだ。
日本にっぽんもとおお大和やまとくに全国ぜんこく日刊にっかん新聞しんぶんである
毎日新聞まいにちしんぶんわく、
被害者(ひがいしゃ)重度(じゅうど)障害(しょうがい)(かか)
 介護(かいご)必要(ひつよう)(ひと)たちだ。
 夜間(やかん)でもあり
 無防備(むぼうび)無抵抗(むていこう)だっただろう。
 あまりに残忍(ざんにん)冷酷(れいこく)というほかない」と しかじか
っている(毎日新聞まいにちしんぶん7月しちがつ27日にじゅうしちにち)。

くわえて、
施設しせつおそった この おとこ
県立けんりつ・「津久井つくいやまゆりえん」の もと 職員しょくいんであった。
そして、
この おとこ警察けいさつ調しらべに こたえて わく、
障害者(しょうがいしゃ)なんていなくなればいい」うんぬんと
はなしているというのである。

ところで、
おとこ今年ことしふゆ
2月にがつ 15日じゅうごにち2月にがつ十日とおか あまり 五日いつか)に
衆議院しゅうぎいん議長ぎちょういえたずねていた。
その ときおとこは、
土下座どげざたのんだうえで
衆議院しゅうぎいん議長ぎちょうてた 手紙てがみわたしていたのだ。
そして、
その 手紙てがみには わく、
(わたし)目標(もくひょう)は……
 重度障害(じゅうどしょうがい)(かた)
 家庭内(かていない)での生活(せいかつ)(およ)社会的活動(しゃかいてきかつどう)
 (きわ)めて困難(こんなん)場合(ばあい)
 保護者(ほごしゃ)同意(どうい)(え)安楽死(あんらくし)できる世界(せかい)です」と
しかじか かれていたのである
朝日新聞あさひしんぶん7月しちがつ27日にじゅうしちにち)。

それにしても、
障害者本人しょうがいしゃほんにんではなく、
保護者ほごしゃなど
まわりの ひと都合つごうでもって
障害者しょうがいしゃ勝手かってころしても よいなどという かんがかたは、
きわめて おそろしいものである。
そもそも、
障害しょうがいものも また 健常者けんじょうしゃおなじく、
ほかの だれでもない、
ただ 一人ひとりだけの ひととして
なかる。
しかるに、
この おとこかんがえは、
その ことを あまりにも かろんじた、
はなはだ あさはかなものである。
そして なにより、
そうした かんがえが、
だれよりも 障害者しょうがいしゃ身近みぢかってきたはずの
知的障害者施設ちてきしょうがいしゃしせつもと 職員しょくいんから
した ことには
おどろきを おぼえる。
こうした かんがえの ぬし
障害者しょうがいしゃ介護かいごに あたっていたのかと おもうと、
背筋せすじさむくなるばかりだ。

くに地方自治体ちほうじちたいは、
こうした いたましい 出来事できごとふたたこるのを
ふせいでいかなければならない。
およそ
たか人権意識じんけんいしきもとめられる、
障害者施設しょうがいしゃしせつにおいて つとめる ものについては まさに、
かなら定期的ていきてき
人権研修じんけんけんしゅうけさせるべきだ。
ゆえくに地方自治体ちほうじちたいは、
障害者施設しょうがいしゃしせつ職員しょくいんへの
人権研修じんけんけんしゅう受講義務化じゅこうぎむか
すべからく みきるべきである。

おとこは、
みずからの ゆがんだ おもいの ままに、
障害者しょうがいしゃいのちしいままに あそんだ。
こうした 身勝手みがってな ふるまいを、
わたしは ゆめゆめ みとめない。
このたびくだんの 出来事できごとは、
障害者しょうがいしゃへの ゆがんだ 見方みかたもとづいた
おそるべき 憎悪犯罪ぞうおはんざいほかならない。

障害者しょうがいしゃインターナショナル(DPI)日本会議にほんかいぎ
27日にじゅうしちにちに、
相模原市障害者殺傷事件(さがみはらししょうがいしゃさっしょうじけん)(たい)する抗議声明(こうぎせいめい)」を
おおやけにした。
この なかで DPI日本会議にほんかいぎ
このたびくだんの 出来事できごとについて わく、
障害者(しょうがいしゃ)を『あってはならない存在(そんざい)』とする
 優生思想(ゆうせいしそう)(もと)づく行為(こうい)(ほか)ならず、
 (わたし)たちDPI日本会議(にほんかいぎ)
 ここに(つよ)(いか)りと(ふか)(かな)しみを(こ)めて
 断固(だんこ)として
 優生思想(ゆうせいしそう)(たたか)っていくことを
 (あらた)めて(ちか)う」と しかじか べている。

わたしも また、
精神障害せいしんしょうがいわずら障害者しょうがいしゃである。
そうした 立場たちばにある ものとして わたしも また、
津久井つくいやまゆりえん」の 人人ひとびとうでって

このたびくだんの 出来事できごと糺弾きゅうだんする(ただす)。
そして、
おとこに むごたらしくも ころされた 障害者しょうがいしゃたちに
おもいを はせ、
のこされた 遺族いぞく施設しせつはたら人人ひとびと
こころから おやみを もうしあげる。
また
おとこによって
手傷てきずわされた 人人ひとびとについては、
一日いちにちはやく その きずが いえることを
のぞむばかりだ。

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# by imadegawatuusin | 2016-07-28 16:03 | 差別問題 | Trackback(1)

――ポルトガルもと首相しゅしょう安保理あんぽり予備よび投票とうひょう1位いちいに――

社会党しゃかいとう出身しゅっしんで、国連こくれん難民なんみん高等こうとう弁務官べんむかん歴任れきにん

パン=基文ギムン 国連こくれん事務総長じむそうちょう任期にんき
今年ことしすえをもって わる。
その あとがまについて、
名乗なの候補者こうほしゃしぼりこむための
だい1回目いっかいめ予備投票よびとうひょうふだ)が
国連こくれん安全保障理事会あんぜんほしょうりじかいにおいて おこなわれた。
すると、
まえ国連こくれん難民高等弁務官なんみんこうとうべんむかんである
アントニオ=グテーレスさんが
もっとおおくの 支持しじあつめて
だい1位いちいとなった。
グテーレスさんは これ、
中道左派ちゅうどうさはポルトガル社会党しゃかいとうで、
ポルトガル首相しゅしょうをも かつて つとめた ひとである。

安全保障理事会あんぜんほしょうりじかい 15じゅうご国中こくちゅう 12じゅうにこく支持しじ 

ロイター通信つうしんによると、
安全保障理事会あんぜんほしょうりじかい構成こうせいする 
15じゅうごくにの うち、
グテーレスさんは 12じゅうにくに支持しじた。
そして、
拒否権きょひけんいつつの 常任理事国じょうにんりじこくふくめて、
不支持ふしじあきらかにした くに
かった。
なお、
だい2位にいとなった
ダニーロ=トゥルク もとスロベニア大統領だいとうりょうには
ふたつの くに不支持ふしじあきらかにしたという
朝日新聞7月23日)。

中道左派ちゅうどうさは社民主義者しゃみんしゅぎしゃ国連こくれん事務総長じむそうちょうに!  

そもそも、
グテーレスさんをはじめとする
中道左派ちゅうどうさは社会民主主義者しゃかいみんしゅしゅぎしゃは、
左右さゆう どちらの 全体主義ぜんたいしゅぎにも とも反対はんたいし、
社会しゃかいおだやかな 改良かいりょううったえる。
そうした 社会民主主義者しゃかいみんしゅしゅぎしゃ
国連こくれん事務総長じむそうちょう有力ゆうりょく候補者こうほしゃとなったことは
まことに 素晴すばらしいことである。

グテーレスさんは 社会主義しゃかいしゅぎインター同志どうし 

グテーレスさんが ぞくする ポルトガル社会党しゃかいとうは、
社会民主主義しゃかいみんしゅしゅぎ政党せいとう国際組織こくさいそしき
社会主義しゃかいしゅぎインターナショナル社会党国際しゃかいとうこくさい)に
くわわっている。
そして、
わたしが はいっている (日本にっぽんの) 社会民主党しゃかいみんしゅとうおなじく、
社会主義しゃかいしゅぎインターナショナルはいっているのだ
(ちなみに、
 予備選挙よびせんきょにおいて だい2位にいとなった
 ダニーロ=トゥルクさんも
 おなじく 中道左派ちゅうどうさはである。
 社会主義しゃかいしゅぎインターナショナルくわわっている
 スロベニア社会民主党しゃかいみんしゅとう支持しじけて
 かれスロベニア大統領だいとうりょうとなったのだ)。

難民問題なんみんもんだい専門家せんもんかつぎ国連こくれん事務総長じむそうちょうに! 

いま
世界せかいにおいては
難民なんみんについての 問題もんだい
深刻しんこくさを している。
そうした いまこそ、
つぎ国連こくれん事務総長じむそうちょうには
難民問題なんみんもんだい専門家せんもんか(くろうと)が くのが
のぞましい。
難民なんみん問題もんだい専門家せんもんかとして
国連こくれん仕事しごとたずさわってきた グテーレスさんは
つぎ国連こくれん事務総長じむそうちょうとなるのに
まことに ふさわしい ひとである。

グテーレス事務総長じむそうちょうにすべく 日本にっぽん尽力じんりょくを!

こうした わけで わたしは、
つぎ国連こくれん事務総長じむそうちょうには
まえ国連こくれん難民高等弁務官こくれんなんみんこうとうべんむかんである
アントニオ=グテーレスさんを つよす。
わがくにも また、
国連こくれん安全保障理事会あんぜんほしょうりじかい議長国ぎちょうこくとして、
グテーレスさんを つぎ国連こくれん事務総長じむそうちょうにするために
どうか ちからくしてほしい。



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# by imadegawatuusin | 2016-07-23 06:58 | 国際 | Trackback

――民政(みんせい)(まも)れ! (まち)(たみ)らが 反乱(はんらん)に あらがう――

反乱軍(はんらんぐん)、テレビ(きょく)()さえ 「全権掌握(ぜんけんしょうあく)」と ()

15日じゅうごにち十日とおかあまり 五日いつか)に、
トルコ軍事政変ぐんじせいへんくわだてが
あった。
くに政治せいじ(まつりごと)を おこなう 政府せいふ(おかみ)に、
ぐんくにの いくさびとたち)の うちの
かぎられた ものらが そむいて、
政府せいふくつがえそうと はかったのだ。
政府せいふさからい くにみだした 反乱軍(はんらんぐん)裏切うらぎものら)は、
くにいとなむ テレビきょく電視台でんしだい)に り、
わく、
「全権を掌握した」などと となえた。

大統領だいとうりょう、「外出がいしゅつし、対抗たいこうを」と 国民こくみんびかけ

これを けて
トルコエルドアン 大統領だいとうりょうは、
ほかの テレビきょく生放送なまほうそう報道番組ほうどうばんぐみ
テレビ電話でんわ可視電話かしでんわ)を とおして た。
エルドアン 大統領だいとうりょうは その 番組ばんぐみにおいて わく、
「市民は家から外に出て、
 軍に対抗してほしい」うんぬんと
国民こくみん(くにたみ)たちに びかけた。
そして エルドアン 大統領だいとうりょうわく、
「この動き(クーデター)は
 絶対成功できない」うんぬんと いきったのだ。

たみらが まちて あらがう 「兵士へいしよ、基地きちかえれ」

そうすると、
この びかけに こたえて
おおくの たみらが 次次つぎつぎまちした。
トルコもっとおおきな まち・イスタンブール
大通おおどおりでは、
くるまどもが
クラクション(ラッパ)の おとひびかせるとともに、
数百人すうひゃくにん(ももあまりの 人人ひとびと)が あるいた。
そして 人人ひとびとわく、
「兵士よ、基地に帰れ!」うんぬんと
かえった(朝日新聞7月17日)。
おおくの たみらが まちして
みずからの おもいを あきらかにした。
その おもいとは すなわち、
たみらの おもうところに もとづく
選挙せんきょふだ)によって えらばれた
民主的みんしゅてき政府せいふ
そむ反乱軍はんらんぐんには
したがわないという おもいである。
「テレビに映し出された、
 戦車や銃を構える兵士に
 真正面から向き合う市民の姿は
 見る者に勇気を与えた」。
「占拠から短時間で、
 (酒井さかいちゅう国営こくえい)放送局を奪い返した主役」も、
「集まった市民だった」という(中日新聞7月17日)。

問題もんだいるなら 国会こっかいつう民主的みんしゅてき解決かいけつ 目指めざ

たしかに、
政府せいふちからに ものを いわせて 人人ひとびとつよめつける
エルドアン 大統領だいとうりょうの やりかた
まゆを ひそめる 人人ひとびとすくなくない。
しかし かれ政権せいけんは、
民主的みんしゅてき選挙せんきょもとづいて
うちてられたものなのだ。
民主的みんしゅてき手続てつづきによって えらばれた 政府せいふ
武力ぶりょくによって くつがえし、
政権せいけんうばおうなどという たくらみが
ゆるされて いはずがない。
もし、
いま政府せいふの ありかた
うらつらみが るのならば、
選挙せんきょによって
これを えようと つとめるのが すじだ。
軍事政変ぐんじせいへんになど うったえるのは、
まったくもって 筋違すじちがいである。

民主政体みんしゅせいたいまもった たみらの たたかいを こころから たたえる

わたしは、
トルコにおける 民主的みんしゅてき政治せいじ体制たいせい(ありかた)を
しとする。
それゆえ わたしは、
トルコにおける このたび軍事政変ぐんじせいへんくわだてを
つよめる。
そして、
民主的みんしゅてき政治せいじ体制たいせい
まもりぬくために ちあがった
トルコたみらの たたかいを
ここに こころそこから たたえる。
そもそも 民主主義みんしゅしゅぎくににおいては、
たみらの おもうところに もとづいて てられた 政府せいふ
ぐんは すべからく したがうべきだ。
間違まちがっても ぐんがわが、
たみらのものである 政府せいふうごかすことが
あってはならない。

国連こくれん軍事政変ぐんじせいへんくわだてへの 非難決議ひなんけつぎ

国際連合こくさいれんごう
総会(そうかい)および 安全保障理事会あんぜんほしょうりじかいで、
トルコにおける このたびの 軍事政変ぐんじせいへんくわだてを 非難ひなん
民主的みんしゅてき政治体制せいじたいせい支持しじする 決議けつぎ
まさに げるべきである。

日本にっぽん軍事政変ぐんじせいへんくわだてを 非難ひなんする 声明せいめい談話だんわを!

わがくにも まさに、
トルコにおける このたびの 軍事政変ぐんじせいへんくわだてを 非難ひなん
民主的みんしゅてき政治体制せいじたいせい支持しじする
内閣総理大臣声明ないかくそうりだいじんせいめい ならびに
内閣官房長官談話ないかくかんぼうちょうかんだんわ および 外務大臣談話がいむだいじんだんわすべきだ。
その ことによって、
民主主義みんしゅしゅぎとうとまもる わがくに立場たちば
ハッキリと しめすのだ。
そして まさに、
国際連合こくさいれんごう総会(そうかい)および 安全保障理事会あんぜんほしょうりじかいに、
トルコにおける このたびの 軍事政変ぐんじせいへんくわだてを 非難ひなん
民主的みんしゅてき政治体制せいじたいせい支持しじする 決議けつぎげてほしいと
もとめるべきだ。



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# by imadegawatuusin | 2016-07-17 16:19 | 国際 | Trackback(2)

――(きょく)(なが)れには 「序破急(じょはきゅう)」を (もち)いる――
f0104415_1613621.jpg

『じゅもんをあげるよ』という (うた)は、
『ことばのパズル もじぴったん』という
コンピューターゲーム(電脳遊戯(でんのうゆうぎ))の
エンディング曲(結尾曲(けつびきょく))として
作られた 歌だ。
歌詞(かし)(歌の 言葉(ことば))は
ゲームクリエイター(電脳遊戯開発者(でんのうゆうぎかいはつしゃ))である
後藤(ごとう)=裕之ひろゆきさんが これを 作り、
曲(ふし)は
作曲家さっきょくかである 神前こうさき=さとるさんが これを 作った。
その のち、
『THE IDOLM@STER』アイドルマスターという
コンピューターゲームに 出てくる
高槻たかつき=やよいという 女の子が
この 歌を 歌ったことにって
広く 世の中に 知られることになった↓。

【ニコニコ動画】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7046095

【歌詞】
http://j-lyric.net/artist/a0500f2/l01c457.html

曲の 調しらべ(節回ふしまわし)も
きわめて 素晴すばらしいけれども、
歌詞も すこぶる 素晴らしい。
この 歌の 歌詞は すべて
平仮名ひらがなによって 書かれており、
少し 見ただけだと あたかも さながら、
子供が お遊びで 作った たぐいの
取るに 足りない 歌にすぎないと
思われてしまうかもしれない。
けれども この 歌においては、
る国である 諸越もろこし中国(ちゅうごく)の 人たちが
唐歌からうた》(漢詩(かんし))を 作る 場合などに
いにしえの 古代から 用いてきた、
起承転結(きしょうてんけつ)」や 「対句(ついく)」などといった (わざ)
見事(みごと)に 使いこなされているのである。

「起承転結」とは、
長歌ながうた)における、
次のごとき 言端ことばの 組み立て方の いである。
すなわち、
1つ目の (一まとまりの 言端ことば)において
ある 物事について 書き起こしてから(())、
2つ目の 句においては 1つ目の 句の 流れを
そのまま 素直(すなお)ける 形にて
さら言端ことばを 加えて 述べる((しょう))。
けれども 3つ目の 句においては
目を ほかのものに 移したり、
それまでとは 流れの 異なる 事を 言ったりして
詩 そのものの 流れを ガラリと きり変え((てん))、
そして その 末に 4つ目の 句において
すべてを まとめて 結び ()めくくる((けつ))。
こうして 言端ことばを 組み立てることによって
見事な 詩を 作る 技が すなわち これ、
「起承転結」なのである。

わが もとの 国=日本にっぽんにおける、
この 「起承転結」が
うまく 用いられている 詩としては、
わたしと小鳥と鈴と」が 有る。
この 「私と小鳥と鈴と」という 詩は すなわち これ、
近代・大正時代の 詩人しじん歌人うたびと)である 金子=みすずが
作った ものだ。

  わたしが両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥はわたしのように、
  地面じべたを速くは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴はわたしのように
  たくさんな歌は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。
(金子みすゞ『さみしい王女/新装版 金子みすゞ全集・Ⅲ』第145葉[ページ]、表記は 現在のものに 酒井が 修正)

第1連目だいいちれんめの 4行においては、
第1行目だいいちぎょうめにて、
「わたしが両手をひろげても、」と 書き起こし(起)、
第2行目においては
その 流れを そのまま 素直に 受ける 形で、
「お空はちっとも飛べないが、」と、
第1行目の 主格語しゅかくごである 「わたし」について
さらに 述べる(承)。
ただし、
その あとに 「が」という、
逆接ぎゃくせつを 表す 接続助詞せつぞくじょしつな言端ことば)を
えることに よって、
次に 来る せつにおいては
それまでの 流れからは はずれる 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせた あとに、
はたして 第3行目に おいては、
「飛べる小鳥はわたしのように、」と、
目を 「わたし」から 「小鳥」に 移して
それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、
そして その 末に 第4行目において、
地面じべたを速くは走れない。」と、
第1連を まとめて 結ぶのである(結)。

第2連目の 4行においても、
第1行目にて、
「わたしがからだをゆすっても、」と 書き起こし(起)、
第2行目においては その 流れを
そのまま 素直に 受ける 形で、
「きれいな音は出ないけど、」と、
第1行目の 主格語である 「わたし」について
さらに 述べる(承)。
ただし、
その 終わりに 「けど」という、
逆接を 表す 接続助詞を 添えることによって、
次に 来る 節においては、
それまでの 流れからは はずれた 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせた あとに、
はたして 第3行目においては、
「あの鳴る鈴はわたしのように」と、
目を 「わたし」から 「鈴」に 移して
それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、
そして その 末に 第4行目において、
「たくさんな歌は知らないよ。」と、
第2連を まとめて 結ぶのだ(結)。

第3連目は 2行である。
けれども、
これを 仮に 4つの まとまりに
切り分けるとするならば すなわち、
けだし
「鈴と、小鳥と、」というところ および
「それからわたし、」というところ、
並びに
「みんなちがって、」というところ および
「みんないい。」というところに
切り分けられることであろう。

1つ目の まとまりにおいて
「鈴と、小鳥と、」と 書き起こし(起)、
2つ目の まとまりにおいては
その 流れを そのまま 素直に 受ける かたちで
「それからわたし、」と
さらに そこに 付け加え(承)、
そして、
3つ目の まとまりにおいては
物事を 並べるのを ついに やめ、
上の 2つの まとまりとは 違い、
「みんなちがって、」と
その 評価ひょうかみ込むことに よって
詩の 流れを 移し変え(転)、
4つ目の まとまりにおいて、
「みんないい。」と すべてを 結ぶことになる(結)。

そして、
第1連目と 第2連目とは
見事な 「対句」と なっている。
「対句」とは、
言端ことば文法的ぶんぽうてきな 組み立て方が よく 似ていて、
互いに かかわりの 有る 言端ことばを 用いた 文句を
互いの 文脈ぶんみゃくの 中において 重ねて 用いるという、
これ また
詩を 作る 上における 技である。

第1連目と 第2連目は、
第1行目が 共に
「わたしが~を~(し)ても、」という形であり、
第2行目も
「~は~けど(又は 『が』)」、
3行目も
「~はわたしのように」で、
4行目は
「~を(又は 『は』)~ない」という
かたちになっている。

そして、
『じゅもんをあげるよ』の 場合にも、
この 「起承転結」と 「対句」との 2つの 技が
見事に 用いられているのである。

まず 初めの、
「いじ・いじ ひとりぼっち
 あれ・これ なやむけれど
 しゃに・むに がんばるきみは
 ぴか・ぴか ひかってる」という
第1連目について 述べる。
それぞれの 行の 頭の ところには すべて、
「いじ・いじ」・「あれ・これ」・
「しゃに・むに」・「ぴか・ぴか」という
音節(おんせつ)擬態語(ぎたいご)が 用いられており、
対句(ついく)となっているのが 分かるだろう。

そして、
第1行目で
「いじ・いじ ひとりぼっち」と
後ろ向きに 歌の言葉を 書き起こした あと(起)、
第2行目においては その 後ろ向きな 流れを
そのまま 素直に 受ける かたちで、
「あれ・これ なやむけれど」と、
さらに 後ろ向きな 言葉を
重ねて 加える(承)。
ただし、
その 終わりに 「けれど」という、
逆接を 表す 接続助詞を 添えることに よって、
次に 来る 節においては
それまでの (後ろ向きな)流れからは
外れた 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせておいた あと、
はたして 第3行目においては、
「しゃに・むに がんばるきみは」と、
一転して
前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、
おしまいに 第4行目において、
「ぴか・ぴか ひかってる」と
第1連目を 明るく 結んで 締めくくる(結)。

同じ 事は けだし、
第4連目(2番の 1連目)である、
「とぼ・とぼ かえったみちも
 めそ・めそ ないたみちも
 いっぽ・いっぽ ふみだすきみは
 きら・きら ひかってる」というところについても
言えるだろう。
第1行目 および 第2行目 並びに 第4行目の 頭には、
「とぼ・とぼ」「めそ・めそ」・「きら・きら」と、
それぞれ 2音節の 擬態語が
繰り返し 使われており、
見事な 対句と なっている。
第3行目の 頭にだけ、
「いっぽ・いっぽ」と、
3音節の 名詞(名言端なことば)が
繰り返し 使われているのは きっと、
この 第3行目は 「転」の 行であるため、
変化を 持たせたかったからに 違い無い。
第1行目と 第2行目とは
終わりのところも、
共に 「~(し)たみちも」という
同じ 言端ことばを 使って 脚韻きゃくいんを 踏んでおり、
これ また 対句と なっている。

そして 何より、
第1行目で、
「とぼ・とぼ かえったみちも」と
後ろ向きに 歌詞を 書き起こした あと(起)、
第2行目では その 後ろ向きな 流れを
そのまま 素直に 受ける かたちで、
「めそ・めそ ないたみちも」と、
さらに 後ろ向きな 言端ことば
重ねて 加える(承)。
けれども 第3行目に 入るや いなや、
「いっぽ・いっぽ ふみだすきみは」と、
一転して
前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、
おしまいに 第4行目において、
「きら・きら ひかってる」と
第4連目を 明るく まとめて 結び、
締めくくるのだ(結)。
(ちなみに、
 第1連目 の
 第3行目 および 第4行目と、
 第4連目[2番の 第1連目]の
 同じく第3行目 および 第4行目とも また、
 どちらも
 「……きみは
  [擬態語]・[擬態語] ひかってる」と
 なっており、
 見事な 対句を なしている)。

他には 第3連目についても これ また、
「はしれ すすめ ゆうきだして」(起)
「やっちゃった でもね くじけないで」(承)
「わっはっは そうさ えがおみせてよ」(転)
「なみだ なんて ばいばばいさ」(結)
と、
「起承転結」であると 見ることが できる。
なぜかと いうと、
第1行目と 第2行目とが、
「はしれ すすめ ゆうきだして
 やっちゃった でもね くじけないで」と、
まがりなりにも 日本語として
素直に 言葉が 流れている 中において
(言い換えると、
 第2行目は 第1行目を うまく 受けているのに 比べ)、
第3行目は
いきなり 「わっはっは」という 擬音語ぎおんごで 始まり、
日本語が ここで ブツリと 切れて、
歌詞の 流れが ガラリと きり変わっているからである。
(詩において
 こうした 言葉の ブツ切りによる 切り変えが
 うまくいっていることを
 その 詩に 「キレが 有る」と 言う。
 [「キレ」の例:「キレ」の ところを 「/」にて 示す。
  松尾まつお=芭蕉ばしょう「古池や/かは(わ)ず飛び込む水の音」
  正岡まさおか=子規しき「柿くば金が鳴るなり/法隆寺」])。
けれども 第4行目は 、
「(そうさ えがおみせてよ)
 なみだ なんて ばいばばいさ」と、
第3行目の 終わりから
これ また なめらかに 言葉が 続き、
第3連目を まとめて 結び 締めくくっている。

更に、
第6連目(2番の 第3連目)も また、
「すべって ころんで べそかいても」(起)
「なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」(承)
「あっはっは そうさ げんきみせてよ」(転)
「まえを むいて ごーごごーさ」(結)
と、
「起承転結」を なしていると
見うるであろう
(第1行目と 第2行目とは
 「すべって ころんで べそかいても
  なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」と
 日本語が 素直に 続いているけれども、
 1つの 文が ここにおいて 終わる。
 そして 第3行目の 新しい 文は、
 いきなり 「あっはっは」という 擬音語にて
 始まっているのだ。
 日本語が
 第2行目と 第3行目との 間において ブツリと 切れて、
 第3行目において 言葉の 流れが
 ガラリと きり変わっていることは
 明らかであるといえるだろう。
 そして 第4行目は、
 「(そうさ げんきみせてよ)
  まえをむいて ごーごごーさ」と、
  3行目の 終わりのところから
 ふたたび 滑らかに 言葉が 続き、
 この 一連を まとめて 結んでいる)。

また、
終わりに 在る 第9連目も これ また、
「ゆくぞ やるぞ うでをふって」(起)
「やったった ほらね ゆめはかなうさ」(承)
「らっぱっぱ ららら うたをうたおう」(転)
「きみの ふぁいと しんじてる」(結)
と 、
やはり 「起承転結」なのである。

こうして 述べてきた 通り、
『じゅもんをあげるよ』の 歌詞においては
「起承転結」という 技が
(たく)みに 取り入れられている。

そして、
曲の 側に 目を 向けると、
「序破急」という、
わが国において
音楽や 踊りなどにおいて
古代から よく 用いられてきた 形式が
用いられているのが 分かるはずだ。

(じょ)」とは、
その 歌や 踊りの 始まりとなる、
真っすぐで かつ 素直な 姿の 楽章がくしょういだ。
続く 「()」とは、
(じょ)」の 真っ直ぐで 素直な ありさまを (やわ)らげ、
色色いろいろを 尽くして 分かりやすく 、
細やかに みせる 姿の 楽章の いである。
そして おしまいの 部分に あたる 「(きゅう)」とは、
(はげ)しく たたみかけるように 歌い、踊り、
もって 見る者・聴く者の 目や 耳を 驚かせて
楽曲(がっきょく)を 終える 姿の 楽章の いなのである。

この歌の 「1番」で 言うと すなわち、
第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)が、
真っすぐで かつ 素直な 調べの
「序」であるといえる。
次に、
いきなり しっとりとした 細やかな 調べに 変わる
第2楽章目
(「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)が 、
「破」であるといえるだろう。
そして、
言葉の 速さが いきなり 早くなり、
激しく たたみかけるように 歌われる
第3楽章目(「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)が
「急」なのである。

この 3つの 楽章は、
楽曲的には すべて 8小節で、
長さは 全く 同じである。
よって、
その 同じ 8小節の うちに
どれだけの言端ことば
詰め込まれているかを 調べるならば すなわち ここに、
3つ目の 「急」の 楽章には
いかに 多くの 言端ことばが 詰め込まれ、
言い換えると、
「急」いで、
言葉を たたみかけるように
激しく 歌わなければならないかが
よく 分かる。
この歌は すべて 平仮名に よって 書かれているので
音節数(声の 拍数)が 数えやすい。
「序」である
第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)の
音節数は 40個(よそぢ)だ。
「破」である 第2楽章目
(「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)の
音節数は 42個(よそぢ あまり ふたつ)である。
そして、
「急」である 第3楽章目
(「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)には、
「序」や 「破」と 同じ 8小節の うちに、
実に 53個(いそぢ あまり みっつ)もの 音節が
詰め込まれている
(「しゃ」・「じゅ」・「ちゃ」は
 1音節として 数える)。
そうなると まことに 当たり前の 事として、
ここの ところを 歌うときの 言葉の 速さは
どうしても 速くならざるをえない。

そして この 歌の 1番だけではなく、
2番も また、
「序破急」の かたちに 組み立てられている。
すなわち、
真っすぐで かつ 素直な 調べが 奏でられる、
「とぼ・とぼ かえったみちも~
 きら・きら ひかってる」のところが これ、
「序」である。
しっとりと 細やかな 調べに 変わる、
「きみの すきなことば さがしにいこう~
 てとて それ ぴったんこ さあしゅっぱつだ」
のところが これ、
「破」である。
そして、
言葉の 速さが いきなり 早くなり、
激しく たたみかけるように 歌われる、
「すべって ころんで べそかいても~
 まえを むいて ごーごごーさ」のところが これ、
「急」なのである。

こうして 見てきた 通り、
この 『じゅもんをあげるよ』という 歌は、
歌詞においては
「起承転結」、
曲においては
「序破急」という、
東洋とうようにおいて いにしえから 長く 伝えられてきた
伝統的でんとうてきな 巧みの 技を
見事に 用いて 作られているのだ。



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# by imadegawatuusin | 2016-05-08 11:22

――ゆめゆめ とうとうりゃくせんきょせいげるな!――

さいこうさいばんしょから さいさんに わたって
けんじょうたい」であると てきされてきた
しゅういんしょうせんきょいっぴょうかくせいする
せんきょせいかいかくについて、
しゅけいとうみんとうは、
ばっぽんかいかくを 2020ねん こうさきおくりする あん
こっかいていしゅつすることにした。
みんとうあんは、
せんきょりについて
とうめんさいていげんなおしを おこなうに とどめ、
しゅういんちょうもんかんとうしんした、
じんこうはんえいしやすい
「アダムズほうしき」の どうにゅうについては、
2020ねんおこなわれる
だいこくせい調ちょうけっつとするものであり、
実際じっさい衆議院選挙しゅうぎいんせんきょ適用てきようされるのは
2022年以降ねんいこうになると みられる。
それまでは、
1票いっぴょう格差かくさ」を 要因よういんであるとして
最高裁判所さいこうさいばんしょ撤廃てっぱいもとめた 「1人別枠方式ひとりべつわくほうしき」が
事実上じじつじょう 温存おんぞんされることとなってしまう。
当初とうしょは 「アダムズ方式ほうしき」の 即時導入そくじどうにゅう主張しゅちょうしていた
中道派ちゅうどうは連立与党れんりつよとう公明党(こうめいとう)
自民党案じみんとうあん合意ごういしたため、
この あん国会こっかい可決かけつされる 可能性かのうせい
たかくなってしまっている。
定数削減ていすうさくげん影響えいきょうける 現職議員げんしょくぎいん
おおかかえているという
自民党内じみんとうない党内事情とうないじじょうが、
民主主義みんしゅしゅぎ大前提だいぜんていとも うべき
投票価値とうひょうかち平等びょうどう早期実現そうきじつげんという
普遍的要請ふへんてきようせいよりも
優先ゆうせんされた かたちである。
これでは、
すべからく こうせいであるべき せんきょせい
とうとうりゃくに よって ねじげようとしていると
はんされても
かたいのではないだろうか。

これに たいして
ちゅうどうリベラルの とう民進党(みんしんとう)は、
みんとうあんもんだいさきおくりであると つよはんし、
ちょっきんだいこくせい調ちょうけっもとづいて
ただちに ていすうはいぶんばっぽんてきなおしを おこなう あん
こっかいすと いう。
進歩的しんぽてきろん調ちょうられる ぜんこくあさしんぶんは、
4月しがつ 8日ようかしゃせつなかみんとうあんについて、
「なぜ、
 すでに結果が出ている調査をもとに抜本改革をせず、
 20年まで待たねばならないのか。
 自民党から説得力のある説明はない。
 要は、
 300人近い議員がいる中、
 定数減の影響を受ける現職を
 できるだけ少なくしたいからに過ぎない」と
きびしく 批判ひはんし、
「党利党略を超えた審議を求め」ている。
おなじく 進歩的しんぽてきろん調ちょう全国紙ぜんこくし毎日新聞まいにちしんぶん
公明党こうめいとう姿勢しせいについても
4月しがつ 8日ようか社説しゃせつなかで、
「アダムズ方式の先送りに
 当初、強く反対していた公明党が
 自民案の容認に転じたのも理解に苦しむ」と
疑問ぎもんげかけ、
「今からでも遅くない。
 自民、公明両党は方針を改め、
 民進案に一本化した方がいい」と
主張しゅちょうしている。

特定政党とくていせいとう党利党略とうりとうりゃくが、
民主主義みんしゅしゅぎ前提ぜんていとなる
投票価値とうひょうかち平等びょうどうを ゆがめるようなことが
あってはならない。
民意みんい正確せいかく反映はんえいもとめられる 国会こっかいは、
直近ちょっきん国政調査こくせいちょうさもとづいて
ただちに 「アダムズほうしき」を どうにゅうし、
いっぴょうかく」の すみやかな 抜本的是正ばっぽんてきぜせい
すべからく つとめるべきである。



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# by imadegawatuusin | 2016-04-08 17:37 | 政治

――おおやけ機関きかんが「大安だいあん仏滅(ぶつめつ)」をあからさまにしるす――

大分県(おおいたけん)、「不適切(ふてきせつ)」と みと回収(かいしゅう)

大分県(おおいたけん)25はつか あまり いつ()に、
(けん)むっつの 市町村(しちょうそん)にて つくる
国東半島宇佐地域世界農業遺産推進協議会(くにさきはんとう うさちいき せかい のうぎょういさん すいしん きょうぎかい)」が
発行(はっこう)した、
()たる
平成へいせい28(西暦せいれき2016)ねん(こよみ)(カレンダー)に、
大安だいあん」や「仏滅(ぶつめつ)」などといった、
迷信(めいしん)つながる 「六曜ろくよう」を
しるしてしまっていたとして、
回収(かいしゅう)すすめることを あきらかに した。
読売新聞よみうりしんぶん』や 朝日新聞あさひしんぶん電子版(でんしばん)
26はつか あまり むい()
これを つたえた。

それらの 記事(きじ)に よると 大分県(おおいたけん)は、
人権教育じんけんきょういくに ついての 市町村向しちょうそんむけの 資料しりょうなどにおいて
みずから、
差別さべつ助長(じょちょう)する 迷信(めいしん)因習いんしゅうとして、
その 1つに 六曜ろくようげていた。
その、
差別さべつ助長(じょちょう)する 迷信(めいしん)因習いんしゅうひとつ」であると
みずか自覚じかくしていたところの 六曜ろくようを、
自分じぶんたちが 発行(はっこう)する (こよみ)
おおぴらせていたというのは、
おもてで 言っている 事と、
仕事しごとを まさに 行なう にて やっている 事とが
まったくもって ちがっており、
言行不一致(げんこうふいっち)はなはだしい。
これでは みずか
差別さべつ助長じょちょうする」 つもりが あったのではないかと
うたがわれても 仕方しかたいのではないだろうか。

たしかに の中には、
今だに
大安だいあん」とか 「仏滅ぶつめつ」などといった
日柄ひがらかかわる 迷信めいしん
とらわれ続けている 人人も 少なくない。
けれども、
そうした 日柄ひがら年柄としがら迷信めいしんの たぐいを
こうから 否定ひていし、
そうしたものに とらわれては いけないと
かんがえる 人も 少なくない。
わたしのような 弁証法的唯物論者べんしょうほうてきゆいぶつろんじゃ
げるまでも無く、
宗教者しゅうきょうしゃの 中にも、
たとえば、
わが国の 仏教ぶっきょうなかでは もっとおおきな 宗派しゅうはである
浄土真宗じょうどしんしゅうや、
神道しんとうかんがらみち)の ながれを くむ
金光教こんこうきょうなど、
こうした 迷信めいしんこうから 否定ひていする 宗教しゅうきょう
わがくに日本にほんには 目違まちがるのである。
浄土真宗を ひらいた 見真大師けんしんだいし親鸞しんらんは、
その おしえを の かたちで (やさ)しく いた
和讃(わさん)」という 長歌(ながうた)の 中で わく、

  かなしきかなや 道俗(どうぞく)の   
  良時(りょうじ) 吉日(きちにち)えらばしめ〔注1〕   
  天神地祇(てんじんぢぎ)を あがめつつ   
  卜占祭祀(ぼくせんさいし) つとめとす   

  (ああ、(かな)しいことだなあ!
   (ほとけ)(みち)(おこ)ない(びと)である 法師(ほうし)も、
   法師(ほうし)ではない 白衣しろぎぬの ただ(びと)
   どちらもが、
   ()わゆる 「()(とき)」だの
   「()()」だのといったものを
   殊更(ことさら) えり分けて お選びになり、
   あま(かみ)だの (くに)(かみ)だのといったものを
   がめつつ、
   (うらな)いだの (まつ)りだの
   おはらいだのといったものを
   (もっぱ)らの (つと)めとして
   いそしんでいらっしゃるとは! 
   〔正像末和讃(しょうぞうまつ わさん) 第101首
    第5章 「愚禿悲歎述懐(ぐとく ひたん じっかい)第8首〕。
   〔注1〕ここでいう 「えらばしめ」の 「しめ」は、
   「やらせる」という
   使役(しえき)(むね)(あらわ)(たす)言端(ことば)助動詞(じょどうし))・「しむ」の
   ()方形(かたがた)連用形(れんようけい))ではなく、
   「お~になる」という
   尊敬の 旨を 表す 助動詞・「しむ」の
   連用形である。)

うんぬんと 歌い、
「『()(とき)』だの
「『()()』だのといったものを
   ……えり分けて ……選」ぶことを
ハッキリと 否定している。
 
また、
教派神道きょうはしんとう・金光教の 教祖きょうそ(おしえおや)である
赤沢=文治あかざわぶんじも 言わく、
如何いかなる所、
 如何なる時、
 如何なるほうも、
 人間にきは
 吉所よきところ
 吉日よきひ
 吉方よきほうなり。
 日柄方位等は、
 神が氏子を
 苦しめる事ではない」(『金光大神理解』)
うんぬんと 述べ、
人人の「生活を暗くおしつつむ
有害な俗信に
正面からたたかいを挑んだ」(村上重良『新宗教 その行動と思想』第108葉〔ページ〕)。
赤沢=文治は明治維新めいじいしんのあとに、
太陽暦たいようれきに 基づいた 新暦しんれき
新政府しんせいふによって 導入どうにゅうされた りに、
「大安」・「仏滅」・「さんりんぼう」といった、
迷信に つながる 記載きさい
公的こうてきな 暦から 一掃いっそうされたのを 見て
涙を 流して これを 喜び、
この 暦を 神の 前に 供えて
神に 感謝かんしゃしたという。
 
浄土真宗は 日本において 最も 大きく、
地域ちいきに 根を張って 存在そんざいしている 既成きせい仏教宗派ぶっきょうしゅうはである。
国会こっかいに 2ケタの 議席ぎせきを 占める 日本共産党にほんきょうさんとうも、
弁証法的唯物論に 基づく 世界観せかいかんを 持っている。
そうした 人人の 存在を 全く 無視むしして、
県や 市町村といった 公的機関こうてききかん
何らの 科学的根拠かがくてきこんきょも 無い 迷信を
助長しかねない 暦を
安易あんいに 発行してしまうということは、
あたかも
「大安」だの 「仏滅」だのといった 迷信に、
県や 市町村が
お墨付きを 与えたかのごとき
誤った見方を 広めかねない。

そもそも、
「大安」や 「仏滅」といった 「六曜」 及び
その 解釈かいしゃくは、
諸越もろこし中国ちゅうごくから 伝わった
陰陽道おんみょうどうという 俗習的宗教ぞくしゅうてき しゅうきょう由来ゆらいするものであり、
民衆みんしゅうの 間に 広まったのは
近世きんせい江戸時代えどじだいに 入ってからのことである。
「六曜」は決して、
わが国固有こゆう文化ぶんかでも 何でも 無いのである。
ある 特定とくていの 宗教に 肩入れしては いけないはずの
県や 市町村といった 公共団体こうきょうだんたいが 作る 暦が
特定の 宗教観しゅうきょうかんに 基づくものであること そのものが
そもそも おかしな 事である。
(例えば、
 どれほど
 天主てんしゅ[カトリック]教徒きょうとが 多い 国であっても、
 宗教について 中立的ちゅうりつてきであるべき
 国や 地方公共団体ちほうこうきょうだんたいが 出す 暦に、
 「今日は 聖○○の 日」などと
 おおぴらに 書かれていれば、
 確かに
 天主[カトリック]教徒にとっては
 さぞかし 便利に 違いないだろうが、
 そうした信仰しんこう共有きょうゆうしない 人人は、
 自らの 存在そのものを
 国や 地方公共団体といった 公の 機関きかん
 切り捨てられたと 感じるだろう。
 公の暦に、
 特定の 宗教的迷信しゅうきょうてきめいしんに 基づく 記述きじゅつ
 取り入れた事 そのことからして、
 想像力そうぞうりょくにおいて あまりに 鈍感どんかんであると
 言わざるをえない)。

公共団体 自らが、
あたかも 特定の 迷信を 認めて
これに 肩入れするかのごとき 暦を
出すなどというのは
まことに 言語道断ごんごどうだんである。
大分県が こうした 不適切な 暦を 回収するのは
当たりまえの 事である。



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# by imadegawatuusin | 2015-12-26 15:09 | 政治

――つりいの ()れない (かた)では 民意(みんい) (はか)れぬ――

わが もとくに日本にほん公共放送局こうきょうほうそうきょくである
日本放送協会にほんほうそうきょうかいNHKエヌエイチケイは、
あきふかまり さむさに かう
11月じゅういちがつ21日はつかあまりひとひ()から
3日みっかを かけて、
おっとつまとの うじことなったままでも
夫婦めおとに なりうるという
夫婦別姓選択制度ふうふべっせいせんたくせいどについて、
人人ひとびとが どう かんがえているのかを 調(しら)べる
世論調査(よろんちょうさ)おこなった↓。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151207/k10010332071000.html

けれども、
この 世論調査(よろんちょうさ)において 日本放送協会(にほんほうそうきょうかい)は、
どちらも ともちうる
2つの かんがえを げておきながら、
われた ひとに、
その どちらか 1つだけを えらべと いる、
愚怪おかしな たずかたを していたのである。
よって、
この 世論調査よろんちょうさに よって みちびされた こたえは、
なか人人ひとびとかんがえを
ただしく うつしたものには なっていない おそれが ある。

そもそも この 世論調査よろんちょうさは、
わが もとくに最高裁判所さいこうさいばんしょ来週らいしゅうに、
つまかならおっとおなうじ(=名字みょうじ)を
名乗なのらなければならないとしている
いま民法みんぽうにおける くにまりが
たして ただしいのか いなかについての さばきを
わたすことを けて
おこなわれたものである。
よって、
いま まさに 人人ひとびとうべき 事柄ことがらは、
いまくにまりのまま、
これからも 「おっとつまとは かならおなうじ
名乗なのらなければならない」と し つづけけるのか、
それとも これからは、
おっとつまとが それぞれ おやから いだ
 うじの ままにて 夫婦めおととなっても
 かまわない」と するのかということで
あるはずである。
にも かかわらず 日本放送協会にほんほうそうきょうかいは ただ、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるべきだ」と
おな名字みょうじべつ名字みょうじえらべるようにするべきだ」との
2つの 選択肢せんたくしだけを しめしたうえで、
その どちらかを えらべと、
われた ひとたちに せまったのである。
そして、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるべきだ」の がわを 選んだ 人が
5割ごわり(50パーセント)、
おな名字みょうじべつ名字みょうじえらべるように
 するべきだ」の がわえらんだ 人が
4割6分よんわりろくぶ(46パーセント)であったと
電視でんし(テレビジョン:=テレビ)放送ほうそう
網際網絡もうさいもうらく(インターネット)に よって
ひろ人人ひとびとらせたのである。

あとに げられた、
おな名字みょうじべつ名字みょうじえらべるように
 するべきだ」の がわこれ
くにまりの しについての かんがかたである。
けれども、
さきげられた、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるべきだ」の がわは、
くにまりの しについてだけではなく、
そのひと そのひと結婚けっこん家族かぞくについての
個人的こじんてき見方みかたとも とらえられうる。
つまり、
「(個人的こじんてきには) 夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるべきだと
 おもうけれども、
 (法律的ほうりつてきには) おな名字みょうじべつ名字みょうじ
 えらべるように するべきだ」という 立場たちば
おおいに ありうるはずなのに、
そうしたことは まったくもって 
かんがえに れられていない
かたよった かた
なってしまっているのである。
そもそも、
「べき」という言端ことばこれ
「する ほうが よろしい (よろしく ~するべき)」 および、
「するのが 適切てきせつである (まさに ~するべき)」 および、
かなら
 しなければらない (すべからく ~するべき)」の
3つの むね (=意味いみ)を しめ言端ことばである。
よって、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるべきだ」と
こたえた ひとなかには、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのほうが よい。
 (けれども べつ名字みょうじ名乗なの夫婦ふうふが あっても
  かまわない)」というひとや、
夫婦ふうふおな名字みょうじ名乗なのるのが 適当てきとうである。
 (けれども べつ名字みょうじ名乗なの夫婦ふうふが あっても
  仕方しかたい)」というひと
いたはずなのである。
にもかかわらず、
日本放送協会の調べ方では、
そうした 人人ひとびと をも 含めて べて
「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」派に
まとめて 入れられてしまいかねない。
そしてそれを、
「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」派と
互いに 比べ合うかの 形で 並べてしまうと、
「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」と答えた
5割の人びとが べて、
あたかも さながら 夫婦別姓選択制度に
反対しているかのごとく 思われてしまう。

日本放送協会においては どうか、
これからの 世論調査においては
片側の 選択肢が
もう 片側の 選択肢の 考えを 持つ人の 一部をも
含みうるといった かたちの、
片側に 偏った 答えが 出やすくなる
つり合いの 取れない世論調査は
これを ゆめゆめ 行なわなくしてほしいと
強く 願うものである。
2つの 選択肢の うちの 
どちらかを 選ばせようとするときには どうか、
その 2つの 選択肢が
必ず キッパリと 分かたれる かたちの 問い方をして、
世論を 正しく 計ってほしいと
望んでやまない。



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# by imadegawatuusin | 2015-12-08 19:32

中国の 北京市検察当局は
5月の15日(とおか あまり いつか)の 日に、
昨年 拘束された、
中国を 代表する 人権派弁護士の
=志強シキョウさん(50歳)を
騒動挑発罪などで 起訴した。
さんの
電脳互連網絡日誌(ブログ)の 書き込みなどが
「社会秩序の破壊」に 当たると
中国当局は しているけれども、
立件ありきの 強引な 捜査だとの 批判が
出ているという。

「法治」の 実現を 目指す 立場から
弁護活動を 続けてきた さんの 摘発には
国際社会の 批判が 集まっており、
アメリカ合州国の 国務省も
釈放を 求める 声明を 出したばかりであった
朝日新聞5月16日)。

わたしは 中国当局による
さんの 起訴に 抗議する。
わが 日の本の国の 日本政府も また、
まさに国際社会と 力を 合わせ、
中国に 対して さんの 釈放を
強く 求めるべきである。



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# by imadegawatuusin | 2015-05-16 18:41 | 国際

日本最大の新宗教団体・創価学会の
三代会長・池田大作の小説・『人間革命』の
前編とも言うべき作品が
この『小説人間革命』だ。
創価学会という組織を知る上で、
「創価学会の精神の正史」とされる
『人間革命』の前編となった
この『小説人間革命』の重要性は
改めて強調するまでもないだろう。

『小説人間革命』の著者は
池田大作の先代の創価学会会長にあたる
二代会長の戸田城聖だ。
池田大作は創価学会会長の職とともに、
この『人間革命』を書くという仕事も
戸田城聖から引き継いだのだと見ることができる。

聖教文庫版の『小説人間革命』の上巻には、
戸田城聖の後継者である池田大作が
「文庫版に寄せて」と題する序文を寄せている。
そこでは戸田の『小説人間革命』は、
戸田の師である創価学会初代会長・牧口常三郎を
宣揚する作品であるとされている。
そして、
池田が初めてこの小説の原稿を読んだとき、
自らは
「(戸田)先生の偉大な理念と真実を伝えるため、
 やがて続『人間革命』ともいうべきものを
 書かねばならないな、と」「密かに決意した」と
書かれている。
ここで言われている「続『人間革命』」というのが、
現在『人間革命』として刊行されている
池田の小説であることは言うまでもない。
池田大作の『人間革命』は
戸田城聖の『小説人間革命』の後を受け継ぎ
書き継がれた小説であるわけなのだ。
戸田が『小説人間革命』で
師である牧口常三郎を宣揚したように、
池田もまた
自らの師である戸田城聖を宣揚しようと
『人間革命』を書いたのだ。

だから池田大作の『人間革命』を読む人は
その前に戸田城聖の『小説人間革命』に
目を通しておくといい。
この本は小説であるので事実そのままではなく、
著者である戸田城聖は
「巌九十翁(がんくつお)」という少しふざけた名前で
登場している。
(無実の罪でとらわれた岩窟王に、
 戦時中、
 治安維持法違反・不敬罪で監獄に入れられた自らを
 なぞらえていたのか)。
池田大作も序文で言う通り、
この作品は「巌さん(筆者注:=戸田城聖)と
それを取巻く八軒長屋の住人が
妙法(筆者注:=日蓮仏法の信仰)によって
見事に蘇生していく姿を
軽妙な筆致で描」いたものであり、
その筆の軽妙さは
現在でも読む者を引き付ける力を失っていない。

時代設定は、
創価学会がまだ「創価教育学会」と呼ばれていた
戦前である。
池田大作は序文の中で、
「(筆者注:戸田)先生が小説の手法を用いて
 『人間革命』を書かれたのは、
 創価学会の使命と精神、
 そして妙法の偉大な変革の力を
 一人でも多くの人に伝えたかったからだ」と
言っている。
だが面白いことに、
この文庫本・『小説人間革命』の上巻部分には、
作中、
「創価学会」という言葉も、
その戦前の前身である「創価教育学会」という言葉も
全く出てこない。
出てくるのはただひたすら「日蓮正宗」だ。
創価学会初代会長の牧口常三郎も、
二代会長である戸田城聖の分身である「巌さん」も、
ひたすら「日蓮正宗」の信仰をすすめている。

文庫本の下巻に至ってようやく
「創価学会」という言葉も登場するが、
それは「生活革新同盟」などと同列の、
数ある日蓮正宗の信者の集まりの一つという程度にしか
描かれていない。
信仰の中心はあくまで「日蓮正宗」に置かれている。

他宗教を信じていると良くないことが続々と起こり、
他宗の信仰対象を処分して
日蓮正宗の
御本尊(「南無妙法蓮華経」と書かれた掛け軸)を拝むと
途端に良いことが起こるという
あまりにもご都合主義的で毎度ワンパターンな展開には、
あきれを通り越して
もはや痛快さすら感じる。
戸田城聖の時代の創価学会は
今よりもっとご利益主義的な宗教だったのだろう。
はっきり言って
理屈もへったくれもないのである。
他宗教を信じていると不幸になり、
日蓮正宗の御本尊を拝めば幸せになれる。
貧乏も病気も逃げていき、
家庭円満で幸せになれるという
実に大胆な構成なのだ。
池田大作はこの作品を、
「多分に小説風なところを見せながらも、
 急所は事実を織込み鋭く構成されている」と
激賞しているが、
少し身びいきが過ぎないか。
ノンフィクションとして
「うちの宗教を信じたらこんなに幸せになりました」
という話であれば、
その信仰のすばらしさを示す一つの実証として
受け取ることもできる。
だが、
フィクションである小説で
ひたすら「うちの宗教を信じたら幸せに……」と
やられても、
「そりゃ小説なんだから何とでも書けるじゃないか」と
言うしかない。

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# by imadegawatuusin | 2014-02-09 19:41 | 文芸 | Trackback

――「原価改善」押し付けに抗し下からの共同闘争を――

2月2日(日)「第35回トヨタ総行動」名古屋集会
場所:名古屋市白川公園(地下鉄東山線伏見駅下車)
時間:午後1時~ 
   集会終了後トヨタミッドランドに向けてデモ


■トヨタ自動車期間工の経験から
私は2006年にトヨタ自動車の期間工になりました。
日給は9000円でした。
ただし期間工は期間限定とはいえ
トヨタ自動車の「社員」ですから、
社員寮にタダで住めます。
また、
トヨタ自動車の「社員」ですから、
寮や工場の食堂でご飯を食べると
社員割引があるわけです。
600円のご飯が400円で食べられます。
(おいしかったです)。

■正社員が400円で食べるメシを600円で……
ではトヨタ自動車は
どこから収奪してあれだけ儲けているのでしょうか。
実はトヨタ自動車は
下請け企業から部品を安く買い叩いて儲けているのです。
トヨタでは部品を安く買い叩くことを
「安く買う」とは言いません。
「原価改善」と言います。
トヨタ自動車から「原価改善だ」と言われた
1次下請けは、
部品を安く納めなければなりません。

するとどうなるか。
トヨタ自動車の期間工を辞めたあと、
次に私は1次下請けのトヨタ車体で
派遣工として働きました。
1次下請けのトヨタ車体になると、
直接雇用の正社員と期間工とだけでは
やっていけなくなり、
ここで初めて派遣社員が登場するのです。

トヨタ車体の派遣工は時給1200円です。
時給を8倍してもらえばわかりますが、
給料だけを見ると
トヨタ自動車の期間工よりも
労働条件は良いように見えます。

しかし、
派遣工はトヨタ車体の社員ではなく、
派遣会社の社員です。
ですから、
トヨタ車体の寮に住ませてもらうには
寮費を払わなければなりません。
私の場合は1ヶ月で4万9000円取られました。
同じ仕事をしているのに、
トヨタ自動車の期間工だった時には
かからなかった寮費が、
派遣工になったとたんにのしかかってくるのです。

そして、
派遣工は
トヨタ車体の社員ではなく派遣会社の社員ですから、
トヨタ車体の寮や工場の食堂でご飯を食べても、
社員割引は効きません。
一部上場企業の正社員であるトヨタ車体の社員が
400円で食べているメシを、
非正規雇用労働者である派遣工は
600円出さないと食べられないことになるわけです。
不条理な話です。

■違法・脱法が横行する2次下請け
その後、
私は愛知の地域労組・名古屋ふれあいユニオンの
運営委員長として、
トヨタ生産構造のさらに下、
2次下請けや3次下請けの実態も
見ていくことになりました。

1次下請けのトヨタ車体が
トヨタ自動車から「原価改善だ」と言われると、
トヨタ車体はさらにその下請けである2次下請けに
「原価改善だ」と言って転嫁するのです。
するとどうなるか。
1次下請けのトヨタ車体の製造工程には
日本人の労働者しかいませんでしたが、
2次下請けの会社になると外国人労働者が出てきます。
もちろんみんな派遣です。
私が名古屋ふれあいユニオンの運営委員長に
なったばかりのころは、
雇用保険にも社会保険にも入れてもらっていない
外国人労働者がたくさんいました。

さすがに最近では、
社会保険はともかく
雇用保険に単純に入らない会社は
ずいぶんと少なくなってきました。
しかしそれでも、
脱法的なやり方で
「合法的に」労働者を
社会保険・雇用保険に入れない手口や、
社会保険料や雇用保険料を半額にする手口
(当然、
 労働者が失業したときにもらえる手当も
 半額になってしまう)
を編み出す業者が跡を絶ちません。
悪質派遣会社やブローカーが
ここでは横行しているのです。

■最低賃金も払えない3次下請け
これが3次下請けになると、
ついに労働者に最低賃金も払えなくなるのです。
ここで外国人「研修生」(今は「実習生」)が出てきます。
法律が改正されて今はそうではなくなりましたが、
私が
名古屋ふれあいユニオンの運営委員長になった当時は
彼らには労働法が一切適用されませんでした。
彼らは労働者ではなく、
車づくりのお勉強に来ている「研修生」なのです。
ですから最低賃金も適用されません。
時給300円とか350円とかで
朝から晩まで長時間、
黙々と働くというのが当たり前でした。

彼らは労働者ではありませんから
今でも職業選択の自由がありません。
会社をクビになれば、
勝手に他の会社に移って働くわけにはいかないのです。
「○○会社の工場で3年間車づくりの勉強をする」
という資格で日本に来ていますから、
社長がクビだと言えば原則 強制帰国です。
ですから会社にものが言えず、
セクハラ・パワハラも横行しています。
だから実習生制度は
「人身売買」・「奴隷労働」と批判されるのです。

■労働者は労組で団結! 下請けも協同組合で団結を!
こうした構造を打ち破るには、
個々の労働者を労働組合に組織して
個別企業と闘っていくのも もちろん大切なのですが、
それだけでは
構造そのものを変えることはなかなかできません。
下請け会社も
一面では大企業によって搾取される側にあるということを
理解し、
中小企業等協同組合法に基づく協同組合に
下請企業を組織して
下請企業同士の分断を打ち破り、
協同組合法の共同受注・共同販売制度で
下請企業が団結して価格決定力を取り戻していくことを
追求していくべきだと思います。
(協同組合法に基づく共同販売
 ――みんなで結託して同じ値段で物を売る――には
 独占禁止法の適用が除外されます。
 また協同組合には取引先との団体交渉権があり、
 大企業は協同組合との交渉に
 誠実に応じなければなりません)。
「原価改善」の押し付けに抗して
今こそ幅広い共同闘争を組織し、
アベノミクスインフレ(物価上昇)下での大幅賃上げ、
下請け単価の引き上げを求めて
春闘決起集会=トヨタ総行動・名古屋集会
(2月2日午後1時~白川公園、
 地下鉄東山線伏見駅下車)に大結集しましょう。

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# by imadegawatuusin | 2014-01-30 15:17 | 労働運動 | Trackback