太宰治「葉」について

――「花」=「芸術」になれなかった断片群――

■「一行空き」で分けられた一つ一つが独立作品
「葉」は、
太宰治の最初の短編作品集『晩年』の冒頭に置かれた
作品である。
おもしろいかと問われると、
正直言って言葉に詰まる。
予備校講師の出口汪さんが、
「(筆者注:太宰については)
 『人間失格』があまりにも有名だが、
 私には処女作品集『晩年』が
 一番面白い」(出口汪『出口汪の頭がよくなるスーパー読書術』212ページ、青春出版社)
と薦めるので読み始めてみたものの、
この「葉」という作品を
いったい何と表現すればいいのだろうか。

文芸評論家の奥野健男は「葉」について、
「『晩年』以前の初期作品、
 あるいは焼き捨てた小説の中から、
 捨てがたいフラグメント(断片)を撰びだして、
 アフォリズム風に配列したものと
 思われる」(奥野健男「解説」太宰治『晩年』401ページ、新潮文庫)
と解説している。
(個々の断片の出典については、
 渡部芳紀「評釈『葉』」を参照のこと。)

奥野健男が
「ストーりーとしてはつながっていない」(奥野健男「解説」太宰治『晩年』401ページ、新潮文庫)
と書いているとおり、
「一行空き」で区切られた個々の作品は
基本的にはそれぞれ独立しており、
多くは断片通しに直接的な関連性はない。

「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。」
(太宰治「葉」『晩年』15ページ、新潮文庫)
という一行だけの作品から、
ページにして5ページほどの短編小説風の作品までが
雑然と並べられた感じである。
(短編小説風の作品などは、
 それ自体で一つの作品世界を構成しているし、
 一行だけの作品のほとんどもまたしかりである)。

ただし、
たった一言
「生活。」(太宰治「葉」『晩年』28ページ、新潮文庫)
などという言葉をポーンと放り出すだけの
34番目の断章などは、
独立した作品とは言えないだろう。
35番目の断章である
「よい仕事をしたあとで
 一杯のお茶をすする
 お茶のあぶくに
 きれいな私の顔が
 いくつもいくつも
 うつっているのさ」や
(太宰治「葉」『晩年』28ページ、新潮文庫)、
36番目の断章である
「どうにか、なる。」
(太宰治「葉」『晩年』28ページ、新潮文庫)
とともに、
3断章で1編の詩を構成するのだと
考えるのが自然だ。
渡部芳紀「評釈『葉』」によると、
 断章4・5・6も昭和3年8月に
 太宰が『細胞文芸』に発表した
 「彼等と其のいとしき母」という作品の断片であり、
 連続性があるようだ)。

わけても最後の
「どうにか、なる」という言葉は深い。
非常に投げやりな言葉にも聞こえるし、
そのくせ、
究極の前向きな言葉にも聞こえてしまうから
不思議だ。
「葉」の冒頭に置かれた、
「死のうと思っていた。
 ことしの正月、
 よそから着物を一反もらった。
 お年玉としてである。
 着物の布地は
 麻であった。
 鼠色のこまかい縞目が
 織りこめられていた。
 これは夏に着る着物であろう。
 夏まで生きていようと思った。」
(太宰治「葉」『晩年』7ページ、新潮文庫)
というショートショートとあわせて読むと、
非常に味わい深い。

「その程度のこと」で
人間は生きてゆける。
「どうにか、なる」もの、
「どうにか、な」ってしまうものなのである。

■題名について
「葉」という題名についても
いろいろと議論があるようである。
私は、この作品最大のキーワードである
「花」に対する「葉」と捉えると
理解しやすいと思うのであるが、
どうだろうか。

世阿弥の『風姿花伝』の昔から、
日本では芸術が「花」に喩えられてきた。
本書においても一貫して、
「花」が芸術の象徴であることは
「評釈『葉』」にもあるとおりである。

であるならば、
「葉」とは「花」になれなかったにぎやかし、
「花」=「芸術」をその縁の下で支える
没原稿群のことを意味しているのではないのか。

こういった大量の「葉」が、
これから読むことになる
「思ひ出」以後の「花」の背景にあるのだよというのが、
『晩年』の冒頭にこの作品をおいた
太宰の真意だったのではないか。
私にはそう思えてならない。


注解

●水(みず)到(いた)りて渠(きょ)成(な「)る
水が流れて来れば自然に溝が出来るという意味。
学問、道徳の修業をつとめれば、
名声は自然に高まるということを意味する。


●「雛」
 芥川龍之介の短編作品。
形式には、
「雛」の影響が認められた。
(太宰治「葉」『晩年』10ページ、新潮文庫)



●鉄漿(かね)
 結婚した女性が付けるお歯黒のために
 歯を黒く染める液。
 鉄くずを焼いて濃い茶に浸し、
 酒などを加えて発酵させて作る。
そんなにお美しくていらっしゃるのに、
一生鉄漿(かね)をお附けせずに
お暮らしなさったのでございます。
(太宰治「葉」『晩年』12ページ、新潮文庫)



●一生鉄漿(かね)をお附けせずに
一生結婚せずに、の意味。


●縮緬(ちりめん)
 縮ませた絹織物。
と申しますのは、
私の婆様は、
それはそれは粋なお方で、
ついに一度も
縮緬(ちりめん)の縫紋(ぬいもん)の御羽織を
お離しになったことがございませんでした。
(太宰治「葉」『晩年』12ページ、新潮文庫)



●縫紋(ぬいもん)
 無地の着物に刺繍で付ける紋。
と申しますのは、
私の婆様は、
それはそれは粋なお方で、
ついに一度も
縮緬(ちりめん)の縫紋(ぬいもん)の御羽織を
お離しになったことがございませんでした。
(太宰治「葉」『晩年』12ページ、新潮文庫)



●富本(とみもと)
 「富本節」の略。
 三味線に合わせて語る語り物である
 浄瑠璃の一派。
お師匠をお部屋へお呼びなされて
富本のお稽古をお始めになられたのも、
よほど昔からのことでございましたでしょう。
(太宰治「葉」『晩年』12ページ、新潮文庫)



●十六魂(じゅうろぐたまし)
 多趣味な人、
 気が多い人、
 考えがころころ変わる様子。
 津軽方言。
お前は十六魂(たまし)だから、
と言いかけて、
自信を失ったのであろう、
もっと無学の花嫁の顔を覗き、
のう、そうでせんか、
と同意を求めた。
(太宰治「葉」『晩年』20ページ、新潮文庫)



●Nevermore
 二度と~しない。英語。
"Nevermore"
(太宰治「葉」『晩年』21ページ、新潮文庫)



《参考サイト》
太宰治『人間失格』について
太宰治「思い出」について
太宰治「魚服記」について
太宰治「列車」について
太宰治「地球図」について
太宰治「猿ヶ島」について

渡辺芳紀「評釈『葉』」
謎めいた「葉」という作品の「解答」が
ここまであからさまに「記されている」のを見れば、
「生まれてはじめて算術の教科書を手にした」少年なら、
「無礼だなあ」とつぶやくかもしれない。
「葉」研究の必読文献。



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by imadegawatuusin | 2009-01-30 15:52 | 文芸