太宰治『人間失格』について(その2)

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――皆が共有する感覚を理解できぬ絶望――

■「空腹という感覚がわからない」
太宰治の代表作・『人間失格』において、
主人公・大庭葉蔵(おおばようぞう)は、
「自分は、空腹という事を
 知りませんでした」と告白している。
「それは、
 自分が衣食住に
 困らない家に育ったという意味ではなく、
 ……自分には『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからなかったのです」というのである
(太宰治『人間失格』新潮文庫10ページ)。

この記述は、
これまで多くの読者を困惑させてきた。
本稿「その1」で論じたように、
太宰治の『人間失格』は鏡であり、
多くの読者が主人公に
自分の姿を見出す仕掛けになっている。
『人間失格』を読んで、
「この主人公は自分だ!」と言い出す読者が
あとを絶たない。

しかし、
『人間失格』に自分を見出す読者たちにとって、
「自分は、空腹という事を
 知りませんでした」というのは、
最大の「つまずき所」であるようだ。
古くは太宰治の実の娘である太田治子が
この記述に違和感を表明している。
また最近では、
人気ライトノベル・『“文学少女”と死にたがりの道化』で、
「文学少女」こと天野遠子が
「“人間失格”って、
 ひとつだけ、
 ど~しても理解できないことが
 あるのよねぇ」
「“空腹という感覚がどんなものだか
  さっぱりわからないのです”ってとこ。
 そこだけは、
 う~~~~んと頑張って
 一生懸命想像しても、
 これっぽっちもわからないのよね……」
(野村美月『“文学少女”と死にたがりの道化』106~107ページ)
と言っている。

「空腹」と言う感覚がわからない読者は
まずいない。
読者は『人間失格』を読むと無意識のうちに
主人公・大庭葉蔵に自分をなぞらえようとするのだが、
そうなるとやはり、
「『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからな」いという部分が
共感の「邪魔」になってくるのである。

太田治子は、
この
「『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからな」いという部分について、
「読んでいて、
 だんだんと腹が立ってきました」とまで言っている
(太田治子「鑑賞――父親というもの」太宰治『人間失格』集英社文庫191ページ)。

太田は、
「大庭葉蔵、それがすなわち作者(筆者注:=太宰治)」
と規定した上で、
「太宰は、
 ……本当にそんなに
 食べることに関心がなかったのだろうか、
 どうしても信じられない」、
「今までに空腹をおぼえたことがないという言葉も、
 いとも大げさな強がりのように思われてくる」と言うのである
(前掲書191~192ページ)。

はっきり言おう。
この読みは作品の主題そのものを破壊する、
誤ったものである。
「空腹」という、
みんなが共有する感覚を
自分ひとりだけが理解できないという絶望、
これこそは、
主人公の
「自分には、
 人間の営みというものが
 未だに何もわかっていない、
 ……自分の幸福の観念と、
 世のすべての人たちの幸福の観念とが、
 まるで食いちがっているような不安」の象徴なのであり
(太宰治『人間失格』新潮文庫12ページ)、
それを、
「いとも大げさな強がり」としか理解できない読解は
決定的に貧しいと思う。

具体的に反論していこう。
太田治子は、
主人公の
「自分には『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからなかった」という告白を
「いとも大げさな強がり」とみなす根拠として、
次の2つを挙げている。

1.主人公のモデルである父・太宰治が、
  「ウナギが大好物で、
   お酒を飲みながらいつもペロリと
   平らげていたということ」
  (傍証として、
   その太宰の娘である自分が
   「大食漢」であること)。
2.主人公・大庭葉蔵が、
  銀座裏の屋台の寿司屋の鮨のまずさに文句を言っており、
  「おいしいものが好きだった」こと
(太田治子「鑑賞――父親というもの」太宰治『人間失格』集英社文庫191~192ページ)。

しかし、これは両方とも筋違いな指摘である。

まず「1」についてだが、
『人間失格』の主人公・大庭葉蔵と
そのモデルである作者・太宰治とは、
まったくの同一人物ではない。
太田治子は『人間失格』を読んで、
「その男、大庭葉蔵、
 それがすなわち作者なのだと、
 読み始めてすぐに中学生の私はわかりました」
と書くけれども(前掲書188ページ)、
そんな単純な話ではないはずだ。
太田治子は太宰治を幼いころは
「太宰ちゃま」と呼び、
「童話の主人公のように……考え」ていたというが(前掲書189ページ)、
太宰治は間違いなくこの現実世界に生の痕跡を残した人間であり、
それに対して大庭葉蔵は、
その太宰治が自らの芸術世界を表現するために生み出した
キャラクターである。

現実の太宰治がいかに大食漢であったのか、
赤の他人である私には知るよしもない。
しかし、たとえそうであったとしても、
太宰治と大庭葉蔵とは別物である。
作品の中で大庭葉蔵は
「『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからなかった」と書いてある以上、
よほどの根拠がない限り、
基本的には「そういうもの」として
作品を読むべきではないか。
先に述べたようにこの
「『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからな」いという主人公の設定は、
「みんなが共有する感覚を
 自分ひとりだけが理解できない絶望」という、
本書のテーマと密接に関係しているからである。

ところが、
その「よほどの根拠」として太田が挙げるのは、
主人公が鮨のまずさにケチをつけているという、
その一点のみなのである。

まずいものをまずいと言ったということが、
主人公も空腹の感覚を覚えていた証拠だというのは、
正直言って理解しがたい。
主人公は「『空腹』という感覚」が
「わからなかった」と言っているのだ。
決して「うまい・まずい」の区別が付かなかったとは
言っていない。
実際、主人公・大庭葉蔵は、
例の
「自分には『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからなかった」という告白に続けて、
「自分だって、それは勿論、大いにものを食べますが、
 しかし、
 空腹感から、ものを食べた記憶は、
 ほとんどありません。
 めずらしいと思われたものを食べます。
 豪華と思われたものを食べます」
と はっきりと述べている(太宰治『人間失格』新潮文庫10~11ページ)。

「めずらしいと思われたもの」や
「豪華と思われたものを食べ」ることは好きだったのだ。
だとすれば、
まずい鮨をまずいと言うのも当然であろう。

ちなみに、
先に太田治子と並んで挙げた
『“文学少女”と死にたがりの道化』の天野遠子は、
この部分がちょうど、
『人間失格』の大庭葉蔵と正反対に、
逆転したようなキャラクター造形がなされている。
彼女はいつも
「おなかすいたー」と駄々をこねる、
はらぺこ大食漢の少女である。
だが、その一方で、
「食べ物の味がわからない」という
味覚障害者としても描かれている。
彼女は何を食べても「無機物のようにしか」感じない。
空腹を覚えるということと、
味がわかるということは
まったく別の概念なのである。

■「小説を読むと心が豊かになる」は本当か?
問題は、
なぜ作品にはっきりと書かれていることまでを
曲解し、
「いとも大げさな強がり」などと結論付けてしまうようなことが
起こるのか、ということだ。
しかも、
太宰治の実の娘であり、
自らも作家である太田治子ともあろう人が
どうして……。

やはり、前回「その1」で論じたように、
多くの人は主人公に自分自身を見出し、
共感しながら読む中で、
主人公の「自分とは異なる部分」が見えなくなってしまう構造が
あるのではないか。

太田治子は中学生のとき、
『人間失格』「第一の手記」の中の、
「幼い時分、
 夏に、浴衣の下に赤いセーターを着て
 廊下を歩き、
 家中の者を笑わせたというエピソード」を読んで、
「三歳の終わりの頃、
 私も似たようなことをし」たと思い当たったという。
太田治子は、
「まさしくそれは、
 『人間失格』に繰り返し出てくる
 『お道化』だった」と振り返り、
「父と私は似ている――そうわかった」というのである
(太田治子「鑑賞――父親というもの」太宰治『人間失格』集英社文庫190ページ)。

『人間失格』の主人公と自分とを重ね合わせて共感し、
そのことで救いを得たものは、
主人公と自分の「似ていない部分」が見えなくなる。
「『空腹』という感覚は
 どんなものだか、
 さっぱりわからなかった」という、
「大食漢」である自分とは
どう考えても重ね合わせ得ない部分については、
「いとも大げさな強がり」と強引に結論付けて
目をそらしてしまうという構造が垣間見える。

「小説を読むと心が豊かになる」とか、
「多面的なものの見方ができる人間になる」、
「世界が広がる」などという人がいる。
だが、はっきり言って私はあまり信用しない。
人は、どんなに奥深い小説を読んでも、
ただそれだけでは、
自分が理解する範囲でしか理解しないし、
共感できる部分にしか共感しようとはしないものだ。
世に、
文学作品とはまた別に文芸評論が求められる理由は
ここにある。
文学作品を通じて世界を広げ、
多様な感性を理解するには、
自分がただ読むだけでは感動できなかったこの場面が
なぜ感動的なのか、
自分がただ読むだけでは理解できなかった
登場人物の行動をどう理解すればいいのか、
わかりやすく、理詰めで語る文芸評論が
どうしても必要とされるのである。


【参考記事】
太宰治『人間失格』について(その1)

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by imadegawatuusin | 2009-02-07 22:28 | 文芸