太宰治「思い出」について

――キーパーソンは叔母の「がちゃ」――

■「みよ」が初恋の女性って本当?
本作のキーパーソンは「がちゃ」こと
主人公の叔母であろう。
新潮文庫版「解説」で奥野健男は
「稀有の少年期文学である。
 特に初恋の女性みよと二人で
 葡萄を摘む場面、
 また弟と交わす赤い糸の話など、
 豊かな色彩と叙情にあふれた
 美しい青春文学と言えよう」としているが
(奥野健男「解説」太宰治『晩年』新潮文庫402ページ)、
その「初恋の女性みよ」も作品の最後で
叔母と「似ていると思った」とされている
(太宰治「思い出」『晩年』83ページ)。
主人公にとって本当の、
そして永遠の初恋の女性は、
この「がちゃ」と呼ばれた叔母ではないのか。

「てんしさまがお隠れになった(筆者注:=お亡くなりになった)」
という叔母に、
わざと気を引きたくて
「どこへお隠れになったのだろう」と尋ねて
叔母を笑わせた主人公。
このとき数え年で4つだったというが、
当然、実は「お隠れになった」という言葉の意味は
知ったうえで言っていたのである(前掲書29ページ)。
幼少期を振り返る、
作品の冒頭にこのエピソードを置いたことからして、
(そして、
 みよと叔母が似ていることに気付いたという一節で
 作品を閉じたことからして)、
主人公にとってこの「がちゃ」という叔母が
いかに大きな存在であったのかを
推し量ることができる。
(そういえば、
 幼い頃、叔母が自分を捨てて
 家を出て行く夢を見て、
 「そうしないでけんせ」と必死に胸にしがみついて
 涙を流したというエピソードも記されている)。

さて、幼いころの「がちゃ」への思いを脇に置いても、
みよを「初恋の女性」とする奥野健男の記述には
疑問が残る。
本作「思い出」には、
「十五六」になったころ、
主人公が
「同じクラスの色の黒い
 小さな生徒とひそかに愛し合った。
 学校からの帰りには
 きっと二人してならんで歩いた。
 お互いの小指がすれあってさえも、
 私たちは顔を赤くした」との記述があり、
これは「みよ」が登場する以前のエピソードである。
(もっとも、当時の旧制中学は男子校であったろうし、
 この「同じクラスの色の黒い
 小さな生徒」に関しても、
 「いつぞや、
  二人で学校の裏道のほうを歩いて帰ったら、
  芹やはこべの青々と伸びている田溝の中に
  いもりがいっぴき浮いているのを
  その生徒が見つけ、
  黙ってそれを掬って私に呉れた。
  私は、いもりは嫌いであったけれど、
  嬉しそうにはしゃぎながらそれを手巾(ハンケチ)へ
  くるんだ」という、
 どう考えても当時の女子の行動とは考えがたい
 エピソードもあるので、
 これは「初恋の女性」ではなく「初恋の男性」だ、
 ということなのかもしれないが)。

また、この
「同じクラスの色の黒い
 小さな生徒」のエピソードの次には、
「同じころ
 隣の家の痩せた女学生をも私は意識していた」
ともはっきり明言されており
(「女学生」とあるのだから「女性」であることに
 疑いはなかろう)、
この点からも みよを「初恋の女性」とするのは
無理がある。

■運命の赤い糸は足の小指に!?
あと、
奥野健男が「美しい」とする「赤い糸の話」であるが、
「思い出」では運命の赤い糸は手の指ではなく、
「右足の小指」に結び付けられていると書かれている〔注1〕。
昭和8年には足の小指に結ばれていた運命の赤い糸が、
いつから手の小指に結ばれるようになったのか。
やっぱり足ではだめだったのか。
昔はぞうり・下駄だったから、
足でもOKだったのか……
(しかし「思い出」の主人公も
 中学時代は「あみあげの靴」を履いていたと
 書いてあるぞ!)。
疑問は尽きない。

〔注1〕「思い出」の赤い糸に関する原文は
以下のとおり。
「秋のはじめの或る月のない夜に、
 私たちは港の桟橋へ出て、
 海峡を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら
 赤い糸について話合った。
 それはいつか学校の国語の教師が
 授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、
 私たちの右足の小指に
 目に見えぬ赤い糸がむすばれていて、
 それがするすると長く伸びて
 一方の端がきっと或る女の子のおなじ足指に
 むすびつけられているのである、
 ふたりがどんなに離れていてもその糸は切れない、
 どんなに近づいても、
 たとい往来で逢っても、
 その糸はこんぐらかることはない、
 そうして私たちはその女の子を
 嫁にもらうことに決まっているのである。
 私はこの話をはじめて聞いたときには、
 かなり興奮して、
 うちへ帰ってからも
 すぐ弟に物語ってやったほどであった。
 (前掲書65ページ)



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by imadegawatuusin | 2009-04-28 22:54 | 文芸