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名古屋ふれあいユニオン組合員全体会in三河

――事前予測大きく上回る52名参加――

■組合史上初の全体会三河開催
名古屋ふれあいユニオンは7月25日、
愛知県岡崎市の
「図書館交流プラザLibra」で
組合員全体会を開催した。
全体会が三河地域で開催されるのは、
1999年の名古屋ふれあいユニオン結成以来、
初めてである。

全体会は、
事前の予想を大きく上回る52名の結集を勝ち取り、
大成功をおさめた。

今回の三河地域における全体会の企画・実行は、
ほぼ三河支部の主導で行なわれた。
(委員長は何もやっていない。
 三河支部の支部委員の方々の
 献身的な奮闘や、
 事前準備の段階から当日のすばらしい通訳まで、
 大活躍だったSさんなどに
 心から感謝申し上げたい)。

この全体会の成功は、
三河地域に我が名古屋ふれあいユニオンの基盤が
きちんと存在することを
はっきりと証明した。
今後、
三河支部の拠点建設、
そしてゆくゆくは専従体制確立に向けて、
小さくとも意義のある第一歩が
踏み出せたのではないかと考えている。

以下に、当日基調講演をいただいた、
行動するキリスト者で
豊橋派遣村の村長を務められた
高島史弘さんの講演内容を掲載する。


「豊橋一日派遣村を開催して」(豊橋派遣村村長 高島史弘)
これまで、
ホームレス支援の活動を10年くらいやってきました。
そうした活動を始めるきっかけは、10年前、
一人の人に出会ったことでした。

名古屋駅でのことですが、
「自分は何のために生きているのか
 わからない。
 自分は死にたい」とその方は言っていました。

私はクリスチャンですから、
その言葉に胸を痛めまして、
「神様はあなたを愛しているから、
 死ぬなんてことは言わないで」と言いました。
そしてその人と一緒に食事をして、
聖書の話をしました。
それが、一番最初のきっかけ。
そのことが、
今の働きにつながっているのだと思っています。

ホームレスの人との関わりとしては、
今では毎朝おにぎりを豊橋駅で配っています。
あと、火曜日と金曜日の夜に、
聖書の話とカレーライスとか食べるつどいを
ホームレスの人たちとしています。

今のみなさんのように、
会社勤めをしていたけれど解雇された人たちが、
来るようになりました。
今も来ています。

私たちは一軒家を借りて
共同生活をしています。
最初は5人ぐらい。
私も一緒に生活をしました。
生活保護や政府の援助を受けず、
クリスチャンなどの献金だけでやってきました。

その中には、
ブラジルの人もいました。
ペルーの人もいました。
ブラジルの人は仕事を見つけて出ていきました。

いま、
ブラジルの人でもペルーの人でも、
行き場がなくて友達の家に住んでいます。
そこを出されてホームレスの人が
たくさんいました。

私の教会のブラジル人宣教師も心配して、
私の家のような
みんなで住める家を
さがしていました。

今そこは、
豊橋サマリア会で借りて
4人で住んでいます。
(今いるのはみんな日本人ですが)。

ペルーの人たちが仕事を始めていくための
オリエーテーション活動なんかもやりました。

そんな中で、私に声がかかりました。
「今度、豊橋派遣村というのをやるが、
 どうだ」と。

最初は、村長、つまりリーダーをやることになるとは
思っていませんでしたが、
結果としてそういう役割を果たすことになりました。

派遣村そのものは、
愛知派遣村実行委員会というものがあって、
ここ岡崎でも相談会をやりました。

知立でもやりました。
その仲間が一緒に集まり、
協力してくれた。
特に弁護士さんとか、法律家の方も協力して、
今ある状況の中で生きていく道を見つけられるよう
相談しようと、
取り組みがなされました。

みんなボランティアです。
お金はもらわずに集まってきました。
そしてその中で、
お医者さん、日本語教育にかかわる人、
もちろんみなさんのような労働組合の方も
相談会に加わりました。

その中で110件の相談があって、
ボランティアも入れると300人。
一日だけの相談村ができました。

実際にどういうことが
助けになったかと言いますと、
政府のやっているいろいろな資金援助とか、
ユニオンさんの協力による会社との交渉とか。
仕事がない、食べていくのに困っている相談に、
道を共にさがしてゆく活動です。
特に、生活保護ですね。
外国人も受けられるという道筋ができました。
(昔もあったけどとても難しかったのです)。

私が一緒に派遣村をする前に、
ホームレスの人を助けてくれと政府に言っても、
生活保護をなかなか受けさせてもらえませんでした。
派遣村をやる前に生活保護が受けられた人は、
病気で救急車で運ばれた人だけ。
「体が動く人は
 生活保護はダメです」という対応でした。

けれども「豊橋派遣村」として、
弁護士さんとかが協力してくださる中で、
市役所に行くと、
今までは難しかった人が
生活保護を受けられるようになりました。
食べるものもない、生きるか死ぬかという人に、
市役所がついに扉を開いてくれたのです。

豊橋派遣村では
アパートが用意されていました。
その日に約20人、
アパートに入ることができました。
これもとても助かりました。
アパートに入るには通常、
保証人が必要です。
私は、たくさんの人の保証人になっていて
大変です。
でもその時は、
保証人なしで入ることができました。
画期的なことでした。

これは、
どこでもすぐにできるかどうかはわかりません。
特別な協力者がいたからこそできたことです。
けれど、
どこでも、保証人なしで入れる住居があると
助かるな、と感じました。

今、岡崎に来て、
今から数年前、
派遣切りにあった男性と何人かの中学生が
ホームレスの女性を殺害した事件を
思い起こします。
その女性は
――亡くなられたのでいいでしょう――
花岡美代子さんという方です。
サマリア会で食事を分けたり、
一緒に勉強してきた仲間でした。

「住み込みの仕事あったらしたい。
 高島さん、何か仕事ないかね」と、
彼女は何度も言っていました。
でも、
「60を過ぎた女性の人が入れる
 住み込みの仕事は無いよ」と
私は言ってしまいました。
いつのまにか、彼女は岡崎に行って、
橋の下で暮らすようになりました。
彼女がなぜ殺されなければならなかったのか。
派遣切りにあった人が、
お金を出せと、ホームレスの人を殺したのです。

花岡さんは「お金がない」と断って
殺されてしまったけれど、
私は
「一人の死には意味がある」と思っています。
この死を無駄にしてはならないと思っています。

私は、
あそこで派遣村にかかわりながら、
ずっとその人のことを思っていました。

殺した人も30代でお金が無くなっていた。
ホームレスになりかけていました。
派遣会社を転々として、
ボーナスも退職金もない。
モノのように扱われつづけてきたこの人は、
他の人も人間扱いすることができませんでした。
その意味では、
この人も
社会のシステムの被害者だったのかもしれません。

豊橋派遣村という
大きなイベントをしたことが
大切なのではありません。
もっとこういう風に、
人がモノ扱いされてしまうような、
そういう、人権を無視していく
「元」があるように私には思えるのです。

本当にこれから実現されるべきは、
一人一人が直接雇用で
しっかりと生活が守られるような社会。
そんな社会に私たちはしてゆかなければなりません。
それこそが、
派遣村の課題なのだと思っています。

そのために一人ではできません。
ユニオンのように
日本人もブラジル人も、
社会の中でおかしいことはおかしいと言って、
社会の悪いところを
一緒になくしてゆきましょう。


【参考記事】
名古屋ふれあいユニオン、組合員全体会を開催
名古屋ふれあいユニオン、全体会開催


労働組合名古屋ふれあいユニオン
雇用形態や国籍に関わりなく、
愛知県下で働くすべての労働者が一人から加盟できる
地域労働組合(コミュニティユニオン)。
コミュニティユニオン全国ネットワーク
コミュニティユニオン東海ネットワークにも参加。
今年3月に開かれた第11回定期大会では、
連合産別・全国ユニオンへの加盟について討議するとする活動方針を採択。
日ごろから組合員の学習会や交流会・相談会などを
積極的に企画しながら活動している。
現在、組合員数約200名。
組合員は組合費月額1500円。
賛助会員(サポーター)は年会費5000円。
住所:〒460‐0024
    愛知県名古屋市中区正木4-8-8 メゾン金山711号室
    (JR・地下鉄・名鉄金山駅下車 名古屋ボストン美術館の向かい)
電話番号:052‐679‐3079(午前10時~午後6時)月~金
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ホームページ
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by imadegawatuusin | 2009-07-25 22:19 | 労働運動
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