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愛知派遣村交流集会、開催される

■「『待つ』のではなく『出向く』」
7月26日、
岡崎市勤労文化センターで
愛知派遣村交流集会が開催され、
約200人が参加した。

愛知県岡崎市で
「反貧困・駆け込み相談会」を開催した
愛知派遣村実行委員会と、
知立団地一日派遣村実行委員会、
豊橋派遣村実行委員会の共催で
開催された。

基調報告に立った
金城学院大学の大山小夜准教授は、
「ここ愛知県は従来、
 生活保護の保護率も失業率も低い
 豊かな県との認識があった。
 しかし一方では、
 非正規労働者・外国人労働者が
 多く生み出された県でもあり、
 その矛盾がこの度の不況で露呈した」
と指摘。
「今年の年始には、
 名古屋市の中村区役所に
 多くの人たちが押し寄せた。
 『うちでは受け入れられないから……』
 と500円を渡され、
 三河地域を中心に1日約100人が
 中村区役所に集中した。
 市民が連日、炊き出しなどの支援をして、
 『もう一つの派遣村』の様相を呈した。
 こういった事態に危機感を感じた人々、
 生活保護支援、多重債務者支援、
 雇用・労働問題関係者・外国人支援……、
 こうした人たちが愛知派遣切り抗議大集会に
 集まった。
 525人が参加し、
 終了後、名古屋駅まで3キロのデモ。
 国や自治体・企業の責任を問うたが、
 その一方で、
 『自分たちも出来ることを!』という機運が
 高まった」と、
派遣村運動に至った経緯を説明した。

「今年3月2日、
 『愛知派遣村実行委員会』を
 立ち上げた。
 『名古屋でまっているだけではダメ。
  多くの困っている人のいる
  三河に出かけていこう』と決めた。
 その後、知立でも一日派遣村、
 東三河でもと豊橋で、
 長く野宿者支援をやって来た方々と
 豊橋派遣村を開催した」と、
大山さんはこれまでの活動を報告。

大山さんは今後に向けた派遣村の成果として、
「『待つ』のではなく『出向く』」ということを挙げ、
「困っている人が
 どこにいるのかということで、
 私たちの側から
 『岡崎に行こう』、『知立に行こう』、
 『豊橋に行こう』とやって来た」と話した。

最後に大山さんは、
困っている人たちに、
「一人で悩まないで」と訴えて、
基調報告を締めくくった。

■「派遣村」の意義と今後の展望
基調講演は
東京日比谷・年越し派遣村実行委員会の
猪股正さん。
「東京日比谷の年越し派遣村に誘われたときは、
 年末の12月31日から1月5日の間、
 中2日ぐらいは
 休めるだろうというつもりだった。
 ところが、
 やってみたら全然そんな状況じゃない。
 37歳の男性は警察に付き添われてきた。
 金もない、住居もない、
 三度も四度も派遣切りされ、
 自殺しようとして警察に保護された。
 相談を受けている間に
 具合を悪くされて倒れてしまう。
 そんな人が何百人と押し寄せてきた」と
実態を報告。

「この国では、
 仕事を失うということが
 自殺や餓死という
 人の生き死にに直結している。
 派遣村には、静岡とか、
 かなり遠くから来た人もいた。
 マスコミを通じてその声が
 全国に発信された。
 一部の人、一部の地域の問題ではない。
 社会全体の問題なのだと
 とらえられるようになった」と
派遣村の異議を語った。

「この国のセーフティーネットが
 穴だらけなことが露呈した。
 仕事を失った。
 雇用保険にも支えられない。
 住居も失う。
 いきなり野宿を強いられる……。
 こうした事実を社会に可視化した。
 最後のセーフティネット、
 生活保護。
 派遣村の取り組みで、
 この生活保護が
 本来のあり方に近づいた」とした上で、
「申請は生存権に基づく権利であるのに、
 実際には一人で行くと、
 『あなたの場合は働ける』とか
 『住居がない人は受けられません』とか、
 これまで、
 違法な運用が横行してきた。
 しかし、
 派遣村に参加した市民が同行して、
 その壁を打ち破った」と総括した。

今後の方針として猪俣さんは、
「やはり労働法制。
 これが貧困を生み出す元になっている。
 野党三党の出した
 派遣法の抜本改正案は、
 成立すれば、
 これまで規制緩和一本槍だった労働法制の
 大きな転換点になりうる内容だ。
 何年も後、
 『結局何も変わらなかった。
  派遣村、あれは一体
  何だったんだ』となったら
 この国に未来はない。
 誰もが安心して暮らせる社会に向けて、
 一緒に頑張りましょう!」と
講演を締めくくった。
by imadegawatuusin | 2009-07-30 16:11 | 労働運動
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