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龍馬ブームに異論あり

――「変革」「若さ」無条件肯定の風潮に疑問――

■政治家の「龍馬気取り」にはうんざり
10月5日の朝日新聞「異議あり」欄に、
高知出身の精神科医・野田正彰さんの
「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」と題する
インタビューがのっていた。

「坂本龍馬はなぜ、
 こんなに人気があるんでしょうか」という
記者の質問に対して野田さんは、
「龍馬とは青春像そのものです。
 30代前半で暗殺されてしまって、
 中年以降がない。
 もし龍馬が明治維新後も生きていたら、
 時代を切り開く若々しいイメージを投影することは
 難しかったと思います。
 三菱財閥をつくった岩崎弥太郎に
 こういうイメージを持つことは無理でしょう」と
答えている。

龍馬が暗殺されることなくそのまま生き続けていたら、
明治以降も
それなりの活躍をした可能性はある。
中でも最も可能性が高そうなのは、
岩崎弥太郎のように
政商として大もうけした道だろう。
後に自由民権運動の指導者となった
土佐藩出身の板垣退助は、
「龍馬もし不惑の寿を得たらんには
 恐らくは薩の五代、土の岩崎たるべけん
 (龍馬がもし40歳まで長生きしていたら、
  おそらく薩摩の五代友厚や土佐の岩崎弥太郎のような
  経済人になっただろう)」と
言ったという(千頭清臣『坂本龍馬伝』)。
でも多分、
そんな龍馬は見たくないという人が多いと思う。

政治家で坂本龍馬が好きという人も少なくないが、
坂本龍馬の本質は政治家ではなく商売人だ。
彼が政治に関わったのは、
卑近な言い方をすれば商売のため。
イギリスから買い付けた武器を薩長に供与して、
ブローカーとして一儲けするためであり、
少し志の高い言い方をすれば、
自由経済社会の実現のため。
封建的な束縛の多い幕藩体制を打破して
「自由な商売」が実現できる社会をつくるためである。

そうした目的のために坂本龍馬は
政治に近づいたのであり、
明治維新が実現すれば、
岩崎弥太郎のようにその人脈を用いて商売を広げ、
大財閥をなしたかもしれない。
(逆に坂本龍馬が死ななければ、
 岩崎弥太郎の方こそ生涯「坂本財閥の番頭」で
 終わっていた可能性もある)。

私がどうも、
最近ちらほら散見される
龍馬気取りの政治家志望者を見たときに
いらだちを覚えずにはいられないのは、
「政治家になって日本を改革したい」ということ自身を
最大の目標として掲げる
その姿勢に対する違和感である。

改革思考というか、改革願望というか、
何のために改革したいのか以前に
とにかく改革したいのだという。
そして龍馬にあこがれるといい、
自分はそんな政治家になりたいというのである。

しかしそもそも、
龍馬はあくまでも
商売を成功させたかったのであって、
政治家になりたかったわけではない。
改革自体を目的とする姿勢や
過剰な権力志向・政治家志向は
坂本龍馬には似合わない。

そして何より、
龍馬が理想と言いながら、
政治家として掲げる政策に、
龍馬との思想的関連性がいっこうに見出せないものが
少なくないのだ。

改革自体を目的にし、
とにかく政治家になりたいのなら、
今はやりのフレーズを連呼するのもいいだろう。
しかし、
坂本龍馬が理想だといいながら、
地方分権を推進するとか、
そういう公約を堂々と掲げることには
矛盾を感じないのだろうか。

龍馬の時代、
日本は三百あまりの大名が割拠する
「地方分権」時代であった。
ちょっと隣の藩に行くと、
領主も、政治制度も、
税金の取り方も商売の規則も
全然違っていたりした。
通貨制度自体、
関東は金本位制、関西は銀本位制で
違っていた。
日本の中でも関所があって、
自由に移動することもできない。
これでは不便でややこしくて、
商売がやりにくくて仕方がない。
大体 武士の子は武士、
商人の子は商人、
農民の子は農民というのでは、
自由な商売もへったくれもない。

こうした幕藩体制をぶちこわし、
「日本」という統一市場を作り出す。
北海道だろうが九州だろうが
「円」という統一通貨で買い物ができ、
国内を移動するのに
いちいち関所で審査される必要のない、
長州でも薩摩でも土佐でもない、
「日本」という中央集権的な統一市場と、
労働者にも農民にも商人にもなれる「日本人」を
作り出す。
そのことこそが、
龍馬ら明治維新に駆り立てた目的だった。

だから、
平成の坂本龍馬を気取るなら、
例えば「環太平洋FTAの実現」とか、
「東アジア統一通貨構想」とか、
「移民規制の撤廃」とか、
そういった政策を打ち出すことが筋なはずだ。
(「そういった政策がいい」と言っている訳ではない。
 念のため)。

■青春志向、老いへの蔑視は健全か
また野田正彰さんは、
龍馬のイメージにも通底する、
現代の過剰な「若さ志向」・「青春志向」についても
言及している。

「日本の企業経営者が好きな、
 座右の銘ともいえる詩があります。
 アメリカの詩人サムエル・ウルマンの
 『青春』です。
 『青春とは人生の一時期ではない、
  青春とは心のあり方である、
  志の高さであり、
  思いの質であり、
  生き生きとした感情であり、
  人は年を重ねるだけでは老いはしない。
  ただ理想を失うことによって老いるのである』。
 概略、こういう内容です。
 まさに龍馬でしょう。
 会長室や社長室に飾ってあるのをよく見ました。
 日本経団連の大好きな詩です」。

この詩は
パナソニックグループの創設者・松下幸之助が
非常に好んだものであったことで
知られている。

実はこの詩を見たとき、
私が思い出したのは、
どこかの仏教教典に出てきていた逸話であった。
全く同一趣旨でありながら、
正反対のことが書かれていたのだ。

正確な引用はできないのであるが、
おおむねこういう話だ。
「ある時ブッダはこう言った。
 老人とは
 単に年齢のことを言うのではなく、
 その人の心のあり方である。
 思慮深く、
 分別に優れ、
 智恵があり、
 心の落ち着きを保つ人は
 たとえ年若くとも老人である。
 逆に
 思慮が浅く、
 分別を知らず、
 智恵がなく、
 心が乱れている人は、
 どれだけ年を取っていようと老人とは言えない」。

私はここで、
二つの考え方の優劣を
論じようというのではない。
そうではなく、
現代と古代インドとでは、
「青春」・「老人」という言葉に付随するイメージに
これほどの落差があるのだということを
示したいと思ったのだ。

現代では「青春」というものは
文句なしのプラスイメージであるようだ。
たとえ事実として歳を取っていようとも、
心は青春のままであるべしということらしい。

ところが古代インドでは、
「青春」などという言葉は
「若造」という程度の意味しか持たない。
それに対して「老人」は
圧倒的なプラスイメージであるようだ。
たとえ事実として年若くとも、
思慮・分別・智恵・心の統一を獲得すれば
老人と呼ばれる資格があるとまで
言われるほどなのだ。
たとえ歳は若くとも心だけは老人であれと
いうことだろう。

野田さんは
青春の詩や龍馬人気を指し、
「成熟拒否」であるという。
「本来、
 人は年齢を重ねると
 それなりに成熟していかないといけない。
 なのに青春像にしがみつくのは、
 申し訳ないですが、
 人格的に未熟だからです。
 なぜ経営者は成熟の歌を
 自分の部屋に飾らないのか。
 彼らが龍馬にあこがれるとしたら、
 それは龍馬という青春にこだわることであり、
 幼稚さの表れでしょう」。

ここまで言わなくても
いいのではないかと思う反面、
なぜ所詮人生の一時期に過ぎない「青春」が
これほど過剰に評価されてしまうのか、
老いてなお「心は青春」を強いられるのは
果たして健全なことなのか、
考えさせられる部分は大きい。

確かに「若い」ということは、
「年老いている」ということより、
寿命の残りが長い、ということは言える。
だから「若い」ことは
「年老いている」ことより
好ましいことだ、という理屈は
成り立つかも知れない。
だが、
これは純粋に年齢のことのみに関して
言えることであり、
心のありようの優劣を
示すものではないはずだ。

もちろん、
事実として年老いたからといって、
無理をして老け込む必要もないと思う。
「歳も歳なんだから
 枯れた趣味の一つも持たないと」
なんて他人から言われれば、
はっきり言って
余計なお世話だと思うだろう。

だが一方、
たとえ年老いても
心は若くと強制される社会というのも
またおかしい。
「青春」ばかりが尊ばれ、
老いが正当に評価されない社会というのは
やはりいびつな社会であろう。

心の持ちようなど
人それぞれで良いではないか。
それが私の結論である。
JanJan blog 10月7日から加筆転載 )

by imadegawatuusin | 2010-10-07 19:43 | 歴史
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