書評:『100万回生きたねこ』(佐野洋子)

――「ねこは死にました。めでたしめでたし」――
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■「生まれ変わらない幸せ」描く
佐野洋子によるこの絵本のすごさを
もっとも的確に言い表したのは、
歌人の枡野浩一氏であろう。
枡野氏は著書『日本ゴロン』(毎日新聞社)のなかで、
『100万回生きたねこ』について
次のように書いている。

100万回生きて100万回死んだ主人公のオスネコは、
最後の最後には二度と生き返らなくなる。
彼は生まれて初めて本当の意味で
死んでしまうわけなんだけど、
たいていの読者は物語の終わりを知ったとき
「あー、よかった。めでたし、めでたし」
という気分になっているはずで、
そこがすごいのだ。
主人公が死んでしまうのに
「あー、よかった」と心から思える不思議。
その「不思議」の部分は、
ぜひ絵本の実物を読んで味わってください。(枡野浩一『日本ゴロン』183ページ)


この書評にあえて付け加えることなど
何もないほどに完璧な書評だ。
ここから先は はっきり言って私の蛇足だ。

この物語は「生まれ変わり」を扱っている。
一般に広まっている多くの仏教宗派でも
生まれ変わりを信じている。

そうした仏教では、
何事にも執着をもたず、
愛や欲を超越したとき、
この生まれ変わり死に変わりの状態から抜け出して、
もう生まれ変わらなくなるという。

それに対して本書のオスねこは、
むしろ
100万回生まれ変わり死に変わりしているときの方が、
どちらかというと
愛や欲を超越しているかのように見える。
何ごとにも執着しない。
「とんできた やに あたって しんで」も、
「船から おちて……びしょぬれになって,しんで」も、
サーカスで「まっぷたつに なってしまっ」ても、
「いぬに かみころされてしま」っても、
「年をとって し」んでも、
「おぶいひもが 首に まきついて,しんでしま」っても
淡々としている。
大声で泣くのは飼い主だけで、
「ねこは しぬのなんか へいき」なのだと
いうのである。

しかし、
それが「悟りの境地」なのかというと、
そうではない。
ねこはそのときどきの自分の状態に
全然満足していない。
王様に飼われていても
「王さまなんか きらい」だといい、
船乗りに飼われていても
「海なんか きらい」だといい、
泥棒に飼われたら飼われたで
「ねこは,どろぼうなんか だいきらい」だという。

だから、
こんな状態だと「生まれ変わってしまう」のだと
言いたいのだろう。
最後にねこは、
愛する「白いねこ」と
「たくさんの 子ねこ」をもうける。
「ねこは,
 白いねこと たくさんの 子ねこを,
 自分よりも すきなくらいでした」と
この絵本は言う。

ねこは充実した人生(猫生?)を生きた。
だから、
もう生まれ変わらない。
充実した人生を全力で生きることで、
生まれ変わりなどというものに
振り回されることはなくなるというメッセージは、
本書も仏教も共通している。

枡野浩一氏はこう言っている。

私たちは日頃、
無条件に「生=すばらしい」「死=かなしい」と
考えるようになってしまっていて、
じつはそんな考えは嘘っぱちなんだということを
この絵本は教えてくれる。
すばらしくない生もあるし、
幸福な死もある。
もちろん幸福な死を迎えるためには、
生を充実させなくちゃ駄目なんだけど、
生きるということは死を忘れることではない。
むしろ死を真剣に想う人だけが、
真の意味で生きられるのだろう……と、
こうして文章にしてみると
当たり前の真理だし、
ほかにも似たようなことを言ってる人は多いけれど、
佐野洋子くらい届く表現で言えた人って
いないと思う。(枡野浩一『日本ゴロン』183~184ページ)

JanJan Blog 2月19日から加筆転載)


佐野洋子『100万回生きたねこ』(講談社)
評価:3(ふつう)



【参考サイト】
佐野洋子『コッコロから』について

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by imadegawatuusin | 2011-02-19 13:48 | 文芸