『唯物論哲学入門』(森信成)を読む・その1

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思想的混乱の源泉

本書・『唯物論哲学入門』の中で著者の森信成氏は、
唯物論と観念論とを
「哲学史上を通じての二つの対立した潮流」で
あるという。

その上で、
「中国とか一般にアジアの諸国はそうですが、
 日本でも専制主義が非常に強かったので、
 とくに科学的な思想であるとか、
 科学的なものの考え方とかが非常に遅れており、
 非合理主義が非常に強いのが特徴です。
 そのために無神論と唯物論が非常に弱く、
 逆に、
 唯物論というものに対する偏見が
 とくに強いのが特徴です」としている。

確かにこの本が出た当時(1972年)、
「中国とか……アジアの諸国」は
「一般に」まだまだ発展途上の国々だった。
日本も戦後27年しかたっておらず、
戦前生まれの人々が社会を主導する立場にあった。

だが、
目を世界に広げてみれば、
「専制主義が非常に強かった」のは
なにも「中国とか一般にアジアの諸国」に
特有の現象ではないことがわかる。
ヨーロッパにおいても つい200年くらい前までは
ずっと封建社会であったわけだ。

キリスト教やユダヤ教などと比べて、
仏教や儒教が取り立てて観念論的かといわれれば、
別にそういうわけではないだろう。
見方によっては
「神」を根本原理としない仏教や儒教の方が
キリスト教よりはるかに唯物論的であると
見ることもできる〔注1〕。

当時は、
日本特殊論というか、
「アジアの後進性」をことさら強調する風潮が
非常に強かった時代なのである〔注2〕。
だから森氏も
冒頭ではこのように述べてしまったのだろう。
だが他方で、
それが日本の特殊現象でないことも
森氏はきちんと指摘している。
森氏は次のように述べている。

「唯物論に対する偏見などは
 日本だけかと思っていたわけですが、
 戦後だけを見ても、
 たんに日本だけではなくて、
 国際的にも
 唯物論と観念論についての誤解というものは
 非常にひどいものであり、
 このようなことが
 現在の非常に大きな思想的混乱の源泉になっていると
 いえると思います」。

森氏は、
「唯物論と観念論についての誤解」が
「現在の非常に大きな思想的混乱」の大本であると
考えている。
「唯物論と観念論」という
「哲学の根本問題というようなところで
 理解の不充分さが出てくると、
 あらゆる面についてのひどい混乱が起こる」
というのだ。

よって、
本書・『唯物論哲学入門』は、
この「哲学の根本問題」、
すなわち「唯物論と観念論」との間に、
いわば筋目を正すことを目的としている。
物質的な存在こそが世界の基礎と考える「唯物論」は、
極めて理性的で合理的な性格を持っている。
この「唯物論」を、
神や心を世界の基礎と とらえる
主観的・非合理的な「観念論」から
一切のあいまいさを残すことなく切り離し、
唯物論の方が優れているということを
高らかに主張することこそが、
本書・『唯物論哲学入門』の目的なのだ。

なお、
本書6ページで森氏が、
「唯物論の基本的な点について……
 説明」した人物として
「エンゲルス」と「レーニン」を挙げながら、
マルクスを挙げていない点にも注目したい。

今日、
一般に「マルクス主義唯物論」と言われているものは、
マルクスその人の著書ではなく、
マルクスの親友で同志であったエンゲルスや、
ロシア革命の指導者であるレーニンが書いたものを
基礎として大体成り立っている。

〔注1〕もっとも、
「本来の」仏教や儒教が
アジア民衆の間で本当に根付いていたのかは
かなり疑問である。
「南無阿弥陀仏」とか
「南無妙法蓮華経」と唱えれば救われるといった
まじないじみた信仰の方が
むしろ民間では主流となったり、
日本神道のような現地のアミニズム信仰と
結びついたりすることの方が多かった。
またインテリの間でも
唯識思想の類がはびこる傾向が強かったのも
事実である。
しかし無論、
こうした考え方は
もともとの仏教とはかなり異なるものである。
上座部仏教長老のA=スマナサーラ氏は
正しくもこう断言している。
「『起こる出来事』は自業自得ではないのです。
 純粋な出来事、という意味では
 自業自得の面もあり、
 他業自得の面もあり、
 まとめて言えば多業多得です。
 自分、他人、社会情勢、自然環境といった
 さまざまな因縁が重なり合って
 複雑な現象が成り立つのです。
 唯識思想ではあるまいし、
 初期仏教では現象としての外界の存在を
 きちんと認めています。
 それをすべて無視して自業自得というのは、
 極論であり邪見です。
 ……多くの因縁で構成された『出来事』を
 個人レベルの自業自得に還元することは
 行き過ぎです」
(A=スマナサーラ「釈尊の教え・あなたとの対話」『パティパダー』(宗)日本テーラワーダ仏教協会、24~25ページ)。

〔注2〕マルクス自身、
アジアを非常に遅れたものと
固定的にとらえる傾向から
免れることはできなかった。
専制国家主義と家父長制的な共同体によって
特徴付けられる社会を
「アジア的停滞性」などと
失礼な言葉を使って表現したりしたこともある。
また、
アジア社会は
「過去の政治的様相が
 いかに変転をきわめ」ているように見えても、
「その社会的条件は
 最古の時代から十九世紀の初頭の一〇年代まで
 かわ」っていないなどと
無茶苦茶なことを言っていたのも事実である。
さらに、
革命に反逆する「反革命的な」諸民族に
「アジア的」との名称を与えようとしたふしも
あると言うことだ
(カン=サンジュン「マルクスはアジアをどう見ていたか」朝日新聞社『マルクスがわかる。』収録)。


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by imadegawatuusin | 2011-09-29 09:25 | 弁証法的唯物論