鉢呂発言問題について

――「死の町」と「放射能付ける」とは区別せよ――

■実態の直視を恐れてはならない

9月30日の朝日新聞で、
時事問題解説家の池上彰氏が、
鉢呂前経済産業大臣のいわゆる「発言問題」について、
「安易な批判で問題隠すな」と主張している。
福島第一原子力発電所の視察後に、
周辺の町を「死の町」と評したことについて、
「英語メディアは『死の町』を
 『ゴーストタウン』と訳しました。
 この表現、
 これまで日本のマスコミ各社も使ってきました。
 英語ならよくて、
 日本語だと問題になるのか。
 それなら、
 政治家たちは今後、
 問題になりそうな表現は
 英語で言っておいたほうがいい、などと
 なりそうではありませんか」と言うのである。
そして、
東京新聞に寄せられた反応として、
「誰が見ても人がいない町は死の町です、
 ゴーストタウンと言えば良かったのか!」・
「死の町は人間であれば率直な感想。
 (中略)批判されるべきは
 死の街をつくった人たちです」などの感想を
紹介している。

私も、
「死の町」発言へのマスコミ総がかりの批判については
違和感を覚えた。
いまの福島の惨状を「死の町」と評することが
それほど悪いことなのか。

気を悪くした被災者や
傷ついた被災者がいたことは事実であろう。
しかし、
その発言自体が「事実無根である」とか
「名誉を棄損している」とかいったものでないにも
かかわらず、
「傷ついた人がいる」という論法で
発言が規制されるのはいかがなものだろうか。
あらゆる人の心性をおもんぱかって発言することは
不可能である。
極端な言い方をすれば、
失恋したときに
愛する人への思いを高らかに歌う歌を聴いた場合も、
人は傷ついてしまう生き物なのだ。

もしもその発言を聞いて、
自分が傷ついたのであれば、
理由を明らかにしたうえで
「傷ついた」と堂々と訴えればいい。
また、
その発言が不条理なものであり、
自分もそれが間違っていると思うのであれば、
第三者が糾弾してもいいだろう。

だが、
ただ説明なしに
「傷ついた人がいる」ということだけで、
他人の発言を批判する態度は
間違っていると私は思う。
「鉢呂発言を受けたマスコミがすべきなのは、
 『人が住めるようになるのはいつか、
  もし住める展望がないなら、
  それを住民に告げるべきではないか』との問いを
 政治家や行政に投げかけることではないでしょうか。
 ……深刻な事態はなるべく見ないようにして、
 それに触れた発言だけを問題にする。
 これでは、
 事態に正面から取り組む人は出ません。
 結局は事態を解決することを
 遅らせることになりませんか」という池上氏の指摘は
まさに正論であろう。

鉢呂発言で問題とするべき点があるとすれば、
むしろ「放射能付ける」発言の方だ。
福島第一原子力発電所を視察勅語に取材記者らに、
「(自分の)放射能を付けちゃうぞ」などと
じゃれついたというものである。

大臣辞任に値するかどうかについては
議論はあろう。
だが、
福島周辺に住む人たちへの差別・偏見を助長しかねない
極めて不用意な発言であることは間違いない。
特定の人間のおびた放射能が、
他人に影響を与えるほどに
「伝染」したり「うつ」ったりするとの
荒唐無稽な認識を広げかねない。
悪ふざけにしても悪趣味であることは間違いない。

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by imadegawatuusin | 2011-09-30 18:44 | 政治