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『唯物論哲学入門』(森信成)を読む・その2

観念論の歴史的起源――アニミズム

本書・『唯物論哲学入門』は、
「哲学の歴史」を
唯物論と観念論の闘争という形をとっている」と
捉えている。
「……という形をとっている」
という言い方をしているのは、
マルクス主義者の理解では、
『共産党宣言』にあるとおり、
「今日までのあらゆる社会の歴史は、
 階級闘争の歴史である」と考えるからだ。
それがたとえ、
一見 哲学という分野における、
唯物論と観念論との論争であっても、
それはそういう「形をとっている」にすぎず、
その本質は階級闘争であるというのである。
わかりやすく説明すると、
哲学論争を繰り広げる二つの陣営のうち、
より観念論的な哲学は、
その時代の支配階級の立場(利害)を反映しており、
より唯物論的な哲学は
その時代の進歩的勢力・新興階級の立場(利害)を
反映している。
両者の利害はことごとく対立し、
あらゆる領域において衝突が起きる。
唯物論と観念論との論争も、
結局のところはその対立の現われの一つにすぎない。
支配する者と支配される者との間の利害対立の反映に
他ならないというのである。

ただし、
唯物論を観念論から厳しく切り離すべきことを説く
著者・森信成氏の立場からすれば、
過去それぞれの時代の「より唯物論的な哲学」も、
観念論的な要素を完全に拭い去っていない限り、
結局は観念論の一種と分類せざるをえない。
そうした森氏の立場から見れば、
これまでの哲学の歴史は
「観念論の圧倒的優位のもとに進行してき」たと
いうことになる。

森氏の厳しい観点から見れば、
「唯物論」と認められる思想は
近代になってからしか本格的には現れない。
逆に言えば
前近代の哲学史は ほぼ観念論一色である。
かろうじて
古代ギリシアのデモクリトスあたりが
がんばってました的な見方がせいぜいなわけだ。

だから森氏は、
哲学の歴史を解説するときに、
まず観念論の説明から始める。
唯物論とは何かを学ぶ前にまず、
観念論とは何かの方を先に勉強し、
そのことによって
唯物論が「何でないか」をとらえてゆく。
それが、
本書・『唯物論哲学入門』のやり方である。
実際、
歴史的に見ても、
「唯物論哲学」は
最初からどこかに
きちんとした形で整えられていた思想ではない。
むしろ唯物論哲学は観念論への批判の中で形作られ、
鍛え抜かれてきた哲学なのだ。
したがって、
いきなり「唯物論とは何か」を勉強したりするよりも、
観念論への批判を通じて
「唯物論とは何ではないか」を勉強する方が
唯物論の本質をとらえやすいのである。


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by imadegawatuusin | 2011-09-30 08:57 | 弁証法的唯物論
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