「九条の会」で雨宮処凛さんと対談

――「憲法九条を守ろう 県民のつどい」で――

■「守る運動」で守りきれるのか

日本国憲法の交付から65年目となる11月3日に、
「あいち九条の会」の主催する
「憲法九条を守ろう 2011愛知県民のつどい」で
貧困問題活動家の雨宮処凛さんと
対談させていただいた。

雨宮さんは僕がホームレスになったとき、
社会民主党の機関紙・「社会新報」や
雑誌・『学習の友』などで
僕の問題を唯一報道して下さった方だ。

昔、右翼をやっていた雨宮さんは、
読みもせずに憲法を毛嫌いしていたらしいけど、
どうも左翼の中には
読みもせずに憲法を
やたらあがめ奉っている人が少なくないんじゃないかと
思うことがしばしばある。

今回の集会でも生存権の大切さが強調されていたが、
今の憲法で生存権が保障されているのは日本人だけ。
憲法第25条に
「すべて国民は、
 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
とあるとおり、
生存権の主体はあくまで「国民」であり、
日本に何年(生まれたときから)住んでいようと
外国人住民は一切蚊帳の外なのだ。

参政権などについて、
国籍によって一定の差別があることはまだ理解できる。
だが、
生存権に差別があっていいのだろうか。
生存権は日本に住む人間である限り、
日本人だろうと外国人だろうと
当然保障されるべきではないのだろうか。

実際、
生活保護を申請したとき、
もしも間違った審査がされて不支給扱いになった場合も、
外国人住民には不服申立の権利さえない。
生存権は日本人にとっては権利だが、
外国人にとっては恩恵であり、
もらえなかったときに文句を言う権利は
ないというわけだ。

税金は同じように取るくせに、
これはちょっと酷いのではないか。

憲法第24条
「婚姻は、
 両性の合意のみに基いて成立し……」も変な規程だ。
両性、
つまり男と女の合意によっては婚姻は成立するが、
男と男、女と女では
結婚はできないというのである。
誰と誰とが結婚するかなんて、
そんなのは人の勝手だろう。
何で憲法でそんなことが決められなければならないのか。
はっきり言って大きなお世話だ。

国の象徴を血筋で決める、
封建的な血族世襲の天皇条項(1条~8条)も
おかしいし、
他にもよくわからない規程は色々ある。
こういうところを見て見ぬふりして
「憲法を守ろう」はないんじゃないの? と
僕は思うのである。

そんな「改憲論者」の僕を対談に呼んでくれた
「あいち九条の会」も懐が深い。
本当はもっとそんな話がしたかったのだが、
他にも対談者がたくさんいたので、
さらりと触れるだけにしておいた。
(ただし意外なことに、
 会場ではこうした僕の発言に
 拍手をしてくれた人もいた。
 社民党の某議員さんの前でこの話をしたときは
 こっぴどく怒られたけど)。

現実に今すぐ、
僕の望むような方向で憲法を変えられる可能性が
ほぼゼロなのは事実である。
だから、
「じゃぁとりあえず『憲法を守ろう』でいいじゃないか」
とよく言われる。

今の日本国憲法が、
外国人住民とか同性愛者とかを
抑圧している側面があることを
きちんと理解した上で、
「とりあえず、
 現時点においては戦略的に『護憲』と言っているんだ」
という自覚があるのなら、
まぁ、
それはそれでいいのかもしれない。

が、
どうも左翼の中には、
個別の条文をきちんと読みもしないまま、
「日本の憲法はすばらしい」・「憲法を守れ」と
言葉だけが上滑りする傾向が
なきにしもあらずではないかと危惧するのである。
右翼時代の雨宮さんが、
憲法も読まずに
憲法を「諸悪の根源」だと思っていたのと同じように、
だ。

できあいの憲法に寄りかかって
ものを言っていていいのか。
それで人々の共感が得られるのなら、
(戦術的には)それもありかもしれないが、
正直、難しいのではないかと僕は思う。

本当に九条を守りたいと思うなら、
むしろ一人一人が自分の言葉で
「自分が理想とする憲法はこうだ」ときちんと打ち出し、
その中に九条を
積極的に位置づけ直す取り組みをしていくべきでは
ないだろうか。

脱原発の運動がこれほど盛り上がっているのは、
癒着・腐敗の今の原発体制を
「変えよう」という意識があるからだ。
大阪の橋本や名古屋の河村が
これほど人気を集めているのも、
(方向性はともかくとして)
具体的に現状を「変えよう」としているからだと
僕は思う。
小泉が
「自民党をぶっこわす」と旋風を巻き起こしたのも、
民主党が「政権交代」を唱えて大勝利したのも、
そうした国民の「変革願望」のあらわれではないか。

そんな中、
「憲法を守ろう」という「守る運動」で、
本当に大切なものが守りきれるのか。
僕は疑問を持っている。

むしろ革新陣営の側こそが、
「今の憲法をこう変えよう」と積極的にぶちあげる。
そのくらいの発想の転換が
必要とされているのではないかと思うのである。


【参考記事】
「守る」運動から「変える」運動へ

2人の「左翼」が僕を改憲論者に転向させた
憲法記念日に際して
左からの改憲提言はタブーか

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by imadegawatuusin | 2011-11-03 20:22 | 政治