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『唯物論哲学入門』(森信成)を読む・その6

霊魂の座

本書・『唯物論哲学入門』において著者の森信成氏は、
原始人のものの考え方のもう一つの特徴として、
「霊魂がわれわれの脳の中に存在するというようには
 考えられていない」ことを挙げている。
「原始人は、
 霊魂を
 空気や心臓とか血液のうちに存在すると考えた」
というのである。

原始人でなく、
ある程度 文明化された社会であっても、
霊魂(心)は
脳ではなく心臓にあると考えていたところは
少なくない〔注1〕。

心臓は、
人があせったりびっくりしたりすると
バクバクとその動きを早める。
逆にくつろいだ状態のときはゆっくりと鼓動する。
そうした意味で心臓は、
心=精神とのつながりが
自分自身の体験として実感しやすい身体の部位である。

だが脳はどうか。
本書も言うように、
「脳の作用というものは
 意識することはでき」ないのである。
他の臓器は、
「今日は腹の状態が悪いとか、
 今日は心臓の調子が少しおかしいとかいうふうに
 わかるけれども、
 われわれが物事を考えている最中に、
 われわれの意識の背後にあって働いている
 脳の作用だけは
 どうしても意識することができ」ない。

精神の源が脳にあるということは、
ある程度科学、
特に実験科学が発達しなければわからないことがらだ。
だから当然、
原始人は霊魂が脳にあるとは
なかなか考えられなかったのである。

〔注1〕ちなみに沖縄では、
ココロは肝臓にあると考えられていたようだ。
沖縄の県民愛唱歌・「てぃんさぐぬ花」の歌詞に
「宝玉(たからだま)やてぃん
 磨かにば錆す
 朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨ち
 浮世渡ら」
(たとえ宝石であっても
 磨かなければ錆びてしまう。
 朝にも夕べにも心を磨き、
 この世を渡っていこうではないか)とある。
ここでも
沖縄において磨くべき魂のありかは
「心」(心臓)ではなく
「肝」(肝臓)であることがうかがえる。



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【参考記事】

『社会民主党宣言』を読む
新しい社会主義像を求めて
小牧治『マルクス』について
レーニン「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」を読む

by imadegawatuusin | 2011-12-01 18:12 | 弁証法的唯物論
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