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板野博行『語句ェ門777』について(その6)

――「チェリー」にも複雑な文化的背景あり――

本書『語句ェ門777』38ページの「言語論3」で、
著者の板野博行氏は、
「アメリカ人が『チェリー』という単語を口にしても
 特別な思い入れはない。
 しかし、
 日本人が『桜』と言う時には、
 『合格』の象徴であったり、
 『同期の桜』を歌ったりと、
 特別な感情が存在する。
 これは
 英語と日本語の意味が異なっているのではなく、
 『チェリー』と『桜』の語における
 歴史や文化に根ざした意味が異なっているのだ」と
言っている。

日本語の「桜」という言葉に、
単なる植物としての「桜」を超えた
文化的なニュアンスが付随していることは
否定できない。
だが実は、
英語の「チェリー」の背後にも、
日本語の「桜」とはまた別の
独特の文化的ニュアンスが存在する。

『ジーニアス英和辞典』によると、
"cherry"は「陽気さ・純潔・豊産の象徴」であり、
"lose one's cherry"(「チェリー」を失う)で
「処女を失う」という意味を表すことすらあるという。
こうした「チェリー」の複雑怪奇なニュアンスは、
日本語の「桜」や「さくらんぼ」という言葉では
到底表現することはできない。
(そもそも英語の"cherry"は
 「桜(の木)」をあらわすと同時に
 「桜の実(さくらんぼ)」をも意味する)。

「アメリカ人が『チェリー』という単語を口にしても
 特別な思い入れはない」というのは、
日本語の「桜」の背景にある
文化的ニュアンスを強調するあまり、
英語の「チェリー」の背後にある
文化的ニュアンスを軽視する
勇み足だったのではないかと思うがどうだろう。


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by imadegawatuusin | 2011-11-30 18:07 | 日本語論
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