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名探偵コナン『水平線上の陰謀』について

――納得できない部分が多すぎる――

人気ミステリー『名探偵コナン』の劇場版第9作・『水平線上の陰謀』は、
納得のいかない部分が多すぎる。

確かに、
新一と蘭の2人だけが知る
小さいころの かくれんぼのエピソードを
物語の中に織り込んでゆく手法などはなかなか楽しめた。
一見すると筋が通っているかに見えたコナンの推理の方が実は間違っており、
つじつまが合わないことを言っていたかに見えた毛利小五郎の方が
実は的確に真犯人をとらえていた、という、
劇場版コナンでは異例の大どんでん返しも
悪くはなかったと思っている。
最終的に自力で犯人に引導を渡した小五郎は
非常にかっこよかった。

しかし、
そこに至るまでの過程がむちゃくちゃだ。
コナンは実に単純な事実を見落として
的外れな推理を展開するし、
真犯人の計画はむちゃくちゃだし、
蘭や小五郎の行動は腑に落ちないし、
感動のクライマックスにつながる伏線は
全然つじつまが合っていない。

■単純な事実を見落とすコナン 
目暮警部らが総理大臣経験者の新見氏らから事情聴取した後に、
警察が作成した時間表がホワイトボードに書き込まれているのが
映し出されるシーンがある。
ここには、
「貴江社長の行動」として、
10時10分に(自室で)「殺害」、
10時15分に(部屋の前の廊下で)「毛利氏 容ギ者とすれちがう」
と書き込まれている。
この時点ですでに、
毛利小五郎もコナンも、
園子が地下のマリーナ(ボート係留所)で襲われたのが
10時11分であるということを知っていた。

警察やコナンは、
犯人は貴江社長を殺害したあと毛利小五郎とすれ違い、
その後地下のマリーナに降り、
あらかじめ呼び出しておいた八代会長を殺害したのだと考えると、
「時間的にもぴったり合う」と推理する。
(小五郎はともかく)
どうして警察もコナンも、
この時点でおかしいということに気付けなかったのか。
10分から15分まで貴江社長の部屋にいた犯人が、
11分にマリーナで園子を襲うのは
どう考えても不可能だ。

その後の推理の中でも、
コナンは一切この事実に気付かない。
気付かないまま阿笠博士の声を使って、
すらすらと推理を進めてゆく。
ようやくコナンがそのことに気付くのは、
阿笠博士を使っての推理を終え、
「犯人」との水上の逃走劇を終えた後のことである。

これは難しいトリックでも何でもない。
実に単純な事実だ。
図でも書けば一発でわかるはずの話なのだ。
(実際、警察はその図を書いてさえいる)。
どうしてこんな単純な事実に気づかないまま
コナンは推理を進めてしまったのか。
そしてその推理を、
その場の誰もが やすやすと受け入れてしまったのか。
実に不可解である。

犯人がこの点でとんでもないトリックを使用しており、
コナンたちはまんまとその罠にはめられてしまった……、
というのなら話はまだわかる。
だが、
犯人はこの点をごまかすために、
いかなるトリックも弄していないのである。
単に、
コナンがこの単純な事実を
見落としただけの話なのだ。
これでは「名探偵」の名が泣くというものだ。
見ているこちら側としては、
とうてい納得できない展開である。

コナンが論理的に真犯人の罠にはめられ、
逆に小五郎の方が
直感と根性で真犯人にたどり着く……
という今回の展開は、
なかなか悪くないと思っている。
特に、
男心や女心に関するような話になったとき、
小五郎は時に、
コナンより優れた直感を働かせることがあることは
今までからも知られている。
(例.「スキューバダイビング殺人事件」での指輪の一件や、
 幼馴染の「るりっぺ」こと雨城瑠璃子の「愛人」問題など)。
「すれ違うとき胸を避けたのは云々」の話などは、
おそらく小五郎にしか見抜けなかったことであり、
「本領発揮」とでも言うべきところであろう。

しかし、そういう展開であればこそ、
コナンがはまった「罠」は、
相当に周到かつ巧妙なものでなければならない。
コナンの論理が真犯人の仕掛けた「巧みな罠」にかかっているとき、
一見すると非論理的な小五郎の直感こそが、
実は真犯人を捕らえていた……という展開になってこそ、
小五郎の株も上がるし、
視聴者は うならされることになるのである。

しかし、
今回のコナンのミスは単なる「凡ミス」としか言いようがない。
視聴者はコナンの見事な名推理を見に劇場に足を運ぶのであって、
コナンの犯した単純ミスの尻拭いをする
毛利小五郎を見に出かけているのではないのである。

■むちゃくちゃすぎる「真犯人」の計画 
そもそも、
「真犯人」・秋吉美波子の計画は最初からむちゃくちゃである。

秋吉美波子は貴江社長に変装し、
日下(くさか)ひろなりが自分を殺害しに来た際、
わざと殺された振りをした。

しかし、こんな計画が成功したのは、
はっきり言って「奇跡」である。
ナイフをもって刺し殺そうという犯人を相手に、
うまく無傷で「殺された振り」などそうそうできるものではない。
しかも相手は物取りではなく、
恨みを晴らすことを目的とする「怨恨殺人者」なのだ。
一度「血を流して倒れた」だけでは満足せず、
何度も何度も体を刺してきたらどうするつもりだったのだろうか。

まして次の八代会長の殺害については、
「奇跡」を通り越して「不可解」ですらある。
八代会長は日下に警棒のようなもので殴られた後、
必死になって抵抗した。
秋吉美波子はそこにこっそり忍び寄って
背後から八代会長を刺殺する。
その直後、
日下は巴投げの要領で八代会長を投げ飛ばすのだが、
八代会長が投げ飛ばされれば、
当然日下と秋吉との間をさえぎるものは何もなくなり、
日下は秋吉を目撃したはずである。
どうして日下は何も気付かなかったのか。
気付かなかったなどということがありえるだろうか。

そもそも、
八代会長が必死になって抵抗したのは
まったくの偶然である。
日下に警棒で殴られてそのまま気を失い、
海に投げ落とされる可能性もあったわけだ。
(むしろその可能性のほうが容易に想像できる)。
その場合、
秋吉美波子はいかなる方法で八代会長を殺害するつもりだったのか。

貴江社長の方は「身代わり」というような危険な方法を用いてまで
「自分の手で」殺すことにこだわった秋吉だが、
八代会長のほうは日下の手で殺されてもよかったというのか。

「何度もシミュレーションした」というわりには、
秋吉美波子の計画は、
どうも行き当たりばったりの印象を受ける。
このあたりのちぐはぐが作品の中で一切説明されないというのは
やはり納得いかないものがある。

■蘭の理解しがたい無謀な行動 
また、
船が爆発・沈没する中、
いったん乗った救命ボートを降りて、
園子が止めるのも聞かずに再び船に戻る蘭の行動も
やはり納得できない。

退船命令の出る中、
船に戻るという行動がどういう結果を招くかが
わからない蘭ではないだろう。
船や飛行機における緊急時には、
乗客は乗員の指示に従って
規律正しく行動することが求められる。
これは、鉄則中の鉄則だ。

それに反して船に戻るというのであれば、
船に残してきたものによほどの思い入れがあるのでなければ
視聴者はとうてい納得できない。
しかしこの作品の中で蘭が取りに戻ったものは、
少年探偵団の子供たちがついさっき作った
貝殻のメダル〔注1〕なのである。
蘭は「大切な宝物」と言うが、
それは果たして船長の退船命令に反してまで、
沈みゆく船に取りに戻るほどのものなのか。

小五郎だって船に戻ったではないかという反論はありえよう。
だが小五郎は、
犯人・秋吉美波子の命を救うために戻ったのだ。
小五郎はすでにこのとき、
「トイレタイム」の間に秋吉美波子の部屋を捜索し、
彼女が犯人であると信じるに足る証拠を見つけていた。
そしてそれを見た小五郎は、
彼女が海藤船長を道連れにして、
この船と運命を共にするつもりなのだと
悟ったのだ。
(ちなみにコナンは、
 この時点ではまだ何も気付いていなかった)。
だから小五郎は美波子の部屋にあった武器を壊し、
最後まで船に残って船長を見張っていようと決意した。
そうすればきっと美波子がやって来ると信じたからだ。

愛する妻・妃英理に似た秋吉美波子の命を
なんとしてでも救いたい。
そしてさらに、
彼女にこれ以上殺人を重ねさせたくはない。
そう思ったからこそ、
小五郎は船に戻ることを決意したのだ。
(また、小五郎のこの行動の背景には、
 「犯人は絶対に生きて確保する」・「殺人者に自殺はさせない」という、
 劇場版第2作『14番目の標的』などにも見られる
 小五郎の強い信念が存在することも見逃してはならない)。
この決断には非常に説得力がある。

しかし、蘭が退船命令を無視してまで
沈みゆく船に戻ったことにはそこまでの説得力が感じられない。
『名探偵コナン』において、
蘭は基本的には理知的な少女であり、
このような無謀なふるまいをする人物であるようには思えない。
よほど船に残したものが、
たとえば新一にまつわる
大切な思い出の込められたものであるとでもいうのでなければ、
蘭のこの行動はまったく不可解である。

無論、作品のストーリー展開の都合上、
蘭にはここで船に残ってもらわなければならなかったのは理解できる。
何といってもこの作品最大の見どころは、
沈みゆく船からコナンと小五郎とが力を合わせて
蘭を救い出すというクライマックスにこそあるからだ。

しかしそのために、
わざわざ「貝殻のメダル」というような取ってつけたようなものを
取りに戻ることにする必要があったのだろうか。
蘭については、
実の父親が船に残ってしまったという、
言ってみれば「船に戻る絶好の口実」があったのだ。
その辺を工夫すれば、
もうちょっと無理のない作品になったのではないかと思うのだが……。

■小五郎は本当に美波子の無実を願っていたのか 
不可解なことでは、
秋吉美波子に対する小五郎の行動も
負けてはいない。

「よっぽどあたしが、
 どこかの憎い女にでも似てたのかしら」という美波子に対し、
小五郎はこう答えている。
 
 ≪その逆だよ。
  あんたがあいつに似てたから……。
  犯人があんたじゃなきゃいいと思って、
  無実の証拠を集めようとしたから、
  こうなっちまったんだよ……。≫
 
小五郎は、
秋吉美波子が犯人であってほしくはなかったと言う。
彼女が、
愛する妻・妃英理に似ていたからだ、と。

なかなか面白い話ではあるが、
この言い分が説得力をもつためには、
小五郎は、
犯人が秋吉美波子であるという以外考えられない
決定的な証拠をつかむまでは、
必死になって彼女の無実を示す証拠を
見つけ出そうとしなければならないはずだ。
そして、
彼女が犯人ではないありとあらゆる可能性を
何とか探そうとするはずである。
(例えば、
 「闇の男爵殺人事件」で蘭が、
 最も疑わしい容疑者であった、
 敬愛する空手家の前田聡の無実を
 見事に証明したように。
 また例えば、
 服部平治が美国島事件において、
 最後の最後まで島袋君恵の無実を
 信じようとしたように。
 そしてまた、
 大阪「3つのK事件」でコナン=新一が、
 尊敬する元サッカー選手・レイ=カーティスの無実を
 最後の最後まで証明しようとしたように……)。

しかし小五郎は、
秋吉美波子が犯人であるという確たる証拠もつかまないまま、
喜々として「推理ショー」を始め、
彼女を犯人であると名指しした。
その挙句、
当の美波子からたじたじになるまでやり込められ、
「ちょっとトイレに……」と言って退場させられるに及んだのである。
(小五郎が「決定的証拠」をつかんだのは、
 この「トイレタイム」の間のことだ)。
この小五郎の行動は、
僕にはどうも解せないのである。

また、
柔道の達人であることで知られる毛利小五郎が、
秋吉美波子を相手にどうしてあれほど苦戦したのかも
何ら説明されていない。
いくら相手が自分の妻に似ているからといって、
小五郎が得意とするのは相手を殴るボクシングではなく、
相手を押さえ込む柔道なのである。
(事実小五郎は、
 最後にはコナンの介入もあってきれいに一本背負いをきめている)。

秋吉が何か格闘技をやっていたのだというのであれば、
あらかじめ作品のどこかで明示、
あるいは暗示しておくべきではないだろうか。
(この文章を書くために改めて何度か見返したが、
 秋吉に格闘の心得があることを示す描写は、
 このシーン以前には何もない)。

また、たとえ秋吉が格闘技の名手なのだとしても、
「劇場版コナン」のファンは誰もが知るとおり、
小五郎だって相当の猛者なのである。
コナンが介入してくるまで
あそこまで一方的にやられるというのは解せない。
もしそういう展開にするのであれば、
アフロディーテ号が沈没する中で、
毛利小五郎に怪我を負わせてあらかじめ体を痛めさせておくとか
(おいおい……)、
そういう伏線が必要なのではないか。

■クライマックスの「名推理」は前提が成り立たず 
この作品のクライマックスは、
沈みゆく船の中で、
コナン=新一が蘭の「隠れ場所」〔注2〕をピタリと当てるというものだ。
小さいころのあの時と同様、
コナン=新一は見事に蘭の「隠れ場所」を
推理することに成功する……というものだが、
この推理はそもそも前提からして成り立っていない。

コナンは、
「自分がボールを蹴っているところが、
 音は聞こえても見えないところに
 蘭は隠れたに違いない」と推理する。
コナンは本当はバレーボールを蹴っていたのに、
サッカーボールを蹴っていたと蘭が言ったことがその理由だ。
この推理の前提は当然、
「コナンがバレーボールを蹴っているところを蘭は見ていなかった」
ということである。

しかし、作品をよく視てほしい。
蘭は、
かくれんぼが始まった直後、
コナンがバレーボールを蹴っているところをしっかりと見ている。
その様子がはっきりと、
作品の中で描写されているのである。
蘭のいる場所を当てる推理は、
「コナンがバレーボールを蹴っているところを蘭は見ていなかった」
ということが大前提となっている以上、
これでは明らかに成り立たない。
(「忘れていた」ということになっているのだろうが、
 だとしたら、隠れている場所は「あそこ」でなくてもよかったはずだ)。

スタッフの間で連絡の行き違いでもあって
このような事態となったのだろうか。
詳しくは知らないが、
作品の中でこの「クライマックスの名推理」は、
蘭と新一との絆の強さを示す非常に重要な部分であるはずだ。
そのために、
「夕日の話」とか何やらかやら、
2人の幼いころのエピソードを
ここまでいろいろと複線として張ってきたのではなかったのか。

それなのに、
肝心の部分でこのような「下らないミス」を起こしてしまったがために、
全てのつじつまが台無しになってしまった。
残念である。

〔注1〕これほどまでに大切にされた「貝殻のメダル」であるが、
ZARDの歌う「夏を待つセイル(帆)のように」が流れるエンディング映像の中では、
少女によってあっさり海中に投げ捨てられている。
もちろんこのエンディング映像と作中の物語とは直接の関係はないが、
映像中の少女は甲板にボールの転がる豪華客船で、
船の中を走り回ってかくれんぼをするなど、
明らかにこの作品の内容と重ね合わせられるように動いている。
(食堂のテーブルクロスをまくり上げて
 その下を捜索するところまでそっくりだ)。
だったらなぜ、
この大切な「貝殻のメダル」は海中に投げ込まれなければならないのか。
僕には、
映画『タイタニック』のエンディングに重ね合わせたかった……、
という程度の理由しか思いつかないのであるが……。

〔注2〕蘭は小学1年生のときにかくれんぼをやったときも、
隠れているあいだ中ずっと、
新一がサッカーボールを蹴っているのを聞いていた。
新一はこのとき、
蘭が隠れている体育館の壁に向かって
サッカーボールを蹴っていたのだ。
そして蘭は今回も、
コナンがボールをぶつけている壁の向こう側に隠れていた。
だから蘭は
(コナンがバレーボールを蹴っているのを見ていたにもかかわらず)、
そのときの光景と現在の状況とを重ねあわせ、
つい「サッカーボール」と言ってしまったのであろうか。

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第1位『天国へのカウントダウン』
第2位『14番目の標的』
第3位『瞳の中の暗殺者』

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名探偵コナン『漆黒の追跡者』を見て

酒井徹「名探偵コナン『ベイカー街の亡霊』と『自己犠牲』」

by imadegawatuusin | 2005-09-05 17:54 | 漫画・アニメ
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