桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』について

――見事に『現実』を描写したライトノベル――
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■「子供の無力感」を描き切ったミステリー

直木賞作家・桜庭一樹が注目されるきっかけとなった
本書・『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』であるが、
当初この作品は
富士見ミステリー文庫という
ライトノベルの文庫シリーズから出版された。

しかし作者自身があとがき(角川文庫版)の中で、
「少年少女向けでも、
 娯楽小説でさえないかもしれない原稿」だったと
言っているように、
この作品は普通のライトノベルとは
『何か』が決定的に違っている。
一言で言えば、
この作品は徹頭徹尾
『現実のこの世界』を描写したものなのである。

子供の虐待などの
「現実の社会問題」を扱っているからというのではない。
現実の社会問題をモチーフにして書かれたライトノベルは
たくさんある。
また、
鳥取県境港市という実在の場所を舞台として
描かれているからそう言うのでもない。
たとえば、
ライトノベルの代表作とされる
『涼宮ハルヒ』シリーズ
兵庫県西宮市を舞台として描かれていることは
周知の事実であろう。
そういうことではなく、
作品の本筋から離れた
ちょっとした細部の描写に至るまで、
この作品は徹底して
「この現実」を描こうとする気迫に満ちている。

たとえば、
こんな描写である。

山のほうには、
あたしが生まれた頃にできた原発がある。
ていうか、
田舎に作ったほうがいいと都会の人が考える
すべてのものがこの町にある。
原発。
刑務所。
少年院。
精神病院。
それから自衛隊の駐屯地。
だからあたしたちは
あんまり山のほうには近づかない。


原発は「あたしが生まれた頃にできた」ものである。
そこに13歳の「あたし」の意思が介在する余地は
全くない。
刑務所も、
少年院も、
精神病院も自衛隊の駐屯地もそうである。
少女の意思とは無関係に、
ただ、
そうあったものとしてそこにある。
この作品で描かれるのは
そうした「子供の無力感」だ。
10代の少年少女が大は地球の命運をかけて、
小は友情や恋愛を実らせるために
大活躍をするライトノベルとは
そこが全く違っている。

現実は厳しい。
わずか13歳の主人公・山田なぎさや海野藻屑には
自分の力で生きる糧を稼ぐ手段がなく、
家庭や親も選べない。
社会を動かす力もなく、
自分の運命を切り開く力もやはりない。
そういう冷徹な現実が
これでもかこれでもかというほど徹底して
この作品では描かれているのだ。

だから読者は、
この作品の舞台が決して「作り物」でないことを
実感せずにはいられない。
主人公の担任の教師がつぶやいたこんな一言が
示唆的である。

「……俺は大人になって、
 教師になって、
 スーパーマンになったつもりだったから。
 山田のことでも、
 お前に嫌われてもいいから、
 高校行けるようになんとかしてやろうって
 張り切ってたし。
 海野の家だってなんとかするつもりだった。
 ヒーローは必ず危機に間に合う。
 そういうふうになってる。
 だけどちがった。
 生徒が死ぬなんて」


作り物の世界においては、
「ヒーローは必ず危機に間に合う」。
「そういうふうになってる」。
しかし、
『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の世界は
そうではない。
担任教師は生徒の危機に間に合わず、
主人公はヒロインを救い出すことができない。

そんなこの作品が、
なぜこれほどまでに『面白い』のだろう。
それでもやはり、
これは確かに
少年少女向けの「ライトノベルだ」と思わせるのは
なぜなのだろう。
名探偵が活躍するわけでも
名推理を披露するわけでもないにもかかわらず、
極めて良質のミステリーとして
成立しているのはなぜだろう。
そんなことを考えさせる、
ライトノベル・ミステリーの傑作である。


桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(角川文庫)
(評価:4+)


【参考記事】
桜庭一樹『少女には向かない職業』について
桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』について
桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』を読む

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by imadegawatuusin | 2012-01-15 09:32 | 文芸