「性同一性障害」はなぜ「障害」なのか

――同性愛が「障害」でないのはなぜ?――

■「医学治療を必要とする状態」が病気・障害

今日、
中京大学で
ジェンダー・セクシャリティー問題を教えている
風間孝教授と話をした。

その中で、
「『性同一性障害』は障害だから同情の目で見るけど、
 同性愛は認めない」というような意見が
自民党の一部から出ているという話が出た。
また、
「性同一性障害」という言葉が
これほど「市民権」を得ている国は珍しく、
海外では一般に
「トランスジェンダー」と呼ばれているとか、
当事者の中にも、
ただ自分らしく生きたいだけなのに
なぜそれが「障害」とされるのかという意見があるとの
話があった。

なぜ「性同一性障害」は「障害」なのか。
それに対して、
なぜ同性愛は「障害」とはされないのだろうか。

端的に言うと、
「性同一性障害」が「障害」とされるのは、
ホルモン注射や性別適合手術などの
「医学的治療」が必要だからである。
日本の「母体保護法」では、
「故なく、生殖を不能にする」ことは
犯罪とされている。
だから、
たとえ本人の同意があったとしても、
「医学的な病気治療である」という大義名分なしに
性器の構造を変える手術を行なったりすると
犯罪になってしまうし、
ホルモン注射にしても、
「医学的な病気治療である」という
大義名分があってはじめて
医者が治療として行なえる。
「性同一性障害」が「障害」であるというのは単に
「医学的治療を必要とする状態である」ということを
意味するに過ぎず、
「その状態が異常である」というような
価値判断は含まないのだ。

つまり、
同じ「トランスジェンダー」の人であっても、
「私は体は男性、
 心は女性という状態を受け入れて生きていく」
という人で、
ホルモン注射や性別適合手術などの
「医学的な治療」を受けず、
単に服装や振る舞いなどにおいてのみ
生物学的な性別とは異なる社会的振る舞いをする人は、
それが社会的にどれほど少数で
奇異な目で見られたとしても
「障害者」ではない。
「トランスジェンダーではあるが
 『性同一性障害者』ではない」ということも
ありうるのである。
本人が治療を必要とせず、
周囲にも危害を及ぼしていないのであれば、
それは「障害」ではないのである。
その状態が「障害」かどうかというのは
「異常かどうか」という価値判断ではなく、
「医学的治療を必要としているかどうか」という
ニーズの切実さで判断されるのだ。

■「性的指向同一性障害」はありうるか

同性愛が「障害」でも「病気」でもないのも
同じ理由による。
確かに同性愛者は社会的に少数であり、
社会にはまだまだ偏見が根強く残ってはいるが、
「医学的治療」を必要とするものではない。
また、
何が人の性的指向を決定し、
ある人を異性愛者にし、
ある人を同性愛者にするのかという「原因」も、
諸説あるが
決定的な学問的共通理解はまだ存在しない状態である。
したがって当然、
性的指向を人為的に変更する決定的な手段も
見つかっていない。

したがって現状では、
同性愛はいかなる意味でも
「医学的治療」の対象にはなりえないのであり、
同性愛を「病気」や「障害」とする理由は
ないことになる。

もちろん、
同性愛者であることを理由とする
社会の差別や偏見に傷つけられる人は少なくない。
心に傷を負い、
精神科の門をたたく人もいるだろう。
しかしその場合は、
あくまで同性愛者であることを理由に受けた
「心の傷」を治療するのであり、
同性愛者であること自体を治療するわけではない。
(また、その手段もない)。

ただ、
「性同一性障害」との類比でいうならば、
こういうことは考えられないだろうか。

おそらく近い未来にはありえないだろうが、
遠い将来、
人の性的指向を決定するメカニズムが解明され、
それを人為的に変更する安全な手段が確立したとしよう。
その上で、
「自分は
 生物学的には異性愛者(あるいは同性愛者)であるが、
 本当はどうしても
 同性愛者(あるいは異性愛者)になりたいのだ」と
強く主張する人間が現れたとする。
その人は、
自分の生物学的な性的指向と理想の性的指向との
同一性の乖離に悩み、
苦しんでいる。
そしてそのとき、
医学的にこれを「治療」する手段が
確立されていたとすれば、
そのとき医学は、
その人を「性的指向同一性障害」と診断し、
「性的指向適合治療」を行なうべきであるだろうか。

異性愛者が
同性愛者にどうしてもなりたいのだという場合には
さして問題はないように思われる。
しかし、
その時代にも
同性愛者に対する差別・偏見が残っていた場合、
そうした差別・偏見から逃れる手段として
当事者がこうした治療を強いられるということは
ありえないことではない。
本来
同性愛者が同性愛者として
尊重されるべきであるにもかかわらず、
「治療を受ければ治るのに、
 あいつらは好きでやってるんだから
 同情に値しない」と
筋違いな批判を生む危険性もある。

しかし一方で、
社会的にそうした立場にいない人間の側が、
「それは差別・偏見に負けることだ。
 同性愛者としての誇りを持って闘え、がんばれ」と
押し付けることもまた傲慢というものであろう。
「安全な治療を受けるだけで
 そうした苦しみから解放されるにもかかわらず、
 どうしてあなたに
 そんなことを言われなければいけないんだ」
と言われてしまえば返す言葉はない。

もちろん、
これはあくまで空想未来小説風の妄想なのだが、
風間さんと話をしていてふとそんなことを考えた。


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by imadegawatuusin | 2012-12-25 21:44 | 差別問題