三笠宮寛仁親王の随筆は時代錯誤だ 

■「単ナル神話ト伝説」への逆戻り 
皇族の三笠宮寛仁(ともひと)親王が、
女系天皇容認に異議を唱える随筆を
発表した(「朝日新聞」「読売新聞」11月4日)。
これがなかなか「凄い」内容なのである。

寛仁親王はこの随筆の中で、
「二六六五年間の世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統」(!)を
「平成の御世(みよ)でいとも簡単に変更して良いのか」と問いかける。

そして、
「万世一系、一二五代の天子様の皇統」(!)が「貴重な理由」は、
「神話の時代の初代・神武天皇」(!)から
「連綿として一度の例外も無く、
 『男系』で今上陛下迄(まで)続いて来ているという厳然たる事実」(!)
にあるのだと言う。

そして最後に、
「国民一人一人が、
 我が国を形成する、
 『民草』の一員として、
 二六六五年の歴史と伝統」(!)に対し
「きちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、
 日本国という、『国体』」(!)の
「変更に向かうことになりますし、
 いつの日か、
 『天皇』はいらないという議論に迄発展するでしょう」
として文章を締めくくるのである。

今どきここまで露骨に復古主義的な主張を目にすることも珍しい。
「二六六五年の歴史と伝統」(!!)に、
「国体」(!)に「神武天皇」(!!)に「天子様」(!!!)である。

先代の昭和天皇のいわゆる「人間宣言」にすら、

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、
終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。


つまり、
「天皇と国民との間の絆は、
 お互いの信頼と敬愛とによって結ばれているのであって、
 単なる神話と伝説とによって生じるものではない」
と明記されているのである。
少なくとも僕は、
現代の皇室制度とは
こうした理念の下に存在するのだと認識してきたのだが、
寛仁親王の主張はまさしく、
皇室制度の根拠を、
先代の昭和天皇が否定した「単ナル神話ト伝説ト」に
もう一度 置き直そうとするものに見える。
いくら何でも時代錯誤も甚だしいのではないか。

大体、今から「二六六五年」前と言えば、
歴史の教科書の年表には「縄文時代」と書かれている時代、
つまりは石器時代である。
現在の皇室につながる「大和朝廷」の記述が登場するまでには、
縄文時代の次の弥生時代の
そのまた次の大和時代まで待たなければならない。
「二六六五年の歴史と伝統」や「一二五代の天子様の皇統」などというものは、
まさしく「単ナル神話ト伝説」に過ぎないのである。
そのようなものを持ち出して、
「初代・神武天皇から
 連綿として一度の例外もなく、
 『男系』で今上陛下迄(まで)続いて来ているという厳然たる事実」
などと胸を張られては、
こちらとしては、
「皇族の中には、いまだにこういう考えの人間もいるんだ」と、
正直、驚くしかない。

■「Y1染色体」についての記述はあまりに粗雑 
――「生物学的に言うと」間違っている――
「読売新聞」によればこの随筆には、
最近一部で流行している(らしい)例の「八木理論」も登場する。
寛仁親王は随筆の中で、
「生物学的に言うと、
 高崎経済大学の八木秀次助教授の論文を借りれば、
 神武天皇のY1染色体が継続して
 現在の皇室全員に繋がっている」と言うのである。

「Y1染色体」とは男子が父親から受け継ぐ遺伝子である。
もっとも、
寛仁親王自身がこの理論をどの程度理解しているのかという点については、
「読売新聞」に掲載された随筆の要旨から察する限り、
かなり怪しいと言わざるを得ない。
少なくとも寛仁親王の言い分は、
「生物学的に言うと」間違っているし、
八木助教授の理論の正確な引用にもなっていない。

文の冒頭に
「高崎経済大学の八木秀次助教授の論文を借りれば」とある通り、
自らの意見を正当化するために、
内容をあまり吟味しないまま、
取りあえず「借り」てきただけではないかとすら思わせる。

先ほども書いたとおり、
「Y1染色体」とは『男子が』『父親から』受け継ぐ遺伝子なのである。
よって、
皇太子・徳仁親王とその妻・雅子皇太子妃との間に生まれた
敬宮愛子内親王は、
女性であるため「Y1染色体」を持っていない。
また、
皇室の外から嫁いできた女性である雅子皇太子妃もまた、
「Y1染色体」を持ってはいない。

寛仁親王は、
「神武天皇のY1染色体が継続して
 現在の皇室全員に繋がっている」と言う。
だが、
(神武天皇の実在性はさておくとしても)
敬宮愛子内親王は「現在の皇室全員」には含まれないと言うのだろうか。
雅子皇太子妃は「現在の皇室全員」には含まれていないと言うのだろうか。
いかに「随筆」であるとはいえ、
女性を家族の一員とは見なさないかのようなこの論理展開は
あまりに粗雑すぎはしないか。

■天皇は「遺伝学上の骨董品」か 
大体、
「神武天皇のY1染色体」云々という話自体が、
よくよく考えてみれば「それがどうした」という話でしかない。
「Y1染色体」などというものは、
人間の男性が持つ46個の遺伝子の中の1つでしかなく、
これのみを そうも神聖視するべき いわれは特にない。

同じ男系の先祖を持つ一族の男性同士が
同じ「Y1染色体」を持っているのは、
別に皇族に限った話ではないはずだ。
世の男性は誰でも、
その直系の男系の先祖の「Y1染色体」を
連綿と保持しているのである。

それとも、
(そもそもその実在すら疑わしい
 「石器時代の天皇」?である)神武天皇の「Y1染色体」とやらは、
例えば小泉首相やビートたけしや、
あるいは麻原彰晃や僕の持つ「Y1染色体」と比べて、
何か特別優れた特質を持っているのか。
世の男性ならだれでも持っている「Y1染色体」と比べて、
日本国の象徴たるにふさわしい何らかの特質を
備えているとでも言うのだろうか。
(念のために言っておくと、
 「神武天皇のY1染色体」は、
 妊娠した女性の腹を割いて胎児を見たり、
 人の生爪を抜いて山芋を彫らせたという あの武烈天皇も
 持っていた、とされる染色体のはずである。)

あるいは、
現在も「徳川家康の男系子孫」や「夏目漱石の男系子孫」は存続しているが、
そのY1染色体について云々されることはまったくない。
「神武天皇のY1染色体」とやらだけに、
「徳川家康のY1染色体」や「夏目漱石のY1染色体」と比べて、
特別に国家がこれを保護し、
永久にこの保持に努めるに値する、
歴史学上の、あるいは生物学上の意義を
どうすれば主張できるというのだろうか。
もしそのような、
人間男子の46個の染色体の1つでしかないこのY1染色体の由来によって
皇位の正当性が主張されるというのであれば、
天皇とは単なる「遺伝学上の骨董品」にすぎないことになってしまう。

少なくとも、
遺伝子の解析技術が飛躍的に進み、
「Y1染色体」などというものが知られるようになったのは、
歴史の中ではごく最近に属する出来事であり、
我が国の長い「歴史と伝統」の中で
このようなものに価値が置かれてきたことは、
過去に一度もなかったのだということは
はっきり確認しておく必要がある。

■強い違和感を感じる内容 
僕は、
皇族と言えども言論の自由は認められてしかるべきだと考えている。
たとえ皇族であっても、
一個人として広く社会の問題に関心を持ち、
これについて自らの見解を明らかにしようとするのは
人間として自然なことで、
当然の権利だと考えている。
一個人が一個人として、
一個人の見解を述べることは、
公権力の行使には当たらず、
皇族が国政に関する権能を有しないこととは何ら矛盾するものではないと
僕は思う。

ただし、
実に当然のことながら、
権利の行使には責任を伴う。

僕は、
特に政治的な発言・行動をしない限りは、
皇族個人に対する批判は行なわないことにしている。
皇室制度自体に対する批判はしても、
それは決して、
皇室に属する一人一人に
何らかの個人的責任があると考えてのことではない。

しかし、
ある皇族が自らの言論の自由を行使して
反動的言動をとるのであれば、
こちらも言論の自由を行使して
これを論難することもありうる。
(無論、
 その言動の内容によっては
 これを支持することもあるかもしれない)。

三笠宮寛仁親王が今回発表した随筆の論理は、
先代の昭和天皇ですら否定した
「単ナル神話ト伝説」への逆戻りを指向するものであり、
極めて反動的なものである。
僕はこれに強い違和感を覚えたことを
ここに率直に表明する。

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by imadegawatuusin | 2005-11-05 04:15 | 政治