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『じゅもんをあげるよ』、「起承転結」活用で大ヒット

――(きょく)(なが)れには 「序破急(じょはきゅう)」を (もち)いる――
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『じゅもんをあげるよ』という (うた)は、
『ことばのパズル もじぴったん』という
コンピューターゲーム(電脳遊戯(でんのうゆうぎ))の
エンディング曲(結尾曲(けつびきょく))として
作られた 歌だ。
歌詞(かし)(歌の 言葉(ことば))は
ゲームクリエイター(電脳遊戯開発者(でんのうゆうぎかいはつしゃ))である
後藤(ごとう)=裕之ひろゆきさんが これを 作り、
曲(ふし)は
作曲家さっきょくかである 神前こうさき=さとるさんが これを 作った。
その のち、
『THE IDOLM@STER』アイドルマスターという
コンピューターゲームに 出てくる
高槻たかつき=やよいという 女の子が
この 歌を 歌ったことにって
広く 世の中に 知られることになった↓。

【ニコニコ動画】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7046095

【歌詞】
http://j-lyric.net/artist/a0500f2/l01c457.html

曲の 調しらべ(節回ふしまわし)も
きわめて 素晴すばらしいけれども、
歌詞も すこぶる 素晴らしい。
この 歌の 歌詞は すべて
平仮名ひらがなによって 書かれており、
少し 見ただけだと あたかも さながら、
子供が お遊びで 作った たぐいの
取るに 足りない 歌にすぎないと
思われてしまうかもしれない。
けれども この 歌においては、
る国である 諸越もろこし中国(ちゅうごく)の 人たちが
唐歌からうた》(漢詩(かんし))を 作る 場合などに
いにしえの 古代から 用いてきた、
起承転結(きしょうてんけつ)」や 「対句(ついく)」などといった (わざ)
見事(みごと)に 使いこなされているのである。

「起承転結」とは、
長歌ながうた)における、
次のごとき 言端ことばの 組み立て方の いである。
すなわち、
1つ目の (一まとまりの 言端ことば)において
ある 物事について 書き起こしてから(())、
2つ目の 句においては 1つ目の 句の 流れを
そのまま 素直(すなお)ける 形にて
さら言端ことばを 加えて 述べる((しょう))。
けれども 3つ目の 句においては
目を ほかのものに 移したり、
それまでとは 流れの 異なる 事を 言ったりして
詩 そのものの 流れを ガラリと きり変え((てん))、
そして その 末に 4つ目の 句において
すべてを まとめて 結び ()めくくる((けつ))。
こうして 言端ことばを 組み立てることによって
見事な 詩を 作る 技が すなわち これ、
「起承転結」なのである。

わが もとの 国=日本にっぽんにおける、
この 「起承転結」が
うまく 用いられている 詩としては、
わたしと小鳥と鈴と」が 有る。
この 「私と小鳥と鈴と」という 詩は すなわち これ、
近代・大正時代の 詩人しじん歌人うたびと)である 金子=みすずが
作った ものだ。

  わたしが両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥はわたしのように、
  地面じべたを速くは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴はわたしのように
  たくさんな歌は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。
(金子みすゞ『さみしい王女/新装版 金子みすゞ全集・Ⅲ』第145葉[ページ]、表記は 現在のものに 酒井が 修正)

第1連目だいいちれんめの 4行においては、
第1行目だいいちぎょうめにて、
「わたしが両手をひろげても、」と 書き起こし(起)、
第2行目においては
その 流れを そのまま 素直に 受ける 形で、
「お空はちっとも飛べないが、」と、
第1行目の 主格語しゅかくごである 「わたし」について
さらに 述べる(承)。
ただし、
その あとに 「が」という、
逆接ぎゃくせつを 表す 接続助詞せつぞくじょしつな言端ことば)を
えることに よって、
次に 来る せつにおいては
それまでの 流れからは はずれる 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせた あとに、
はたして 第3行目に おいては、
「飛べる小鳥はわたしのように、」と、
目を 「わたし」から 「小鳥」に 移して
それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、
そして その 末に 第4行目において、
地面じべたを速くは走れない。」と、
第1連を まとめて 結ぶのである(結)。

第2連目の 4行においても、
第1行目にて、
「わたしがからだをゆすっても、」と 書き起こし(起)、
第2行目においては その 流れを
そのまま 素直に 受ける 形で、
「きれいな音は出ないけど、」と、
第1行目の 主格語である 「わたし」について
さらに 述べる(承)。
ただし、
その 終わりに 「けど」という、
逆接を 表す 接続助詞を 添えることによって、
次に 来る 節においては、
それまでの 流れからは はずれた 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせた あとに、
はたして 第3行目においては、
「あの鳴る鈴はわたしのように」と、
目を 「わたし」から 「鈴」に 移して
それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、
そして その 末に 第4行目において、
「たくさんな歌は知らないよ。」と、
第2連を まとめて 結ぶのだ(結)。

第3連目は 2行である。
けれども、
これを 仮に 4つの まとまりに
切り分けるとするならば すなわち、
けだし
「鈴と、小鳥と、」というところ および
「それからわたし、」というところ、
並びに
「みんなちがって、」というところ および
「みんないい。」というところに
切り分けられることであろう。

1つ目の まとまりにおいて
「鈴と、小鳥と、」と 書き起こし(起)、
2つ目の まとまりにおいては
その 流れを そのまま 素直に 受ける かたちで
「それからわたし、」と
さらに そこに 付け加え(承)、
そして、
3つ目の まとまりにおいては
物事を 並べるのを ついに やめ、
上の 2つの まとまりとは 違い、
「みんなちがって、」と
その 評価ひょうかみ込むことに よって
詩の 流れを 移し変え(転)、
4つ目の まとまりにおいて、
「みんないい。」と すべてを 結ぶことになる(結)。

そして、
第1連目と 第2連目とは
見事な 「対句」と なっている。
「対句」とは、
言端ことば文法的ぶんぽうてきな 組み立て方が よく 似ていて、
互いに かかわりの 有る 言端ことばを 用いた 文句を
互いの 文脈ぶんみゃくの 中において 重ねて 用いるという、
これ また
詩を 作る 上における 技である。

第1連目と 第2連目は、
第1行目が 共に
「わたしが~を~(し)ても、」という形であり、
第2行目も
「~は~けど(又は 『が』)」、
3行目も
「~はわたしのように」で、
4行目は
「~を(又は 『は』)~ない」という
かたちになっている。

そして、
『じゅもんをあげるよ』の 場合にも、
この 「起承転結」と 「対句」との 2つの 技が
見事に 用いられているのである。

まず 初めの、
「いじ・いじ ひとりぼっち
 あれ・これ なやむけれど
 しゃに・むに がんばるきみは
 ぴか・ぴか ひかってる」という
第1連目について 述べる。
それぞれの 行の 頭の ところには すべて、
「いじ・いじ」・「あれ・これ」・
「しゃに・むに」・「ぴか・ぴか」という
音節(おんせつ)擬態語(ぎたいご)が 用いられており、
対句(ついく)となっているのが 分かるだろう。

そして、
第1行目で
「いじ・いじ ひとりぼっち」と
後ろ向きに 歌の言葉を 書き起こした あと(起)、
第2行目においては その 後ろ向きな 流れを
そのまま 素直に 受ける かたちで、
「あれ・これ なやむけれど」と、
さらに 後ろ向きな 言葉を
重ねて 加える(承)。
ただし、
その 終わりに 「けれど」という、
逆接を 表す 接続助詞を 添えることに よって、
次に 来る 節においては
それまでの (後ろ向きな)流れからは
外れた 事柄を
述べるであろうということを
あらかじめ 告げ知らせておいた あと、
はたして 第3行目においては、
「しゃに・むに がんばるきみは」と、
一転して
前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、
おしまいに 第4行目において、
「ぴか・ぴか ひかってる」と
第1連目を 明るく 結んで 締めくくる(結)。

同じ 事は けだし、
第4連目(2番の 1連目)である、
「とぼ・とぼ かえったみちも
 めそ・めそ ないたみちも
 いっぽ・いっぽ ふみだすきみは
 きら・きら ひかってる」というところについても
言えるだろう。
第1行目 および 第2行目 並びに 第4行目の 頭には、
「とぼ・とぼ」「めそ・めそ」・「きら・きら」と、
それぞれ 2音節の 擬態語が
繰り返し 使われており、
見事な 対句と なっている。
第3行目の 頭にだけ、
「いっぽ・いっぽ」と、
3音節の 名詞(名言端なことば)が
繰り返し 使われているのは きっと、
この 第3行目は 「転」の 行であるため、
変化を 持たせたかったからに 違い無い。
第1行目と 第2行目とは
終わりのところも、
共に 「~(し)たみちも」という
同じ 言端ことばを 使って 脚韻きゃくいんを 踏んでおり、
これ また 対句と なっている。

そして 何より、
第1行目で、
「とぼ・とぼ かえったみちも」と
後ろ向きに 歌詞を 書き起こした あと(起)、
第2行目では その 後ろ向きな 流れを
そのまま 素直に 受ける かたちで、
「めそ・めそ ないたみちも」と、
さらに 後ろ向きな 言端ことば
重ねて 加える(承)。
けれども 第3行目に 入るや いなや、
「いっぽ・いっぽ ふみだすきみは」と、
一転して
前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、
おしまいに 第4行目において、
「きら・きら ひかってる」と
第4連目を 明るく まとめて 結び、
締めくくるのだ(結)。
(ちなみに、
 第1連目 の
 第3行目 および 第4行目と、
 第4連目[2番の 第1連目]の
 同じく第3行目 および 第4行目とも また、
 どちらも
 「……きみは
  [擬態語]・[擬態語] ひかってる」と
 なっており、
 見事な 対句を なしている)。

他には 第3連目についても これ また、
「はしれ すすめ ゆうきだして」(起)
「やっちゃった でもね くじけないで」(承)
「わっはっは そうさ えがおみせてよ」(転)
「なみだ なんて ばいばばいさ」(結)
と、
「起承転結」であると 見ることが できる。
なぜかと いうと、
第1行目と 第2行目とが、
「はしれ すすめ ゆうきだして
 やっちゃった でもね くじけないで」と、
まがりなりにも 日本語として
素直に 言葉が 流れている 中において
(言い換えると、
 第2行目は 第1行目を うまく 受けているのに 比べ)、
第3行目は
いきなり 「わっはっは」という 擬音語ぎおんごで 始まり、
日本語が ここで ブツリと 切れて、
歌詞の 流れが ガラリと きり変わっているからである。
(詩において
 こうした 言葉の ブツ切りによる 切り変えが
 うまくいっていることを
 その 詩に 「キレが 有る」と 言う。
 [「キレ」の例:「キレ」の ところを 「/」にて 示す。
  松尾まつお=芭蕉ばしょう「古池や/かは(わ)ず飛び込む水の音」
  正岡まさおか=子規しき「柿くば金が鳴るなり/法隆寺」])。
けれども 第4行目は 、
「(そうさ えがおみせてよ)
 なみだ なんて ばいばばいさ」と、
第3行目の 終わりから
これ また なめらかに 言葉が 続き、
第3連目を まとめて 結び 締めくくっている。

更に、
第6連目(2番の 第3連目)も また、
「すべって ころんで べそかいても」(起)
「なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」(承)
「あっはっは そうさ げんきみせてよ」(転)
「まえを むいて ごーごごーさ」(結)
と、
「起承転結」を なしていると
見うるであろう
(第1行目と 第2行目とは
 「すべって ころんで べそかいても
  なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」と
 日本語が 素直に 続いているけれども、
 1つの 文が ここにおいて 終わる。
 そして 第3行目の 新しい 文は、
 いきなり 「あっはっは」という 擬音語にて
 始まっているのだ。
 日本語が
 第2行目と 第3行目との 間において ブツリと 切れて、
 第3行目において 言葉の 流れが
 ガラリと きり変わっていることは
 明らかであるといえるだろう。
 そして 第4行目は、
 「(そうさ げんきみせてよ)
  まえをむいて ごーごごーさ」と、
  3行目の 終わりのところから
 ふたたび 滑らかに 言葉が 続き、
 この 一連を まとめて 結んでいる)。

また、
終わりに 在る 第9連目も これ また、
「ゆくぞ やるぞ うでをふって」(起)
「やったった ほらね ゆめはかなうさ」(承)
「らっぱっぱ ららら うたをうたおう」(転)
「きみの ふぁいと しんじてる」(結)
と 、
やはり 「起承転結」なのである。

こうして 述べてきた 通り、
『じゅもんをあげるよ』の 歌詞においては
「起承転結」という 技が
(たく)みに 取り入れられている。

そして、
曲の 側に 目を 向けると、
「序破急」という、
わが国において
音楽や 踊りなどにおいて
古代から よく 用いられてきた 形式が
用いられているのが 分かるはずだ。

(じょ)」とは、
その 歌や 踊りの 始まりとなる、
真っすぐで かつ 素直な 姿の 楽章がくしょういだ。
続く 「()」とは、
(じょ)」の 真っ直ぐで 素直な ありさまを (やわ)らげ、
色色いろいろを 尽くして 分かりやすく 、
細やかに みせる 姿の 楽章の いである。
そして おしまいの 部分に あたる 「(きゅう)」とは、
(はげ)しく たたみかけるように 歌い、踊り、
もって 見る者・聴く者の 目や 耳を 驚かせて
楽曲(がっきょく)を 終える 姿の 楽章の いなのである。

この歌の 「1番」で 言うと すなわち、
第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)が、
真っすぐで かつ 素直な 調べの
「序」であるといえる。
次に、
いきなり しっとりとした 細やかな 調べに 変わる
第2楽章目
(「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)が 、
「破」であるといえるだろう。
そして、
言葉の 速さが いきなり 早くなり、
激しく たたみかけるように 歌われる
第3楽章目(「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)が
「急」なのである。

この 3つの 楽章は、
楽曲的には すべて 8小節で、
長さは 全く 同じである。
よって、
その 同じ 8小節の うちに
どれだけの言端ことば
詰め込まれているかを 調べるならば すなわち ここに、
3つ目の 「急」の 楽章には
いかに 多くの 言端ことばが 詰め込まれ、
言い換えると、
「急」いで、
言葉を たたみかけるように
激しく 歌わなければならないかが
よく 分かる。
この歌は すべて 平仮名に よって 書かれているので
音節数(声の 拍数)が 数えやすい。
「序」である
第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)の
音節数は 40個(よそぢ)だ。
「破」である 第2楽章目
(「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)の
音節数は 42個(よそぢ あまり ふたつ)である。
そして、
「急」である 第3楽章目
(「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)には、
「序」や 「破」と 同じ 8小節の うちに、
実に 53個(いそぢ あまり みっつ)もの 音節が
詰め込まれている
(「しゃ」・「じゅ」・「ちゃ」は
 1音節として 数える)。
そうなると まことに 当たり前の 事として、
ここの ところを 歌うときの 言葉の 速さは
どうしても 速くならざるをえない。

そして この 歌の 1番だけではなく、
2番も また、
「序破急」の かたちに 組み立てられている。
すなわち、
真っすぐで かつ 素直な 調べが 奏でられる、
「とぼ・とぼ かえったみちも~
 きら・きら ひかってる」のところが これ、
「序」である。
しっとりと 細やかな 調べに 変わる、
「きみの すきなことば さがしにいこう~
 てとて それ ぴったんこ さあしゅっぱつだ」
のところが これ、
「破」である。
そして、
言葉の 速さが いきなり 早くなり、
激しく たたみかけるように 歌われる、
「すべって ころんで べそかいても~
 まえを むいて ごーごごーさ」のところが これ、
「急」なのである。

こうして 見てきた 通り、
この 『じゅもんをあげるよ』という 歌は、
歌詞においては
「起承転結」、
曲においては
「序破急」という、
東洋とうようにおいて いにしえから 長く 伝えられてきた
伝統的でんとうてきな 巧みの 技を
見事に 用いて 作られているのだ。



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by imadegawatuusin | 2016-05-08 11:22