『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その8)

■聖書は、地球は丸く無の中に浮かぶと教えているか
この本の21ページでは、
聖書には地球の形やあり方についてどのような記述がなされているかが
解説されている。
そこには、

地球の形について間違った見方がされていた時代に,
聖書は,
地の円,つまり丸いものという表現を用いました。


として、
イザヤ書40章22節を参照するよう書かれている。
しかし、少なくとも僕の持っている「新共同訳」の聖書では、
イザヤ書40章22節には次のような記述しかない。

主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。
地に住む者は虫けらに等しい。
主は天をベールのように広げ、天幕のように張り
その上に御座を置かれる。


少なくとも「新共同訳」の翻訳からは、
地球が丸いということを示す表現を見出すことはできない。
それどころか、
「地を覆う大空の上」に「天をベールのように広げ、天幕のように張り
その上に御座を置」くという表現からは、
むしろ地を平たいものとして捉えているのではないかという印象すら
受けるくらいだ。

また本書21ページには、

地は『無の上に掛かっている』という,
事実に合致した描写もあります。(ヨブ26:7)


とも書いてある。
確かに、
地が『無の上に掛かっている』というヨブ記26章7節の記述は
事実に合致してはいる。
だが、これはヨブという男が神様に対して不満を募らせ、
暴言を吐いた際に出てきた発言の一節なのだ。
ヨブは同じ26章の中で神に対して、
「どんな助けを力のないものに与え
 どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。
 どんな忠告を知恵のない者に与え
 どんな策を多くの人に授けたというのか。
 誰の言葉を取り次いで語っているのか」
と、放言の限りを尽くしている(ヨブ26章2~4節)。

こうしたヨブの発言に対して神は、
「これは何者か。
 知識もないのに、言葉を重ねて
 神の経綸を暗くするとは」と とがめだてている(ヨブ38章2節)。
そしてヨブも最終的には、
自分には知識がないということを認め、
自分の発言が
自分には「理解できず、……知識を超えた
驚くべき御業をあげつらって」いたものにすぎなかったと
反省している(ヨブ42章3~4節)。

地が『無の上に掛かっている』というヨブの発言は、要するに
自分でもよくわかっていないことを口走ったものに
すぎなかったのである〔注1〕。
こうした、神様にとがめられた発言の一節を根拠にして、
聖書には「地は『無の上に掛かっている』という,
事実に合致した描写もあ」るなどと主張するのは、
公正さを欠くやり方であると僕は思う。

〔注1〕なお、このヨブの主張に対する神様の反論の中には、
「大地の縁(へり)をつかんで
 神に逆らう者どもを地上から払い落と」すなどという表現が見られる(ヨブ38章13節)。

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by imadegawatuusin | 2006-07-15 11:34 | キリスト教