増田真樹『超簡単!ブログ入門』について

――1人1人が情報発信の主人公に――

■電子メールを送る感覚で始められる情報発信
ブログは、
「電子メールを送る感覚で始められる」、
非常に手軽な情報発信の手段である(増田真樹『超簡単!ブログ入門』22ページ)。

これまでは、
インターネット上でホームページを開設・運営するためには、
独特のコンピューター言語を習得してそれを使いこなさなければならず、
多大な知識と労力とを必要とした。
しかしブログは、
そのシステムの中にあらかじめプログラムが組み込まれており、
開設・運営するために特別の知識を必要としない。
あたかも電子メールを送る感覚で、
あるいはインターネット上の電子掲示板に書き込みをしていく感覚で、
誰もが手軽に情報を発信してゆくことができる。

ブログの登場により、
コンピューターに関する特別な技能を持った一部の人々だけでなく、
誰もが情報発信の主人公となれる時代がやってきた。
他人が管理する掲示板に書き込みをしたり、
インターネットサイトに投稿したりするだけでなく、
自らインターネットサイトの運営者となり、
その思想を広く社会に直接発信してゆくことが可能となったのである。

■「情報を出す側の立場」で見てみると……
一人一人が情報発信の主人公となれるようになったとき、
人はどう変わることができるのだろうか。
一つ確実に言えることは、一人一人が、
「新聞を読むのも、
 テレビを見るのも、
 情報を出す側の立場で
 内容を見ることができるようにな」るだろうということだ(本書28ページ)。

みんながブログをやれば、
情報を見る目が育ち、
社会は変わるんじゃないかな。
特に
誤解や偏見は減るような気がします


と、本書28ページで「あるブロガー」は語っている。

■「他者」を意識することで文章はより磨かれる
だがブログは、
単に一方的に情報を発信するだけのシステムではない。
ブログには、一つ一つの記事に対して、
読者からの「コメント」欄と
「トラックバック」欄とが設けられている。

自分の書いた記事に対して読者の反応が跳ね返ってくることで、
情報発信者は「自分の記事に読者がいるということを認識する」(本書30ページ)。
自分の書いているものは
単なる独り言ではなく、
性格も思想も生育環境も、
自分とはまったく異なる「他者」の目に触れる「記事」なのだということを
感じることができる。

そうした「他者」にどうすれば、
自分の思いや考えを正確に伝えることができるのか。
それを意識するところから、
よい文章は生まれてくる。
文章構成から言葉の選び方一つ一つに至るまで、
より情を尽くし理を尽くし、
少しでも「伝わる」文章を書けるようになりたいと志す者にとって、
ブログは格好の「修行道場」となるだろう。

ブログにおける情報発信は
「言いっぱなし」では終わらない。
情報発信者は時に、
読者からの指摘を受ける立場ともなる。
本書では、
「普段は思っていなかったことや、
 気づいていないことを指摘されることから、
 大いに身になる」とされている(本書29ページ)。
だからこそブログは、
「人が何かを考えるとき、
 新しい観点を与えてくれる」のである(本書26ページ)。

■責任ある言論を育む「トラックバック」システム
特に画期的なのは、
「トラックバック」システムであろう。

「トラックバックは、
 ブログの記事同士をつなげる機能」である(本書38ページ)。
これによってブロガー(筆者注:=ブログで情報発信をする人)は、
「自分のブログの記事を、
 相手の記事に自動でリンクすることができ」る(本書38ページ)。

簡単に言えば、
誰かのブログの記事に対して何か意見があるときは、
自分のブログにそれを書いて相手に送るというわけだ。

この機能の素晴らしいところは、
自分の意見は「自分のブログ」に書かなければならないという点である。
当たり前のことのように聞こえるかもしれない。
だが、
これまでのインターネットの世界ではそうではなかった。

これまでは、
インターネット上にある何らかの記事に対して「物申す」ときは、
そのサイトに設けられている電子掲示板に書き込むか、
電子メールを利用するのが通例だった。
だが電子メールや掲示板は、
自らの姿を隠しながら相手に一方的にメッセージを送りつけることが可能な、
いわゆる「匿名言論」である。
その場その場でペンネームを使い分け、
あるときはAと言いながら別の場ではBと言うような無責任言論の横行が
社会問題となってきた。

だが、
ブログの「トラックバック」システムでは、
相手の記事に「物申す」には
自分のホームページに書かなくてはならない。
こうなると人は、
なかなか無責任なことは言えなくなってくるものである。
ある人に対してはAと言い、
別のある人に対してはBと言っているようなホームページを
誰が信用するだろうか。

「トラックバックでは
 自分の居場所を示してから意見を述べるので、
 むやみに荒れる心配が無」い(本書40ページ)。
安心して自らの主張を展開し、
また読者の主張に耳を傾け、
自らの思想を練り上げることが可能である。
ブログには、
「誰もがフェアにコミュニケーションできる土壌が」存在するのだ(本書41ページ)。

■コミュニケーションは「キャッチボール」
こうしたコミュニケーションを、
本書では「キャッチボール」に例えている。

うまくボールを投げるには、
足腰をしっかりさせないといけません。
受け取るときも定位置に構える必要があります。
ネット上でコミュニケーションをするのもまったく同じです。(本書49ページ)


ここで言う「足腰をしっかりさせ」るとは、
自らの立ち位置をはっきりさせるということである。
そして「受け取るとき」に「定位置に構える」とは、
相手の立場や思想といった「立ち位置」を把握し、
そうしたものへの理解の上に立って対話を始めるということである。

本書にもある通り、
「匿名掲示板は立ち位置が極めて曖昧」である(本書49ページ)。
だがブログでは、
発信された一つ一つの記事が「自分の場所に蓄積されていき、
自分自身の『顔』を」形成してゆく(本書55ページ)。
毎日毎日の記事が積み重ねられたブログは、
型の決まりきったありきたりの「自己紹介文」などより、
はるかにその人のありようを浮き彫りにしてゆくだろう。

ブログの「トラックバック」方式は、
お互いの立ち位置をはっきりさせた者同士が対話することになるので、
正に健全な「言論のキャッチボール」が行なわれやすい環境となっている。

■雑談は「発見の原石」
とはいえ、
いきなりブログを始めてみようと誘われても、
戸惑う人の方が多いかもしれない。
「自分は特別何かの専門家というわけではないし、
 人に伝える価値のある知識や見識など何も持っていない」と。

しかしそんな人も、
知り合いや職場の人と寄り集まれば雑談をする。
そして本書は、
そうした「雑談の中に、
……アイディアやヒントの宝の山がある」と教えている。

僕たち庶民が何気なく交わしている雑談は、
その場その場で言い流され、聞き流されて、
きちんと後に残らない。
しかしそうした雑談の中に、
実は「アイディアやヒントの宝の山」が隠されているのだとすれば、
それは非常にもったいない話である。

雑談はいわば「発見の原石」なのだ。
それ自体としては一見価値のない、
「ただのおしゃべり」に見えたとしても、
磨いてみればとてつもない、
価値ある情報が潜んでいるということがある。

ちょっとした思い付きやふと心によぎったこと、
その日あったことを書きとめていくだけでもいい。
本書では、
「頭の中にあることをブログに固着させるようなイメージ」で、
「気がついたことや考えたことを、
 どんどん入力してい」くとある(本書27ページ)。
そしてこれを、
「自分だけのデータベースを作っているような感覚」と評している(本書27ページ)。

だが、ブログを通じた情報発信は
「自分だけ」では終わらない。
自分が入力した情報は全世界に向かって発信され、
また未来永劫子々孫々に至るまで、
世代を越えて劣化することなく受け継がれてゆく。

そのなかで、
いつかどこかで自分の入力したその情報が
誰かの役にたつかもしれない。
そんな希望が湧いてくる。

■「個人文書館」のすすめ
そんなものは夢物語だと笑う人もいるかもしれない。
だが、
何ということのない「個人の日記」が、
後世、意外な役に立つということは実際にある。
我が国では例えば「公家の日記」などである。

三条西実隆の日記とか、
山科言国、言継の日記などが有名であるが、
いずれも宮廷における所管業務のことをはじめ、
さまざまな事件、経験をこくめいにしるした記録である。
また、
たとえば御湯殿上日記というようなものもある。
宮廷の台所日記で、
天皇の側近の女官が、
つぎつぎとかきついできたものである。
こういう日記は、
具体的な事実の記録であるから、
きわめて史料価値がたかい。(梅棹忠夫『知的生産の技術』164ページ)


ここでは例として「宮廷の記録」を挙げているが、
このことは決して「高貴な御方々」だけの話ではない。
例えば会社での日々の業務についての話であっても、
その会社の人々にとっては後に重要な資料となりうるし、
一家の主婦の記録でも、
その家の人々・子孫にとっては後世 重要な資料となりうる。

「ヨーロッパには、どの国にも、
 むかしからアルキーフ(文書館)という施設が発達していて、
 さまざまな記録を、
 じつにこくめいに保存しているということである。
 ……
 知的生産にたずさわろうとするものは、
 わかいうちから、
 自家用文書館の建設を心がけるべきである」と、
前掲書・『知的生産の技術』の著者・梅棹忠夫さんは述べている(前掲書175ページ)。
ブログはその、
個人文書館を築き上げるための、
格好のツールとなるであろう。

■「意外な一面」を披露しよう
人間は必ず、
さまざまな側面を持って生きている。
そして私たちは、
おおむね、その人の一面としか接することができない。
会社の部下はAさんの上司としての一面しか知ることがないし、
学校の生徒はBさんの教師としての一面しか知ることはできない。
だがこれは、
ちょっともったいなくはないだろうか。

ブログは、「何を書いてもOK」である。
仕事の話、趣味の話、
政治の話、経済の話、
どんな話題について書いてもいい。
だからこそブログは、
「ブロガーその人を、まるごと伝えることができる」(本書71ページ)。
「どんなことを考え、
 どんなことをやってきたか……
 過去、そして現在、未来を通じて、
 ブロガーの人格やその生き様すべてを伝えるのがブログ」なのである(本書72ページ)。

これは僕たち庶民だけでなく、
何らかの道を極めた著名人についても言える。
著名人は、
「その道」については専門家であり、
発言権もある。
「その道」について何か言いたいことがあれば、
新聞なり雑誌なりテレビなり、
いくらでも「発言の場」はあるだろう。
だがそれは、
あくまで「その道」に関しての話である。

ある道の専門家も、
それ以外の分野については門外漢だ。
しかし、
例えば現実の教育評論家は、
年がら年中 教育問題についてだけ考えているわけではない。
時には若いころに熱中したロックミュージックについて
熱く語りたいときもあるだろう。
ワインについてうなりたいこともあるだろう。
だが、
そうした分野における発言権をその人はおそらく持ってはいない。
大方飲み屋で一杯やるついでに知り合いに向かって語るくらいが
関の山である。

だが、
ブログでなら、
いかなるジャンルの話題であろうと、
一切の制限なく、
思いや考えを披露することができる。

読者にとっても、
これは自らの世界を広げるきっかけをつかむことになる。
例えばその教育評論家のファンがブログを読んで、
新たにロックミュージックの世界の素晴らしさに目覚めるかもしれない。
ブログは読者を、
新しい世界へといざなう案内板となるかもしれないのである。

■実際にブログを始めてみよう
本書の第2章は、
実際にブログを始めるにあたっての具体的なアドバイスである。
といっても、
それほど大層なことが書かれているわけではない。
なんとなればブログとは、
「特別な知識がなくても始められ、
 継続してゆけるもの」であるからだ。

ざっと紹介すれば、

●トラックバックで問題が起きることはまずないので、
 許可のままでよい(本書94ページ)。
●コメント欄が「荒れた」場合は、
 運営者としてコメント欄に
 「一時停止にさせていただきます」など一言添えた上で
 停止したり、表示を消したりする(本書94ページ)。
●まずは記事を充実させることを重視する。
 デザインや機能は、
 内容が充実してくると、
 次第にそれに適したものが見えてくる(本書96ページ)。
●トラックバックは、
 基本的に、
 記事中で相手のブログの記事について言及する場合に用いる(本書102~103ページ)。

といったところだろうか。

そして何より重要な指摘は、
ブログが人気を博するための秘訣が、
「休まず毎日続けること」だということであろう(本書105ページ)。

■「人格を伝え、信頼を得る」
近年、
インターネットを通じた取引が盛んである。
顔の見えないもの同士が
「金銭や商品のやり取りをする場合、
 人と人とをつなぐのはお互いの信頼」のみであるといえる(本書161ページ)。

そして、
「さまざまな方法で、自分を表現することができるブログは、
 インターネット上で信頼を獲得するために大きく役立」つと
本書は主張するのである(本書162ページ)。

なぜならブログには
「自分の意思を表明したり、
 気になった情報のメモを残したりするので、
 それらの積み重ねがその人の人格や情報を伝えるから」だ(本書162ページ)。

インターネット上で「人格を伝え、信頼を得る」手段として、
ブログは非常に有用である(123ページ)。
特にインターネットを通じた営利活動を行なう人には、
この上ない「自己紹介ツール」として機能するだろう。

■「アフィリエイト」への疑問……ひも付き記事はごめんだ!
さて、
本書を読んでいて少々疑問に思ったのが、
「アフィリエイト」という活動である。
本書ではこれは、
ブログで「収入を得る」手段として紹介されている。

要するに、
ブログの記事の中で何らかの商品を紹介し、
それを通じて消費者がその商品を買えば、
ブログの筆者が会社から、
その収益の何パーセントかのいわば「紹介料」を
受け取るというものである。

ものを書いて収入が得られるのは
一見うれしいことのように見える。
しかし世間では、
一般的に こういうものを「ちょうちん記事」と呼ぶのではないだろうか。
(少なくとも僕にはそうとしか見えない)。

本当によい商品があるのであれば、
ケチケチせずにタダで紹介すればいいではないか。
商品を紹介するたびに金をもらうというようなことをやっていると、
読者から見れば、
本当にその商品がよくて紹介しているのか、
それともお金が欲しくて紹介しているのかわからなくなる。
こうなれば、
一時は会社からお金をもらって儲かったように見えたとしても、
筆者はインターネット上で何よりも大切な財産である「信頼」を
失ってしまうことになる。
少なくとも、
オピニオンリーダーを志す者のやることではないように僕には思える。

確かに「一流」とされる新聞や雑誌にも
広告が載っているのは事実である。
だが、新聞や雑誌では、
「記事」と「広告」とは厳然として分けられている。
(時には紛らわしいものもなくはないが、
 広告のページにはきちんと「広告」と銘打たれ、
 記事とは区別されている)。
本物の記事の中に広告が紛れ込んでいたりすれば、
それは詐欺というものである。

しかし「アフィリエイト」システムでは、
企業から金をもらっている記事とそうでない記事とが、
同じブログの中にまったく対等の形で混在することになる。
ブログの記者が、
あたかも記事のような形式で書いた広告。
もし新聞や雑誌でこんなことをやれば、
大問題になるだろう。

僕は断じて「アフィリエイト」というような制度は利用しない。
企業から金をもらって商品の紹介をしたりはしないし、
ちょうちん記事を書くことも断固として拒否する。

僕は、
「もっとも『正直なウェブサイト』」であるブログでこそ(本書71ページ)、
よいものは はっきりよいと言い、
悪いものは はっきり悪いと言っていきたい。

特定企業・大企業のひも付きではない、
真に自由な言論空間をこのブログから築き上げてゆくつもりである。
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by imadegawatuusin | 2006-08-05 19:43 | その他