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鈴木先生と私

中学生の時に、
僕は初めて鈴木先生に出会いました。
学校の図書室で、
筑紫哲也さんの対談集を読んでいたときのことです。

僕は、
父が日教組地方支部の専従役員をやっていたりしたせいか、
小さい頃から少し左がかった人間でした。
もちろん、
「左がかった」といっても、
とりたててマルクスとかレーニンとかの考えを
持っていたわけではありません。
「筑紫哲也が大好きで右翼が嫌いな子供だった」
くらいのことだと考えてください。
 
まあそんなわけで
筑紫哲也の対談集なんてものを読んでおりましたところ、
その対談相手の一人が鈴木先生だったのです。
読後の第一印象は……、
はっきり言って「最悪」でした。
今から考えると何でこんなに腹が立ったのか分からないくらいに
とにかく腹が立ちました。
多分、
「右翼」という先入観を持って読んでしまったというのも理由の一つだと思うのですが、
やたらと高圧的・独善的・暴力的な人間に見えたのです。

たとえば、鈴木先生はこんなことを言っています。

天皇を批判する人間に度胸がない、と。
もし、本当に思想に命をかけるというのならば、
殺されたっていいじゃないですか。
それくらいの覚悟でやるべきですよ。
こっちだってその覚悟でやってるんですから。


読んだ後、
しばらく言葉も出ませんでした。
唖然とした、というか……
(今読めば、それほどひどい発言とも思わないのですが)。
当時の僕は、
確かこんなことを考えていたと思います。

「殺されたっていいじゃないですか」って……、
「いい」訳無いやないか! 
お前ら右翼が天皇制に命を懸けるんは勝手やけれども、
何で『たかが』天皇制を批判するのに命まで懸けなアカンねん。
そんな事せんでもこんな訳分からん制度、
そのうち潰れるに決まってる。
まあ、お茶の家元制とか、
歌舞伎の襲名制みたいな感じで民間の制度としては
残っていくかもしらへんけどな。

今から考えれば、
ずいぶん皇室制度を甘く見ていたことが分かります。
「『たかが』天皇制」は「そのうち潰れる」と
本気で信じていたのですから。
そのくせ自分は「護憲派」だと思っていたのですから、
相当いい加減な人間だったということが分かりますね
(結局、
 僕が改憲派に転向したのは皇室制度が原因ではなく、
 同性愛者に対する結婚差別規定=憲法第24条
 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」を改正しなければ、
 真の意味での同性愛者解放はありえないと考えたことがきっかけでした)。

その後、
「現代用語の基礎知識」や「知恵蔵」で左翼の項を見るのが大好きだった僕は
(中核派はヘルメットが白で機関紙は『前進』……ってなことを
 小学生のころから暗記して、
 メーデーでその党派を見つけては大喜びするような変な子供でした)、
少し手を広げて右翼の項も読んでみました。
それによると、
「鈴木邦男」氏は「野村秋介」氏と並ぶ新右翼の代表的指導者である、
ということでした。
そして中でも「鈴木邦男」氏は、
新右翼を代表する理論家であるということです。
それを読んだ結果、
「野村秋介」氏は「右翼の宮本顕治みたいなもん」で、
「鈴木邦男」氏は「右翼の黒田寛一みたいなもん」だと
僕の頭にはインプットされてしまいました。
こうして、
「鈴木邦男」=「怖くて厳しく頭が固い」というイメージは
ますます補強されたのです。

ところが、
そんな印象があっさり粉砕されてしまったのが、
例の「朝日新聞インタビュー事件」でのことでした。
もちろん、
これが「事件」になっていたことを知ったのはずいぶん後のことなのですが……。

たしか、
鈴木先生の前日には、
沖縄反戦地主の知花昌一さんがこのコーナーに登場していたと思います。
そのインタビューがとてもおもしろかったので、
「このシリーズは今後も逃さず読むことにしよう」と
僕は決意したのです。
ところが、
翌日登場したのはあの恐ろしい右翼・「鈴木邦男」氏ではありませんか! 
最初は怖かったのですが、
一応『読んでやる』ことにいたしました。

で、結局、
むちゃくちゃおもしろかったのです。
いわゆる「朝日新聞インタビュー事件」で問題となったのは、
「国旗が『赤旗』になって、
 国歌が『インターナショナル』になるなら、
 それでもいい」という鈴木先生の発言だったそうですが、
僕はその部分よりむしろ、
「国の歌や旗なんだから、
 少なくとも国家を代表する大会や集会だけで使えばいいんです」・
「それ(筆者注―日の丸・君が代)に代わる、
 みんなが尊敬できる歌や旗とかいっても、
 その歌や旗のもとに一致団結したら危ない」・
「日本の歴史で国旗や国歌が出てきてまだ百数十年。
 明治維新で西欧の影響を受けてからです。
 『極右』の人なら、
 西欧をまねて作った国歌や国旗なんて捨てて
 『本来の日本に戻れ』と主張してもいい」
などといった部分に心ひかれる思いがしたのです。

僕の思っていたような「右翼」とは、
少し違うのかもしれない。
たとえ思想が違っても、
この人となら何かが共有できるのではないか……。
そう思い始めた僕は、
その後本屋で鈴木先生の本を立ち読みし、
買いあさり、
掲示板にまで書き込みをはじめ……、
そして現在に至っているというわけです。

鈴木先生の御本を読むようになって、
一番の収穫だなと思っていることは、
右系(保守系・右翼系・民族派系を問わず)の人の書いた文章を
冷静に読めるようになったということです。
それまでは、
そうした文章を読むときには、
「こいつは右翼だ、反動だ。
 きっと裏から金をもらって嘘八百を並べ立て、
 善良な市民をだまくらかそうとしているに違いない」という心構え(?)が先にあって、
とても冷静に読めたものではありませんでした。
けれど鈴木先生の御本を読んでからは、
「ウソや間違いもあるかもしれないけれど、
 この人にはこの人なりの信念があって頑張ってるんだ」という
穏やかな気持ちで幅広く文章を読むことができるようになったのです。
「右も左も宗教も、
 やり方は違っても『よりよい世界』を目指して
 頑張っている」という当たり前の事実に、
ようやく気づくことができたのです。

最後に、鈴木先生の御本に触れて作った短歌を置いておきます。

●外ゲバはないんだ 左右の「外ゲバ」は政治おたくの内ゲバなんだ


『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.1より転載)

by imadegawatuusin | 2002-08-16 05:14 | 政治
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