2人の「左翼」が僕を改憲論者に転向させた

『憲法は9条から始めればよい』。
そう主張したのは、
あの辻元清美前議員であった。
辻本前議員のこの文章を読んだとき、
僕は正直 かなりの衝撃を受けた。
つまり彼女は「憲法改正」を主張しているのだ。
「改憲論者」なのだ。

当時の僕は「護憲派」だった。
日本国憲法は理想の憲法だと信じていた。
それなのに、
「平和主義者」であるはずの彼女が
どうしてこんなことを言うのか。
こんなことを言うと、
右翼の改憲論者どもを利するだけではないか……。
そう思った。

しかし当時、
僕は反天皇論者だった。
天皇制は打倒されなければならないと考えていた。
そして、
あと10年もすれば
おそらく天皇制は潰れるだろうと
(何の根拠もなく)かなり虫のいい期待を抱いていた。

冷静に考えれば奇妙な話だ。
天皇制をつぶすには、
その法的根拠である日本国憲法を叩き潰さない限り
どうにもならない。
少し考えればすぐにわかる話である。
しかし当時の僕の心の中では、
「護憲論」と「反天皇論」とが
何の矛盾もなく同居していた。

そんなときに、
辻元前議員の
『憲法は9条から始めればよい』という意見を読んだのだ。
はっきり言って、
僕の心の平穏がぶち壊された思いがした。
僕の心の中にごく当たり前に共存してきた「護憲論」と「反天皇論」とが、
急に相容れないものに見えてきた。
「護憲論者・酒井徹」と「反天皇論者・酒井徹」とが
僕の右手と左手に縄をくくりつけ、
それぞれその両端を引き合って綱引きをしているような
妄想を見た。
本当に、
僕が2つに引き裂かれるような思いがした。

このままでは、
僕の心の健康が危うい。
こんなケシカラン意見は
なんとしてでも論破しなければならない。
僕はそう決意した。
頭の中で何度も僕は、
「辻元改憲案」を攻撃した。
何度も何度も攻撃を挑んだ。
しかし、
ついに勝利することはできなかった。
僕はついに、
「護憲論」と「反天皇論」を、
自分が納得いくように心の中で両立させることが
できないことに気付いてしまったのだ。

気付いてはいけないことに気付いてしまった……。
当時の僕はそう思った。
だって、
このことに気付いてしまった以上、
僕は「護憲論者」か「反天皇論者」かのどちらかを
やめなければならない。
僕には、
「護憲論者としての誇り」があった。
「反天皇論者としての誇り」もあった。
どちらも、
絶対に譲れない僕の思想だと信じていた。
「ガキのくせに何をえらそうな」と思われるかもしれないし、
事実いま僕も自分で書いておきながら
そう思ったりしているのだが、
当時の僕にしてみれば、
「護憲論」も「反天皇論」も
僕の大事な「拠り所」だと思っていたのだ。
そして、
僕が「左の人間」であることの一種の「証明書」だとも思っていた。
そのどちらかを、
僕は捨てなければならない……。

それもこれも、
辻元清美が余計なことを書くからだ。
こんな本、
読まなければよかったのだ。
そうとも。
読まなかったことにしてしまおう!

こうして僕は、
自分の出した結論に
「気付かなかったふりをする」ことにした。
このことについては、
今後一切考えないことにした。
思い出しそうになったら目をそらすことにした。

こうした態度を僕はかなり長い間続けていた。
僕が改憲論者に転向したのは、
つい最近のことである。

そのきっかけとなったのは、
鈴木先生の『闘う日本語』という本を読んだときのことだ。
この本に収録されている
「愛欲戦争の最前線レポート」という文章の中で
鈴木先生は、
『遠藤誠の知らなきゃ損する男と女の法律相談』(21世紀書院)
という本の書評をやっている。
その書評の中に、
こんな部分があったのだ。

この本で一番面白かったのは
「男と男、女と女の結婚は可能か」とあるところ。
ある日、
オカマの東郷健が主催する
月刊誌『ザ・ゲイ』の記者の取材を受けたそうだ。
その記者に開口一番
「男と男、女と女が結婚してはならないという規定は、
 何という法律の何条に書いてあるのですか?」と聞かれ
ハテと返事に窮したらしい。
……(中略)……
ズバリ「同姓は結婚しちゃいけない」と書いてる条文はないが
憲法第二十四条には
「婚姻は、
 両性の合意のみに基づいて成立し、
 夫婦が同等の権利を有することを……」と書いてある。
この両性、夫婦はどうみても男と女だろう。
他に民法にもそういうふうな表現がある。


「理想の憲法」であると信じてきた日本国憲法が、
実は同性愛者を差別している……。
この事実を知って僕は愕然とした。
僕は、
民法とその周辺の諸法さえ改正すれば、
同性結婚の実現は可能であると信じていた。
事実、
月刊『創』2001年10月の投書欄に載せていただいた
「同性愛結婚の承認を」という投書のなかで僕は、
このようなことを書いていたのだ。

我が国では数年前から民法改正が議論されているが、
議論の対象に「同性愛結婚の法的承認」を
ぜひとも加えていただきたい。


民法とその関係の諸法さえ改正すれば
同性結婚は可能であると、
当時の僕(といっても、つい1年ほど前の僕だけれど)は
固く信じこんでいた。
けれど、それは違うのだ。
日本国憲法自身が明白に
同性結婚を禁止している。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するということは当然、
同性間の合意によっては成立しないということだ。
国の最高法規である憲法が禁止している以上、
いくら民法を改正しても、
同性結婚は実現しない。
憲法に反する法律はすべて無効であるからだ。

どうしてこんな当たり前のことに
今まで気付かなかったのだろう。
僕は、
この憲法第24条を知らなかったわけではない。
それまでも何度も読んできたはずだ。
けれど、
この条文の差別性に
僕は全く気づくことができなかった。
それどころか僕は、
この憲法第24条を
「性差別から人々を解放する条文である」とまで思っていたのだ。

もちろん、
おそらくこの条文を書いた人も、
同性愛者を差別しようと思ってこんな文章を書いたわけではないだろう。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するというのも、
「結婚に関しては本人たちの合意が大切であって、
 親が勝手に本人たちの意思を無視して
 無理やり結婚させたりしてはいけない」
という意味だったのだと思う。
この条文は、
おそらく「善意」で書かれたものであったと
僕は信じたい。
当時としては画期的な条文であったとは思うのだ。

けれど、
たとえ「善意」で書かれていたとしても、
たとえ同性愛者を差別する意図はなかったのだとしても、
この条文が明らかに同性同士の結婚を禁止していることには
変わりはない。
僕は絶対にこのような差別的な条文を
認めるわけにはいかない。

こうして僕は改憲論者となった。
言ってみれば、
辻元清美前議員と遠藤誠弁護士という
二人の「左翼」が僕を改憲論者に転向させたのだ。

いったん日本国憲法に疑問を持ち始めると、
他にも問題点が目に付いてくる。
たとえば憲法第96条。
この条文がある限り、
日本国憲法は「押し付け憲法」だと言われても仕方がないと思う。
ここで「押し付け憲法」と言ったのは、
「アメリカをはじめとする戦勝国に憲法を押し付けられた」
という意味ではない。
もちろんそういう面があったことも否定はしないが、
それ以上に、
55年前の人たちが現代を生きる僕たちに
憲法を「押し付けている」のではないかと思うのだ。
僕は、
法律とか憲法というものは、
「その時代を生きる人」の過半数の意思によって
成立すべきものであると思う。
ところが、憲法第96条によると、
憲法を改正するには
「各議員の総議員の3分の2以上の賛成で、
 国会が、これを発議」しなければならないことになっている。
つまり、
現代の人間の66%がおかしいと思っている条項であっても、
残り34パーセントが反対すれば
改正は不可能となってしまうのだ。
(もちろん、
 現在の小選挙区制中心の選挙制度では
 必ずしも議会の成員割合が
 民意を正確に反映しているわけではないのだが)。
これはやはりおかしいと思う。
憲法にしても法律にしても、
「その時代を生きる人間の過半数」によって
改正されるべきである。

まとめて見ると、僕の改憲論は次のようなものとなる。

1.憲法に出てくる「天皇」または「皇室」という言葉を
  「大統領」という言葉に置き換え、
  憲法第2条を
  「大統領は、
   国会の議決した大統領選挙法に基づいて
   国民投票により選出される。」と改正する。
  また、
  憲法第88条(皇室財産と費用)を削除する。
2.憲法第24条第1項を
  「婚姻は、両者の合意のみに基づいて成立し、
   両者が同等の権利を有することを基本として、
   相互の協力により維持されなければならない。」
  と改正する。
3.憲法第96条第1項を
  「この憲法の改正は、
   各議員の総議員の過半数の賛成で国会がこれを発議し、
   国民に提案してその承認を経なければならない。
   この承認には、
   特別の国民投票または国会の定める選挙の際行なわれる投票において、
   その過半数の賛成を必要とする。」と改正する。
4.旧仮名は新仮名に改め、
  送り仮名もわかりやすいものとする。
  (例:「行う」→「行なう」 「基く」→「基づく」)。
5.参議院が成立していないことを前提とする
  第100条第2項から第102条までは削除する。

細かく見ていけば
他にも改正の必要なところはあるかもしれないが、
とりあえず今考えているのはこんなところだ。
僕たち「左の人間」も、
「憲法を守れ」と言っているだけでは
どんどん「保守派」・「守旧派」になってしまう。
僕の改正案には、
おそらくほとんどの左翼の人たちは
賛成してくれるのではないだろうか。
スローガン的に「憲法を守れ」と言っているだけでは
政治は何も変わらない。
これからは左の勢力こそが、
より民主的・より人権的・より平和的な憲法を創り出すために
闘っていかなければならないのではないかと思うのだ。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.13より転載)


【参考記事】
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左からの改憲提言はタブーか
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「九条の会」で雨宮処凛さんと対談
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by imadegawatuusin | 2002-11-18 20:00 | 政治