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笹島診療所:「雨宮処凜トークライブ」に参加

――「生きさせろ!貧困社会を生き抜く」――

■雨宮処凜が僕のことを話してる!?
びっくりした。
『生きさせろ!』でブレイクした
作家の雨宮処凜が僕のことを話している。

トヨタの工場に派遣され、
数ヶ月後に突然雇止めになり、
仕事と住む場所を両方一気に失って路上に放り出され、
行く場所もお金もなく、
ついにはホームレスになってしまった若者のことを
話している。
これは僕のことではないか!

どうして雨宮処凜が僕のことを知っているのだ。
確かに右翼時代の彼女に一度だけ会ったことがあるけど、
(「見沢知廉さんにあこがれてきたんです」と、
 新右翼団体・一水会の集会に来て言っていた。
 こういう「文学少女」が今は右翼になるんやなぁとか、
 色々考えさせられたけど)
それ以来、
別に接点はなかったはずだ。

それが何で!

……結論からいうと、
雨宮処凜は別に僕のことを話していたというわけではない。
名古屋の不安定労働者のあり方の一例として、
そうした話をしただけだ。
要するに、
こういう境遇にあっている若者は、
見えないだけで、
僕の他にもいくらでもいるということなのだろう。
それだけに、
実名を出し、住所・電話番号まで公開して
事のいきさつを公表している僕の責任は重大だ。

彼女も、
「それはいい。
 ちゃんと名前も出してやってれば、
 相手も変なことができないから」と励ましてくれた。
(でも、
 名前を出してやってるばっかりに、
 「変なこと」にばかり巻き込まれているような気がするぞ、最近)。

「やるんなら、
 名前も住所も電話番号も公表して堂々と!」
僕にそう教えてくれたのは、
新右翼団体・一水会の鈴木邦男さんだった。
実際、
鈴木さんはこれをやっている。
おかげで日ごろから迷惑電話に悩まされ、
自宅アパートが放火されても、
ポリシーを曲げずに住所・電話番号の公表を続けている。
偉いと思う。
(ついでに、
 そんな鈴木さんにアパートを貸し続けている
 みやま壮の大家さんも偉い。
 仕事を失った若者を、
 追い討ちをかけるように寮から追い出す派遣会社とは大違いだ)。

僕も雨宮処凜も、
言ってみれば鈴木邦男さんの弟子みたいなものだ。
それが、
どういうわけか(彼女の言うところの)
「インディーズ系労働運動」に関わって、
非正規雇用労働者問題のような
「左翼みたいな」運動にのめりこんでしまった。
鈴木さんに言わせれば、
僕らは不肖の弟子なのだろう。

鈴木さんはよく、
「日本赤軍の重信房子の父親は右翼だった。
 僕は彼にインタビューしたことがあるけど、
 『娘は国士だ。誇りに思う』と言っていた」と語っていた。
(重信房子をどう評価するかは置いといて)、
この国を良くするために頑張る人を「国士」というなら、
雨宮処凜は今でも国士だ。
僕もできれば、そうありたい。
主義主張は違っても、
重信房子がその父親をうならせたように、
僕らも「恩師」をうならせられるような運動を
やっていけたらきっとそれでいいのだと思う。

話を戻そう。
今回の雨宮処凜トークライブを企画したのは、
名古屋の「笹島診療所」という、
ホームレス支援の市民団体である。
雨宮かりんは、
いま、非正規雇用労働者とホームレスとの垣根が
限りなく低くなっているという。
その通りだ。
僕はそのことを、
いま身をもって体験している。

自分がこういう立場になるまで、
野宿者運動はどこか遠い世界の運動だという感覚が
抜けきらなかった。
けれど、今は違う。
不安定雇用労働者と野宿者との境界が、
本当に紙一重であることを知ってしまった。

雨宮処凜はだから、
貧困問題にかかわるあらゆる団体で
ネットワークを作ったと語った。
派遣会社を不当解雇され、
お金もなくし、行くあてもなく、
サラ金から金を借りて返済に行き詰まり、
おまけに体や心を壊してダウン寸前の人などは、
従来の労働組合のノウハウだけで救うことはできない。
(しかし、
 実際そういう人は少なからずいるのだ)。
だから、
貧困問題にかかわるあらゆる団体が横につながる。
労働組合はもちろん、
野宿者支援団体もサラ金対策の弁護士も、
こうした問題に関心を持つお医者さんも一堂に介して
問題に取り組む。

実際僕も、
日研総業との労働問題については労働組合にお世話になっているが、
ホームレス一時保護所に入所するにあたっては、
生活と健康を守る会のお世話になった。
雨宮処凜の言うところでは、
最近は「反貧困」でデモや抗議行動をやると
それだけで警察が逮捕しに来たりするそうである。
こうなったときは、
日本国民救援会のような反弾圧・冤罪支援の団体に
協力を求めることになるかもしれない。

しかし現状では、
こういった団体間に連携がない。
ノウハウも、
それぞれの団体にはそれぞれのノウハウはあっても、
総合的な力とならない。

よって、
たとえ重大な労働問題があっても、
「これ以上がんばったら路頭に迷ってしまう」
という段階になれば、
必然的に泣き寝入りせざるを得なくなる。

そうした意味で、
僕は今、
非常に貴重な体験をしている。
「路頭に迷ってもあきらめない」という、
きわめて画期的な労働運動に挑戦できていることを
僕は誇りに思わなければならない。

「路頭に迷っても闘える」、
「路頭に迷ってもあきらめない」という、
労働運動の新境地を切り開く闘いに
僕は挑戦しようとしているのだ。
だからこそ、
負けるわけにはいかない。
この闘いに勝利し、
この経験を、
今日もネットカフェやサラ金のATM、
パチンコ屋のトイレで寝泊りを強いられている不安定労働者たちに
伝えてゆかなければならないのだ。

トークショーの中で雨宮処凜は、
「プレカリアート」という言葉を強調した。
「不安定な」という意味を表すイタリア語と、
「労働者」を表す「プロレタリアート」をくっつけた
造語である。
なんでも、
21世紀になってから、
ヨーロッパのどこかの地下鉄の駅に落書きされていた
この「プレカリアート」という言葉が、
いま世界中に広がっているらしい。

雨宮処凜がいうには、
この言葉が画期的なのは、
今までの「ニート」だの「フリーター」だのといった言葉とは違い、
不安定な雇用状態に置かれている当事者自身が発し、
当事者自身が獲得した言葉だという点だ。

今や、
生きるもの、働くものの大半が、
不安定な雇用状態に置かれている。
非正規雇用労働者はもちろん、
正社員も実に簡単に「リストラ」されるご時世だし、
マクドナルドの店長なんかの労働状態も
ひどいものだ。
だから、
こうした労働者のあり方を一くくりに捉える概念として、
「プレカリアート」という言葉を使っていこう。
この言葉であれば、
正規と非正規の壁をあえて作る必要もなく、
全ての「プレカリアート」に団結を呼びかけることが可能になる、と。

でもちょっとまてよ。
21世紀になってからヨーロッパの駅で落書きの形で発見されたという
この「プレカリアート」という言葉だけれど、
実は我が名古屋ふれあいユニオンはすでに20世紀、
組合結成の際に、
そのものズバリ、
「不安定雇用労働者の拠り所」となることを宣言している。

雨宮処凜は名古屋ふれあいユニオンのような組合のことを、
連合などの正社員組合・「メジャー系労働組合」と比較して、
「インディーズ系労働組合」と命名した。
確かに世間一般的に見れば、
それは「インディーズ」かもしれない。
でも最近、
ごく局地的には、
かなりメジャーになりつつあるのでは……と
感じることもある。

先日、
名古屋ふれあいユニオンの組合員ではない日系ブラジル人から、
僕が名古屋ふれあいユニオンの運営委員だというと、
「『アサノ』サン シッテルヨ。
 シンブンデ ミタヨ。
 『マルコス』サンモ シッテルヨ。
 シンブンデ ミタヨ」
と言われたことがある。

彼らが「シンブン」と言っているのは、
日本で発行されている
ポルトガル語新聞『インターナショナル・プレス』のことだ。
『インターナショナル・プレス』に日本の正社員組合、
雨宮処凜のいうところの「メジャー系労働組合」の記事が出ることは
まずない。
この新聞でメジャーなのは、
名古屋ふれあいユニオンや隣のユニオンみえのような、
国籍にも、雇用形態にもかかわりなく、
誰でも一人から入れる個人加盟制の労働組合である。

僕たちは世界に先駆け、
すでに20世紀の時点において、
「不安定雇用労働者の拠り所」たることを誓って結成された
労働組合なのである。
いつまでもインディーズに甘んじることはない。
非正規雇用労働者はもちろん、
正社員も、末端の管理職までが
「プレカリアート」=不安定雇用労働者と化している今、
僕たちコミュニティユニオンに課せられた使命は重い。

雨宮処凜のトークライブに参加して、
僕は改めてそう思った。
by imadegawatuusin | 2007-11-25 16:40 | 労働運動
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