ソドムとソドミーと同性愛

先週の「裏主張」について12月10日、
求是さんから次のようなご意見を掲示板にていただきました。

今週の裏主張読みました。
主題とは関係ない、
末節的なことですが、
気になる点がありましたので一言。
酒井さんが、
ソドムの人たちが同性愛ゆえに滅ぼされたことを否定しているのか、
そもそも同性愛者であったこと自体を否定しているのか
迷うのですが、
少なくともソドムの人たちが同性愛者であったと
考えていいと思います。
『創世記』19章5節では、
ソドムの人たちがロトに
「今夜おまえのところにやって来た男たちは
 どこにいるのか。
 ここに連れ出せ。
 彼らをよく知りたいのだ」と
言っています(日本聖書刊行会版による)。
これだとよく意味は分かりませんが、
zondervan BIBLE publishers版聖書によりますと、
この部分は
「Where are the men who came to you tonight?
 Bring them out to us so that we can have sex with them」と
なっています。
つまり、
「知りたい」とは「セックスをしたい」という意味と考えて
いいでしょう。
ですから、
ソドムの人たちは同性愛者であったと考えられます。
ロトは男たちを守るために代わりとして
娘を差し出そうとしますが、
ソドムの人たちは娘には手を出しません。
しかし、
ソドムは「好色にふけり、
不自然な肉欲を追い求めたので、
永遠の火の刑罰を受けて、
みせしめにされて」(『ユダの手紙7節』)いるわけで、
同性愛が滅亡の原因の一つであったとも考えられます。
以上、どうでもいい末節的なことですが、
ご参考まで。


ご指摘ありがとうございます。
確かに前回の裏主張は、
「ソドミー」・「ソドミータ」といった言葉の由来について、
きちんとした説明もしないままに
「俗説」の一言で片付けてしまう
軽率なものでした。
読者のみなさまに深くお詫び申し上げます。

ただ、
ロトの家に押しかけたソドムの町の人々が
同性愛者であったとは
断定できないのではないかと僕は考えております。
また、
ソドムの町が同性愛を理由として滅ぼされたという説が
間違っているという僕の考えも
やはり変わることはありません。

今回は、
「ロトの家に押しかけたソドムの町の人々は
 本当に同性愛者だったのか」という問題と
「ソドムの町は本当に同性愛ゆえに滅ぼされたのか」という問題とを
前回より深く突っ込んで考えてみたいと思います。

(1)ロトの家に押しかけたソドムの町の人々は同性愛者だったのか。
求是さんによりますと、
日本聖書刊行会版の新改訳聖書では
「ここに連れ出せ。
 彼らをよく知りたいのだ」となっている部分が、
zondervan BIBLE publishers版聖書では
“Bring them out to us so that we can have sex with them”と
なっているということです。

こういうときは、
直接原典にあたってみるより他ありません。
『旧約聖書』の原典は古代ヘブライ語聖書です。
これを見ると、
それぞれの部分の原典は次の通りであったことがわかります。
ホツィエム エレーヌ ヴェネドゥアー オタム(ヘブライ語がワープロでは出ないので、カタカナで表記させていただきます)


逐語訳していきます。
「ホツィエム」とは、
主体が一人の男性であるときに使う、
「外へ出す」という意味の言葉の命令形と、
「ム」という、
語尾につける接尾語との複合語。
「エレーヌ」とは、
「~に」という意味の前置詞である「エル」と
「エーヌ」という接尾語との複合語。
「ヴェネドゥアー」とは、
「そして」という意味の接続詞である「ヴェ」と、
主体が「私たち」であるときに使う、
「知る」という意味の動詞「ヤダー」の願望形・「ネドゥアー」との
複合語。
そして「オタム」とは、
「~を」をという意味の前置詞である「オタ」と、
語尾に付ける接尾語である「ム」との複合語
……だそうです。

ですから、
直訳すると次のようになるかと思います。

おまえ(=ロト)は(来た連中を)外へ出せ。
私たちはそして(その者たち)を知りたい。


このように見ていきますと、
zondervan BIBLE publishers版聖書よりむしろ
日本聖書刊行会版新改訳聖書の方が
原典に忠実であることがわかります。
ただここで問題になるのが、
「知る」という意味の動詞である「ヤダー」という言葉は
単に「知る」というだけではなく、
「(肉体的に)知る」という意味で使われることも
あるのだということです。

この場合、
「彼らを外に連れ出せ。
 私たちはその者たちについてよく知りたい」
という意味にも取れますし、
「彼らを外に連れ出せ。
 私たちはその者たちとセックスがしたい」という意味にも
取れないわけではありません。

もし前者ならロトは、
自分の迎え入れた客人を
ソドムの人たちの尋問(と称するおそらくリンチ)から守るために
自分の娘を差し出そうとしたということになります。
もし後者なら、
自分の迎え入れた客人を強姦しようとする
ソドムの人たちの性欲を静めるために
自分の娘を差し出そうとしたことになるでしょう。
日本聖書刊行会版新改訳聖書と
zondervan BIBLE publishers版聖書との違いは
この点をめぐる解釈の違いなのです。

少なくとも、
聖書の他の箇所に、
この暴行未遂事件について
同性愛的性格があったと主張している記述はありません。
ですから僕は、
ロトの家に押しかけてきたソドムの町の人々が
同性愛者であったとは断定できないと思います。

(2)ソドムの町は同性愛ゆえに滅ぼされたのか
「ソドムの町は同性愛ゆえに滅んだ」という説を
僕は支持することはできません。
なぜならソドムの話は、
両者の合意に基づく一般的な同性愛行為について
書かれた話ではないからです。
この話は、
本来ならば大切に迎えて庇護しなければならなかった客人に対して
ソドムの人たちが集団暴行を働こうとした話なのです。

たしかに求是さんもご指摘の通り、
ロトの家に押しかけてきた男たちが同性愛者であり、
ロトに対して客人とセックスをさせろと迫っていたのだという説は
否定できないかもしれません。
しかし、
たとえそうだとしても、
それは「同性愛」というよりは
むしろ「強姦」の問題です。
相手が同性であろうが異性であろうが、
強姦が悪いことであることは言うまでもありません。
この話は、
合意の上で行なわれる
一般的な同性愛行為の是非については
何も言っていないのです。

ここで『ユダの手紙』を、
求是さんが引用なさったところより少し前の部分から
引用いたします。
(なお、
 前回僕は聖書の語句の引用に
 日本聖書協会版新共同訳聖書を使用いたしましたが、
 今回は求是さんのお使いになった
 日本聖書刊行会版新改訳聖書を
 使用させていただきます。
 ただし、
 『旧約聖書続編』(カトリックの第二聖典)につきましては、
 日本聖書協会版新共同訳聖書を
 使用させていただきます)。

主は、
自分の領域を守らず、
自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、
大いなる日のさばきのために、
永遠の束縛をもって、
暗やみの下に閉じ込められました。

また、
ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も
彼らと同じように、好色にふけり、
不自然な肉欲を追い求めたので、
永遠の火の刑罰を受けて、
みせしめにされています。(ユダの手紙6~7)


これをご覧になればおわかりいただけると思いますが、
「好色にふけり、
 不自然な肉欲を追い求めた」のは
ソドムだけではありません。
ゴモラや周辺の町々も
そうであったと書いてあるのです。
また、
これは非常に重要なことなのですが、
「好色」や「不自然な肉欲」とは
具体的にどのような行為を指しているのか、
ここには何も書かれていません。
もちろん、
それを同性愛と確定することもできません〔注1〕。

さて、
堕落した天使の例を持ち出している点でも
『ユダの手紙』と非常によく似ている
『ペテロの手紙 第二』では
次のように書かれています。

神は、
罪を犯した御使いたちを、
容赦せず、地獄に引き渡し、
さばきの時まで
暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

(中略)また、
ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、
以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。

また、
無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた
義人ロトを救い出されました。

というのは、
この義人は、
彼らの間に住んでいましたが、
不法な行ないを見聞きして、
日々その正しい心を痛めていたからです。(『ペテロの手紙 第二』2・4~8)


これを見れば、
ソドムの町の人々の退廃に、
ロトは(ある一時ではなく)継続的に悩まされていたことが
わかります。
ソドムだけではなく
ゴモラやその周辺の町々も
「好色にふけり、
 不自然な肉欲を追い求め」ていたのだという記述と総合しますと、
『ユダの手紙』で書かれている
「好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めた」というのは、
ソドムの町の男たちが
ロトの家に押しかけてきたその時のことを指しているとは
考えにくいことがわかります。
「好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めた」というのは、
神が調査のために天使を派遣するきっかけとなった
ソドムの住民全体の道徳的退廃の一例と見るのが
妥当ではないでしょうか。
そもそも神は、
ロトの事件の以前から、
すでにソドムを罰することを
考えていたのです(『創世記』18・17~33)。

ソドムの町が滅んだ説明としては、
次の4つが挙げられるかと思います。

その1.ソドムの町が滅びたのは、
    神が調査のために天使を派遣するきっかけとなった
    ソドムの住民全体の道徳的退廃のせいである

その2.ソドムの町が滅びたのは、
    ソドムの男たちが天使たちに
    セックスを強要(または暴行)しようとしたからである

その3.ソドムの町が滅びたのは、
    ソドムの男たちが天使たちと
    同性同士でセックスをしようとしたからである

その4.ソドムの町が滅びたのは、
    ロトを除くソドムの人たちが
    神に遣わされた訪問者たちを邪険に扱ったからである

当たり前のことですが、
「その2」と「その3」とは同一問題ではありません。
「その3」は確かに同性愛の問題ですが、
「その2」は強姦(または暴行)の問題です。
どう考えても僕には、
「その1」や「その2」の説明の方が
はるかに納得しやすいのですが、
なぜか世間的には「その3」ばかりが
強調されているように思われてなりません。

『ユダの手紙』や『ペテロの手紙 第二』の記述は、
「その1」を裏付ける有力な証拠だと思います。

その他、
「その1」を根拠付けるものには、
前回あげた『旧約聖書』の『エゼキエル書』の他に
次のような史料があります。

主は、
ロトが住む町を見逃されなかった。
人々の高慢を忌み嫌われたからである。(『旧約聖書続編』「シラ書(集会の書)」16・8)


『旧約聖書続編』は、
紀元前3世紀から紀元1世紀の間に成立した
ユダヤ教の宗教的文章です。
カトリックでは「第二聖典」として重視されていますが、
プロテスタントの間には
その権威を認めない宗派もあります。
しかし、
当時のユダヤ人がソドムの滅亡について
どのように認識していたかをよく示す文章であることは
間違いありません。

「その4」については
意外に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、
どうやらイエス=キリストは
「その4」の理由で理解していたようなふしがあるのです。

どんな町や村にはいっても、
そこでだれが適当な人かを調べて、
そこを立ち去るまで、
その人のところにとどまりなさい。

(中略)もしだれも、
あなたがたを受け入れず、
あなたがたのことばに耳を傾けないなら、
その家またはその町を出て行くときに、
あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
 
まことに、
あなたがたに告げます。
さばきの日には、
ソドムとゴモラの地でも、
その町よりはまだ罰が軽いのです。(『マタイの福音書』10・11~15)


町にはいっても、
人々があなたがたを受け入れないならば、
大通りに出て、こう言いなさい。

『私たちは足についたこの町のちりも、
 あなたがたにぬぐい捨てて行きます。
 しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』

あなたがたに言うが、
その日には、その町よりも
ソドムのほうがまだ罰が軽いのです。(ルカの福音書10・10~12)


また、
『旧約聖書続編』の『知恵の書』にも、
「その4」の説を補強する記述があります。

罰が罪人たちの上に下った。
激しい雷による警告の後のことである。
彼らはその罪のゆえに当然の苦しみを受けた。
他国人を敵意をもってひどく扱ったからである。(『旧約聖書続編』「知恵の書」19・13)


訪問者を冷遇したことが
町が滅ぼされるほどの罪なのかと思う方は
多いと思います。
しかし、
古代世界には
大都市以外には宿屋などほとんどなく
(事実、ソドムにきた天使たちも最初は野宿を覚悟していた)、
旅行者たちは
住民の善意ある歓待に
頼らざるを得ませんでした
(ジョン=ボズウェル『キリスト教と同性愛』 国文社 113ページ参照)。
訪問者を冷遇することが
いかに大きな罪とみなされていたのかは、
『旧約聖書』の次の記述をご覧になれば
うかがい知ることができるでしょう。

アモン人とモアブ人は
主の集会に加わってはならない。
その十代目の子孫でさえ、
決して、主の集会に、はいることはできない。

これは、
あなたがたがエジプトから出て来た道中で、
彼らがパンと水とをもってあなたがたを迎えず、
あなたをのろうために、
アラム・ナハライムのペトルから
ペオルの子バラムを雇ったからである。(『申命記』23・3~4)


よく考えてみますと、
ロトは自分の迎え入れた旅人を
(強姦または暴行から)助けるために、
自分の娘を差し出そうとしたのです。
これを見る限り、
当時の倫理観では「性的貞操」などよりも
「旅人をもてなすこと」の方が
ずっと大事だったのだとも考えることができます。

さて、
その他さまざまな聖書の箇所で
ソドムは悪の象徴として描かれていますが、
ソドムの住民の罪を同性愛だと特定している箇所は
一つたりともないのです。
またその聖書の中でも、
ソドム滅亡の話がある
『創世記』の成立から時代を隔てて成立したものほど
(『ユダの手紙』や『ペテロの手紙 第二』)、
ソドムの滅亡と「性的退廃」(同性愛であるとは書かれていないが)とを
結びつける傾向があることも
注目に値します。

以上を踏まえて考える限り、
「ソドムの町は同性愛がはびこったので滅亡したのだ」という説は、
後の時代に作られた俗説であると
考えるのが妥当でしょう。
そして、
たとえ同性愛とソドム滅亡との間に
関連性があるのだとしても、
それは今挙げた
「その1」・「その2」・「その4」の理由に
付随する問題にすぎなかったと考えられます。
〔注1〕『ユダの手紙』の新改訳(日本聖書刊行会版)は、
「サラコス ヘテラース」という古代ギリシア語を
「不自然な肉欲」と訳したために、
『ローマの信徒への手紙』1・26~27の印象とあいまって
「同性愛のことを指しているのだ」という印象を
与えやすくなっています。
しかし原文に
「自然」・「不自然」などという言葉は
一切使われておりません。
「サルコス」は「別の」、
「ヘテラース」は「肉体」を表す言葉であり、
英語の『新改訂標準訳』ではこの部分に、
「見知らぬ肉体」という意味であるとの脚注が
ついているということです。


最後に、
アメリカの首都・ワシントンで開かれた学会で、
ある神学者が行なったスピーチの最初の部分を引用して、
この文章を締めくくらせていただきます。

私は今日、
重い気持ちでワシントンに参りました。
というのも、
政府の高官に
ソドミーを行っている人がいるという確信が
あるからです。
上下両院にも多くのソドミーを行う人がいます。
大統領の顧問団は、
ソドミーを行う人々で一杯です。
さらに悲しいことに、
大統領自身も頻繁にソドミーを実践しているようです。
さて、
ここでみなさんに
「ソドミー」とは何かを説明したいと思います。
聖書の中でこの罪をもっとも明確に定義しているのは、
「創世記」の物語ではなく、
預言者エゼキエルの書です。
「お前の妹ソドムの罪はこれである。
 彼女とその娘たちは高慢で、
 食物に飽き安閑と暮らしていながら、
 貧しい者、乏しい者を
 助けようとはしなかった」(エゼキエル十六・四九)。
みなさん、これがソドミーです。
ソドミーとは、社会的不正義であり、
寄る辺なき者を冷遇することです。
(『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』日本キリスト教団出版局128ページ)


【参考文献】
ジョン=ボズウェル(大越愛子・下田立行訳)『キリスト教と同性愛―1~14世紀のゲイ・ピープル』、国文社、1990年。
ジェフリー=S=サイカー編(森本あんり監訳)『キリスト教は同性愛を受け入れられるか』、日本キリスト教団出版局、2002年。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.17より転載)


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by imadegawatuusin | 2002-12-16 03:04 | 歴史