「ソドム問題」について

12月15日に、
「ソドムとゴモラ」と題する
次のようなご意見をメールにていただきました。

ソドムとゴモラについての議論
読ませていただいています。
他の方と同じ内容のメールでしたら
ご免なさい。
私自身はキリスト教信者ではなく、
クィアですが
(かつてはレズビアンを自称してましたが、
 セクシュアリティに加えてジェンダー関係についてよく考えると、
 そもそも同性とは誰の事だという疑問が出てきて
 自分が同性愛者であるとは言えなくなってきた(笑)) 
聖書のこの部分についてははっきりと
「同性愛を否定している」と判断しています。
というのも、
ロトの家に押しかけて来た男たちを
ロトが追い払うシーンの直後に
こんな事が書かれてあるからです
(引用は、
 スタンダードな英訳であるKing James Versionです)。

Genesis 19:7
> And said, I pray you, brethren, do not so wickedly.
Genesis 19:8
> Behold now, I have two daughters which have not known man; let
> me, I pray you, bring them out unto you, and do ye to them as
> is good in your eyes: only unto these men do nothing; for
> therefore came they under the shadow of my roof.

客人である男性とのセックスを守りつつ、
「自分には男を知らない娘が2人いるから、
 好きなようにしなさい」とまで言ってます。 
ヒドい話でしょ? 
これを読めば分かる通り、
「ここでは同性愛の是非ではなく
 強姦の是非を問題としているのだ」という解釈は
不可能です。 
自分の娘に対する強姦なら
容認しているわけですからね。
最後の文を読む限り、
男性を出すのを拒否したのは
「彼らが客人だから」であって、
性別とは関係ないという解釈も可能と思われるかも知れません。 
しかしその場合、
ロトが自分の息子でなく娘の提供を申し出ている点や、
彼らの要求を「wicked」と呼んでいる点に説明が付かないので、
やはり「同性愛だから駄目」と解釈するのが
一番自然ではないかと思われます。
もっとも、
ソドムの町全体が同性愛者だったとは
到底考えられませんが、
背景に同性愛に寛容な現地の文化と
非寛容な文化の対立があったと見れば、
聖書の記述として
ソドムの町が滅ぼされた理由の1つが
「同性愛」だったとされるのは不自然ではないです。


ソドムの物語の背景に
「同性愛に寛容な現地の文化と
 非寛容な文化の対立があった」という見方には、
非常に興味をそそられました。

ただ、
「男性を出すのを拒否したのは
 『彼らが客人だから』であって、
 性別とは関係ないという解釈」が適当ではないとする理由として
「ロトが自分の息子でなく
 娘の提供を申し出ている点」を挙げられたことにつきましては
少々異論がございます。
なぜならこのとき彼の家には、
ロト・ロトの妻・ロトの娘2人の計4人と
客人たちしかいなかったと思われるからです。
家に息子はいなかったのですから、
息子の提供を申し出ることは不可能だったと思います。

その証拠に『創世記』には、
ロトの家族がソドムの町を脱出する場面が
次のように描かれています。

夜が明けるころ、
御使いたちはロトをせきたてて言った。

「さあ早く、
 あなたの妻とここにいる二人の娘を
 連れて行きなさい。
 さもないと、
 この町に下る罰の巻き添えになって
 滅ぼされてしまう。」

ロトはためらっていた。
主は憐れんで、
二人の客に
ロト、妻、二人の娘の手をとらせて
町の外へ避難するようにされた。(『創世記』19・15~16)

And when the morning arose, then the angels hastened Lot, saying, Arise, take thy wife, and thy two daughters, which are here; lest thou be consumed in the iniquity of the city.

And while he lingered, the men laid hold upon his hand, and upon the hand of his wife, and upon the hand of his two daughters; the LORD being merciful unto him: and they brought him forth, and set him without the city.(Genesis 19:15,16)


これを見る限り、
当時この家にいたロトの家族は
「ロト・妻・二人の娘」の4人であったと考えるのが
妥当でしょう。

しかしこの方もおっしゃるとおり、
これは本当に「ヒドい話」です。
ロトが本当に「義人」だったというのであれば、
「自分はどうなってもいい。
 客や家族は助けてくれ」と
言ってほしいものです。
それを彼は、
『娘はどうなってもいい』と言っているのです。
これではこの方のおっしゃるとおり、
ロトは「自分の娘に対する強姦なら容認してい」たと言われても
仕方がないと思います。

古代ユダヤ社会において、
客人を大切にしないことが
どれほど「wicked」(悪い・不道徳な)なことであったかは
前回述べたとおりです。
あとは、
読者のみなさまの判断にお任せしたいと思います。
(なお、
 今回僕は『旧約聖書』の引用に関しまして、
 日本語訳では日本聖書協会版新共同訳を、
 英語訳ではメールをお送りくださった方がお使いになった
 King James Versionを使用いたしました)。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.18より転載)


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by imadegawatuusin | 2002-12-23 03:42 | 歴史