クローン人間は人間である

新興宗教団体「ラエリアン・ムーブメント」〔注1〕は、
米国出身の30代の女性が
クリスマスにクローン人間を出産すると発表した。
新聞報道などによるとこの女性は、
夫との間に子供ができなかったため、
自らの体細胞を使ってクローン技術で妊娠したという〔註2〕。

現段階では、
彼らは科学的に検証可能なデータを示しておらず、
事の真偽は必ずしも明らかではない。
専門家の間では懐疑的な見方が強いという。

ただ、はっきりと言えることが一つある。
それは、
「クローン羊やクローン牛を誕生させることが可能となった今、
 いつクローン人間が生まれてきてもおかしくない」ということだ。

しかし、
すべての人間が有性生殖によって生まれることを
当然の前提としてきた今の社会には、
クローン人間に対するさまざまな偏見がはびこっている。
まるでクローン人間は
人間の尊厳を脅かす存在であるかのような物言いまでが
大手を振ってまかり通っている。
本当にクローン人間は、
人間の尊厳を脅かす存在といえるのだろうか。
〔注1〕「他の惑星からきた科学者たちが
DNAを使って地球上のすべての生命を創造した」と彼らは主張しており、
いわゆる「神」の存在は信じない。
そのため彼らは「宗教団体」と呼ばれることを好んでおらず、
自らは「無神論で非営利の精神的団体」と称している。

〔註2〕「ラエリアン・ムーブメント」は、
クローン技術の安全性が十分に確認されたとは言えない現段階で
クローン技術を人間に適用した。
このようなやり方に対しては、
『噂の真相』の投書欄(2001年3月号・2001年5月号)や
高校の学年通信(『天王寺玉手箱』第67号)を通じて
僕は一貫して反対を表明している。


(1)クローン人間は「コピー人間」ではない
クリスマスに生まれてくるとされるこの赤ちゃんを、
「世界初のクローン人間」と呼んだマスコミがいくつかあった。
しかし彼女は、
厳密に言うと「世界初のクローン人間」ではない。
実を言うと、
クローン人間なんて世界中どこにでもいる。
大昔からいたし、
この文章を書いている今日も、
世界のどこかで必ず生まれているはずだ。

そもそもクローンとは、
「同じ遺伝子を持つ生物」のことである。
つまり、
世界に同じ遺伝子を持つ人間が2人いれば、
彼らは立派な「クローン人間」ということになる。
本当にそのような人たちがいるのだろうか。

実は、いる。
「一卵性双生児」といわれる人たちだ。

「双生児」とは、
平たく言えば双子のことだ。
双子なんて、
さして珍しくもないだろう。
ただ、
この双子には2種類ある。
一卵性の双子と二卵性の双子である。

一卵性の双子とは、
受精卵が何らかの事情で母親の胎内で分裂し、
それぞれがそのまま別々に成長して生まれてきた
双子のことだ。
同じ受精卵から分裂したので、
両者は互いに同じ遺伝子を持っている。
つまり彼らはクローン人間なのだ。
それに対して二卵性の双子とは、
2つの別々の卵子が2つの別々の精子とそれぞれ受精し、
それぞれが成長して生まれてきた双子のことだ。
当然この場合、
両者は別々の遺伝子を持っている。
2人はほぼ同時に生まれてくるが、
遺伝的にはごく一般の兄弟姉妹と変わらない。

二卵性の双子はよくいるが、
一卵性の双子もそれほど珍しくはない。
ノルディックスキーの荻原兄弟の顔がそっくりなのも、
彼らが一卵性の双子、
つまりクローン人間だからなのだ。

「ラエリアン・ムーブメント」などが誕生を目指しているクローン人間も
一卵性の双子も、
どちらも生物学的にはクローン人間なのである。
いま話題となっている前者のクローン人間を
特に区別したいときには
「体細胞クローン人間」と呼ぶ。
ただ、
これでは少々長ったらしいので、
ここから以後は世間の慣例に従い、
前者を「クローン人間」、
後者を「一卵性の双子」と呼ばせていただく。

さて、
以上のことを踏まえれば、
世間でよく聞く次のような意見が
どれほど こっけいであるのかが
すぐにわかるはずである。

クローン人間が生まれると、
同じ人物が世界に2人いることになる。
そのようなことになれば、
かけがえのない唯一の存在であるはずの
人間の尊厳が失われる。


確かにクローン人間は、
その遺伝子の基となった人物
(この人物を以後、
 鍵カッコつきの「親」と表記する)と
同じ遺伝子を持って生まれてくる。
しかし、
「同じ遺伝子を持つこと」と「同じ人物であること」とは
全く別のことなのだ。
もしこれが同じであれば、
荻原健司選手と荻原次晴選手とは
「同じ人物である」ということになってしまう。
そんなおかしな話はないだろう。
彼らは明らかに、
異なる個性を持った別人なのである。

同じ時代に生まれ、
同じ環境で育つ一卵性の双子同士でさえ
別人になる。
まして、
「親」とは別の時代に生まれ、
「親」とは別の環境で育つクローン人間が
「親」と同じ人間になるはずがない。
 
クローン人間もまた、
いかなる人間からも独立した人格を持つ
「個人」なのである。
決して「親」のコピーではない。

人間の性質は遺伝子のみによって決まるのではない。
教育や、環境や、食べ物・運動……などなどの
さまざまな影響因子が絡み合って、
一人の人間を形成してゆく。
たとえ同じ遺伝子を持っていたとしても
クローン人間は、
「親」とは育つ時代や環境が異なる以上、
性格や知性に関しては
全く異なる人間にならざるを得ないのである。

(2)死んだ人間は生き返らない
上で挙げたような意見と並んでよく聞くものに、
次のようなものがある。

クローン技術が人間に応用されると、
死んだ我が子をクローン技術によって
よみがえらせる親が出てくるだろう。
そのようなことがおきれば、
人命のかけがえのなさが奪われ、
人間の尊厳は傷つけられる。


どうやらクローン人間は、
何が何でも人間の尊厳を傷つけなければならないらしい。

まず、
当たり前のことではあるが、
一度死んだ人間がよみがえることは絶対にない。
人間は、
死んだらそれでおしまいである。
ただ、
何らかの事情で
「死んだ我が子」の細胞が冷凍保存されていたりした場合、
その子のクローンを作ることは不可能ではないかもしれない。

しかし、
そのようなことをしても、
その親はおそらく期待を裏切られるだけだろう。
どんなに姿が似ていても、
そうして生まれてきた子はもう、
「死んだ我が子」ではない。
なぜなら、
クローン人間とその遺伝子の基となった人物とは
全くの別人だからである。

そもそも、
「特定個人の代用」として誕生させられるなんて、
クローン人間にしてもいい迷惑である。
クローン人間は
いかなる人間からも独立した人格を持つ個人なのである。
それなのに、
すでに死んでしまった人間の役割を押し付けるようなやり方は、
クローン人間の個性を抑圧するものであり、
断じて許されるべきではない。

許されるべきでないのはクローン人間の存在ではない。
クローン人間を「特定個人の代用」としかみなさず、
独立した個人として扱おうとしないそうした姿勢こそが
まさに「人間の尊厳を傷つける」ものなのだ。

一度死んだ人間は、
決してよみがえることはない。
クローン技術は死者を復活させる技術ではないのだということを
僕たちは改めて認識しなければならない。

(3)個性がなくても尊厳はある
ここまででは主に、
クローン人間は「親」から独立した個性を持つ
個人であることを中心に論じてきた。
クローン人間が個性や独自性を持つ以上、
クローン人間もまたかけがえのない個人であると
主張してきたのだ。
しかし僕は、
こうした考え方にも本当は疑問を持っている。
もし、
万が一クローン人間が何の個性も独自性も持たない、
単なる「親」のコピー人間であった場合は、
彼は、
かけがえのない尊厳を持った個人であるとは
認められないのだろうか。

もし僕が、
他の誰かと全く同じ性格で、
全く同じ思想を持ち、
声も体格も遺伝子も、
すべての性質が全く同じコピー人間であったとしても、
そのことによって
僕のかけがえのなさが傷つくことはありえない。
たとえすべての性質が同じでも、
彼と僕とは『明らかに違う』のである。
なぜなら僕は僕であり、
彼は僕ではないからだ。
これほど根本的な違いは他にない。
極端な話、
この『僕であるもの』と『僕でないもの』との違いに比べれば、
中核派と一水会と統一教会との違いなど
微々たるものにすぎないと思う。

僕は、
彼が痛い思いをしているときに
代わりに痛んであげることはできない。
彼がひもじい思いをしているときに
代わりに腹を減らしてあげることもできない。
僕は、
彼の人生を代わりに生きてあげることもできなければ、
彼の代わりに死んであげることもできないのである。
たとえ僕が、
世界に2つとない個性を持った存在ではなくても、
僕は僕の人生しか生きることはできない。
僕と全く同じ性格・全く同じ体質のコピー人間が生きていたって、
やっぱり彼は僕ではない。
僕が死んでしまえば、
そんなコピー人間がいるのだということ自体、
僕には感知できないし、
何の意味もなくなってしまう。
たとえ僕のコピー人間が世界に100人いたとしても、
『僕』と残りの99人とは全然違う。
僕にとっての『僕』は
間違いなく『かけがえのない存在』であり、
他の99人に代えることのできない特別な存在だ。
そして、他の99人にとっても、
それぞれ自分が『かけがえのない存在』なのだろう。

一人一人の人間は
すべてかけがえのない存在として生きている。
これは決して、
一人一人の人間が他の人にはない個性や独自性を
持っているからではない。
たとえ全く同じ人間が二人いたとしても、
それが二人である以上、
二人はそれぞれかけがえのない存在なのだ。

(4)クローン人間は人間である
「自分が病気になったときの臓器の予備として使うために
 クローン人間を作っておこう」・
「クローン人間を『本物』の人間の代わりに働かせて
 奴隷にしよう」・
「戦争になったときには
 クローン人間に自分の代わりに戦争に行かせ、
 『人間兵器』として利用しよう」……。
残念ながら、
このような考えを平然と述べる人は少なくない。

確かに、
SF映画や小説の中には
そうした内容を持つものもある。
しかし、
たとえ同じ遺伝子を持ってはいても、
クローン人間は自分の意思や人格を持つ存在であり、
「親」の所有物ではない。
このようなことが許されるべきでないのは
当然のことである。

そもそも、当たり前のことではあるが、
クローン人間は人間である。
人間である限りは、
当然 国家権力によって人権が保障されるのだ。
人間を奴隷として扱うことは憲法で禁じられている。
人間を傷つければ傷害罪に問われるし、
殺せば殺人罪になる。
この当たり前の原則が守られてさえいれば、
クローン人間が「臓器の予備」や「奴隷」・「人間兵器」などにされることは
あまり心配する必要はない。
「臓器」や「奴隷」・「人間兵器」として使える年齢になるまで
十数年間も自分のクローンを
世間から隠して育てるなどということは
現実的にはまずもって不可能である。

クローン人間は、
僕たち有性生殖人間と同じく人間なのだ。
ただ、精子と卵子で生まれてきたか、
クローン技術でうまれてきたかという
「生まれ方の違い」があるにすぎない。
人間的・倫理的な価値において
両者の間に差があるわけではないのである。
彼らの人権が保障されるべきことは、
言うまでもないことなのだ。

もしかすると、
この「裏主張」が掲載される頃には、
「ラエリアン・ムーブメント」の計画が成功し、
すでにクローン人間が誕生しているかもしれない。
僕がいま一番恐れていることは、
クローン人間に「反倫理」のレッテルを貼り付ける今の風潮が、
クローン人間に対する差別を
正当化するのではないかということだ。
このままでは生まれてくるクローン人間が、
クローン人間であるというだけで
いわれのない差別や偏見に苦しめられることになりかねない。

クローン人間は人間である。
いかなる個人からも独立した個性と人格を持つ
一人の人間である。

クローン人間が生まれてくれば僕たちは、
有性生殖人間とクローン人間とが互いの存在を認め合い、
共存し、共生してゆく社会を
築いてゆかなければならない。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.19より転載)
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by imadegawatuusin | 2002-12-30 03:59 | 倫理