朝日新聞の投書欄で、
「子に銃 米軍批判は筋違い」という投稿を読んだ
(朝日新聞「声」欄9月12日)。
投稿は、
米軍基地内は「事実上は米国」であるといい、
同国では銃の保持が
「神が与えた権利」と考えられていると指摘する。
そして、
「日本の親たちは、
 その文化の違いを知った上で基地を訪れるべきだ。
 遊園地に行くのではない」というのである。

確かに米軍基地内は、
日本の法律や常識がそのまま適用されない所だ。
米国では人民が「銃を持つ権利」を憲法で認めている。
しかしその米国においても、
銃を扱う権利を持つのは
責任能力を備えた人間であることは大前提だ。
幼い子供に遊びで銃を使わせないことは、
銃規制の賛成派・反対派を超えた共通了解事項である。
自動車の運転が自由に認められる国だからといって、
幼い子供に運転させることが
容認されるわけではないのと同じだ。

伝統的な欧米文化では、
子供は「一人前になる前の未熟な人間」であり、
権利の主体というよりも、
もっぱら保護・教育の対象とされる。
また、
子供たちに銃を構えさせた米兵の行為に
批判の声をあげたのは、
当の子供たちの親ではなく、
米軍基地の存在に批判的な市民団体であった事実も
付け加えておきたい。

米国の「銃文化」は、
幼い子供に銃を構えさせた米兵の行為を
正当化する理由にはならない。
子供たちの親をなじることこそ「筋違い」というものだ。


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by imadegawatuusin | 2013-09-13 14:50 | 文化

安易な「天罰論」は危険

「お天道様の裁きは恐ろしいぞ」との投書が
朝日新聞5月27日の投書欄に載った。
投書は、
「強引なやり方で財産を築いた」知り合いの「息子や孫」が
「事故や火事など不幸に多数見舞われた」ことを
「お天道様の裁き」であるという。
そして、
「『お天道様の裁きは何代も続き、恐ろしいぞ』と
 大人も子どももみんなが信ずるようになれば、
 いい世の中になる」というのだ。

「お天道様」が本当に正しいものであるならば、
どうして直接本人に裁きを下さず、
罪のない子や孫に
事故や火事などの不幸をもたらすのだろうか。
こうした「世代を超えた裁き」を容認する姿勢は、
血筋による差別を正当化する
不義不正の考え方に結びついていく。
安易な「天罰論」は実は危険な考えなのだ。

相手側(がわ)の過失が100パーセントの事故というのは
珍しくないし、
火事の原因の第一位は放火である。
事故や火事といったものは
本人の落ち度とは関係なく起きるときは起きるものだ。
それなのに
世の不幸について被害者側に落ち度を求める「天罰論」は、
ただでさえ傷ついている被害者側を
二重に苦しめる妄説だ。
「悪いことをすると事故や火事にあう」という考えが
正しいとなれば、
事故や火事にあった人を
「悪いことをした人」ではないかと
見なければならなくなるわけである。

検証不能な迷信には弊害が多い。
そうした迷信は「いい世の中」などつくらない。
ありもしない「天罰」よりも、
日本を代表する高級紙である朝日新聞に
こうした荒唐無稽(こうとうむけい)な投書が
堂々と載っていることの方が
私にはよほど「恐ろしい」。


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by imadegawatuusin | 2013-08-28 18:09 | 文化

政府のクールジャパン推進会議が、
「正統な」日本料理の伝道師育成を
打ち出していることを
5月31日の朝日新聞社説で知った。
「海外での正しさの押し付けは逆効果」と
社説は指摘する。
私も同じ考えだ。

たとえば日本の家庭に定着しているカレーは、
インドの「正統な」カレーとは別物だ。
だが、
インドから「正統なカレー」を押し付けられていれば、
これほど日本で子供たちに親しまれるものには
ならなかっただろう。
ラーメンも、
しょうゆや味噌ラーメンは中国にはなく、
「日式老麺」と呼ばれているという。

現地の文化に溶け込んでこそ外来文化は広まり、
定着する。
新聞社説にもある通り、
「謙虚さこそ、日本文化のクール」な戦略なのだ。


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by imadegawatuusin | 2013-07-24 09:45 | 文化

『朝日新聞』の昨年12月23日の投書欄に、
「正月の風習 少しだけでも守る」と題された投稿が
載っていた。
その文章は、
「商店街の門松もめっきり減り、
 しめ縄飾りをする家もまばらになった」と
書き起こされ、
「せめて、
 家の中でもおせち料理を作り、
 鏡餅を供え、
 おとそで新年を祝うことだけは守っていきたい」と
締めくくられている。

だが、
門松・しめ縄飾り・鏡餅といったものは
単なる風習ではない。
本来は神道という特定宗教と結びついた
宗教グッズなのである。

たとえば門松は、
正月の神である「歳神様」が訪れるための
目印であると説明され、
松が「(歳神様を)待つ」に通じるとされている。

しめ縄飾りは
「穢れ・不浄を防ぎ、
 歳神様を迎える家を神聖な領域にするもの」とされ、
歴史的には差別や偏見とも結びついてきた
「穢れ意識」とも関わりが深い。

そして何より鏡餅は、
「家の中で歳神様が宿る依り代」であり、
いわば神の「ご神体」となるものなのだ。

ただただ前例を無批判に踏襲し続けていると、
日ごろどんなに宗教を遠ざけ理性的に暮らしていても、
非合理な宗教的観念や穢れ意識に
知らず知らずに侵されてしまう恐れがある。

「風習」だから「伝統」だからと
思考停止に陥るのでなく、
意味や由来をきちんと知って、
その是非を自分の頭で一つ一つ判断していく
主体的な態度が必要だ。
そうした態度を身につけてこそ、
不要なものまで売りつけて金儲けを図る商業主義に
踊らされずに
無駄を排する賢い消費者となることができるのである。


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by imadegawatuusin | 2013-05-22 18:14 | 文化

――三谷幸喜「どう呼べばいいか分からない」――

■目上の人を下の名で呼ぶのも……

12月2日の『朝日新聞』の夕刊で
脚本家の三谷幸喜さんが、
先日亡くなった落語家の立川談志さんを
どう呼んでいいか分からなかったと書いている。

(筆者注:立川談志さんと)お会いすると、
当然のように緊張する。
どうお呼びしたらよいかがまず分からない。
「師匠は……」と言うと、
なんだか飲み屋でサラリーマンが
「よっ社長!」と相手を持ち上げるようで、
気が引ける。
「家元は……」は言葉として馴染(なじ)みが薄い。
「談志さんは……」もどうか。
目上の人をファーストネームで呼ぶ違和感が。
……結局、
主語を用いない
日本語独特の曖昧(あいまい)語法で
乗り切ることになる。


普通に考えれば「立川さん」と呼べばいいのだろう。
だが、
落語業界には「桂さん」や「立川さん」が
そこらじゅうにいる。
「立川さん」では固有名詞として機能しないから、
さてどう呼べばいいのかという話になるのだろう。

落語家同士ではどう呼び合っているのだろうか。

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by imadegawatuusin | 2011-12-08 16:33 | 文化