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カテゴリ:漫画・アニメ( 59 )

←「込由野=しほ『姫ちゃんのリボン カラフル』感想(1)」に もど

込由野版こみゆのばんの 『ひめちゃんのリボン』を むことによって、
はじめて えてきたことも る。

原作げんさく水沢版みずさわばんの 『ひめちゃんのリボン』は
(いきなりの アニメ[動画どうがなどの 影響えいきょうこうむり、)
けっして 一貫いっかんした 構想こうそうもとかれたわけではない。
水沢版みずさわばんの 『ひめちゃんのリボン』が おもいのほか
たりばったりで かれたていたことは これ、
いまでは おおくの 愛好者あいこうしゃによって られていることだ。
その、
原作げんさく水沢版みずさわばん
たりばったり」に もとづく 弊害へいがいを、
込由野版こみゆのばんの 『カラフル』は、
うまく めることに 成功せいこうしている。

たとえば、
魔法まほうの リボンの 「ルール」(まり)の ひとつに
人間界にんげんかい存在そんざいする ひとにだけ
 変身へんしんできる」というものが る。
けれども この ルールは、
水沢版みずさわばんの 『ひめちゃんのリボン』においては
作品さくひんなかにおいて
はっきりと しめされていたにも かかわらず、
物語ものがたりわりまで まったかされることが かった。
それどころか、
水沢版みずさわばんもとにした
ドラマCDシーディー電子劇光盤でんしげきこうばん)などでは、
行方ゆくえからなくなっていた
物語界ものがたりかいの トンドリアーノさん」に
ひめちゃん」が リボンを 使つかって 変身へんしんし、
「ほら、トンドリアーノさんは
 どこかで きているんだよ」と やる 場面ばめんさえ
ったりして、
「おい、
 人間界にんげんかい存在そんざいする ひとにしか
 変身へんしんできないんじゃなかったのかよ」と
こころなか
はげしく みを れたことを おぼえている。

ところが
込由野版こみゆのばん
ひめちゃんのリボン カラフル』においては、
ひめちゃん」が この リボンを 使つかい、
魔法界出身者まほうかいしゅっしんしゃ」ではないかとの うたがいが きまとう
有坂ありさかくん」に
変身へんしんしようとすることで、
この ルールを はじめて 意味いみるものとした。
うまでもなく 「ひめちゃん」は、
魔法界まほうかいひと」である 「有坂ありざかくん」には
変身へんしんできず、
こうして 「有坂ありさかくん」の 正体しょうたい
かすことになるのである。

さらくわえて うと、
原作げんさく水沢版みずさわばんにおいては 「ひめちゃん」は、
やれ 「少年しょうねん」だの やれ 「おとこみたい」だのと
散散さんざんわれかたを している。
しかし わたしには、
ひめちゃん」は どう ても
おんなにしか えない。
すくなくとも 水沢版みずさわばんにおいては、
ひめちゃん」の どこが どう 「おとこらしい」のか、
わたしには さっぱり からなかった
(たとえ どれほど きびしめに 見積みつもったとしても
 「ひめちゃん」は、
 ただ 「おてんばな おんな」といったところに
 どまるのではないだろうか)。
おもうに、
そもそも 水沢みずさわさんの 作風さくふうが、
おとこっぽい おんな」を えがくのには
いていなかったのだろう。
だが 込由野版こみゆのばんの 「ひめちゃん」は これ、
たしかに くも わるくも
おとこらしい」 おんなであると
わたしも こころから れることが できた。
込由野版こみゆのばんの 「ひめちゃん」ならば、
おんなに もてるというのも
なるほど めるというものである。

それから、
美人びじん」という 設定せっていだったはずの 日比野ひびの=ひかるも、
原作げんさく水沢版みずさわばんにおいては
あまり 美人びじんには えなかった。
けれども
込由野版こみゆのばん日比野ひびの=ひかるならば、
なるほど これは 美人びじんだと かる。

原作げんさく水沢版みずさわばん込由野版こみゆのばんとの もっとおおきな ちがいは、
おもうに エリカの 位置いちだろう。
原作げんさく水沢版みずさわばんにおいては、
エリカは どちらかと いえば
ひめちゃん」の 「保護者ほごしゃてき立場たちばにあった。
だが、
込由野版こみゆのばん
ひめちゃんのリボン カラフル』における エリカは、
ひめちゃん」と おな年頃としごろ
一人ひとりおんなとしての 側面そくめん横顔よこがお)が
きわめて つよされている。
かわいらしい ねこ変身へんしんすることによって、
ポコあとがまの マスコット(吉祥物きっしょうぶつやく
見事みごと 獲得かくとくしたのと あいまって、
ともだちかんつよまっている。
よく かんがえてみると すなわち エリカも、
姫子ひめこおなじくらいの 年頃としごろおんなだったのだ
実年齢じつねんれいかぞえると すなわち どうなのかは
 まったく いさ らないけれども)。

いずれにしても、
稀代きたい大傑作だいけっさく改作かいさくするという こころみは
おもいことだったに ちがいない。
わたしだって、
しも 原作げんさくが アニメされたときに
こんな かたちに されていたならば、
けだし いきどおったであろうことは 間違まちがいない。
ただ、
改作かいさくとなれば、
なんらかの かたちで
原作げんさくとは ことなる ところを
目指めざさなければならない。
原作げんさく理解りかいした うえで、
 あえて ずらす」という むずかしい 仕事しごとを、
込由野こみゆの=しほさんは
見事みごとに やってのけたのではないかと
わたしは おもう。

参考記事さんこうきじ
水沢=めぐみ『姫ちゃんのリボン』には 元ネタが 有る



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by imadegawatuusin | 2012-02-12 19:20 | 漫画・アニメ

――ポップで (たの)しい 今時風(いまどきふう)の 「(ひめ)ちゃん物語(ものがたり)」――
f0104415_871673.jpg

じつうと、
込由野こみゆの=しほさんの
ひめちゃんのリボン カラフル』むのを
わたしは ずっと けてきた。
なぜなら、
水沢みずさわ=めぐみさんが えがいた
原作げんさくである
元祖がんそひめちゃんのリボン』への おもれが
わたしには あまりにも つよかったからである。
その うつくしい おもれが
ぶちこわされてしまうのではないかと
わたしは すこおそれていたのだ。

とは いえ、
『カラフル』の 前評判まえひょうばんは、
インターネット(網際網絡もうさいもうらく)などによって
そこそこは っていた。

主人公しゅじんこうの 「ひめちゃん」が
演劇部えんげきぶではなく 柔道部じゅうどうぶはいっているとか、
ねえちゃんが おらず 男兄弟おとこきょうだいなかそだったとか……。
そうした うわさを くにつけ、
わたしには こんな うたがいが きまとって はなれなかった。
それは すなわち、
「『カラフル』を えがいた 込由野こみゆの=しほさんは、
 『ひめちゃんのリボン』の 本質ほんしつ
 まったかっていないのではないか?」という うたがいだ。

原作げんさくの 『ひめちゃんのリボン』は、
「おねえちゃん」への 劣等感れっとうかんに さいなまれ、
変身願望へんしんがんぼうまで つに いたった おんなが、
その 変身願望へんしんがんぼうを、
演劇部えんげきぶにおける さまざまな 活躍かつやくとおして
より 健全けんぜんすこやか)な 演技願望えんぎがんぼう
(「もっと 素敵すてきな 『あたし』に なあれ」)へと
昇華しょうかし(たかめ)、
もって みずからを れていくさまを えが
素晴すばらしい 成長物語せいちょうものがたりである。
物語ものがたりながれからすれば、
小林こばやし=大地だいちとの こいさえも、
主人公しゅじんこう・「ひめちゃん」をして
身自みみずからに 自信じしんつに いたらせるための
仕掛しかけにすぎない。
マスコット(吉祥物きっしょうぶつやくの ポコにしても、
ただの おきや ともだちではない。
ポコは、
ひめちゃん」の 「成長せいちょう」を 際立きわだたせるために、
まれたときからの 「ひめちゃん」を
かたとして
配置はいちされている。
魔法まほう異性いせいも おともの ぬいぐるみも、
すべてが、
ひめちゃんの 成長せいちょう」を えがくための
道具立どうぐだてとして 配置はいちされ、
それが うまく 機能きのうしている。
その ことこそが、
ひめちゃんのリボン』という 作品さくひん
すごいところだったのだ。

だからこそ、
ひめちゃん」は 演劇部えんげきぶなければならないし、
素敵すてきな おねえちゃんの いもうとでなければならないのに……
(って いうか、
 ポコないって どういうことなのか!)と
いぶかしんでいたのである。

結論けつろんから うと、
込由野版こみゆのばんの 『ひめちゃんのリボン カラフル』は
けっして わるい おはなしではなかった。
もちろん、
集英社しゅうえいしゃ少女漫画雑誌しょうじょまんがざっし・『りぼん』が ほこ
大傑作だいけっさくである
水沢版みずさわばんの 『ひめちゃんのリボン』と くらべれば すなわち、
まったおよばないだろう。
けれども、
改作作品かいさくさくひんとして、
原作げんさく水沢版みずさわばんとは ちがみち
もとめなければならなかった 以上いじょう
込由野版こみゆのばんの 『ひめちゃんのリボン カラフル』も、
これは これで わるくないと おもうに いたった。

原作げんさく水沢版みずさわばんの 『ひめちゃんのリボン』は、
こころさぶる ふか感動かんどう」 および
「ハラハラ ドキドキ」を もとめて つくられた
物語ものがたりだ。
それと くらべると すなわち、
込由野版こみゆのばんの 『カラフル』は ひたすらに、
あかるく・たのしく・ポップに」といったところを
目指めざしている。

込由野版こみゆのばんの 『ひめちゃんのリボン カラフル』は、
そもそも 「ひめちゃん」の 成長物語せいちょうものがたりではない。
魔法まほうちからさずかった 「ひめちゃん」が、
エリカや 大地だいちなどの たのしい 仲間なかまたちと
ワイワイ ガヤガヤ たのしく ごす おはなしなのだ。
そう おもうと すなわち、
これは これで 「あり」なのだろうなと おもえたのだ。

「込由野=しほ『姫ちゃんのリボン カラフル』感想(2)」に つづく→

参考記事さんこうきじ
水沢=めぐみ『姫ちゃんのリボン』には 元ネタが 有る



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by imadegawatuusin | 2012-02-12 18:43 | 漫画・アニメ

第1話 運命の決断

『少女少年II―KAZUKI―』は、
僕がリアルタイムで(つまり月刊『小学六年生』で)
初めて読んだ『少女少年』です。
本屋でたまたま『少女少年』(第一期)を手に取り、
巻末のお知らせ欄で第二期が連載中と知って
『小学六年生』を読むようになりました。

そこでびっくりしたのが、
一葵のいじらしさ、けなげさ、かわいらしさで、
僕はもうそのまま
『少女少年』に夢中になってしまいました。
僕が『少女少年』に夢中になる
「きっかけ」を作ってくれたのが
第一期(白川みずき編)だとすると、
僕を『少女少年』に夢中にしたのが
第二期・かずき編だと言えるでしょう。

さて、
その第二期・かずき編は主人公・星河一葵が街頭で、
芸能プロダクションの村崎ツトムから
スカウトされるところから始まります。
このシーン、
ちょうど『少女少年』(第一期)の最後の部分の
続きになっているんですね。
よく見てみると、
村崎さんが一葵らしき人物に声をかけるシーンで
『少女少年』(第一期)は終わっているんです。

こうした形で
シリーズ同士の関連が明確になっているものは
他にはないと思います。
III以降の『少女少年』は原則として、
他の『少女少年』の物語との関連性が明らかでなく、
全く別の世界の物語とも読みうるようにできています。

さて、
一葵が声をかけられたのは、
背景などから推察するとかなりの都会。
一葵もランドセルなどを背負ってないところを見ると、
休日中に都会に出てきたところだと考えられます。
(もっとも、
ランドセルを背負っていれば
男子か女子かはすぐにわかってしまいますので、
話が成り立たなかったかもしれませんが)。

後に分かる話ですが、
このシーン、
村崎ツトムは一葵のことを
女の子だと思ってスカウトしているわけです。

「キミ、
 けっこーイケてると
 思うよ、うん」
「学校でも
 モテモテなん
 じゃないの?」……。
こうした言葉を村崎ツトムが発しても、
一葵は
「いや
 そんなこと
 ぜんぜん…」と戸惑うばかり。

あくまで村崎さんは
髪の長い一葵を『女の子として』
「イケてると/思う」・
「学校でも/モテモテなん/じゃないの?」と
言ってるわけで、
そりゃ話がかみ合わないのは
当然といえば当然なのですが。
 
で、オーディションへの参加を勧められた一葵。

家に帰ってもちょっと浮かれ気分で、
「にへ~」としながら
カレーの鍋をかき混ぜたりしています。

そう。
一葵の家は父子家庭。
晩ご飯を作ったりする家事は
一葵が自分でやるわけです。
カレーにしたのも
「肉
 安かった
 から」とのことで、
この歳で経済観念がしっかりしてるところも
一葵の魅力の一つですね。

お父さんは休日出勤の仕事帰り。
決して豊かとはいえない家庭ですが、
お父さんはわが子のために
一生懸命働いているのでしょう。

そう。
『少女少年II―KAZUKI―』のテーマは
ずばり「家族愛」。
恋愛が主軸になった第一期と比べ、
家族の描写が丁寧です。

一葵は父と一緒にカレーを食べながら、
自分がアイドルになってスターになったら
「こんな
 ボンビーなせいかつとも
 さよならだよね!」と無邪気に夢を語ります。
そして、
「給料日がきたら
 髪切んないとなー
 のびほーだいで
 ぼさぼさ…」とつぶやくわけです。

一葵のチャーミングポイントとも言うべき、
外向きにカールした長い髪。
村崎さんもそこにだまされて
「女の子だ」と思い込んだわけですが、
実は単にお金がなくて、
髪を切ってこなかったからだと判明します。
給料日がちょっと早くて髪を切っていたとしたら、
この物語自体がなかったことになるわけです。
やぶうち優さんは
「家が貧乏」という設定と
「スカウトされる」という、
普通ではどう考えても結びつかないような結果を
きちんと論理的に結びつけて物語を展開しているわけで、
さすがだなぁと思わずにはいられません。

オーディションの応募用紙を一葵はお父さんに渡します。
ところがお父さんは、
審査員の筆頭に名前が挙がっている「大空遥」の名前に
反応します。
聞けば今回のオーディションは、
大空遥の「子供」の役だとか。
一葵は大空遥にそっくりだということで
スカウトされたわけです。

お父さんは一葵に、
自分が一葵の本当の父親ではないこと、
かつて大空遥のマネージャーであったこと、
一葵が大空遥の隠し子であり、
自分が引き取って今日まで育ててきたことなどを
話します。

つまり、
一葵と大空遥は本当の親子なわけであり、
ある意味では似ていて当たり前。
「これも
 なにかの
 因果かもな」とはお父さんの言葉です。

あまりに突然の話に、
一葵は自分の寝室(?)にこもってしまいます。
たぶん部屋も決して多くない狭い家ですけど、
ふすまにつっかえ棒をしたりして、
一葵もプライバシーを守っていることがわかります。

この瞬間から、
一葵のオーディションに臨む姿勢が激変します。
それまでは、
「スターになれば貧乏な生活からはおさらばだ」などと
夢見がちに語っていた一葵でしたが、
「本当のお母さん」に会える、
会って話ができるかもしれないとなれば
話の切迫感が違います。

それまで一葵は、
母親は自分が小さいころに亡くなったと
聞かされていました。
思い出したら辛くなるから
写真も全部捨てたのだという
父の言葉を信じてきたわけです。
そう言われれば、
お母さんの名前も尋ねにくかったことでしょう。
(それともお父さん、
 大空遥を母親に見立てて
 「お前の母さんは遥といってなぁ……」とか
 語ってた?)

でも本当は、
お父さんは結婚したこと自体がなかった。
ただただ、
今日まで一葵と二人で暮らしてきたのだとすれば……。
一葵は
「お母さんが生きていた」ということしか
頭にないみたいですけど、
お父さんのこれまでを思ったとき、
僕はなんかじんとくるものがありますね。

さて翌日、
一葵は応募用紙を携えて村崎プロダクツをたずねます。
涙を流して喜ぶ村崎さん。
これで仕事が一つ入ると読んだのでしょうか。

ところが一葵は
「3回も
 みなおした」はずの応募用紙の記入ミスを
指摘されてしまいます。
性別欄が男になっているではないか、というのです。
そこでようやく一葵は、
自分が女の子と間違えられていたことに
気付くわけですね。

第一期の晶と違い、
一葵は「女装」していたわけではありません。
それでも女の子と間違えられたというところに、
一葵のかわいらしさが示されていると思います。
もっとも、
「大空遥の娘役にぴったりな女の子と見つけたい」という
村崎さんの願望が、
実際以上に一葵を「女の子」に見せてしまった面も
あるのでしょうが。

「娘役」のオーディションのため、
男の子では問題外と言われてしまった一葵。
けれど、
本当のお母さんに会う、
会って話をするのだという一葵の決意は
そんなことでは揺らぎません。
一葵は宣言するのです。
「そのオーディション、
 女として
 受けます…!」。

ここに、
二代目少女少年・星川かずきが
誕生することとなったのです。


参考お勧め記事
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その1)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その2)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その3)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その4)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その5)

やぶうち優『少女少年』第一期解説
やぶうち優『少女少年』第一期各話解説

やぶうち優「少女少年 0話」解説

「マンガ・アニメに女装少年」 『朝日新聞』が報道

酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

女装漫画に関する関連記事
『アイドルマスター Neue Green』(黒瀬浩介)について
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by imadegawatuusin | 2012-02-11 18:04 | 漫画・アニメ

――全く新しい「女装アイドル」漫画――
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■「定石」の逆を行った新展開

女装ものとアイドルものは
相性が悪くないらしい。
やぶうち優の『少女少年』シリーズをはじめ、
これまでにも数々の先行作品がある。
アイドルともなれば社会的な反響も大きい。
「女装」の事実が影響を及ぼす範囲も広い。
当然、
「実は男であるということ」は極秘事項である。
女装の事実が明るみに出るとマスコミなどが押しかけ、
大騒動が巻き起こるというのは
いわば「女装アイドルもの」の「定石」であり、
「バレるかバレないか」というドキドキが
作品の醍醐味となってきた。
その「定石」を覆し、
「それとは全く逆のストーリー展開」をみせたのが、
ゲーム作品を原作とした本書、
黒瀬浩介の『アイドルマスター Neue Green』である。

本書の主人公・秋月涼がアイドルを目指した動機は何と、
「男らしくなりたい」というものであった。
だが、
所属事務所社長の
「女性アイドルとしてトップアイドルになれたら
 男性アイドルとしてのデビューを考える」
との口車に乗せられた涼は、
「女装アイドル」の道を歩むことになる。

そして、
「女性」としてトップアイドルの道を極めた涼は、
ついに自ら、
マスコミの前で真実を告白する。

これまでの作品なら、
自発的にであれ不本意なものであれ、
女装の事実がマスコミにあきらかになると、
大きな波紋が広がり大騒動となることは
いわば作品の「前提」であった
(しげまつ貴子『天使じゃない!』など)。

だがこの作品では、
そうした「期待」は大きく裏切られることになる。
勇気を奮い、
意を決しての涼の一大告白を、
メディアは完全に黙殺するのだ。

涼の告白を受けてのメディア関係者の反応は
次のようなものだった。

「参ったな…
 なんてことだ…」
「このことが世間に
 知られれば
 大変な影響が
 出るでしょう」
「まさか秋月 涼が
 本当に…」
「ええ
 信じがたいことですが」
「ともあれ対処は
 しなければ
 なりますまい」
「この数日間で収録された
 秋月 涼の出演番組を
 すべてチェックし
 必要ならば修正を
 入れるように
 TV局に働きかけましょう」
「ではこちらは
 グッズ製作会社や
 出版社の関係者にも
 協力を要請します」
「お願いします」


かくして涼の告白は完全に黙殺されることになる。

所属事務所の社長は次のように証言する。

「(筆者注:涼が男であるという事実は)
 メディア上層部に
 とっては困るみたい」
「それで『発表させるな』って
 圧力がかかったようね」
「こんな素早く
 対応される
 なんてね」
「レコード会社
 TV局 出版社」
「今やあなた(筆者注:=涼)の看板で
 商売しているところは
 業界全体に
 及んでいるわ」
「私のところにも忠告が
 入ったわ
 事務所のためにも
 このことは隠し通した
 方がいいって」


通常、
「女装アイドル」ものでは、
「男である」という事実をマスコミから必死で隠し、
悟られないようにすることこそが
作品のいわば「キモ」である。
しかしこの作品では、
主人公自身が
その事実を積極的に公表しようと決意したにもかかわらず、
最初は事務所により、
そして次にはマスメディアそのものによって
事実が黙殺され、
事実の公表を妨害されるに至る。

こうした光景を目の当たりにした涼は独白する。

「今まで味方だった
 人たちに邪魔をされて
 
 トップアイドルになれても
 こんなものなの?」


この独白は非常に示唆的である。

以前、
在日朝鮮人であった芸能人が
それを公表しようとして
週刊誌などの取材を受けたにもかかわらず、
事務所や関係各所からの妨害にあい、
結局公表できなかったということがあったという。
一般に週刊誌には、
「出自あばき」のような形で
本人の意に反して
こうした「スクープ」を取り上げるというような
印象がある。
だがその逆に、
メディアにおいて
一定の位置を占めるようになってしまった芸能人の場合、
本人の側が積極的に発表しようと思った事実すら、
その「イメージ」に反するような場合は
握りつぶされてしまう場合もあるらしい。

自分が男であるという事実を、
いかに社会的に公表するか……。
そのために奮闘するという、
これまでの作品とは全く逆を行く展開が、
かえってリアルなものに映ってしまうのはなぜだろう。

アイドルとしての「努力」や「夢」を強調する反面、
アイドルというものが
メディアによって「作られる」ものでもあるという
冷厳な側面から、
この作品は目をそらさない。
本人が自分は男であるといい、
事実そうであるのだとしても、
メディアが女性アイドルとして取り上げる限り、
秋月涼は「女性アイドル」でしかないのだ……と。

「僕は引かない!
 空気なんて読まない!!」
「これは僕にしか
 進めない道だから」


涼の確固とした決意が、
事態打開への道を切り開いてゆく。
トップアイドルになる過程で知り合い、
友情を育んできた仲間たちと力をあわせ、
(逆の意味での)「メディアスクラム」を
突破してゆく涼の姿に
グッとくる読者は少なくないはずだ。

一方で、
「実は男」という発表後、
涼はこんなことも語っている。

「結果として沢山の
 人たちに受け入れて
 もらえたけど
 あの発表で
 傷つけてしまった人も
 きっといるんだよね」


そして、
この言葉を受けた
本書の「ライバル兼ヒロイン」・桜井夢子の答えは
こうだ。

「アイドルだって
 人間だもの!
 ファン全員が望む
 様になんて
 生きられないわ」
「あなたは
 自分のやりたい様に
 生きてればいいのよ」
「その姿を見て
 憧れて
 後に続こうとする
 人がいるって
 アイドルとして
 素敵だってこと
 なんだから!」


漫画やアニメで安易に描かれるほど、
「万人に支持される」アイドルは存在しない。
所属事務所の社長は
涼が女の子アイドルとして活躍していたとき、
このように言っていた。

「ファンはね
 みんなあなたに
 いろんな妄想を
 重ね合わせているの」
「こんな妹が
 娘が
 恋人がいたらいいなって」
「それが男だなんて
 わかってごらんなさい!」
「絶望のあまり
 働く気力
 学ぶ気力を
 なくす人々や
 特殊な性癖に
 目覚めてしまう
 人が溢れかえり
 そして日本は……」


涼はこうした社長の主張を「大げさ」と言ったが、
社長は、
「あなたの影響力は
 すでに それ程の
 ものなのよ!」と言い切った。
涼の告白にショックを受けた人も、
傷ついた人がいたことも、
それはそれで事実なのである。
この作品は、
そうした「負の部分」から目をそらさない。
それでも
「自分の夢を優先させて
 ファンを悲しませて
 しまった」涼の行動には
賛否両論あってこそむしろ当然なのだ。


黒瀬浩介『アイドルマスター Neue Green』(評価:4)


《酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

女装漫画に関する参考記事
「マンガ・アニメに女装少年」 『朝日新聞』が報道
やぶうち優『少女少年』第一期解説
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説
片山こずえ『女のコで正解!』について
筒井旭『CHERRY』について
篠塚ひろむ『ちぇんじ!』について
林みかせ『君とひみつの花園』について
富所和子『ないしょのココナッツ』について
水内繭子『恋する子どもたち』について
『かしまし』漫画版について



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by imadegawatuusin | 2011-08-21 20:52 | 漫画・アニメ

■「どうせ死刑」発言がえぐり出した真実
『名探偵コナン』映画第13作・
『漆黒の追跡者』のあるシーンに、
筆者は非常な衝撃を受けた。
今まで『名探偵コナン』という作品が、
決して触れることのなかった
センシティブな問題に切り込むセリフがあったからだ。

「どうせ僕は死刑だから……」。
これは、
本作の中で自首を勧める
主人公・コナンに対し、
「犯人」がつぶやいた言葉である。
この発言は、
『名探偵コナン』という作品史上、
ちょっとした事件だったと筆者は思う。

コナンは、
「犯人の命」を大切にする探偵として
知られている。
それこそ、
命をかけても、
最後の最後まで
犯人の命を守り抜こうとする。
決して自ら暴き出した犯人を
自殺に追い込むようなことはしない。
「犯人を推理で
 追い詰めて、
 みすみす自殺
 させちまう
 探偵は…
 殺人者と
 かわんねーよ…」(『名探偵コナン』単行本16巻FILE.3)。
この工藤新一=江戸川コナンの言葉こそが、
『名探偵コナン』という作品の
不動のポリシーを示している。

必死になって犯人の命を救い、
生きて法の裁きに引き渡したところで、
通常、
『名探偵コナン』という作品は終わる。
『名探偵コナン』という作品は、
「その後」については描かない。
これは、
たいていの「推理アニメ」・「推理ドラマ」に
共通する「お約束」である。
犯人が逮捕され、
事件がすべて解決すれば
「めでたし、めでたし」というわけだ。

しかし、
「その後」には
『名探偵コナン』の描かない
冷徹な現実が待っている。
『名探偵コナン』で描かれる事件の多くは
殺人。
それも、
トリックを弄して捜査権力に挑戦する
超絶計画殺人である。
連続殺人も少なくない。

ということは、だ。
コナンが命がけで助けた犯人は、
その少なからぬ部分が、
最終的には国家によって、
やはり命を絶たれる運命にある、
ということだ。

もちろん、
別にそれが悪い、
ということが言いたいのではない。
筆者は別に死刑廃止論者ではない。
悪いことをすれば死刑になる。
それ自体は、当然のこと、ではある。

だが、
「コナンがその命を守ろうとした犯人は、
 結局国家によって殺される」という現実から、
『コナン』という作品は
これまでどこか目を背けてきた部分が
なかっただろうか。

その現実に、
今回の映画・『漆黒の追跡者』は一瞬、
ほんの一瞬だが触れたのである。
自殺はいけない、
自首をしろというコナンに、
「どうせ僕は死刑だから……」とつぶやいた
その一言に、
筆者は今回の映画スタッフの
勇気と誠実さを見た。
それは、
決して目を背けてはならない「真実」が、
その言葉の中に含まれていると
筆者は思うからである。
(インターネット新聞JANJAN4月24日
 掲載記事に加筆掲載)


《劇場版『名探偵コナン』お薦めベスト3》
第1位『天国へのカウントダウン』
第2位『14番目の標的』
第3位『瞳の中の暗殺者』

《参考お薦めサイト》
「名探偵コナン『時計じかけの摩天楼』について」
「名探偵コナン『14番目の標的』について」
「名探偵コナン『瞳の中の暗殺者』について」
「名探偵コナン『天国へのカウントダウン』について」
「名探偵コナン『迷宮の十字路』について」
「名探偵コナン『銀翼の魔術師』について」
名探偵コナン『水平線上の陰謀』について


酒井徹「名探偵コナン『ベイカー街の亡霊』と『自己犠牲』」
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by imadegawatuusin | 2009-04-24 19:32 | 漫画・アニメ

――「任務だから」ここにいるの?――

人の感情は、積み重なる
流れの中にしか蓄積しない(ツガノガク『涼宮ハルヒの憂鬱』3巻103ページ)

未来は日常から
作られる(前掲書96ページ)


■全員が「演技」……その茶番の奥に
季節は梅雨から夏へと移り変わるころ、
主人公・キョンは「未来人」・朝比奈みくるから、
「今度の日曜日…
 一緒に買い物に
 行きませんか?」と誘いを受けた(ツガノガク『涼宮ハルヒの憂鬱』3巻69ページ)。
ハルヒは7月7日に向けて、
「皆 七夕の予定は空けておいてね
 我々SOS団でも
 大々的に催しを
 するから」と大張り切りだが、
一方で降り続く雨を見て、
「問題は
 それまでの
 週末よね」
「今度の日曜日には
 また市内探索を
 予定していたのに…
 こう雨続きじゃ
 中止もやむなし
 かしら…」とぼやきを入れる。

それを聞いて、
みくるは「うふ」と微笑んだ(前掲書71ページ)。
「未来人」たる彼女にとっては、
「日曜日の雨」は規定事項であるのだろうか。

日曜日。
みくるはキョンを洋服屋に誘う。
「すごく可愛い
 服があって」とは みくるの言だ(前掲書78ページ)。

服を買い終え、
二人は喫茶店「BOUTOR」でお茶をする。
そんな二人を「奇遇」にも通りがかりに発見したのが、
SOS団の「超能力者」・古泉一樹だったのだ。

朝比奈みくるは必至になって弁解する。
「ちっ 違います!
 道で会った
 だけなんです!
 でででデート
 とかじゃ
 ないんですから!」と。

古泉一樹は、
「それなら
 いいんですが…
 とはいえ
 注意して
 くださいね」
「涼宮さんに
 見られでもしたら
 大変でしたよ」と言った後、
「あくまで僕の
 独り言として
 聞いてもらいたい
 んですが…
 今 街中に
 何組かカップル
 見えますよね」と語り始める。
そしてこう言うのだ。
「あれは一種の『ポーズ』
 なのかもしれない
 彼らは恋人でも
 何でもないのかも…と」。

さらに彼はこう続ける。
「朝比奈さん
 ですが…
 彼女とて例外
 ではありません」
「彼女の愛らしい
 言動・キャラクター
 それが何らかの
 目的あってのポーズでは
 ないという保証は
 無いんです」(前掲書84~89ページ)。

ある意味でSOS団のメンバーは、
ハルヒを除き全員が一種の演技の中で生きている。
長門有希・朝比奈みくる・古泉一樹の主要任務は
「涼宮ハルヒの監視・観察」であり(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』119・148・164~165ページ)、
県立北高の高校生・SOS団団員としての彼らは、
あくまで世を忍ぶ仮の姿にすぎない。

主人公・キョンとて、
「宇宙人」・「未来人」・「超能力者」が
まさに目の前にいるということを知りながら、
「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して
 一緒に遊ぶこと」を目的とするSOS団の団員として(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』105ページ)、
日々
「宇宙人とか未来人とか超能力者本人や、
 彼らが地上に残した痕跡などを探」そうという
「不思議探索パトロール」に従事して
市内探索を繰り返すという
ものすごい茶番を続けている(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』142・299ページ)。

こうなると、
一体何を信じていいのか
だんだん分からなくなってくる。
特に、
常にキョンの一人称で、
キョンの視点のみから描かれる本編においては
ことさらその傾向が強くなる。

実際、
本作終盤で、
朝比奈みくるはキョンに対して
涙を流しながらうち明けるのである。
「ごめんなさい…
 わたし 嘘を
 ついてたんです
 やっぱり
 隠してられない…」(ツガノガク『涼宮ハルヒの憂鬱』3巻94ページ)。

■本当に「全ては『不透明』なのか」
聞けば、
今日のキョンとの買い物は、
「この時代に
 即した行動をとる」ための
「同化訓練」。
「今日は半分
 休日ですが
 もう半分に
 指令を織り込んでいる」と
朝比奈みくるはうち明けた(前掲書95~96ページ)。

ここまでなら、
これは、
「全ては『不透明』」と言う古泉の言葉を
裏書きするだけのエピソードとなるだろう。
だが本作では、
最後の場面でキョンの視点を離れ、
みくるの任務であった同化訓練に関する実施要項から
一文が挟み込まれる形で
物語は終焉を迎える。
その、
「同化訓練追記」と題された一文には
次のようにある。

これはある種の
訓練であり義務である
――が、あくまで
甲(筆者注:=時間遡航者)本人の意思に基づいて
行われるのが望ましい(前掲書101ページ)


朝比奈みくるの任務の一環として行なわれた
「同化訓練」。
しかしそれは、
決して彼女の意志に反して実施されたものではなく、
むしろ彼女の希望に基づいたものであったらしいことが
示唆される。
そしてそれは、
単にこの「同化訓練」の一件だけではなく、
彼女にとってのSOS団団員としての生活全体についても
言えることではないのだろうか。

彼女が毎日、
放課後SOS団の部室に向かい、
律儀にメイドの衣装に着替え、
ハルヒやキョンや古泉・長門と
わいわい騒ぎあっているのは、
もちろん任務の一環である。
しかし、今回の「同化訓練」についての実施要項を見ても、
未来においては、
任務といえども
「本人の意思に基づいて
 行われるのが望ましい」と、
自発性に重きが置かれているらしいことがうかがえる。

みくるもまた、
あくまで任務の一環とはいえ、
そんなSOS団生活を
それなりに楽しんでいたりするのではないか。
少なくとも、
「そうであったらいいな」とは、
「涼宮ハルヒシリーズ」ファンなら
誰もが思うところであろう。

《戻る》
谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』について
谷川流「涼宮ハルヒの退屈」について

《進む》
谷川流「笹の葉ラプソディ」について
谷川流「ミステリックサイン」について
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by imadegawatuusin | 2008-02-18 03:06 | 漫画・アニメ

■おすすめ先行文献
yuu氏「望月マユカ編~ライバルのあなた~」
「yuuの少女少年ファンページ」を運営するyuuさんによる
『少女少年II』のサイドストーリー。
原作を知る人間なら思わずニヤリとしてしまうような箇所が盛りだくさんで、
オタク心を大いにくすぐられる力作。
こういう楽しみこそ、
まさにパロディーの醍醐味というものである。
また、そうした部分を抜きにしても、
お話として とてもいい雰囲気で、
後味のよい作品に仕上がっている。
(僕は特に、
 作品の最後にある
 「マユカはほんの少しだけ、一葵に近づいた」という部分にぐっときた。
 これは、直接的にはマユカの「行動」についての記述なのだが
 〔つまり、文字通りマユカが一葵の側に寄ったということ〕、
 同時に精神的な意味でも
 マユカが「ほんの少しだけ、一葵に近づいた」ことが感じ取れる。
 負けず嫌いでプライドが高く、
 「自分から誰かに歩み寄る」ということがいかにも苦手そうな彼女が、
 あえて自分から一葵の側に近づいたという意味は
 非常に大きい。
 もちろんそれは、
 「ほんの少しだけ」だったのだから、
 周りのみんなも、
 当の一葵も多分気づきはしなかっただろうが、
 マユカ本人は自分がやったことを当然知っているわけで、
 そういう意味では「小さな一歩だけど大きな一歩」を踏み出したわけだ。
 ここから、彼女にとっての
 「新しい
  ドラマが
  始まる」〔本書207ページ〕のだろうという予感を抱かせる)。

89氏「もらう人」
「少女少年応援室」「SS保管庫」「頂き物」コーナー)に収録されている、
『少女少年II』のサイドストーリー。
地の文もなく、登場人物紹介もない。
にもかかわらず、
どのせりふを誰が言っているのかは、
原作を知る人間には一目瞭然。
数人の登場人物が二言三言会話を交わすだけの
極めて短い超掌編作品なのだが、
これほどまでに登場人物たちの心情が
読む者の胸に迫ってくるのはどうしてだろう。
「料理上手」という一葵の特性も最大限に生かした
珠玉の一品。


《戻る》
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その1)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その2)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その3)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その4)

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やぶうち優「少女少年 0話」解説

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2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

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【本日の読了】
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』(小学館てんとう虫コミックススペシャル)評価:5



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by imadegawatuusin | 2007-01-04 15:49 | 漫画・アニメ

―― 一葵は晶と同い年!? ――

一般には、
『少女少年』第一期は1997年度、
『少女少年II』は翌年・1998年度を舞台にしていると
考えられている。

第一期の舞台が1997年度であることは、
主人公のみずきが出演していた音楽番組が
「ヒットパレード’97」であることや(『少女少年』50ページ)、
第一期が
小学館の学習雑誌・『小学六年生』に連載されたのが
1997年度であったことから明らかである。

そして『少女少年II』であるが、
『少女少年』第一期の最後に、
晶と別れた村崎ツトムが、
一葵と思われる少年に、
「キミ
 キミ!
 そう
 キミ!
 アイドルに
 なる気
 ないかい!?」
と問いかけているシーンがある。
実際の『少女少年II』におけるセリフとは
やや違っているものの、
この呼びかけを
最初一葵が自分に向けられたものと思わなかったため、
もう一度繰り返したのが
『少女少年II』の冒頭なのだと考えると
いいかもしれない。

したがって『少女少年II』は
『少女少年』第一期の翌年度、
つまり1998年度の話であると考えるのが
自然なのである。
(『少女少年II』が『小学六年生』に連載されたのも
 1998年度のことである)。

そして、
『少女少年II』には物語の最後に、
翌年の「4月」に一葵たちが中学生になったことを
示唆するシーンがあること(『少女少年II』207ページ)、
連載された雑誌が
『小学六年生』であったことを考えても、
物語における一葵の学年は
基本的に小学6年生であったと考えるのが自然であろう。

つまり、
晶は1997年度に小学6年生、
一葵は1998年度に小学6年生だったというのが
最も自然な読み取りなのだ。

ところがである。
これと矛盾する記述が作品中にあるのである。

それは、村崎ツトムに提出した「申込書」に記載した、
一葵の生年月日である。
ここで一葵は自分の生年月日を、
「(19)86年3月10日」としているのである
(『少女少年II』29ページ)。

一葵が1986年3月10日生まれなら、
1985年度生まれということになる
(年度は4月で変わるため)。
もしそうであれば、
一葵は『少女少年』第一期の晶と
同い年ということになってしまう。
通常は、
1997年度に小学6年生、
1998年度には中学1年生となるはずだからである。

一葵はこの「申込書」を書くにあたって
「3回も
 みなおした」と証言している。
自分の生年月日を書き間違えたとは考えにくい。
この矛盾はどう考えればいいのだろうか。

これを考えるヒントが
『少女少年II』の198ページにある。
ここで、
誘拐から解放され、
正体が発覚した一葵のことが、
新聞に「実力派! 星河かずき(12)」と
報道されているのである。

誘拐事件があったのは
クリスマスイブ(12月24日)の前日、
つまり12月23日であるとされている(『少女少年II』173ページ)。
新聞報道は、
誘拐事件の後に、
「その後、
 東京に戻ってから
 正式な記者会見が開かれて、
 『大空遥に
  かくし子発覚』と
 『星河かずき
  実は男』の話題で、
 家に帰る
 ひまもなく、
 数日が過ぎて
 いった」という一葵のモノローグと、
「だけど
 その間……」という、
続くコマにある一葵のモノローグの間に
挟まれる形で登場する(『少女少年II』198ページ)。

つまり、
誘拐からの解放翌日から「数日」の「間」、
12月24日から数日の間に
報道されたものであるということである。

もしも一葵が3月生まれなのだとしたら、
普通はここは「星河かずき(11)」と
なっていなければならない。
しかし、
物語中の12月の時点で、
一葵は12歳になってしまっているのである。

だとすると一葵は、
通常より一年遅れで
学校に通っているとしか考えられない。

3月10日生まれというのは、
考えてみればかなりの「遅生まれ」である。
あと二十数日遅く生まれていれば
次年度生となる狭間の生まれであるからだ。
複雑な家庭の事情もある一葵のことだ。
学校への入学が一年遅れたのだとしても、
考えられないことではない。

そう言えば、
大空遥は自身の妊娠を一切世間に知られることなく
極秘のうちに一葵を出産したらしい(『少女少年II』25ページ)。
だとすると一葵は、
大空遥があまりお腹が大きくならないうちに生まれた、言い換えれば相当の未熟児だったのではないか。
実際の誕生日は3月10日でも、
本来は4月以降に
生まれるはずだった子どもであったとしても
おかしくはない。

また一葵には
小さいころから夢遊病の気があったようであり、
これについては今も完全には直っていない(『少女少年II』68ページ)。
こうした一葵の「発達の遅れ」も、
就学猶予が認められれた一つの要因である可能性がある。

では、
物語の冒頭で一葵が村崎ツトムに提出した「申込書」で
「年齢」が「11歳」(『少女少年II』29ページ)、
オーディションに提出されたものでは
「満11歳」となっていたこと(『少女少年II』38ページ)
についてはどう説明するのか。

この「申込書」を書いたとき、
一葵はまだ小学5年生だったと考えるのは
どうだろう。
よくよく考えてみれば、
1997年度を舞台とする『少女少年』第一期の最後に
一葵が登場することも示唆的である。

白川みずきは1997年のクリスマスシーズンと(『少女少年』158ページ)、
1998年の正月(『少女少年』172ページ)との間に
引退している。
引退が「紅白歌合戦」の前であることからも(『少女少年』161ページ)、
1997年の12月後半のことであろう。

それから1998年の4月までには
3ヶ月あまりの時間がある。
村崎ツトムが一葵と出会ったのも、
申込書を提出したのも、
この1998年1月から3月9日までの間だったのだと
考えれば、
一葵が一年遅れて入学しているにもかかわらず、
このとき年齢が11歳であったことの説明がつく。

ではまとめよう。
村崎ツトムが一葵と出会ったり、
一葵が村崎に「申込書」を提出した
『少女少年II』第1話・「運命の決断」は、
1998年の1月から3月9日までの間
(おそらく、3月1日から9日の間)で、
一葵が小学5年生で、
3月10日に12歳の誕生日を迎える前の話。
このとき、一
葵は11歳だったので、
「申込書」にはそのように書かれている。

「砂の嵐」のオーディションが行なわれたのは
1998年の「4」月であるが(『少女少年II』23ページ)、
申込書を記入した時点が3月9日以前であれば、
そこに年齢が「満11歳」と書かれていても
不自然ではない。

つまり一葵は、
『少女少年II』の第1話と第2話との間に
誕生日・3月10日を迎えて12歳になり、
4月を迎えて6年生になっている。
第2話・「とまどい」以降は一葵12歳、
小学6年生のときの話ということになる。

なお、
「申込書」の提出以前の段階で、
一葵の父・星河鉄郎が一葵に対し、
「一葵…。
 おまえももう
 6年生だし……」と発言している場面があるが(『少女少年II』24ページ)、
これはおそらく、
1998年3月の時点で、
「お前ももうすぐ6年生だ」・
「お前もあと1ヶ月もしないうちにもう6年生だ」
というような意味合いでの発言か、
あるいは
小学校への入学が1年遅れていることを意識して、
「お前も本当ならもう6年生だ」と言うような意味で
理解するとよいのではないか。

なお、
『少女少年II』の第1話・「運命の決断」の部分が
一葵が小学5年生時代の3月上旬であると考えることには
別の合理性もある。
それは、
この第1話が掲載された
1998年4月号の『小学六年生』は、
実は3月上旬(正確には3月3日)に
発売されているということである。

つまり、
雑誌掲載時に
リアルタイムでこの物語を読んでいた読者も、
第1話の時点では小学5年生だったのだ。
4月号掲載の一葵が小学5年生で、
5月号掲載以降の一葵が小学6年生であるとすれば、
作品の主人公と読者とが完全に同期していたことになる。


《戻る》
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その1)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その2)
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その3)

《進む》
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その5)

やぶうち優『少女少年II』各話解説


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やぶうち優『少女少年』第一期解説

やぶうち優「少女少年 0話」解説

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by imadegawatuusin | 2007-01-03 11:37 | 漫画・アニメ

――「少女少年活動=役者としての実力証明」という新視点――

■役者としての「すごさ」は物語そのものに語らせる
漫画という媒体は原則的に、
静止した絵(コマ)の連続とセリフ(および擬音など)とによって成り立っている。
「動き」や「音」は直接的には表現できず、
あくまでコマの連続とセリフ・擬音などから
読者が想像して補うしかない。

このような表現手段の宿命ともいえるのが、
「動きや音にかかわる『すごさ』を
 いかに説得力を持って描けるか」という課題である。

やぶうち優さんの『少女少年』シリーズでは、
女の子に扮した男の子たちが
歌手・子役・モデル・声優などの各種芸能に挑戦する。
「モデル」だけは別として、
その他の「歌手」・「子役」・「声優」などについては、
読者は彼らの「すごさ」を
作品そのものから体感することは不可能だ。

そこで通常は、
「歌を聴いた人が感動のあまり涙する」、
「サイン会に大勢のファンが押しかけ社会現象になる」、
「その実力を『その道のプロ』(大物プロデューサーなど)から大絶賛される」
などの「目に見える」方法によって
二次元芸能人はその「すごさ」を読者の前に「証明」することになるのだが、
言うまでもなくこれらは、
小手先めいた安易な方法であり、
お世辞にも上等なやり方ではない。

その漫画の作者であれば、
歌を聴いた人に涙を流させたり、
サイン会にファンを押しかけさせたり、
大物プロデューサーに絶賛させたりするのは簡単なのだ。

例えて言うなら、
漫画やドラマで「世界一の美人」を表現するには至難のわざを要するところを、
小説だから本文の中に、
「彼女は世界一の美人だ」と一言書いただけで
済ませてしまえという態度に似ている。

そんな安易なやり方で実力を「証明」されたとしても、
読者は説得力を感じない。
漫画であれ、小説であれ、
その表現方法によっては直接描ききれない部分の「すごさ」は、
物語(ストーリー)そのものに語らせてこそ
初めて説得力を持つものなのだ。

前書きが長くなった。
本題に入ろう。

『少女少年』第一期において白川みずきの歌唱力は、
赤沢智恵子の心と行動とに及ぼした影響力の強さによって証明される。

漫画は音を出すことができない。
だから僕たちは、
白川みずきがどんな声で どんな歌を歌ったのか、
それは想像するほかない。

けれど僕たちは、
白川みずきの歌のすごさを知っている。
それは決して、
白川みずきの歌唱力が芸能プロに認められたからでも、
サイン会に大勢のファンを動員したからでもない。
白川みずきの歌声が、
アイドル嫌いの一人の少女の心を解きほぐし、
共鳴し、
彼女をして自分の好きな男の子に、
素直な気持ちを伝えさせたということを
僕らは知っているからだ。

単にファンに「感動した」・「すばらしい」と言わせるだけにとどまらず、
それを聴いた者の心を実際に変え、
行動を変えたという点にこそ、
白川みずきのすごさがある。
これこそが、
白川みずきが「物語(ストーリー)に語らせた実力」なのだ。

そして やぶうち優さんは、
『少女少年II』においても、
主人公・星河一葵の実力を物語そのものに語らせている。

もちろん、
一葵の「実力の証明」としては、
前述の「小手先めいた手法」も使われてはいる。

一葵は芸能プロドューサーに「天性の才能」を認めさせ(本書101、206ページ)、
「めったに
 ほめないことで
 有名」な監督に
「最高の
 ほめ言葉」をかけられ(本書140ページ)、
多くのファンを獲得する(本書142ページ)。

しかし、
役者としての一葵の実力を最も説得力を持って証明するのは、
大空遥がマスコミ記者を前に語ったあの言葉、
「みなさんも
 一葵の実力は
 よくご存知
 でしょう。
 だって一葵は
 この半年間、
 りっぱに“女”を
 演じきったじゃ
 ないですか」である(本書196ページ)。
大空遥はこう語る。

みなさんの中で、
一葵が男だと
気づいた方は
いらっしゃいますか?
……
おわかり
いただけた
でしょう?
一葵の実力は
だれもが認める
ところなのです。(本書197ページ)


そう。
『少女少年』というこの物語の構造そのものが、
星河一葵の最大の実力証明だったと言ったのだ。

■江戸の仇は長崎で! 大空遥、12年越しの「タブーとの闘い」
考えてみれば、
これは驚くべき発想の転換、
大どんでん返しである。
僕たち読者はこのページに たどり着くまで、
「男だってことが
 バレた時点で、
 ギョーカイ
 永久追放」(本書55、83ページ)という「芸能界の常識」に
完全に支配されてきた。
男であるにもかかわらず女として芸能界で暮らしてきたという経歴は、
どう考えても隠すべき、マイナスのものとしか
捉えられない状態だ。

ところが大空遥は、
星河一葵の少女少年としての生活を、
「りっぱに“女”を
 演じきった」と臆することなく言ってのけ、
役者としてむしろプラスの事柄、評価の対象であると
堂々と再規定したのだ。
たいした役者である。
(もちろん、大空遥は「たいした役者」なのであるが)。

僕たちは、
初代少女少年である白川みずきが
どのようにして芸能界から追放されたかを知っている。
本当の性別を暴かれた彼は、
多くのファンの罵声を浴びながら
華やかな舞台からあっけなく退場していった。

だからこそ、
「男だってことが
 バレた時点で、
 ギョーカイ
 永久追放」という村崎ツトムの言葉には
重いリアリティーがあったのだ。

そしてそれは、
「女優の妊娠は致命傷になりかねないスキャンダル」という、
当時の「芸能界の常識」にあらがえず、
愛する我が子を手放さざるを得なかった12年前の彼女の姿に
どこか重なって見えるのである(本書25ページ)。

12年前、「芸能界の常識」の前になす すべのなかった遥。
そしてそのことが今回の事態を引き起こしたのだとすれば、
彼女は、
今度こそは負けるわけにはいかなかったはずである。

「江戸の仇は長崎で」。
少し違うかもしれないが、
僕はそんなことわざを思い出す。

12年前は
「致命傷に
 なりかねない
 スキャンダル」であった女優の妊娠も、
「今はもうそんな
 ことはない」(本書25ページ)。
ならば、
「星河かずきは男であった」ということも、
決して絶対的なマイナス要因ではないはずだ。
遥には、
そんな確信があったに違いない。

彼女は、
12年のときを経て、
形を変えて再び目の前に立ちはだかった「芸能界の常識」に
ひるむことなく再戦を挑み、
そして今度は鮮やかな勝利を勝ち取った。
「かくし子発覚」は「感動の親子愛!!」に、
「大人気少女子役 実は男」は「実力派! 星河かずき(12)」に(本書194、198ページ)。
遥の一言は、
「芸能界の常識」を覆し、
芸能史の流れを大きく転換させたのだ。

その影響は、
その後の『少女少年』各作品にも著しい。
『少女少年V』の蒔田稔は、
男だということがバレた後も社会に温かく迎えられたし、
『少女少年IV』の白原允などは
最初から「女装アイドル」として売り出すことも提案された。
『少女少年VII』の「万丈千明」などに至っては、
いずれ男として再登録する日のことを見越し、
芸名を付ける段階からして
「男女どちらでも使えるものを」との配慮がなされたほどなのである。
(身体的な性別が判明した後も
 クラスメートが章姫いちごを「女の子」として受け入れ続けてきた
 『少女少年~GO!GO!ICHIGO』なども、
 この流れの延長線上に位置づけられるかもしれない)。

いまや『少女少年』の世界では、
「男だってことが
 バレた時点で、
 ギョーカイ
 永久追放」などということは
「今はもうそんな
 ことはないが、
 当時は……」という枕詞を付けて語られる
昔話に他ならない〔注1〕。
けれどそれは、
決して
「世の中の流れが変わったから自然にそうなった」
というものではない。
そこには、
かつて自らも「芸能界の常識」に押しつぶされた経験を持つ、
一人の女性の闘いがあった。
かつて「芸能界の常識」に押しつぶされた一人の女性が、
「芸能界の常識」を見事に変えて見せた、
もうひとつのドラマがあったのだ。
〔注1〕ときどき『少女少年』について、
「毎回、『バレたらおわり』のドキドキ感が魅力」と評する人がいるが、
僕はこの考え方には賛同できない。
「バレたらおわり」の世界は、
(少なくとも『少女少年』の世界では)
この『少女少年II』の最終回ですでに終わっているのである。
その証拠に、
『少女少年IV』の允くんがスカウトされた際、
「それって、
 よくある『バレたらおわり』ってやつ!?」と質問したときに、
村崎ツトムははっきりと、
「そこら辺は心配ないよ!」と言明している。
(そのあと、
 「なんなら最初から
  男だって明かして
  "女装アイドル"として売り出してもいいし!」と
 話は続くのであるが……)。
これ以降の少女少年たちが「正体」を隠して女装するのは、
もはや社会的な理由からではなく、
もっと個人的な理由による。
男だということが「バレるかバレないか」は、
以後の作品においても依然重要性を持つものの、
それはあくまで個人的な人間関係の維持のためであり、
かつて『少女少年』第一期で晶が恐れていたような、
「詐欺」だの「変態」だのといったレッテルを貼りつけられて
社会全体から排斥されることを恐れる必要は
あまりなくなっているように見受けられる。
少なくとも、『少女少年II』以降の作品は、
「男だとバレる=業界永久追放」の図式がもはや崩壊した世界での物語だ、
ということは間違いない。



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やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説(その1)
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やぶうち優『少女少年II』各話解説

参考お勧め記事
やぶうち優『少女少年』第一期解説

やぶうち優「少女少年 0話」解説

「マンガ・アニメに女装少年」 『朝日新聞』が報道

酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

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by imadegawatuusin | 2007-01-02 15:27 | 漫画・アニメ

――いま、男性が「女装少年」に「萌えて」いる!――

■「主人公の女装で人気上昇」
11月9日の「朝日新聞」朝刊に、
「表現の秋 マンガ・アニメに女装少年」
という記事が掲載された。
「女装少年モノ」の大ファンである僕にとっても、
大変興味深い記事である。

数ある「女装少年モノ」の中でも
僕がもっとも愛する作品は、
やぶうち優さんの『少女少年』だ。
この『少女少年』や作者・やぶうち優さんに関する情報を発信している
「少女少年ややぶうち優先生に関するブログ」の執筆者・yuuさんも
ブログの中でこの記事を取り上げ、
少女少年のことについても書いてもらえると嬉しかった

とおっしゃっている↓。
http://pub.ne.jp/yuugirlboy/?entry_id=402963

僕もまったく同感だ。
ただ、
どうやらこの記事の趣旨は、
「女装少年が登場するマンガやアニメが(最近)目立つ」、
「しかも少年マンガで、こうした傾向が見られ始めた」
ということのようであるから、
すでに連載の終了した、
しかも「少女漫画」系に分類される『少女少年』は
取り上げにくかったということかもしれない。

実際のところ、
少女漫画誌における「女装少年」というものは
以前からそれほど珍しいものではない。
やはり最近の現象として注目すべきは、
(僕も含む)男性が「女装少年モノ」に夢中になっている、という、
その点にこそあるのだと思う。

そういう意味では、
『椿ナイトクラブ』の作者・哲弘さんの、

「描きたいように描いたらこんなことに」

とか、
少年が男にホレられたり、
女装したりした回は読者アンケートの順位が上がった


といったコメントを記事の冒頭に持ってきた「朝日新聞」は
相当「いいセンス」を持っているようだ。

正直言って、
僕のような「ゴリゴリの女装少年おたく」からみれば、
この『椿ナイトクラブ』という作品は
あまり「女装少年モノ」という感じがしない。
確かに『椿ナイトクラブ』は、
表紙では主人公が女装している。
しかし実際に中身を読んで見ると、
作品の中で「女装」シーンがあるのは
数百ページのうちのほんの数カットでしかない。
僕ならおそらく、
この作品が「女装少年モノ」であると認識すること自体が
できなかったのではないかと思う。
(作品自体、あまり好みではないというのもあるが)。

ところがこの「朝日」の記者は、
『少年チャンピオン』で連載されているこの作品に目をつけて、
作者である哲弘さんにインタビューを行ない、
「少年が男にホレられたり、
 女装したりした回は読者アンケートの順位が上がった」という
実に絶妙なコメントを拾ってきている。

『少女少年』とか『ミントな僕ら』とか
(いや別に、
 『少年ヴィーナス』でも『ライバルはキュートBoy』でも何でもいいのだが)、
僕たちが考えているような典型的な「女装少年モノ」というのは、
基本的に、
最初から「少年が女装する」というコンセプトを
大前提にして書かれた作品である。
それに対して『椿ナイトクラブ』はまったく異質な作品なのだ。
作者は、この作品においては
少年を女装させようと最初から考えていたわけではなかったのである。
ところが、「もののはずみ」で女装させることになってしまったら、
どういうわけか人気が出た。
そして、男にホレさせたら さらに人気が出た。
別にそんなつもりはなかったのに、
「描きたいように描いたらこんなことに」なっていた……。
これは
(作品自体の評価は別にして)、
とても興味深い話だと僕は思う。

従来、
確かに少女漫画の世界では、
「男の子を女装させてみると人気が上がる」
というような現象はあったかもしれない。
だが、
少年雑誌で「男を女装させてみると読者の支持がアップした」
というのはあまりなかったように思われる。
その意味で、
「いま、女装少年に男が惹かれている」という現象を浮き彫りにするのに、
「朝日新聞」は実にいい素材を拾ってきたなと、
僕は感心しながらこの記事を読んだ。
(記事の中では少女漫画も2作紹介されているが、
 そのうちの『プリンセス・プリンセス』は、
 「『男子校に潤いを与えるため』
  主人公らが女装させられる」ということを伝えるためのものなわけだし)。

この記事を1本 書くためだけに
わざわざ「女装少年モノ」の同人誌即売会場にまで足を運んで
来場者にインタビューを試みているあたり、
記者の熱意が感じられる。

そして、
このインタビューに答えた男性のコメントが
これまたふるっている。

マンガもこれだけ増えると、
普通の女の子では物足りなくなる


確かに。
だが、これほど
「女装少年が登場するマンガやアニメが目立つ」ようになってくると、
そろそろ
「普通の女装少年では物足りなくなる」ような状況になりつつあるとも言えるかもしれない。
僕自身、
この記事で紹介されている作品の中でも、
宮野ともちかさんの『ゆびさきミルクティー』は結構好きだし、
つだみきよさんの『プリンセス・プリンセス』も前々作の『革命の日』以来愛読してきた一方、
新條まゆさんの『愛を歌うより俺に溺れろ!』などは
あまり趣味に合わない感じがしている。
(特に女装少年の性格!)

ボーイズラブなどは
既に「そういう時代」に入っていると言える。
どんなにボーイズラブが好きな人でも、
これだけジャンルが多様化してくると
「ボーイズラブなら何でも好き!」という人は
ほとんどいない。

あと、最後に少々不満な点を数点だけ挙げておきたい。
「朝日新聞」に載せるのであれば、
やはり今 連載中の「女装少年モノ」の中では
ずば抜けた社会性を持った、
言い換えれば本来 新聞が率先して取り上げなければならないような「重い」テーマをきちんと扱い、
なおかつそれを暖かく、
ふんわりと、軽やかに描いた
志村貴子さんの『放浪息子』をぜひ取り上げてほしかった。
(これほど「重い」テーマを
 これほど軽やかに描くというのは、
 本当に至難の芸当である。
 異性装者や「性同一性障害者」を「軽く」あつかい、
 ただ「変態」扱いして笑いものにするのは簡単であるが、
 こうしたテーマを「軽やか」に、
 かつ「暖かく」描くのは並大抵の技術では不可能だ)。

それから、
宮野ともちかさんの『ゆびさきミルクティー』の紹介として、
「主人公の少年は、
 美少女姿の自分自身にいつしか引かれる」
というのはいかがなものだろうか。
確かにそれっぽい描写がないではないが、
どうもピントが外れているというかなんというか……。

この場合、
「子供のころからの夢だったサッカーの道を捨ててでも
 女装の道を選んだ主人公
 (このまま運動を続けていると体に筋肉がつき、
  女装ができなくなってしまう!)」
という、主人公の女装に賭ける熱意というか決意というか、
そういった部分を中心に
紹介したほうがよかったんじゃないかと
僕には思えてならないのであるが……。


酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

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by imadegawatuusin | 2006-11-12 03:46 | 漫画・アニメ