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よど号問題と拉致問題

元赤軍派議長・塩見孝也氏の
「よど号グループよ、拉致問題の真実を語れ!」というインタビューが、
10月7日に発売された月刊『創』11月号に掲載された。
この号には鈴木先生の
「どうする!『よど号』」という文章も載っており、
読み比べてみるとなかなか腑に落ちるものがある。

塩見氏のインタビューの中で注目すべき部分は、
やはり「『拉致』問題についてのある種の確信」という章だろう。
これによると塩見氏は「95~96年頃」、
「石岡さんら」についてよど号グループに訊いたそうだ。
「オルグしようとしたけど、手に負えなくなった」というのが
よど号グループの返事だったという。
手に負えなくなって労働党が出てきた結果
「手の届かないところに行った」とよど号グループは言ったという。
塩見氏はこの会話について、
「もちろん、連れて来たというのを前提にしての話」だったとしている。
しかし、
2000年の訪朝の際に訪朝団のメンバーが訊いたときには、
「その男性を連れてきてはいない」という説明に変わっていたそうだ。

これは非常に重要な証言であると僕は思う。
なぜなら、
塩見氏は
よど号グループに対立しようとしている人物ではないからだ。
そのことは、
このインタビューの中でも再三にわたって強調されている。

今後、
僕の発言が
「よど号」グループの裁判に使われる可能性もあることは念頭に置き、
注意していかなければならない


真実をはっきりさせながら
相対的に独自なスタンスを保って、
同志的友人の立場、
人道の立場というか、
そういうことから救援を継続する。
それが僕と彼らの関係だ。
「救援しながら真相を!」という潮流を創出する
正しい対応だと思う


彼らがすすんで人民が亡くなることに手を貸したわけではない


マスコミが僕と小西らとの対立を煽るのに
巻き込まれたくなかった


権力に結託した反「よど号」の立場に立つのではなく、
第三の立場で、
一定の距離を置きながら救援するというのが僕らの立場だ


僕はどこまでも救援する


要するに塩見氏は、
『よど号の人たちとはこれからも友人であり続けたいし、
 そうあり続けるためにも本当のことを話してほしい』
という立場であると僕は理解した。
この点は、
よど号グループを厳しく批判している高沢皓司さんや
八尾恵さんとは大きく違う。
そうした立場の塩見氏が、
『よど号グループも
 一時は石岡さんらを連れてきたことを認めていた』というような嘘を
敢えてついているとは考えにくい。
だから僕は、
塩見氏のこの証言にかなりの信憑性を感じる。
よど号グループが拉致
(あるいは、最大限にひいき目に見ても
 石岡さんらの帰国妨害)にかかわったことは
まず間違いないと感じられた。
別に僕は、
塩見氏の言うことは正しいとか、
塩見氏は信用できる人物だとか言っているわけではない。
ただ合理的に考えて、
塩見氏が嘘をついている可能性は
極めて低いと感じられるだけだ。

よど号グループにはただちに帰国してもらいたい。
帰国して、
日本できちんと裁きを受けてほしいと思う。
主張があるのなら、
そこで堂々と述べてほしい。
今や日本では「拉致国家」・「テロ国家」としか見られていない北朝鮮から
「無実」を叫んでも説得力がない。
百歩譲って彼らが拉致事件に無関係だとしても、
何の罪もない人民を人質にとって
飛行機を乗っ取った犯罪者である点には
全く疑う余地はない。
外国政府の庇護の下に
このまま処罰を免れ続けることは
やはり許されないのではないかと思うのだ。

よど号事件の実行犯は、
全員・即時・無条件で帰国し、
日本において法の裁きを受けるべきである。
日本政府は拉致被害者らの即時帰国と合わせて、
よど号メンバーの引渡しも
北朝鮮政府に強く求めていかなければならないだろう。

……、とここまで書いてきたところで
ニュースが入ってきた。
拉致被害者の帰国が実現する見通しになったらしい。
つい1ヶ月前までは、
このような事態になるだろうとは夢にも思っていなかった。
 
僕は最初、小泉総理が訪朝すると聞いたとき、
こんなのは総理が得意としている
パフォーマンスに過ぎないと決め付けていた。
田中外相更迭問題以来落ち込み気味の支持率を挽回させるため、
訪朝という派手なパフォーマンスで
注目を引こうと考えているのだろう。
しょせんは儀礼的な訪問であり、
名刺交換でもしただけで帰ってくるのだ。
独裁国家の北朝鮮が自分たちの「非」を認めるわけがないし、
大体「拉致事件」なるものにしても、
あやしいものではないか。
朝鮮語と日本語の両方を話せる在日朝鮮人だっているし、
そもそも北朝鮮には多くの「日本人妻」だっているというのに、
朝鮮語も理解できない日本の若者を拉致して北朝鮮へ連れて行き、
朝鮮人への日本語の教育係にするなどということは
あるわけがない。
日朝国交正常化交渉は、
朝鮮半島を植民地として我が国が支配した歴史の清算から
始めるべきである。
まずは自らの過去の国家犯罪を真剣に反省し、
謝罪しない限り、
我が国は北朝鮮を追及するにたる道義性を持つことは出来ない……。

小泉総理の訪朝を聞いたときの第一印象は、
ざっとこんなものであった。
北朝鮮による拉致の事実が明らかになった今、
僕は真剣に自己批判する必要があると思う。
おそらく、
僕のような立場の人間が日朝国交正常化交渉に当たっていれば、
拉致事件は永遠に解決されることはなかっただろう。
「拉致問題の解決なくして
 日朝国交正常化はありえない」と主張し続けた小泉首相のやり方が
北朝鮮に拉致の事実を認めさせ、
被害者らの帰国を勝ち取ったのだと思う。
僕は小泉政権を支持したことは一度もないし、
今後も支持することはないと思うが、
やはり、
たとえ相手が自民党政権の首相であっても、
いいことはいいと言いたいと思う。
もちろん、
不手際もあっただろう。
いろいろと不満な点がないわけではない。
また、
事態は現在も進行中なので
今の段階で評価を決めるのは早すぎるかもしれない。
けれど、
冷静に考えて、
これは日本外交の勝利だったと僕は思う。
小泉首相はもちろんのこと、
拉致問題の解決のために力を尽くされてきた外交官の方々に
僕は本当に感謝申し上げたい。

それにひるがえって僕はどうだ。
北朝鮮による拉致なんて本当かどうか疑わしいだなんて、
ろくに調べもしないで決め付けていた。

いや、もっと言えば、
拉致事件そのものに対する責任だってあるような気もする。
今になって調べて見ると、
どうやら日本人が次々と拉致される以前には、
韓国の沿岸で拉致事件が頻繁に発生していたそうなのだ。
しかし、
韓国政府は沿岸の警備を強化し、
拉致事件の防止に努めた。
工作員の侵入や韓国人の拉致が困難になった北朝鮮は、
沿岸警備の手薄な日本を狙うようになり、
「日本人へのなりすまし」などの手段を使って
韓国侵入を試みるようになったといわれている。
だとすれば、
拉致事件の原因は
(もちろん第一義的には北朝鮮政府による
 人権無視の国家政策にあるのだが)、
沿岸警備の強化を怠った
日本の警備体制にあったといわざるを得ない。
では当時
(もっとも、僕はまだ生まれてないけど)、
もしも次のように問われたら
僕はどうしていただろう。
「最近、日本の沿岸で
 不審な行動をとる勢力があるようなので、
 海上警備体制を強化したいと思います。
 いかがでしょうか」。
おそらく僕は
「絶対反対」と答えていたに違いない。
「警備強化は軍事大国への道だ」とか何とか理屈をつけて。

「警備強化」とか「安全保障」とかいうものには
片っ端から反対するのが「平和主義者の証」だと思うような傾向が
僕にはある。
というか、
左がかった人間の多くが
こういう傾向にあるような気がする。
今回の事件では、
僕も含めたそうした傾向の人間全員に、
いわば「不作為責任」とでも言うべき責任が
あるような気がしてならないのである。
いくら平和主義者だからといって、
たとえば海上パトロールの回数を多くしたり、
巡視艇を増やしたりすることにまで
「軍事大国への道」というようなレッテルを貼らなくても
よかったのではないか。
こうした態度が北朝鮮工作員の我が国への進入を招き、
結果として在日朝鮮人などへの嫌がらせをはじめとする
排外主義的行動を煽ってしまったのではないだろうか。
僕は今、そんなことを考えている。

自分がこんな文章を書いてしまっていることに
自分でも驚いている。
普段の僕では絶対にこんなことは書かない。
自分で言うのもなんだが、
僕はかなり教条主義的な人間だ。
「国民の生命と安全を護るために
 沿岸警備体制を強化するべきだった」なんて、
自分で書いておきながら、
読んでみるとなんだか腹が立つ。
でも、思い切って書いてみることにした。
自分で自分を自己規制してしまわずに、
思っていることをどんどん書いていける人間になっていきたい。
自分を思想で縛らずに、
思想をどんどんうち捨てて、
新しい自分を創っていきたい。
たとえば、鈴木先生のように。
そのために僕は
ここでこうして文章を書かせていただいているのだから。

さて、さっきちょっと話に出たので、
最後に在日朝鮮人への嫌がらせについて触れておきたい。
お決まりのパターンと言うか予想通りと言うか、
朝鮮学校の生徒に嫌がらせをする人間がやっぱりいた。
ちょっと目新しいのでは、
在日朝鮮人のボクシング選手の掲示板が
荒らされたとかいう話もあった。
北朝鮮による拉致と、
子供たちと、
ボクシング選手との間にどういう関係があるというのか。
「北朝鮮は悪いことをしたのだから、
 朝鮮人はこのぐらいの仕打ちを受けて当然だ」というのは、
「日本は朝鮮に悪いことをしたのだから、
 日本人は北朝鮮に拉致されたって当然だ」と言うに等しい
むちゃくちゃな論理である。

大体、朝鮮人を攻撃することで
北朝鮮に何らかのダメージを与えられるとでも
思っているのだろうか。
そうだとすれば、
それは北朝鮮に対する過大評価である。
北朝鮮は、
自国内に住んでいる国民のことさえ考えようとはしない。
何万人が餓死しようとも、
独裁政権を維持することだけを考えている。
そんな国家が、
日本に住んでいる同胞が嫌がらせを受けたことで
心を痛めたりするとは思えない。
朝鮮人を痛めつけても北朝鮮は何の痛みも感じない。
北朝鮮とはそもそもそういう国なのだ。

だから、
拉致事件についての怒りの矛先はまっすぐに
独裁政権の指導部に向けられなければならない。
在日朝鮮人に対する嫌がらせがあれば、
北朝鮮はそれを根拠に日本社会の差別性を批判するだろう。
在日朝鮮人への嫌がらせは、
我が国を非難する口実を北朝鮮に与えている。
我が国の立場を弱め、
北朝鮮の立場を強めることになるだろう。
これから本格的な日朝交渉が始まろうとする今、
在日朝鮮人への嫌がらせは明らかに利敵行為なのである。
もし
在日朝鮮人への嫌がらせを行なったあなたが愛国者であるならば
(多分そんなことはないと僕は思うけど)、
ぜひともただちにやめていただきたいものである。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.8より転載)
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by imadegawatuusin | 2002-10-14 19:35 | 国際

「まんが同人誌」というものをあなたはご存知だろうか。

いうまでもなく同人誌とは、
「主義・傾向・趣味などを同じくする人たちが
 共同で編集発行する雑誌」のことである。
だから「まんが同人誌」とは、
「まんがを好きな人たちが共同で編集発行する
 まんが雑誌」のことだろうと考えるのが自然だが、
これは必ずしもそうではない。
もちろん、そういう「まんが同人誌」もないわけではないのだが、
現在の「まんが同人誌」の大半は、
「雑誌」でもなければ「共同で編集発行」もしていない。
個人が編集発行する、
単なる自費出版のまんが本であることが一般的だ。

なぜ単なる個人出版のまんが本を「同人誌」と呼ぶのかというと、
それは「まんが同人誌」の歴史に関係がある。
もともと「まんが同人誌」とは、
各大学や高校に存在した
「漫画研究会」(通称「漫研」)などのサークルが発行する
機関誌を指す言葉だった。
当時はまさしく、
「まんがを好きな人たちが共同で編集発行する
 まんが雑誌」のことだったのだ。
ところが、当たり前のことではあるが、
「機関誌」なんて内輪の人間しか読んでくれない。
サークルの会員以外の人間が「まんが同人誌」を手にする機会なんて、
せいぜい文化祭のときにその学校の人間が
読んでくれるくらいのものである。
各大学・各高校の漫研をはじめとするサークルは、
全国各地で孤立していた。

そこで、
全国のサークルの交流会として、
「コミックマーケット」(通称「コミケット」・「コミケ」)というイベントが
企画された。
昭和50(1975)年のことだ。
以来、
今日に至るまでコミケットは発展を続け、
今では50万人を動員する大イベントとなっている。
会場では各サークルが店を出し、
まんが同人誌を売っている。

ところが、
コミケットは回を重ねるごとにその形態が変わってきた。
サークルではなく、
個人が店を出すようになってきたのだ。
これにはいくつか理由があるが、
一つだけ挙げるとすれば、
印刷技術の進歩によるコスト削減の結果、
個人でも本が出せるようになったことがあるだろう。
試しに、
手元にある『ぱふ』という雑誌の広告欄を見てみると、
有限会社K印刷では
A5判52ページの本が3万8千円で100冊作れるそうなのだ。
28ページでいいなら2万3千円で作れるという。
今までは、
みんなでお金を出し合わないととても本など作れなかったが、
今では個人で本が作れてしまうのだ。
こうして、
サークルを組む必要性が薄れてきた。
しかし、
コミケットはあくまで「サークルの交流会」という建前を持っている。
だから、
個人では参加を申し込むことができない。
申し込むことができなければ、
当然、せっかく作った本を売ることもできない。
そこで、
コミケットに参加を希望する個人たちは、
「個人サークル」というものをでっち上げたのである。
「個人サークル」とは読んで字のごとく、
個人のサークルである。
つまり、
会員は1人。
自分だけが会員の「サークル」を作って、
コミケットへの参加を願い出たのだ。
そしてこれが、認められた。
こうして、コミケットに個人が参加する道が開かれたのだ。

しかし、
いくら個人として参加しているとはいえ、
建前としては「サークル参加」である。
これは今でも変わらない。
だから、
個人サークルを主催する個人たちは、
自分たちの自費出版物のことを、
本物のサークルと同様に「同人誌」と呼びだした。
自分たちもきちんとした「サークル」なのだという建前を
取り繕うためである。
そして、
いつしかこれが定着し、
いまやまんが界では自費出版の発行物を
「同人誌」と呼ぶことが一般的になってしまったのだ。

当初は、
表現媒体を持たないアマチュアまんが家たちの
交流の場であったはずのコミケットだが、
今ではプロの作家もたくさん店を出している。
著作権などの関係で表の出版社からは出すことのできない
パロディーまんがを売るためだ
(この「パロディー」という言葉も、
 辞書的な意味とは少々違う。
 有名なまんがやアニメのキャラクターを登場させて、
 自分独自の新しいお話を作ること、
 くらいの意味だと理解してほしい)。

僕は、
このパロディー「同人誌」が大好きだ
(以下、
 「同人誌」とはまんがのパロディー「同人誌」のこと)。
大好きな作品の同人誌を見つけたりすると、
ちょくちょく通販で買ったりもしている。
我が国は、
さすがは おたく文化の中心地だけあって、
同人誌の質も高い。
商業誌に比べたら割高なのが少々きついが、
バイト代をやりくりすれば
月に数冊買えなくもない。

今まんが界では、
プロとアマチュアの境界線がなくなりつつあるといわれている。
インターネットや同人誌で、
誰でも好きなときに好きなだけ
作品を発表できる機会が整いつつある。
そうなると、
世の中にはいろんな作品が氾濫することになるだろう。

そうなったときに、
どうしても必要となってくるのが「格付け」だ。
「格付け」といっても、
決して作品に一つのものさしで序列を付けようって意味じゃない。
むしろ、
いろんな格付けがあるほうがいい。
少年まんがが好きな人、
少女まんがが好きな人、
Hなの、同性愛、かわいい子供が好きな人……、
いろんな人のための格付けをいろんな人がやればいい。
でもこうなると「格付けの格付け」も要るかもしれない。
ま、
いずれにしても格付けするほうは、
「ここが言うなら間違いない」って思われるような存在であることが
望ましいだろう。

そうなると、
読者にとって一番信用がおける、
権威のある機関ってどこだろう? 
ズバリ「原作の出版社」だと思う。
「原作者」だとなおいい。
同人誌は海外のおたくの間でも
「ドージンシ」で通じるという。
世界に誇るべき日本文化なのだ。
だったら、
「文化発表」・「文化発展」をもって社是とする大手出版社も、
この日本文化をもっと積極的に「奨励」するべきだ。
(出版社にとって)「良くない同人誌」を取り締まることより、
むしろ「良い同人誌」を表彰したらどうだろう? 
一年に一度、
新人まんが賞の担当さんに3・4冊を選んでもらい、
最後は原作者の先生に「1位の同人誌」を選んでもらおう。
原作者の「おほめの言葉」をつけて、
誌上で表彰しちゃうのだ。
賞金なんて0円でいい。
同人作家にとって、
「憧れの先生からのおほめの言葉」に優る報酬はないんだから。
同人誌のレベルも上がるだろう。

えっ? 
原作が売れなくなるんじゃないかって? 
大丈夫。
「同人誌は最も雄弁な評論家」って言葉があるじゃないか!

そんな言葉知らない? 
そりゃそうだろう。
いま僕が勝手に思いついた言葉なんだから。

本当にすばらしい評論家とは、
優れた作品を誉める人でもなければ
劣った作品をけなす人でもない。
一般人にはわからないその作品のよさを、
一般人にわかる言葉で説明できる人こそが
最も優れた評論家なんだ。

すばらしい同人誌は僕たちに
「原作の多彩な楽しみ方」を教えてくれる。

「このシーンってこんなに奥が深かったんだ」
「あっ、ここはこう考えるとおもしろいな!」
「なるほど、そんな風にもとれるんだ」

これらはすべて、
僕が同人誌を読んで感じた感動だ。
そのたびに
原作の世界が広がるように思えてくる。
僕が気づかなかった
「あのシーンの本当のおもしろさ」・
「このシーンの別の視点」を
パロディーというわかりやすい方法で教えてくれる同人誌は
まさしく「最も雄弁な評論家」なんだ。
美術でも文学でもスポーツでも、
優れた評論家を育てることは、
優れた客を育てることを意味する。
日本の伝統芸能を見るまでもなく、
「本当の良さがわかる客」が少なくなれば、
その業界は衰退するのだ。

万国のおたく業界関係者よ、団結せよ! 
一部のプチブル評論家に独占された作品を
人民の手に取り戻すのだ! 
同人界を育てることは、
まんが界を育てることに通じる。
同人誌を大切にすることは、
文化を大切にすることに通じるのである。

ところが、残念なことにこの同人誌が、
我が国では粗末に扱われているように思われてならない。
何より、
後世に残すべきこの貴重な文化遺産が、
ほとんど国立国会図書館に収集されていないのである。

国立国会図書館は、
日本国内の出版物を網羅的に収集・保存し、
後世にこれを伝える使命を負っている。
文献探しの最後のよりどころであり、
「図書館の図書館」といわれる存在だ。
その使命を果たすため、
国立国会図書館には
「納本制度」と呼ばれるシステムが存在する。
要するに、
日本国内で本を出版しようとする人は、
必ず国立国会図書館に本を納入しなければならないというシステムだ。
これは、
「国立国会図書館法」の第二十五条で
次のように定められている。

前二条に規定する者(酒井注:=国や地方自治体)以外の者は、
第二十四条第一項に規定する出版物
(酒井注:=図書・小冊子・逐次刊行物・楽譜・地図……など)
を発行したときは、
前二条の規定に該当する場合
(酒井注:=以前に発行した出版物の再販で、
 しかも、その再販の内容が前版の内容と比べて変化がなく、
 さらに、前版がすでに国会図書館に納入されている場合)
を除いて、
文化財の蓄積及びその利用に資するため、
発行の日から三十日以内に、
最良版の完全なもの一部を
国立国会図書館に納入しなければならない


さらに、
この条項に違反した場合には、
罰則まである。
同じく第二十五条の二には、

発行者が
正当の理由がなくて
前条第一項の規定による出版物の納入をしなかったときは、
その出版物の小売価額(小売価額のないときはこれに相当する金額)の
五倍に相当する金額以下の過料に処する


とある。
要するに、
国立国会図書館への納本を怠ることは
犯罪なのである
(もちろん、これはこれでどうかと思う面もあるのだが)。

ところが、
まんが同人誌を作っている同人作家の大半は
この条項を知らない。
その結果、
日本で年間何万冊と作られていると予想されるまんが同人誌が〔注1〕、
ほとんど国立国会図書館に
納本されていないという事態が起きているのだ。
このような状況の中では、
いずれまんが同人誌は散逸してしまうことになるだろう。
後世の研究家たちが手に入れようとしても、
それが不可能になってしまうのである。
これは、
日本文化にとって大きな損失であろうと思われる。

〔注1〕1回のコミケットに参加するサークルの数が、
現在では大体2万から2万5千サークルであることから予想した
酒井の独断

そこで僕は、
この場を借りて全国の同人作家の方々に呼びかけたい。
みなさんが同人誌を作ったときは、
必ず国立国会図書館に同人誌を納本するようにしてほしい。
そもそもこれは法律でも定められていることでもある
(納本のやり方は、
 国立国会図書館に電話でたずねると
 かなり丁寧に教えてくれる。
 国立国会図書館の電話番号は03-3581-2331)。
もちろん、
「納本」というとタダで本をあげちゃうようで
もったいないような気になるが、
第25条の3項には、

出版物を納入した者に対しては、
館長は、
その定めるところにより、
当該出版物の出版及び納入に通常要すべき費用に相当する金額を、
その代償金として交付する


とあるので、
払うべき金はきちんと払ってくれるのだ。

なお、
「発行の日から三十日以内」を過ぎてしまった出版物についても、
「発行者がその出版物を国立国会図書館に寄贈」した場合
は別におとがめはないそうなので、
ぜひとも寄贈してほしい。

すべての同人誌を国立国会図書館へ! 
現代日本が世界に誇る庶民文化・「まんが同人誌」を
後世にまで伝えよう!
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.7より転載)

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by imadegawatuusin | 2002-10-07 19:21 | 漫画・アニメ