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――『つらいぜ!ボクちゃん』と 構造や 挿話が 共通――
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わたしが 最も 好きな 漫画は、
水沢=めぐみさんの 『姫ちゃんのリボン』だ。
平成2(1990)年から およそ 4年の 間、
少女漫画雑誌・『りぼん』において
連載された 漫画であり、
テレビ東京にて 1年の 間、
週1回・30分の 枠で
アニメ化されたことも ある。
これまでは
集英社の
りぼんマスコットコミックスにて
刊行されてきたけれども、
最近、
集英社文庫(コミックス版)としても 刊行された。
わが国の 少女漫画史に 残る
大傑作の 一つである。
物語や 登場人物の 魅力・
伏線の 張り方・テンポの 軽快さ・
感動の 深さ……。
その どれもが まことに よく 作り込まれており、
わたしに とって、
「これこそが 少女漫画の 理想形!」というものなのだ。

そして この 『姫ちゃんのリボン』は、
過去に 発表された ある 作品と よく 似ている。
それは、
昭和49(1974)年から およそ 2年の 間、
小学館の 『週刊少女コミック』において 連載された、
高橋亮子さんの
『つらいぜ!ボクちゃん』という 作品だ。

今まで 誰も この 事を
きちんと 指摘してこなかった。
少なくとも、
わたしの 知る 限り、
この 事を 文章の 形で きちんと 検証した 人は
一人として いない。
しかし、
物語の 基本的な 構造から 細かい 挿話、
果ては 単行本の 編集の 仕方に いたるまで、
『姫ちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』との 間には
似ているところが 多すぎる。

『三銃士』などで 有名な
フランスの 作家・アレクサンドル=デュマは、
盗作の 疑いで 裁判に かけられたとき、
こう 言ったという。
「確かに 盗作は した。
 だが、
 俺の 書いたものの 方が 面白い」。
『姫ちゃんのリボン』は 確かに、
先行作品である 『つらいぜ!ボクちゃん』に
極めて よく 似た 作品ではある。
だが、
それを 認めた上で なお、
『姫ちゃんのリボン』には
『つらいぜ!ボクちゃん』とは 異なる、
優れた 創作性が 有る。

そもそも、
創作という 行ないにおいて、
何か
「無から 有を 生み出す」ことが
出来るかのごとく 考えるのは
幻である。
小説家も 漫画家も、
既に 在る 作品群から
さまざまなものを 借用し、
物理的・社会的環境に
さまざまな 形で 規定されながら
作品を 紡ぎあげていくのである。
わたしは 『姫ちゃんのリボン』を 愛すればこそ、
この 作品が 『つらいぜ!ボクちゃん』から
どういった 持ち前を 受け継ぎ、
それを いかに 新たな 作品へと
発展・昇華させたのかを
きちんと 指摘したいと 思う。
また、
逆説的な 話であるが、
『姫ちゃんのリボン』の
まことの 「個性」や 「独創性」というものは、
「元ネタ」である 『つらいぜ!ボクちゃん』との
比較・検討を 行なう 中で、
初めて 明らかになるものなのだと
わたしは 信じているのである。

■物語の 構造が きわめて 似ている  

まずは、
物語の 構造から 見ていきたい。
少女漫画の 最も 重んじるべき 要素ともいうべき
「恋愛」というところに
的を絞って 見比べた 場合、
『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とは
ほぼ 同じ 物語構造を 持っていることが
すぐに 分かる。

1.主人公の 女の子が
  当初 好意を 持っていた 年上の 男性は、
  主人公の 姉と 結ばれる。

2.失恋した 主人公は、
  自分に 好意を 持っている 年下の 男の子に
  次第に ひかれてゆく。

3.そこに、
  外国から 転入してきた
  キザな 少年が 現れ、
  主人公・年下男・キザ少年の 間に
  三角関係が 生まれる。

4.さらに、
  年下男の 幼馴染の 少女が ここに 現れ、
  主人公・年下男・幼馴染少女の 間に
  三角関係が 生まれる。

5.最終的には 主人公は 年下男と 結ばれる。

登場人物の 名前や 性格、
舞台 あるいは 具体的な 挿話などの
「物語の 肉付け」を 取り除き、
「物語の 骨組み」だけを 取り出したとき、
二つの お話は 全く 「同じ」に なるのである。

ちなみに、
この 抽象的な 「登場人物」たちは、
それぞれの 物語では、
次に 挙げた 名前を 与えられて 出て来る。

・主人公の 女の子
 『姫ちゃんのリボン』:「姫ちゃん」こと 野々原姫子
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「ボクちゃん」こと 田島望

・年上の 男性
 『姫ちゃんのリボン』:「支倉先輩」
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「辻先生」

・主人公の 姉
 『姫ちゃんのリボン』:「愛子お姉ちゃん」
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「水絵ねえさん」

・主人公に 好意を 持つ 年下の 男の子
 『姫ちゃんのリボン』:「大地」こと 小林大地
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「渡くん」こと 小野寺渡

・外国から 転入してきた キザな 少年
 『姫ちゃんのリボン』:有坂静(セイ=アレイ)
 『つらいぜ!ボクちゃん』:矢沢卓也

・年下男の 幼馴染の 少女
 『姫ちゃんのリボン』:聖結花
 『つらいぜ!ボクちゃん』:原かおり

言うまでも無く、
これは かなり 乱暴な まとめ方である。
例えば 上の表においては、
小林大地と 小野寺渡とを、
「主人公に 好意を 持つ 年下の 男の子」として
一まとめにした。
けれども、
『つらいぜ!ボクちゃん』の 田島望と 小野寺渡とでは
本当に 一学年 歳が 離れているのに 引き比べ、
『姫ちゃんのリボン』においては
野々原姫子と 小林大地とは
全く 同じ 学年であり、
誕生日が たったの 4日 離れているだけにすぎない。
(けれども どういう訳か
 『姫ちゃんのリボン』においては、
 大地が 姫子より 「4日 歳下」であることが
 幾たびも 強調されているところに 注目してほしい)。
ちなみに、
『姫ちゃんのリボン』の 読み手の 中には、
姫子の 側が 先に 大地を 好きになったのだと
思い込んでいる 人が かなり いる。
けれども、
その 考えは 間違っている。
『姫ちゃんのリボン』においても、
『つらいぜ!ボクちゃん』と 同じく、
姫子が 大地を 意識するようになるよりも 先に、
大地の側が 姫子を 好きになっている。
大地が 姫子を 好きになったのは、
実は 物語の 序盤なのである。
失恋が 確定した 姫子が、
学校の 屋上へと いたる
「おばけが 出る 階段」の 所で
泣き疲れて 眠っていた時、
大地が その 寝顔を 覗き込んだ
まさしく その時に、
大地は 姫子に ひかれたのである(単行本1巻115ページ)。
『姫ちゃんのリボン』の 作り手である
水沢めぐみさんは、
かけがえの無い この 場面を、
読み手に そうとは 悟らせなくするために、
あえて 何気なく 描くことによって、
これを 際立たせたりすること無く、
物語の 中に 埋没させてしまっている。
そして そのあとに、
姫子が 大地のことを 好きになったという事の側は
はっきりと 強く 描くのだ。
こうすることによって 読み手は、
姫子の 思いが 本当に 大地に 届くのか いなかを、
ドキドキしながら 見守らざるをえなくなる。
『姫ちゃんのリボン』は、
『つらいぜ!ボクちゃん』の、
「男の子の 側が 先に 主人公を 好きになる」
という 後先あとさきの 順序を
忠実に 踏まえて なぞりながらも、
それでいて、
その 後先の 順序が
あたかも 逆さまであったかのごとく 錯覚させるという
「叙述トリック」を 使いこなすことによって、
『つらいぜ!ボクちゃん』とは 全く 異なる 印象を
うまく 読み手に 与えている。

■共通する 挿話(エピソード)が 続出 

物語に 出て来る 人物の 名前や 性格、
舞台・具体的な 挿話(エピソード)などの
「物語の 肉付け」を 取り除き、
「物語の 骨組み」だけを 残したとき、
『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とが
同じ 造りを していることは
既に 上において 指摘した。
けれども 実は、
そのとき 取り除いた 『物語の 肉付け』においても、
二つの 作品の 間には
よく 似た ところが 多いのだ。

まず、
「登場人物の性格」であるが、
上において 挙げた
それぞれ 相当する 人物同士の 性格は
似ているものが 多いのである。
中でも、
野々原姫子と 田島望、
「支倉先輩」と 「辻先生」、
「愛子お姉ちゃん」と 「水絵ねえさん」、
有坂静(セイ=アレイ)と 矢沢卓也は、
ほぼ 同じ 性格であると 言っていい。
元気で 明るく、
「男の子みたい」〔注1〕な
野々原姫子と 田島望、
知的で 落ち着いた 趣の
「支倉先輩」と「辻先生」、
「お料理 上手だし
 家事全般
 こなすし
 女らしくて
 美人」な 「女の鑑」〔注2〕である、
「愛子お姉ちゃん」と 「水絵姉さん」、
「プレイボーイ」で 実は お調子者の、
有坂静(セイ=アレイ)と 矢沢卓也……。
これらは ほとんど 同一人物と言っていいほどだ。
(「野々原姫子と 田島望」は、
 気合を 入れるために 用いる 「決めポーズ」を
 共に 持っているところも 同じである。
 「姫ちゃん」は 「いけいけゴーゴージャンプ!」、
 「ボクちゃん」は 歌舞伎まがいの
 「ポーズ!」という 「決めポーズ」を
 持っているのだ。
 また、
 入っている クラブが
 共に 演劇部であるところも また、
 同じである。
 「姫ちゃん」が ポコ太、
 「ボクちゃん」が 忠治という
 「お付きの 動物」を 連れているところも
 よく 似ている)。

けれども、
よく 似ているのは 性格だけでは ない。
物語の 中における
彼らの 具体的な ふるまい そのものが、
あまりにも よく 似ているのである。

まずは 物語の 始まり方である。
『姫ちゃんのリボン』においては、
主人公である 「姫ちゃん」が、
野球を やっていて 着ていた 服を 汚してしまい、
体操服に 着替えて 家に 帰るところから
物語が 始まる。
家に 帰ると 「愛子おねえちゃん」が 居て、
「あらあら
 まー

 今度は なに
 やらかしたの?」と、
その姿を 見て
「姫ちゃん」に たずねるのである
(単行本1巻7~15ページ)。
一方 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
主人公である 「ボクちゃん」が
学校にて 制服を 汚してしまい、
体操服に 着替えて 家に 帰るところから
物語が 始まる。
家に 帰ると 「水絵姉さん」が 居て、
「まあー
 まあー
 まあ…

 男の子と
 ケンカ!?
 まーっ
 おそろし」と 言うのである(単行本1巻13~24ページ)。
物語の 始まり方からして、
この 2つの 漫画は あまりにも よく 似ている。
ちなみに、
服を 汚してから 家に 帰るまでの
数ページの 間に しっかりと、
「年上の男性」(「支倉先輩」・「辻先生」) 及び
「年下の男の子」(小林大地・小野寺渡)の 2つが
共に 出て来るところも 見逃せない。

『姫ちゃんのリボン』には、
文化祭の 5日前に、
演劇部にて 主役を 務める 少年が ケガをしてしまい、
文化祭に 出られなくなってしまうという お話が ある。
その 少年は、
脚立から 落ちてきた 別の 部員を 助けようとして、
自分が ケガを 負ってしまったのだ
(単行本1巻95~97ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても 同じく、
文化祭の 3日前に、
演劇部にて 主役を 務める 少年が ケガをしてしまい、
文化祭に 出られなくなってしまうという お話が ある。
ケガの わけは
『姫ちゃんのリボン』と 全く 同じく、
脚立から 落ちてきた 別の 部員を 助けようとして、
自分が ケガをしたというものだ
(単行本1巻167~165ページ)。
ちなみに、
『姫ちゃんのリボン』にて
この時 行なわれる 予定であった 演劇の 演目は
『夕鶴』であるけれども、
『つらいぜ!ボクちゃん』においても
「ボクちゃん」たちの 演劇部は、
別の 機会に 『夕鶴』を 演じている。
この時、
主役を 演じた 「ボクちゃん」は、
劇の さなか
過労のために 倒れてしまうことになる
(単行本5巻116~125ページ)。
『姫ちゃんのリボン』においても、
「姫ちゃん」たちの 演劇部が
『ピーターパン』を 演じた時、
劇の 直前になって 主役を やる 予定の 聖結花が
倒れてしまう。
(ただしこちらは、
 『つらいぜ!ボクちゃん』の場合とは違い、
 聖結花が 「姫ちゃん」に 主役を 譲るための
 狂言だったという 落ちが つく)。
「姫ちゃん」は 聖結花に代わって
ピーターパンの 代役を 務めることになる
(単行本6巻174~182ページ)。
更に 『つらいぜ!ボクちゃん』には、
これと 全く 同じく、
「ボクちゃん」が 他人の 代役で
ピーターパンの 役を 務めるという 場面もある
(6巻18~50ページ)。
いくら 「姫ちゃん」も 「ボクちゃん」も
共に 演劇部に 入っているからといって、
『夕鶴』・『ピーターパン』と、
物語の 中で 演じられる 演劇の 演目までが
偶然 同じということは やはり 考えにくいだろう。

『姫ちゃんのリボン』においては、
学校の 女子に 人気のある 小林=大地が
姫子と 共に 行動することが 増えるに したがい、
姫子が 「大地君ファンクラブ」から
にらまれる ハメになる(単行本1巻130~131ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても 同じく、
小野寺渡が 田島望と 仲良くなるに したがって、
田島望が 「渡君の親衛隊」に
にらまれる ハメになる(単行本1巻96ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が 学校の フェンスを よじ登り、
その 拍子に リボンが 破れてしまうという
挿話(エピソード)が 有る(単行本1巻118~119ページ)。
同じく 『つらいぜ!ボクちゃん』においては、
「ボクちゃん」が 学校の へいを よじ登り、
その 拍子に スカートが 破れてしまうという
挿話(エピソード)がある(単行本4巻7~9ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が
「お付きの ぬいぐるみ」である ポコ太を
風呂に 連れて入り、
母親が
「あの子は…
 またぬいぐるみと
 風呂に入ってるのか

 中一にも
 なって…」と、
愚痴を こぼしている 場面がある(単行本2巻20ページ)。
一方 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
「ボクちゃん」が
「お付きの 動物」である 忠治を 風呂に 連れて入り、
母親が
「おふろに
 忠治は
 入れるなって
 あれほど
 いっといた
 だろっ!

 ネコの
 毛だらけで
 はいれないじゃ
 ないのっ!」と、
怒っている 場面が 有る(単行本1巻75~77ページ)。

『姫ちゃんのリボン』においては、
「姫ちゃん」が 間抜けな 誘拐犯に
人質にされるという 事件が 起こる
(単行本2巻67~76ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
「ボクちゃん」が 間抜けな 銀行強盗に
人質にされるという 事件が 起こる
(単行本3巻20~60ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が 授業中に 考え事をしている時に、
メガネを かけた 女教師に 当てられ、
トンチンカンな 返事をして
女教師を 怒らせるという 挿話(エピソード)がある
(単行本3巻85~86ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』にも 同じく、
「ボクちゃん」が 考え事を していた時に、
メガネを かけた 女教師に 当てられ、
トンチンカンな 返事をして
女教師を 怒らせるという挿話(エピソード)がある
(単行本1巻108ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が ある 男の子と 女の子とを
くっつけたいと 思って
要らぬ おせっかいを 焼く 場面が 有る。
男の子が 映画を 見に行くことを 知って
女の子を 呼び出し、
彼の 隣の 席に 女の子を 連れて 座ったあと、
「ちょっと/トイレ」に 「行ってくる」といって
映画館を 出てしまう。
二人を 二人きりにしようとしたわけだ。
当事者の 断りも無く、
「姫ちゃん」の 独断にて 行なわれた この 作戦は、
まさに そうなるべくして 当事者の 怒りを 買い、
「姫ちゃん」は 自己嫌悪に 襲われる
(単行本7巻77~90ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』にも
よく 似た 場面が 在る。
「ボクちゃん」は ある 男の子と 女の子とを
ピアノコンサートに 誘い出し、
「ちょっと……用があ」る、
「すぐ…もどる」と言って 会場を 出てしまう。
二人を 二人きりにしようと したのだけれど、
当事者の 断りも 無いまま 行なわれた この 作戦は、
まさに そうなるべくして 当事者の 怒りを 買い、
「ボクちゃん」は 自己嫌悪に 襲われるのだ
(単行本1巻121~138ページ)。

『姫ちゃんのリボン』において、
外国からの 転校生・有坂静は、
「姫ちゃん」と 同じ クラブに 入りたくて
演劇部に 入部する(単行本3巻105ページ)。
そのあと 彼は、
テニス部にも 掛け持ちで 入部する(8巻147ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
外国からの転校生・矢沢卓也は
「ボクちゃん」と 同じ クラブに 入りたくて
演劇部に 入部する(単行本4巻23~26ページ)。
そのあと 彼は、
テニス部にも 掛け持ちで 入部する
(単行本4巻39~40ページ)。

これらの 事を 考え合わせるならば、
この 2つの 物語は 「骨組み」の 次元だけではなく、
「肉付け」の 次元でも
大いに 似ているという事が
分かるはずである。
水沢めぐみさんは、
有坂静の 兼部する 運動部を
何も わざわざ 「テニス部」ではなく、
例えば 「バスケットボール部」に 変えることも また
やりえたはずだ。
しかし、
それを する事無く、
『つらいぜ!ボクちゃん』の 設定の 通りに
あえて 「テニス部」に 入れている。
わたしの 敬う
歌人うたびとの 枡野=浩一さんによると、
「『パロディというのは元ネタに気付いてほしい場合、
  盗作というのは元ネタに気づいてほしくない場合』
 という定義がある」そうだ
(枡野浩一『日本ゴロン』149ページ)。
この 場合、
水沢めぐみさんは 明らかに、
『元ネタに気付いてほしがっている』と
言わざるをえない。

『姫ちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』とを 読み比るならば、
『姫ちゃんのリボン』が
『つらいぜ!ボクちゃん』からの
大量の 借用を 行なっていることは
明らかである。
どうして それを 誰一人、
今まで きちんと 指摘しようとはしなかったのか。
『姫ちゃんのリボン』が
『つらいぜ!ボクちゃん』からの
大量の 借用を 行なっている 事実から
目を そらそうとするのは、
その 事を 後ろめたいことと 思い込み、
心の中で 『姫ちゃんのリボン』を
実は 落としめていることの 裏返しではないだろうか。
わたしには、
そう 思われて ならない。
繰り返そう。
作者・水沢めぐみさんは、
『姫ちゃんのリボン』の 元ネタの 存在に
明らかに
「気付いてほしがっている」のである。

■単行本の 編集の 仕方まで そっくり 

水沢めぐみさんが
『姫ちゃんのリボン』の 元ネタの 存在に
気付いてほしがっていたと 述べる より所として、
わたしは 更に、
「単行本の編集」を 挙げたいと 思う。
『姫ちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』とは、
単行本の 編集の 仕方まで
実は そっくりなのである。

『姫ちゃんのリボン』の 単行本には、
雑誌に 載せられていた 漫画だけではなく、
単行本の 終わりに
「姫ちゃん通信」という コーナーが 付いている。
そこには、
主人公である 「姫ちゃん」の
日日ひびの 思いを つづったような 内容の
文章や 絵が 載せられている。
『つらいぜ!ボクちゃん』の 単行本にも 巻末に、
「ボクちゃんだより」という コーナーが 有る。
「姫ちゃん通信」と
ほぼ 同じ 意味合いを 持った コーナーだ。
水沢さんが
元ネタに 気付いてほしくないのであれば、
何も こうした コーナーを
単行本の 巻末に わざわざ 設ける 必要は 無いはずだ。

そもそも、
『つらいぜ!ボクちゃん』から
影響を 受けたということは、
恥ずかしいことでも 何でもない。
この 『つらいぜ!ボクちゃん』の作者である
高橋亮子さんは、
その後の 多くの 少女漫画家に
大きな 影響を 与えている。
高橋亮子さんの 作品の 一つに
『風色日記』というものが 有るけれども、
これが テレビ東京において アニメ化された
やぶうち優さんの 名作・『水色時代』に
大きな 影響を 与えたという 事は
あまりにも よく 知られている 事である。

『姫ちゃんのリボン』は
確かに 『つらいぜ!ボクちゃん』から
多くの 借用を 行なっている。
そして、
その 事を 踏まえた 上で、
初めて 見えてくる
『姫ちゃんのリボン』の 素晴らしさも 有るのである。
(例えば、
 上において わたしが 指摘した、
 『姫ちゃんのリボン』の
 優れた 「叙述トリック」のように)。

〔注1〕
「男の子みたい」という 言葉は、
『姫ちゃんのリボン』においても
『つらいぜ!ボクちゃん』においても
主人公を 指して たびたび 使われている。
ただし おもしろいことに、
昭和49(1974)年に 描かれた
『つらいぜ!ボクちゃん』においては、
「少年のような」という 言葉が
時として 女の子に 対する 『誉め言葉として』
使われることも あるのに 比べ
(単行本6巻123ページなど)、
平成2(1990)年に 描かれた
『姫ちゃんのリボン』においては
「男の子のよう」という 言葉は 一貫して、
良くない 文脈においてしか 使われることは 無い。
『姫ちゃんのリボン』においては、
「姫ちゃん」を 誉めるときには、
「姫ちゃん」は
「本当は/とっても女の子らしい
 子なんだ」(単行本1巻55ページ)
といった 修辞(レトリック)が 使われるのだ。
わたしには、
(「姫ちゃん」のことを
 本当の 意味では 理解していなかったとされる )
 有坂静が言った、
「女らしいって/ことだけが
 魅力的ってことじゃ/ないんだから

 明るさや/元気の良さや

 まわりの人を/楽しい気持ちに/させてくれる
 そんな雰囲気

 すべてが/君の魅力であり
 長所なんだ

 自信を持って/いいと思うよ」
(2巻147ページ~148ページ)
という 言葉の 方が
よほど 納得出来るのだけれども、
どうやら これは
『姫ちゃんのリボン』という 作品の 中においては
「不正解」の 「姫ちゃん評」とされるらしい。
作品の中では あくまで、
「姫ちゃんは 本当は 女らしい」というのが
「正解」であるらしいのだ。
「女の子らしさ」を 拡大解釈することによって、
「姫ちゃん」のような 女の子まで
無理やり 「女の子らしさ」の 領域に
囲い込もうとする こうした 言い方には、
わたしには どうも 納得しかねるものが 残る。
「本当は」などと 言い出したら 恐らく、
どんな 人だって
男らしくも 女らしくも あるだろう。
(「100パーセント 女らしいだけの 人間」や
 「100パーセント 男らしいだけの 人間」など、
 いるはずがないのだから)。
それほどまでして 女の子は
「女の子らし」くなくては いけないものなのだろうか。
女の子は、
たとえ その子が どれほど 素晴らしくても、
「女の子らし」くなければ
誉めるに 値しないのだろうか。

〔注2〕
『姫ちゃんのリボン』単行本1巻18ページを
参照のこと。


【参考記事】
込由野=しほ『姫ちゃんのリボン カラフル』感想



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by imadegawatuusin | 2004-05-05 02:26 | 漫画・アニメ