■「請願法に違反」との指摘も
福島県鏡石町議の円谷寛さんが大阪府警に送った要請文の受け取りを
大阪府警が拒否していたことを、
大阪府門真市の市議・戸田ひさよしさんがホームページで明らかにした↓。
http://www.hige-toda.com/____1/renntai_yunionn/2005_1_13/uketorikyohi.htm.htm
この行為は、
憲法第16条に定められた「請願権」の侵害であり、
請願を受理する義務を定めた請願法にも違反する。

円谷さんは、
連帯ユニオン関西地区生コン支部が行なった建設業者への抗議・街宣活動が
「強要未遂」や「威力業務妨害」にあたるとして
組合員4人が大阪府警に逮捕された件に関し、
これは労働組合に対する不当な弾圧であるとして、
「四人の解放」を求める要請文を大阪府警に提出した。
これに対して大阪府警は、
「いわれなき『抗議要請文』は受理できませんので、
 返送します」として、
この要請文を「配達記録郵便」で円谷さんに返送した。

請願権は憲法第16条により、
どのような人にも認められた人権である。
また、日本国憲法と同時に施行された請願法では、
請願の用件として、

1.請願者の氏名(法人の場合はその名称)及び住所(住所のない場合は居所)を記載すること。
2.文書にて行なうこと。
3.請願の事項を所管する官公庁に提出すること。

の3つを規定するのみであり、
「この法律に適合する請願は、
 官公庁において、
 これを受理し誠実に処理しなければならない」と定めている。

今回の円谷さんの要請文は、
円谷さん宛てに大阪府警から返送されてきたことからも明らかなとおり、
円谷さんの氏名と住所が明記されていた。
もちろん文書にて行なわれており、
連帯ユニオン関西地区生コン支部の組合員4人を逮捕している大阪府警に提出されている。
円谷さんの要請文は請願法に完全に適合するものであり、
大阪府警は「いわれ」があろうとなかろうと、
「これを受理し誠実に処理しなければならない」のである。
そしてその上で、
この要請が「いわれ」のあるものだと思えばその通りにするべきであるし、
「いわれ」の無い言いがかりだと思うのであれば、
受け取って、きちんと読んだ上で、
無視するなり反論するなりすればいい。
それだけのことであるはずだ。

それなのに、
送られてきた要請文の受け取りすら拒否し、
わざわざ「配達記録郵便」で送り返すというのは、
一体どういう了見なのか。

大阪府警による要請文不受理は、
憲法・請願法の規定に違反する明白な違法行為である。
私はこれに強く抗議する。
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by imadegawatuusin | 2005-02-25 23:42 | 労働運動

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げたい。

きょう取り上げることわざは、
この本の128ページに掲載されている
「年寄の冷水」である。

僕が小さいころにやっていた「いろはがるた」では、
「と、年寄の冷水」の札には、
上半身裸のおじいさんが真冬に井戸から水を汲み、
頭からそれをかぶっている絵が載っていた。

ところがこの本には、
それは間違いだと次のように書いてある。

今、このことわざの情景を絵で表現しようとしたら、
たいていの人は、
年寄りが頭から水をかぶっている絵を描くのではないだろうか。
自分の年齢もわきまえず、
無茶をして、
風邪を引くくらいですめばまだしも、
心臓麻痺でも起こしたらどうするのだ、
というところ。

ところが、
もともとはどうやら、
年寄りが冷たい生水をがぶ飲みしている図が
想定されていたようだ。

(中略)古い文例や図像資料からは、
冷水浴を裏付けるものがない(中略)。
年寄りのくせに生水なぞ飲むと
腹をこわすぞ、ということわざだった(中略)。


へー。
知らんかった……。

僕も先日、
昼食にラーメンを食べた後、
店で出された氷水をがぶ飲みして腹をこわした。

年寄りならずとも気をつけたいものだ。


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by imadegawatuusin | 2005-02-11 18:39 | 日本語論

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げたい。

今日取り上げることわざは、
この本の123ページに掲載されている
「転石苔を生ぜず」である。

これもまた、
まったく正反対の二つの解釈を持っている。

もともとはイギリスの

A rolling stone gathers no moss.


ということわざの翻訳であるとのこと。
ころころと職業や住所を変えてばかりいる人間は風格が出ず、
大成しないという意味のものだったという。

ところがこれがアメリカにわたると、
まったく同じことわざが正反対の意味に変容する。
千年一日同じところに住み、
同じような仕事ばかりやっていると、
苔が生えてダメになってしまう、
という意味に理解されてしまったというのだ。

この背景には、
イギリス人とアメリカ人の一般的な人生観はもちろん、
それぞれの文化が持つ「苔」というものに対する印象の違いが
反映されているのではないかと考えられる。

長い歴史を持ち、
伝統や先例を重んじるイギリス社会においては、
あまり職業や住所をころころと変えることは
あまり良いこととはみなされない。
その上イギリス文化では、
古い家の庭に苔の生えた
「味のある」石などを置いて
その趣を高める「ガーデニング」の伝統がある。

それに対して移民文化のアメリカでは、
その開拓者精神からか「新しいものに果敢に挑戦する」ことが美徳とされる。
さらにアメリカ文化では、
「石に生えた苔」はまるで鉄についた錆のように
「劣化の表れ」であると捉えられるのだそうだ。

「変化」に対する考えと「苔」に対するイメージの違いが、
同じことわざをまったく正反対の意味に解釈させてしまう。
これもことわざの面白いところである。


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by imadegawatuusin | 2005-02-10 18:37 | 日本語論

今日、初めて献血というものに挑戦した。

献血場に行ってみると看護士さんが、
「今日は雪が降っててみんな家から出ーへんせいか、
 献血する人がむちゃくちゃ少ないんや。
 おおきに」と
ずいぶん喜んでくれた。

なんでも、血液の中の「血小板」とかいう成分は、
輸血したあと72時間しか もたないらしい。
輸血してもらった血液を検査するのに大体1日くらいかかるから、
その血液の血小板を保管しておけるのは
事実上2日間ぐらいしかないらしい。
だから、
雨が降ろうと雪が降ろうとコンスタントに輸血してくれる人がいないと、
その地域の病院はたちまち往生してしまうという。
へー。

何で突如として献血に行こうなんて思い立ったのかというと、
今週発売の『週刊女性』(2月15日号)に
『献血用の血液は200mlで5700円に相当する』ってなことが書いてあったからだ(48ページ)。
一体どういう算出基準でこんな数字が出てきたのかはよくわからないが、
献血するだけでそれだけの貢献を世間に対してできるのだと思えば
なんだか気持ちがいいではないか。

僕は今日、400ml献血したから、
『週刊女性』の云いに従えば、
1万1200円分の貢献を世の中に対してしたことになる!
ほんまかいな。

もっとも、ホームページで記事にするネタに困ったから、
慈善活動でもやって紙面(?)を埋めようという魂胆もあったのだが。

ところで、献血をしていて
ちょっとひっかかったことがひとつある。
献血をする前に、
「下記に該当する方は献血をご遠慮いただいています」
という紙を渡されるのだ。
いろいろ書いてあるのだが、
その中の一節をちょっと紹介してみよう。


●この1年間に次のいずれかに該当することがあった方
 (1)不特定の異性と性的接触をもった
 (2)男性の方:男性と性的接触をもった
 (3)エイズ検査(HIV検査)で陽性と言われた
 (4)麻薬・覚せい剤を注射した
 (5)上記(1)~(4)の該当する者と性的接触をもった

注目すべきは(1)と(2)だ。
まず、男性と女性との間での性的接触の場合は、
この1年間に「不特定の」相手と「性的接触をもった」場合にのみ
献血を「ご遠慮いただ」くことになるらしい。
「特定の」相手といくら「性的接触をもった」としても、
特に問題はないことになる。

ところがこれが男性同士での性的接触の場合になると、
特定の相手であれ不特定の相手であれ、
つまりこの1年間に「性的接触をもった」相手が
愛する恋人たった1人だけであったとしても
献血を「ご遠慮いただ」くことになるというのだ。
うーん……。

例えば、だ。
仮にいま僕に彼氏がいたとして、
二人の関係がそこまで深まっていたとしたら、
僕は献血場で、
『あんたの血液はいりません』と言われることになるわけだ。

せっかく世のため人のために献血しようと思って出かけたときに
そういう扱いをされたりしたら、
僕ならやっぱりあんまりいい気分はしないと思う。

もっとも、
女性同士での性的接触の場合を言えば、
特定の相手であれ不特定の相手であれ、
いくら「性的接触をも」とうとも献血を「ご遠慮いただ」くことにはならないらしいので、
一概に同性愛者差別だというわけでもないのだろうが……。

なんか いまひとつ、
納得のいかない気持ちが残るのも事実だ。
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by imadegawatuusin | 2005-02-09 23:38 | 暮らし家庭

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げたい。

今日のことわざは「情けは人の為ならず」だ。
この本の119ページではこのことわざが、
「いまや世代を問わず、
 その意味が誤解されていることわざのナンバーワン」
と紹介されている。

一応確認しておくと、
元々の意味は、
「人に情けをかけてやることは、
 巡り巡って結局自分のためになる
 (だから情けをかけてやるべきだ)。」
というものである。

ところが最近は、
「人に情けをかけてやることは、
 結局のところはその人のためにならない
 (だから情けをかけてやるべきではない)。」
という具合に理解されることが多いらしい。

考えてみれば、
起こるべくして起こった意味の変容であると言える。
「他人に善行を施せば、
 それはそのままいつか自分に帰ってくる」という単純な因果論は、
仏教が昔ほどの力を持たない現代日本では
もはや説得力を持ちえない。

逆に、自由経済社会においては、
「哀れみ」とか「慈しみ」とかいう言葉は、
どちらかというと「ダサい」言葉とみなされがちだ。

例えば、封建主義時代の日本には「お布施」という行為があったが、
これは「施してやる」行為ではなく、
「施させてもらう」行為だったと言われている。
貧しい人がかわいそうだから「施してやる」のではない。
そうではなく、
貧しい人に「施させてもらう」ことによって
物欲を捨てるための修行をする。
物欲を捨てて「清らかな自分」になることで、
来世には「よりすばらしい世界」に生まれ変わることができるのだ。

だから封建主義時代の「お布施」は、
「お布施させていただく」側よりも
「もらってやる」側のほうが圧倒的に強い。
まさに「情けは人の為ならず」なのだ。

しかし、現代資本主義社会においてはそうはいかない。
貧しい人が誰かからの施しで生きていく、ということは、
それ自体が「かっこ悪い」ことであり、
もっと言うと「正しくないこと」であるとみなされる。
経済援助を受けている側も、
「このままでは、俺は人間としてダメになってしまう!」
みたいなことを言い出しかねない。

そう。
僕たちはもはや、
情けにすがって生きるなどという生き方は、
その人 自身の為にならないのだという考えを
当然のものと是認する
資本主義社会に生きているのだ。

この社会構造の変革の瞬間、
もはやこのことわざの運命は決していたのだと言えるだろう。


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by imadegawatuusin | 2005-02-09 18:33 | 日本語論

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げたい。

「瓜(うり)二つ」という言葉がある。
「そっくりである」という意味なのであるが、
どうしてそっくりであることが「瓜二つ」なのか、
僕は今まで考えたこともなかった。

「瓜二つ」という言葉は元々、
この本の111ページに登場する
「瓜を二つに割ったよう」ということわざから来たらしい。

このことわざの解説には、
次のようにある。

瓜が二つどうなのかと言えば、
二つの瓜が転がっているのではない。
もともと一つの瓜を二つに割ったのである。

(中略)もとが一つの瓜を割ったのであれば、
もうこれは右も左もほとんど同じ。
(中略)この表現はよく似た顔のたとえ。


「もとが一つの瓜を割ったのであれば、
 左右が逆になるのでは?」と、
つい突っ込みを入れたくなってしまう。
何もわざわざこんな場面で、
「右も左も……」なんて余計なことを書かなきゃいいのに。


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by imadegawatuusin | 2005-02-07 18:30 | 日本語論

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げる。

この本の88ページに、
「鳴く猫は鼠捕らず」や
「吠える犬は噛みつかぬ」といったことわざが登場する。

もともと、
猫はネズミを捕る、
犬は不審者を撃退する、というのが
本来の役割だったのだということを知らないと、
これらのことわざの本来の意味を
理解することはできないだろう。

「鳴く猫は鼠捕らず」というのは、
おそらく、
愛嬌のない(鳴かない)猫を飼ってしまった人への
慰めの言葉として機能していたのだと思う。
「まぁまぁ、
 たしかにこの猫は鳴かなくて、
 かわいくないかもしれないけど、
 『鳴く猫は鼠捕らず』って言うじゃないか」
という感じで使われたのだろう。

それに対して「吠える犬は噛みつかず」は、
おそらく、
頼もしい犬(吠える犬)を飼って浮かれている人に対して、
「おいおい、油断は禁物だぜ。
 『吠える犬は噛みつかぬ』って言うじゃないか」
と、諌めるためのことわざだったのだ。

しかし、時代の価値観は
確実に移り変わっている。
今ではこれらのことわざは、
字義通りの意味で理解して、
慰められたり気を引き締めたりするのは難しい。

今、家で飼っているペットの猫が、
どこかから鼠をくわえて やってきたりしたら、
僕なら正直ぞっとする。
「鳴く猫は鼠捕らず」なんて言われたら、
「あぁ、うちの猫は『鳴く猫』でよかった」
と思うだろう。

また、「吠える犬」や「噛みつく犬」も
はっきり言ってお断りしたい。
さっきの例とは逆に、
運悪く「吠える犬」を飼ってしまった場合、
「まぁまぁ、『吠える犬は噛みつかぬ』って言うじゃないか」
と言われると、
あっさり慰められてしまうかもしれない。

これらのことわざは今後、
本来の意味で生き残ることは難しいと思われる。
だが、
本来の意味とは全然別の意味のことわざとして
生き続けることはあるかもしれない。

それは、好ましくない事態なのだろうか。
僕は必ずしもそうは思わない。
ことわざは庶民の知恵なのであって、
さかしらな学者の所有物では決してない。
時代によって、
また場面によって、
融通無碍に形を変えて使われてゆくところにこそ
ことわざのおもしろさがあるのだから。


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by imadegawatuusin | 2005-02-06 18:27 | 日本語論

昨日の記事に続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げる。

この本の66ページに
「時は金なり」ということわざがでてくる。
これも英語からの翻訳で、

Time is money.


というのだそうだ。

この本はこのことわざについて、
次のように書いている。

時も金も、
どちらも無駄に使ってはならない点では同じ。
ただ、
金は努力次第で蓄えることもできようが、
時の方はそうはいかない。


そういえば、
本学・同志社の創設者である新島襄は、
早くも明治11(1878)年に
次のような言葉を書き残している。

アメリカ人の言葉に
「時は金なり」とありますが、
むしろ
「時は金よりも尊し」と述べたいと思います。
(新島襄「寺島宗則への手紙」1878年2月28日 『現代語で読む新島襄』137ページ 丸善)


「時は金よりも尊し」。
この手の言い回しも時々聞くことがあるが、
明治11年からあるのなら、
こちらも立派なことわざかもしれない。

なお、
時間の大切さを説くことわざは、
東洋にだって古くからある。
なかでも、
「光陰矢の如し」などは特に有名であろう。

僕はもちろん、
このことわざとその意味は知っていたが、
どうして「光陰」が「時間」を表すのかは知らなかった。

この本の127ページを読んで、
初めてそのわけが分かった。

「光」は日、「陰」は月を表しており、
「光陰」で「月日」という意味になるのだという。

なるほど。
「月日は矢のように早く過ぎ去っていく」という意味だったのだ。

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by imadegawatuusin | 2005-02-05 18:24 | 日本語論

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げる。

この本の59ページに
「友と酒は古いほどいい」ということわざが載っている。
日本には他にも、
「女房と味噌は古いほどよい」とか、
「畳と女房は、新しいほうがよい」とかいうことわざもあるので、
僕はずっとこのことわざも
日本のものだと思っていた。
実はこれは、

Old friends and old wine are best.


という英語の翻訳だという。

そういえば韓国には、
「便所と女房の実家は遠いほどよい」ということわざがあるそうだ。

この手の言い回しには、
かなり普遍性があるのかもしれない。


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by imadegawatuusin | 2005-02-04 18:20 | 日本語論

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げる。

この本の31ページに、
「国敗れて山河あり」ということわざ(?)が載っている。
もともとは中国、唐代の詩人・杜甫の
「春望」という漢詩の冒頭だ。

当時 唐では、
大土地所有の発展や商業の発達などにより、
土地の国有を前提とし、
農業を基盤とする従来の社会体制が
そろそろ成り立たなくなってきていた。
そんな中、
皇帝・玄宗は楊貴妃への愛におぼれ、
世にいう「安禄山の乱」を招くに至ったのだ。

反乱軍はたちまちのうちに首都・長安を占拠。
そのとき杜甫が作ったのが、
「国敗れて山河あり」の詩だったのである。

戦乱のため、国は敗れ、人身は荒廃し、
世情は不安定である。
しかし、そんな中でも山河(=自然)だけは、
昔の姿のままであり、
人々の心を強く打つ……。

「国敗れて山河あり」には
そんな感慨が込められている。

ところでこの本は
この「国敗れて山河あり」という言葉について、
次のような感想を記している。

しかし、
現代の戦争ともなれば、
その山河さえも吹き飛ばしてしまうだろう。


たしかにそうだ。
ジャングルに「枯葉剤」を撒き散らし、
国土に劣化ウラン弾を打ち込む現代の戦争で「国敗れ」たとき、
僕たちも同じように
「国敗れて山河あり」と言うことができるだろうか。
そして何より核兵器の存在は、
人類はもとより、
地球上にある全生命の生存にとって
大きな脅威となっている。

国破れても必ず山河が残る戦争は
もはや過去の存在である。
いまや戦争は、
最大の環境破壊として
人類の前に立ちはだかっている。


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by imadegawatuusin | 2005-02-03 18:16 | 日本語論