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■第一期はシリーズ全7作中の異色作
『少女少年』第一期(みずき編)は、
少女少年シリーズ全7作の「基本形」・「スタンダード」として
語られることが多い。

確かに女子キャラクターの性格・配置などの点で言えば、
本作がその後のシリーズ(特にIIやIII)を
大きく規定したことは否定できない(『少女少年II』210~212ページ)。
ただ僕は、
こうした点のみをとらえて
「第一期」をもって「スタンダード」・「基本形」と規定するのは
あまりにも表面的な見方ではないかと思うのだ。

僕は今回、『少女少年』(みずき編)を、
あえて「異色の『少女少年』」と位置付けたい。
『少女少年』第一期の最大の特徴は、
主人公・水城晶(白川みずき)が「少女少年」を務める上での
「確固とした動機」の欠如、
言い換えれば、
「面白そう!」という単純な気持ちに
常に忠実な主人公のありようである。

■「確固とした動機」の欠如(「面白そう!」に常に忠実)
意外に思われるかも知れないが、
実は本書の主人公・水城晶(白川みずき)は、
作品全編を通してほとんど主体的に行動を起こすことがない。

芸能プロの村崎ツトムに『頼まれて』デビューし(本書24~30ページ)、
憧れの青野るりに
「私なんかいらなくなっちゃうくらい……」
と『頼まれて』芸能人としての決意を固め(本書44~50ページ)、
村崎ツトムに『授けてもらった』作戦に乗って
修学旅行先からライブ会場へと抜け出す(本書85~92ページ)。
姉である水城瞳に『授けてもらった』作戦に則り
二人二役を演じるが(本書131ページ~142ページ)、
結局バレて自らの正体を告白し(本書145~147ページ)、
最終的には芸能界からも
『自らの意思に反して』追放されてしまう(本書167~172ページ)。

水城晶が本作の中で主体的にとった行動といえば、
マネージャーである村崎ツトムの反対を押し切って強行した
「アイドル水着大会」への出場か、
小学校の球技大会に
青野るりを呼んだことくらいしか思いつかない(本書71ページ、104ページ)。
彼は村崎ツトムに言われれば、
「全っ然向いてない」ドラマ出演もいとわないし(本書46ページ)、
「イヤガラセ」に対しても、
その場その場で受け流したりかわしたりと
うまく対処することはできても(本書57~58、60~62ページ)、
黒木紗夜香が自ら犯人であることを明かすまで、
犯人を見つけ出して対決しようという姿勢など
一切見せることはなかった(本書65ページ)。

この「主体性のなさ」を、
僕は必ずしも否定的には捉えない。
思い出してほしい。
『少女少年』全7作の主人公たちはみな、
小学生だったのである。

自分の小学生時代のことを思い出してもらいたい。
そのころ、
自分はどんなことを考え、どんな生活をしていたか。

少なくとも僕は、
確固とした将来の夢とか、
そんなものは持っていなかった。
毎日毎日その日限りの生活をし、
後先考えずに「面白そうなこと」に飛びつく日々だった。

そんな僕にとって水城晶は、
歴代少女少年の中でもっとも親しみやすい、
言い換えれば最も小学生らしい少女少年に見えてならない。

「母さんに会いたい、母さんに認めてもらいたい」という
確固とした目的を持って芸能界に飛び込んだ『少女少年II』の星河一葵。
「田舎を出て、都会で一旗挙げてみせる」と張り切って
芸能界に飛び込んだ『少女少年III』の橘柚季。
計算高い白原允(『少女少年IV』)も、
胸にひそかに「大人への復讐への念」を秘める蒔田稔(『少女少年V』)も、
少女少年になるにあたって確固とした動機を持っていた。

けれど水城晶は違う。
彼は連載開始早々の第3話にしてすでに、
「アイドルをやる
 理由なんてもう
 どうでもいい」と独白している(本書50ページ)。
確固とした動機があるわけでもなく、
さりとて『少女少年VI』の谷川光のように
強制的に巻き込まれたというわけでもない。
彼を突き動かしているのは、
ひたすら「面白そうなこと」を求めてやまない子供らしさ、
「行けるとこまで行ってやる!」(本書50ページ)という
後先考えない「無鉄砲な行動力」だ。

大体、「確固とした動機」があるというのも善し悪しである。
『少女少年V』の蒔田稔などの場合は、
あまりにも「動機」が「確固」としすぎていたが為に、
ときに かたくなになり、
目の前の現実に対処できずに機能不全に陥ったという事実もある。

その点、本作の晶は
心底 元気でやんちゃで明るい(本書151ページ)。
そして、
少女少年史上まれに見る「考えなし」でもある(本書60、69~71、127、161~163ページ)。

大局的な方向性や強固な動機は存在せず、
常にその場その場の状況に応じて柔軟に、
変幻自在に対応する(本書68、77~78ページ)。
後先考えずに、
「面白そうなこと」に出くわすたびに首を突っ込み、
結局 大騒動を巻き起こす。
そんな晶の「少女少年」生活が、
最終的には収拾がつかなくなって
破綻に追い込まれてしまったことは、
おそらく必然だったのであろう。
よくよく考えてみると、
歴代少女少年の中で、
自らの意に反して芸能界を追放されてしまったのは
彼の他には一人もいない。

その意味でも水城晶(白川みずき)は、
非常に特異な「少女少年」だったと言える。

ストーリーとしても「ドタバタコメディー」の印象が強いのは、
この主人公の性格によるところが大きいのではないか。
次から次へと事件が起こり、
作品のボリュームのわりに「長さ」を感じさせることがない。

テンポのよさとノリの軽さを兼ね備えた本書は、
「少女漫画」など読んだことがないという男性にも自信を持ってお薦めできる
間口の広さをもっている。
その意味で本書は、
女装漫画の最高峰・『少女少年』シリーズ全7作についてはもちろん、
「少女漫画」というジャンルそのものへの
最高の入門書であると言えるだろう。
「やぶうち優『少女少年』第一期解説(その2)」に進む→

《進む》
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その2)
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その3)
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その4)
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その5)
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その6)
やぶうち優『少女少年』第一期解説(その7)
やぶうち優『少女少年』第一期各話解説


参考お勧め記事
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説
やぶうち優『少女少年II』各話解説

やぶうち優「少女少年 0話」解説

「マンガ・アニメに女装少年」 『朝日新聞』が報道


酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
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by imadegawatuusin | 2006-07-31 23:48 | 漫画・アニメ

――メイドさんは男の子!――

■少年執事、お嬢様のために女子寮でメイド姿で大奮闘!
僕はいわゆる「女装少年」モノの大ファンであるが、
意外に女装少年を心の底から「かわいいっ!」と思えたことが
実はない。

『ミントな僕ら』の のえる君は
「かわいい」というのとはちょっと違うし、
『少年ヴィーナス』の高見沢操一郎くんについても、
「かわいらしさ」というよりは、
女装の中からにじみ出る、
その生き様の「かっこよさ」みたいなものに
僕は惹かれてならないのである。

けれど僕は、
本書『メイド王子』のカバーイラストを見た瞬間、
メイド少年・たすく君のかわいらしさに
本当に一発でやられてしまった。

憧れのお嬢様にお仕えするため、
小さいころから執事としての訓練を受け続けてきた中学生の永倉たすくは、
ある日「お館様」から、
お嬢様付きのメイドとして
聖セシーリア女学院(高校)の女子寮に潜入せよと命じられる。

憧れのお嬢様にお仕えできるのは嬉しいけれど、
高校生のお姉さまたちに囲まれながら、
本当に女の子としてやってゆくことができるのだろうか……。

何があっても前向きで、
どんなときにもお嬢様第一!
直球まっすぐに「メイド道」を突き進む たすく君は
見ていて本当にかわいらしい。

さらに、
挿絵を担当したとんぷうさんのイラストが最高だ。
どのイラストにも、
たすく君の かわいらしさ・ひたむきさを100パーセント引き出すために
絶妙の趣向を凝らしてある。

とんぷうさん曰く、
たすく君は「男の子っぽくツンツン気味の髪型、
女の子っぽさを出す為少し長め」。
「顔にも男の子っぽさを出そうと、
 気持ち眉が太め」、
「うまく中性的、やや男の子寄りな雰囲気が出せてたら
 幸いなんですけど」とのこと。

この
「うまく中性的、やや男の子寄りな雰囲気が出せてたら」……
というコメントを見た瞬間、
このとんぷうさんは「女装少年モノ」のツボを
しっかりと押さえておられる方であると
僕は はっきりと確信した。

そうだ。
そうなのである。
女装少年は、ただ かわいらしくて女の子っぽければ
それでいいというようなものでは決してない。
「中性的、やや男の子寄りな雰囲気」をいかに残して
女装させられるかどうかというところが味噌なのである。

「メイドというのは仕事の結果ですべてを語るもの。
 だから、
 ボクが語るべき言葉は今日までの仕事のみです」というきめゼリフも、
メイドとしての誇りの高さとお嬢様への献身性に満ちた
たすく君にピッタリだ。


《お薦め女装小説》
1.奈波はるか『少年舞妓・千代菊がゆく!』シリーズ
2.志麻友紀『ローゼンクロイツ』シリーズ
3.新井素子『ふたりのかつみ』

【本日の読了】
黒石翁『メイド王子』新風社Jam Plusノベルズ(評価:4)

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by imadegawatuusin | 2006-07-30 23:34 | 文芸

■聖書は「調和していて正確」?
本書は聖書について、
「科学的に正確」であり(本書20ページ、2章8節)、
「最初から最後まで調和を保っています」(本書20ページ、2章6節)
と記している。
聖書は
「歴史的にも正確で信頼でき」、
「その記述は具体的で」、
「人々の名前だけではなく,その先祖の系図も挙げています」という(本書21ページ、2章9節)。
そしてその例として、
「例えば,ルカ3章23‐38節にあるイエスの詳しい系図をご覧ください」
というのである(本書21ページ)。

確かにルカ3章23‐38節には、
「イエスの詳しい系図」が載っている。
しかし聖書にはもう一箇所、
「マタイによる福音書」の冒頭にも
アブラハムからイエスに至る「詳しい系図」が載っており、
これが「ルカによる福音書」の系図とは全く対応していないのだ。

下が、本書で触れられている「ルカによる福音書」のイエスの系図と、
「マタイによる福音書」のイエスの系図を照らし合わせたものである。
「ルカによる福音書」ではイエスはアブラハムから数えて57代となっているが、
「マタイによる福音書」では41代ということになる。

  ルカ伝系図(マタイ伝系図)

1.アブラハム(アブラハム)
2.イサク(イサク)
3.ヤコブ(ヤコブ)
4.ユダ(ユダ)
5.ペレツ(ペレツ)
6.ヘツロン(ヘツロン)
7.アルニ(アラム)
8.アドミン(アミナダブ)
9.アミナダブ(ナフション)
10.ナフション(サルモン)
11.サラ(ボアズ)
12.ボアズ(オベド)
13.オベド(エッサイ)
14.エッサイ(ダビデ)
15.ダビデ(ソロモン)
16.ナタン(レハブアム)
17.マタタ(アビア)
18.メンナ(アサ)
19.メレア(ヨシャファト)
20.エリアキム(ヨラム)
21.ヨナム(ウジヤ)
22.ヨセフ(ヨタム)
23.ユダ(アハズ)
24.シメオン(ヒゼキア)
25.レビ(マナセ)
26.マタト(アモス)
27.ヨリム(ヨシア)
28.エリエゼル(エコンヤ)
29.ヨシュア(シャルティエル)
30.エル(ゼルバベル)
31.エルマダム(アビウド)
32.コサム(エリアキム)
33.アディ(アゾル)
34.メルキ(サドク)
35.ネリ(アキム)
36.シャルティエル(エリウド)
37.ゼルバベル(エルアザル)
38.レサ(マタン)
39.ヨハナン(ヤコブ)
40.ヨダ(ヨセフ)
41.ヨセク(イエス)
42.セメイン
43.マタティア
44.マハト
45.ナガイ
46.エスリ
47.ナウム
48.アモス
49.マタティア
50.ヨセフ
51.ヤナイ
52.メルキ
53.レビ
54.マタト
55.エリ
56.ヨセフ
57.イエス


1代目のアブラハムから6代目のヘツロンまでは対応するが、
あとはもう滅茶苦茶である。
細かく観察すると、
「ルカ」で9代とされているアミナダブから15代ダビデと、
「マタイ」で8代とされているアミナダブから14代ダビデとの部分が
対応していることがわかるが、
逆にいえば7代から8代・9代の間で
確実に「ズレ」が生じていることが確認できる。

また、「ルカ」で36代・37代とされている
「シャルティエル―ゼルバベル」が、
「マタイ」では29代・30代とされているのも気になるところだ。

この事実を見てもなお、
聖書の記述は「科学的に正確」であり、
「最初から最後まで調和を保ってい」るなどと言い切れるのであろうか。
「聖書中のある箇所が他の箇所と矛盾しているという人もいますが,
 そのような主張には根拠がありません」(本書20ページ)と言い切れるのであろうか。
僕には到底そのようには思えない。

《戻る》
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その1)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その2)
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by imadegawatuusin | 2006-07-29 14:15 | キリスト教

■「くちびる」はなぜ"lips"と複数形か
『はじめてのフォニックスレベル1』(英会話のジオス)の
“L”の発音に関する部分で、
くちびるのイラストを添えた"lips"という単語が載っている。
どうしてくちびるは"lips"と複数形で表わすのだろうか。

実は、
上あるいは下の「それぞれのくちびる」を
英語では一つの"lip"と捉えるのである。
したがってイラストのように、
「上下のくちびる全体」を一体として表わすときは、
"lips"と複数形を用いなければならないわけだ。

【戻る】

『はじめてのフォニックスレベル1』について(その1)
『はじめてのフォニックスレベル1』について(その2)

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by imadegawatuusin | 2006-07-19 19:43 | 雑記帳

■"fin"は「魚のひれ」のこと
Fの項で"fin"という単語が出てきた。
「魚のひれ」という意味の名詞らしい。

そういえば種村有菜『神風怪盗ジャンヌ』に
フィン=フィッシュという天使が出てきたが、
「フィン」とは「ひれ」という意味だったのだ。

彼女は「真魚」という女の子の生まれ変わりという設定だったから、
「魚」に関係する名前が付けられたのだろう。

なお、この本にはサメの背びれの絵が載っているが、
胸びれ、腹びれ、尾びれ、尻びれなど、
全てのひれが"fin"に該当するらしい。

【戻る】
『はじめてのフォニックスレベル1』について(その1)

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『はじめてのフォニックスレベル1』について(その3)
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by imadegawatuusin | 2006-07-18 19:41 | 雑記帳

――女装漫画の最高峰『少女少年』シリーズの原点――

■同人誌に掲載された幻の「少女少年」
「少女少年 0話」は現在、
2006年に発売された『やぶうち優ファンBOOK』(小学館)に収録されており、
誰でも手軽に読むことができる(『やぶうち優ファンBOOK』49~54ページ)。
実はこの作品は、
長らくファンの間では入手困難な「幻の作品」とされてきた。

「少女少年 0話」は1990年、
やぶうち優さんらが発行する
「MemoryMaker Vol.2」という同人誌に掲載された作品である
「やぶうち先生の主な作品一覧表」『やぶうち優先生を応援するページ』)。
ただし話の構想自体はその数年前、
やぶうちさんが大学受験時代(1987年~1988年ごろ?)に
温めていたものであったとのこと。
このあたりのいきさつは
『少女少年』みずき編の後書き・「『少女少年』について」に詳しい(『少女少年』188~189ページ)。

「少女少年 0話」自体は
ページ数にしてたった6ページ(表紙を除けば内容は5ページ)の
非常に短いお話(?)である。
「お話」というより、
大学に合格して『ちゃお』に復帰したあかつきに
掲載してもらう予定だった作品の予告編、といった趣である。
(しかし、やぶうちさんが受験で『ちゃお』を「お休み」している間に〔注1〕
 『ちゃお』編集部の方針が一変し、
 もはや男の子が主人公のお話は載せないことになったそうで〔注2〕、
 『少女少年』の構想はその後
 『小学六年生』で第一期(みずき編)が連載される1997年まで9年間
 お蔵入りとなってしまったということである)。

〔注1〕実際にはやぶうち優さんは、
浪人中にも
「純情powerのトップ!」という作品を1作だけ描いており、
中学二年でデビューしてから現在まで、
必ず年間1作は作品を発表し続けている。

〔注2〕確かに、中学二年生でデビューしてから
高校生のころまでは、
やぶうち優さんは男の子が主人公となる作品を
『ちゃお』系の雑誌で多数発表している。
主人公の男の子がバニーガールをさせられる
「バニーガールしませんか?」(中学3年生のときの作品)や、
未来から女の子の生霊
(と言っていいのかどうかはよくわからないが、
 『ないしょのつぼみ』1巻の遠藤沙耶のような感じ)がやってくる
「Windy Day Dream」(高校2年生のときの作品)など、
後の作品につながる読み応えのある作品が多い。
ちなみに「Windy Day Dream」の主人公は、
「バニーガールしませんか?」で主人公・平松のりおに
バニーガール姿を強要した「山中くん」が務めている。


こうした いきさつもあって、
「少女少年 0話」の筋書きは
『少女少年』第一期(みずき編)と酷似している。
(「というか、
  ここからⅠ期目が生まれた」と、
 やぶうち優さん自身が書いている[「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』54ページ])。
『少女少年』みずき編の後書き・「『少女少年』について」では、
「少女少年 0話」の女装アイドル・小川ちさと について、
「9年前にかいたみずき」と表記されているほどである(『少女少年』188ページ)。

ただ、いくつかの相違点も実はある。
『少女少年』第一期(みずき編)の主人公である水城晶(白川みずき)は
小学六年生であるが(『少女少年』17,74,110ページ)、
「少女少年 0話」の主人公である大山千里(小川ちさと)は
やぶうち優さんがプロデビューした学年と同じ
中学二年生である(「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』50ページ)。
(おそらく、『少女少年』第一期の掲載誌が
 『小学六年生』になったことから
 主人公の学年が変更されたのであろう)。

水城晶が女装について、
「女装って
 言っても
 カンちがい
 しないでくれ。
 オレにはべつに
 そんなシュミは
 ないからな!」などと言うのに対し(『少女少年』182ページ)、
大山千里がはっきりと、
「女装が趣味」と言い切っているのは、
実に すがすがしい いさぎよさを感じさせる(「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』50ページ)。
大山千里は自分の中学の文化祭で、
本名で堂々と「ミス一中」の座を射止め、
彼を知る大勢の観客の前で生き生きと、
セーラー服姿でその歌声を披露している(同上51ページ)。
(あと、
 個人的な感想を言わせてもらうと、
 水城晶はカツラを外すと女装が全然似合わないが、
 大山千里はカツラを外しても『水色時代』の北野深雪のような感じで
 あまり違和感を感じない[同上52ページ])。
 
芸能プロダクションの村崎ツトムは、
外見も風貌も
このときからまったくと言っていいほど変わっていないが、
「少女少年 0話」では名前は「曲(まがり)」となっている〔注3〕。
〔注3〕曲のキャラクター造形について
作者・やぶうち優さんは、
「大人の男性を描くのが苦手なやぶうちが、
 一生懸命考えた
 大人の記号の集大成なんです。
 スーツ・ネクタイ・サングラス・
 七三分けの髪型。
 髪型は、
 いつもくたびれて乱れているため
 わかりにくいんですが」と語っている。
やぶうち優さんが
「少女少年」の構想を練りはじめたのは
大学受験中の1987年ごろであり、
「少女少年 0話」が
「MemoryMaker Vol.2」で発表されたのは
1990年。
その間にあたる1989年にやぶうち優さんは
「お嬢様にはかなわない」という短編作品を
発表している。
この作品に登場する
「お嬢様」の運転手役・山根が
ちょうどこの「曲」=村崎ツトムと
風貌がそっくりであることは、
やぶうちっく研究の第一人者・くすださん
以下のように指摘しているところである。
「お嬢様の運転手の『山根』さんと、『村崎ツトム』。
 顔、雰囲気、性格、よく似ている気がします。
 きっと親戚なのでしょう。(笑)」。
「少女少年 0話」と同じ1990年に発表された、
「お嬢様にはかなわない」の続編である
「お嬢様には手を出すな」には、
さらにこの運転手・山根にそっくりな
誘拐犯2人組が登場し、
「あなたたちの顔
 どこかで見た
 ことがあるわ」
「そう!
 私の運転手の
 山根にそっくり
 なんだわ!」との
お嬢様こと二階堂景の指摘に対し、
当の誘拐犯らが、
「作者(やぶうち)が
 同じよーな顔
 しか描けない
 からな…」と返すという、
自虐的なギャグが展開されている。
「大人の男性を描くの」を「苦手」としていた
当時のやぶうち優さんが、
いかにこの
「一生懸命考えた大人の記号の集大成」を
随所で使い回していたかということを
如実に象徴するエピソードである。


ちなみに、
『少女少年』第一期で村崎ツトムは白川みずき(=水城晶)のルックスを
「まあまあ」と評していた(『少女少年』24ページ)のに対し、
本作の曲(まがり)は小川ちさと(大山千里)のルックスを
「並(ハンパ)じゃない!!」と絶賛している(「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』51ページ)。

またちょっと意外なところでは、
「少女少年 0話」の主人公・大山千里は
自称「スポーツ万能」という設定だ。
『少女少年』I期目(みずき編)で
晶に好意を抱いていた青野るり なども、
彼のルックスや運動神経については、
「ルックスも
 運動神経も
 とびぬけていいって
 わけじゃない」と、そう高くは評価していなかった(『少女少年』114ページ)。
歴代少女少年の中でも
「スポーツ万能」という設定は意外に珍しい。

赤沢智恵子はこちらでは「クラスメートの鶴村」、
青野るりは「アイドルの清水みるく」となっていて、
設定・外見ともにあまり変わりがない((「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』53ページ)。
(ただ、文化祭において学校でも堂々と本名で女装していた
 「女装が趣味」の大山千里が
 アイドル・小川ちさと と同一人物であるということに
 「クラスメートの鶴村」がまったく気づいていないのは
 やや つじつまが合わない感じもしなくはない。
 『少女少年』第一期において「女装が趣味」の設定が採用されなかったのには、
 そうした事情もあったのだろう)。

そして、
何より大きく異なっているのが黒木紗夜香の位置付けである。
『少女少年』みずき編の設定では、
「みずきのライバル役のアイドル」であるが、
「少女少年 0話」ではアマチュアバンドのメンバーであり、
最初から主人公のクラスメートだ。
名前は「亀山」。
本作の村崎ツトムにあたる「曲」の めいにあたり、
自分のやっているバンドを見てもらおうと
おじの曲(まがり)を中学の文化祭に呼んだのだ(同上53ページ)。
ここで曲(まがり)は女装して歌う千里を見出し
(「天使のイメージ」! 「ボーイソプラノのような透明感」!)、
彼は一躍アイドルへの道を駆け上ることになる(同上51~53ページ)。
そりゃー自分のバンドを見てもらおうと 曲(まがり)を呼んだ亀山としては
断然面白くないだろう。
もし本作が本当に『ちゃお』で連載されていれば、
嫉妬バリバリで黒木紗夜香ばりのイヤガラセを
「ちさと」に仕掛けていたに違いない。

そういえば、「少女少年 0話」の亀山は、
わざわざ自分たちのバンドを 曲(まがり)に見てほしい!と
文化祭に呼ぶほどだったのであるが、
『少女少年』全7作には「村崎さんに会いたくて」とか
「村崎さんが好きです!」というようなアイドルや女の子は登場しない。
かなりの敏腕プロドューサーという設定のはずだが。
(もっとも、『少女少年III』の橘柚季あたりは、
 元々は やや憧れの目で見ていたような節はあるが[『少女少年III』46ページ])。

また本作冒頭の「アオリ文」(?)には、
「ごめんなさい!
 実はわたし
 オトコノコ♂
 なんです!!」とあるのだが、
これも時代を感じさせる(「少女少年 0話」『やぶうち優ファンBOOK』50ページ)。

『少女少年』シリーズ全7作には、
「自分は男であるのに女装して
 ファンの人たちを騙している」といった類の罪悪感を
抱く少年はひとりもいない。
(また『少女少年』第一期では
 男だとバレたときに怒り出すファンが続出したが[『少女少年』167,172ページ]、
 『少女少年II』や『少女少年V』になると主人公が男だとわかったときも
 人々は比較的暖かく彼らを迎え入れている[『少女少年II』198ページ、『少女少年V』161ページ]。
 このあたりにも時代の移り変わりが表れているのではないだろうか)。


おすすめ参考文献
●wikipedia「少女少年0話」
少女少年0話についての情報が充実。
登場人物紹介なども。


関連記事
やぶうち優『少女少年』第一期解説
やぶうち優『少女少年II―KAZUKI―』解説

「マンガ・アニメに女装少年」 『朝日新聞』が報道

酒井徹お薦めの女装漫画》
1.やぶうち優『少女少年』シリーズ(Ⅰ~Ⅶ)、小学館てんとう虫コミックススペシャル
2.吉住渉『ミントな僕ら』全6巻、集英社リボンマスコットコミックス
3.志村貴子『放浪息子』エンターブレイン
4.なるもみずほ『少年ヴィーナス』全4巻、角川書店あすかコミックス
5.松本トモキ『プラナス・ガール』ガンガンコミックスJOKER

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by imadegawatuusin | 2006-07-17 23:59 | 漫画・アニメ

■ゼロから英語に「慣れる」ための最適の教材
英語をゼロからはじめることにした僕が、
最初に取り組むことにしたのが本書、
『はじめてのフォニックスレベル1』(英会話のジオス)である。

僕の尊敬する受験技術研究家の和田秀樹先生は、
「ゼロの状態から……英語に“慣れる”ところから始め」るにあたって、
「最低限達成しておきたい目標は、次の三つである」という。

すなわち、

①アルファベット26文字を正しい発音で言える。
②アルファベットを大文字と小文字ですらすら書ける。
③身近なものを英語で言える、正しいつづりで書ける。


の3つである。

そしてこれらは、
「一見簡単な目標に見えるかもしれないが、
 これを自学自習で達成するとなると以外に難しい」のである(和田秀樹『学校に頼らない和田式・中高一貫カリキュラム』新評論 247ページ)。

そして和田秀樹先生は、
上記の目的で使用する教材として、
『初めてのフォニックス』シリーズ(英会話のジオス)を薦めている。

『初めてのフォニックス』シリーズは、
「小学生向けの教材だけあって、
 非常に丁寧につくられている」。
根津千鶴さんのイラストが猛烈にかわいい。
(特に主人公のマオ君!)。
「付属CDを聴きながら、
 アルファベットから英語の基本的な発音ルールまで、
 段階を踏んで習得できる構成になっている」のである(前掲書247ページ)。

ちなみにこの、
「英語の基本的な発音ルール」こそが、
本書の題名の中で「フォニックス」と呼ばれているものであり、
本書の最大の特色だ。

本書の2ページには「はじめに」として、
「フォニックスって何?」と題された次のような文章が掲載されている。
少し長いがまずはこれを読んでもらいたい。

■フォニックスって何?
英語を書くときに使う文字は何でしょう?
アルファベットですね。
では、
日本語を書くときに使うのは?
もちろんひらがな、カタカナ、そして漢字です。
ここではひらがなを例としてとりあげます。
ひらがなの「あ」を書いてみてください。
次にそれを声に出して読んでみましょう。
もちろん読めますね。
「あした」の「あ」も、「しあわせ」の「あ」も
読めるはずです。
では次に「a」と書いてみてください。
これは何と読むでしょう?
「a」それだけなら「エイ」と読むことが多いでしょう。
では「cake」ならどうでしょう?
「シーエイケイイー」とは読まずに
「ケイク」と読みます。

ひらがなは文字の名前と読む音が同じです。
ところがアルファベットはそうではありません。
文字の名前である「エイ」「ビー」「シー」を覚えても
ほとんど役に立たないのです。
 
文字のあらわす音を覚えなければ、
英語は読むことができないのです。

フォニックスとは、
その文字と音をむすびつけて覚える勉強法です。
アメリカやイギリスの子どもたちは、
この勉強法で読み方を覚えます。
このフォニックスのルールを覚えるだけで、
かなりの英語を読むことができます。


そもそも英語は、
文字と発音との対応が相当悪い言語だと言われている。
つづりと実際の音とのずれが激しいのである。
日本語は、
戦後の改革の際に、
例えば「てふてふ」と書いて「チョーチョ」と読んだり、
「かうむる」(被る)と書いて「コームル」と読むいった無茶苦茶は
かなり是正されている。

しかし「戦勝国言語」たる英語は
長年にわたって改革されることなく現在に至っており、
文字と発音との対応に大きなズレが生じている。
したがって、
それぞれの文字を「エイ」「ビー」「シー」と覚えても、
それをつないで読んでいったところで
「英語が読める」ようにはならないのである。

しかし、
だからといって英語のつづりが
全くデタラメにできているというわけでもない。
事実、
ある程度の知的教養をそなえた英米人であれば、
生まれて初めて目にした単語であっても、
相当の確率で誤りなく、
「正しい発音」で読むことができる。
文字の読み方と綴ったときの発音との開きは大きいが、
やはり両者の間には一定の対応関係が存在しているようなのだ。

その法則を、
英語初心者にもわかりやすいように分析し、
教育教材として開発されたのが、
本書で用いられている「フォニックス」なのだ。

ただ、
その利点を強調しようとするためか、
本書では「ひらがなは文字の名前と読む音が同じ」であり、
それに対して「アルファベットはそうでは」ない、
だからフォニックスが必要なのだ……という主張が展開されているのだが、
これは少し一面的すぎる理解であろう。

確かにひらがなは、
英語に比べれば文字の名前と読む音との対応が単純である。
しかし、
その例として

「あした」の「あ」も、「しあわせ」の「あ」も
読めるはず


などとあっさり書いてしまってあるのは明らかにまずい。
よく観察してほしい。
本当に「あした」の「あ」と「しあわせ」の「あ」は
同じように「ア」と発音しているだろうか。

「しあわせなら手をたたこう」の歌を歌ってみればよくわかる。
多くの人は、
「シーヤワッセナラテオタータコッ」と歌っているはずだ。
つまり、
「しあわせ」の「あ」の部分は「ア」ではなく、
むしろ「ヤ」に近い音で発音する人が多いのだ。

他にも、
「けいこうとう」(蛍光灯)は「文字の名前」どおりに
「ケイコウトウ」と発音すると誤りである。
これは「ケーコートー」と発音しなければならない。
「こんぺいとう」も「コンペイトウ」と発音すれば誤りで、
「コンペートー」と読まなければならない。
「ぼくはやまへいく」を「ボクハヤマヘイク」と、
「文字の名前」どおりに発音する人はいないはずだ。
これは「ボクワヤマエイク」と読むのである。
(こういった不対応も「てふてふ」などと同様、
 本当は戦後の改革の際に
 まとめて きちっと片をつけておくべきであったのだろうが)。

また、
おなじ「ん」という文字であっても、
例えば「にんにく」の「ん」は英語の"n"に近い音(舌の先で止める)、
「しんばし」(新橋)の「ん」は英語の"m"に近い音(唇の先で止める)、
「さんかい」(三回)の「ん」は英語の"ng"に近い音(のどの奥で止める)と、
それぞれ別の発音をするのが普通である。
(あまり意識しない人も多いが、
 大抵の日本人は無意識のうちにこうした使い分けを行なっている)。

本書は「ひらがなは文字の名前と読む音が同じ」と主張するが、
そもそもひらがなには「ゃ」・「ゅ」・「ょ」・「っ」のように、
それ単独では読めない(=名前が存在しない)文字まで存在する。
少なくとも英語のアルファベットには、
「それ単独では読めない」文字はないはずである。

ともあれ僕は今日から、
この教材を足がかりに
英語の世界に足を踏み入れてゆくことになる。

「やり方としては、
 2レッスン分……をひとまとめとして、
 1日に2回以上同じ範囲を反復しながら進めていくといい。
 ……
 ポイントは、
 1回の勉強時間を長く取って取り組むより、
 短い時間でいいから何度も反復することにある。
 たとえば、
 夕食後に20分やったら寝る前にもう一度同じ範囲を復習し、
 さらに翌日には、
 昨日の『おさらい』をしてから次の範囲に進むといった感じだ」(前掲書247~248ページ)。


【進む】
『はじめてのフォニックスレベル1』について(その2)
『はじめてのフォニックスレベル1』について(その3)
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by imadegawatuusin | 2006-07-17 23:15 | 雑記帳

酒井徹の基本姿勢

世界観
存在する全てのものには物質的根拠があるとする唯物論に立脚し、
科学的思考を重視します。
非科学的な「死後の魂」の存在や輪廻転生、
超自然的な神通力を持つ人格神の存在などは信じません。
単なる物質に神秘的な力を見る偶像崇拝的傾向にも組せず、
呪術のたぐいは自らの生活から排するように努めます。

生きがい
平和・人権・民主主義の社会のあらゆる領域における徹底のために
献身的に奮闘し、
社会の進歩に貢献することを生きがいとします。

政治姿勢
共産主義社会でもなく、
かといって市場万能主義でもない、
人権と福祉を重視する社会民主主義社会の実現を目指します。
意見の違いを暴力によって圧殺する手法には断固反対し、
民主的手法による政治革新を推し進めます。

核廃絶
核兵器をはじめ、
あらゆる非人道的な兵器の廃絶を目指し、
世界平和の実現のために活動します。

男女平等
「男だから」・「女だから」ということで特定の生き方を押し付けられない、
選択肢の広い社会を目指します。
男女差別には強く反対し、
男女共同参画社会づくりを進めます。
現民法を改正し、夫婦別姓の選択が可能となるよう努力します。

性的少数者解放
同性愛者・「性同一性障害者」・半陰陽者(インターセックス)などの性的少数者に対する差別・偏見と闘い、
理解を広げ、深めるために奮闘します。

少子・高齢化問題
「子供は社会で育てる」を基本に、
子育て支援を充実させてその負担を軽減し、
子供を育てている人とそうでない人との間の不公平感を無くすように努めます。
民法上の婚外子差別の撤廃のために奮闘します。

税金・財政問題
低所得者により重い負担を強いる不公平税制・消費税の値上げに反対し、
累進課税の強化と非事業的相続財産やその他不労所得への課税強化、
大型開発事業の見直しや軍縮などの歳出削減による赤字財政の再建を目指します。
現在は非課税とされている宗教法人にも、
政治団体やNGO団体と同様、
一定以上の収入を得た場合には応分の負担を求めます。

憲法問題
硬直した「絶対護憲」の立場には立たず、
より具体的な平和主義・民主主義・人権擁護主義的な憲法のあり方を
展望します。
封建的な血族世襲を法的に定めた皇室制度を廃止し(現1~8条改正)、
同性同士の婚姻を異性同士の婚姻と同様に扱うことを目指します(現24条改正)。
防衛問題に関しては、
国の自衛権を明記した上で、
国連安保理決議に基づく国際警察行動への参加を除く集団的自衛権の放棄と
専守防衛・非核三原則を憲法に明記することを目指し、
国連中心・非同盟主義の立場を貫きます。
将来的には国際警察行動をになう部隊と自衛をになう部隊とを分離し、
前者を国連の指揮下に委譲することを目指します。
国家主義傾向を強化する方向での憲法改悪には断固反対します。

台湾の国連加盟支持
民主的手続きによって議会や政府が選出され、
台湾本島および澎湖・金門・馬祖などにおいて国家的実態を有する
台湾の国連加盟を支持します。
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by imadegawatuusin | 2006-07-16 21:34 | 政治

■聖書は、地球は丸く無の中に浮かぶと教えているか
この本の21ページでは、
聖書には地球の形やあり方についてどのような記述がなされているかが
解説されている。
そこには、

地球の形について間違った見方がされていた時代に,
聖書は,
地の円,つまり丸いものという表現を用いました。


として、
イザヤ書40章22節を参照するよう書かれている。
しかし、少なくとも僕の持っている「新共同訳」の聖書では、
イザヤ書40章22節には次のような記述しかない。

主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。
地に住む者は虫けらに等しい。
主は天をベールのように広げ、天幕のように張り
その上に御座を置かれる。


少なくとも「新共同訳」の翻訳からは、
地球が丸いということを示す表現を見出すことはできない。
それどころか、
「地を覆う大空の上」に「天をベールのように広げ、天幕のように張り
その上に御座を置」くという表現からは、
むしろ地を平たいものとして捉えているのではないかという印象すら
受けるくらいだ。

また本書21ページには、

地は『無の上に掛かっている』という,
事実に合致した描写もあります。(ヨブ26:7)


とも書いてある。
確かに、
地が『無の上に掛かっている』というヨブ記26章7節の記述は
事実に合致してはいる。
だが、これはヨブという男が神様に対して不満を募らせ、
暴言を吐いた際に出てきた発言の一節なのだ。
ヨブは同じ26章の中で神に対して、
「どんな助けを力のないものに与え
 どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。
 どんな忠告を知恵のない者に与え
 どんな策を多くの人に授けたというのか。
 誰の言葉を取り次いで語っているのか」
と、放言の限りを尽くしている(ヨブ26章2~4節)。

こうしたヨブの発言に対して神は、
「これは何者か。
 知識もないのに、言葉を重ねて
 神の経綸を暗くするとは」と とがめだてている(ヨブ38章2節)。
そしてヨブも最終的には、
自分には知識がないということを認め、
自分の発言が
自分には「理解できず、……知識を超えた
驚くべき御業をあげつらって」いたものにすぎなかったと
反省している(ヨブ42章3~4節)。

地が『無の上に掛かっている』というヨブの発言は、要するに
自分でもよくわかっていないことを口走ったものに
すぎなかったのである〔注1〕。
こうした、神様にとがめられた発言の一節を根拠にして、
聖書には「地は『無の上に掛かっている』という,
事実に合致した描写もあ」るなどと主張するのは、
公正さを欠くやり方であると僕は思う。

〔注1〕なお、このヨブの主張に対する神様の反論の中には、
「大地の縁(へり)をつかんで
 神に逆らう者どもを地上から払い落と」すなどという表現が見られる(ヨブ38章13節)。

《戻る》
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その1)
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『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その12)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その13)
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by imadegawatuusin | 2006-07-15 11:34 | キリスト教

――不特定民衆を標的とした無差別テロを糾弾する――

■ラッシュ時狙う卑劣な犯行
インドの都市ムンバイで11日、
夕方の帰宅ラッシュ時に列車と駅の鉄道施設8ヶ所で
連続爆破事件が起きた。
報道によると180人以上が死亡し、
700人以上の負傷者が出ているとのことだ。

今回の列車・駅連続爆破事件は、
不特定民衆を標的とした完全な無差別テロである。
僕は、このような卑劣な犯罪を断じて容認することはできない。

■民衆を敵に回す勢力は敗北する
この犯行がいかなる勢力によって
いかなる目的で行なわれたのであれ、
無差別テロは民衆解放の闘争手段とは
断じて異なるものである。
社会の変革は、
決して一握りの少数者の秘密行動によってではなく、
広く大衆の力を結集することによってのみ成功する。

民衆を敵に回した勢力は
必ず敗北するだろうと僕は断言してもいい。
民衆に依拠し、
民衆と共に歩む社会変革を目指す僕たち左派は、
不特定民衆を標的にした無差別テロを
強く糾弾しなければならない。
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by imadegawatuusin | 2006-07-14 16:51 | 国際