民主的選挙で選ばれた大統領を
軍部が拘束して政権を奪うクーデターのあった
エジプトで、
治安の悪化が文化事業に影を落としているという。
日本の援助で進んできた新博物館の建設も
観光収入の激減で資金難に陥っているといい、
完成予定も遅れる見込みだ。

暫定政権の考古相は新博物館の建設について、
「5千人がこのプロジェクトで働いており、
 重要なのは中止しないことだ」と述べ、
「日本からの追加融資が頼りだ」と
期待を示しているという(朝日新聞10月22日)。

だが、
同国初の自由な選挙で選ばれた政権を
武力で打倒した軍部が実権を握る現在の政権に
これ以上融資を行なうことは、
民主主義の破壊を容認することにつながる。
新博物館の建設は不要不急のハコ物事業に他ならない。
飢えに苦しむ人々への食糧援助や医療援助などは
軍事政権下でも続けなければならないが、
文化事業はそうしたものとは性質が違う。

確かに文化財も大切だろう。
だがそれ以上に大切なのは、
国民の意思が国家を統治するという
民主主義の理念である。
国家が国民のものでなければ
博物館も国民のものにはなりえず、
軍政の悪を覆い隠す
権威装置としての役割しか果たさない。
エジプトの民主主義の回復までは
わが国も不要不急の援助を凍結するべきであり、
新博物館への追加援助要請には応じるべきでない。

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by imadegawatuusin | 2013-11-08 16:05 | 国際

「平和のために国際交流の推進を」とよく言われる。
国際交流によって友好がはぐくまれ、
それが平和に結びつくというのである。

私は、
交流も友好も平和も大切だと思う。
しかし、
国際交流が必ずしも友好につながらない場合も
あると思うし、
友好と平和とは
次元の違う問題ではないかと思うのである。

私は前に、
地域の個人加盟制労働組合の運営委員長をしていた。
多くの外国人労働者の労働相談にも乗ってきた。
外国人と じかに接した経験は多い方だろう。
もちろん、
そうした経験を通じて
その労働者の母国に対して親しみを覚えたことは
確かに多い。
しかし同時に、
彼らの母国のあり方がいかにひどいかということを
目の当たりにせざるをえなかったり〔注1〕、
国民性の違いに
どうしてもついていけないものを感じたことも
率直に言ってある。
(さらに、
 お国の料理をご馳走になると、
 たいてい口に合わずに気まずい思いになる)。
こうした外国への負の印象は、
外国人との直接の交流がなければ
生まれえなかったものである。

これからのグローバル社会の中で、
外国人との交流は
ますます避けられないものとなるだろう。
だが、
そのことが即 国際的な友好をはぐくむとのイメージは
楽観的すぎる。
同じ国の人同士であっても、
気の合う人と合わない人がいるというのが世の常だ。
まして、
言葉も文化も違う人との交流が
必ずしも友好をはぐくむとは限らない。
むしろ国際交流というものは、
互いに我慢や妥協を重ねる中で
折り合いをつけていくものであると考えるべきだ。

そして「友好」と「平和」である。
どちらもすばらしいものであることに異存はない。
しかし私に言わせれば、
仲の悪い国、
とても親しみの持てない国とも共存していくのが
真の「平和」というものではないかと思うのである。

太平洋戦争が始まったとき、
「相手がアメリカなら
 負けたってひどいことはするまい」と言った人が
いたという話を聞いたことがある。
これは、
なまじ「友好」・「信頼」があったために
戦争を容認してしまった事例であると言えるだろう。

平和とは、
仲のいい国と仲良くするということではなく、
たとえ互いに利害や感情の衝突があっても、
それを武力では解決しないということである。
そうした意味で平和は、
感情面での「好き嫌い」の問題ではなく、
極めて理性的な営みなのだ。

交流を深めれば友好がはぐくまれ、
それが平和に結びつくとのイメージは
必ずしも実態にそぐわない。
私たちはその事実を直視しつつ、
交流・友好・平和を深めてゆくべきだ。

〔注1〕外国人「実習生」が労働組合に加入したところ、
送り出し機関が母国の政府とつながっており、
母国の家族に圧力がかかったその組合員は
労働組合を辞めざるをえなかった件など。


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by imadegawatuusin | 2013-11-07 18:06 | 国際