「ほっ」と。キャンペーン

――「原価改善」押し付けに抗し下からの共同闘争を――

2月2日(日)「第35回トヨタ総行動」名古屋集会
場所:名古屋市白川公園(地下鉄東山線伏見駅下車)
時間:午後1時~ 
   集会終了後トヨタミッドランドに向けてデモ


■トヨタ自動車期間工の経験から
私は2006年にトヨタ自動車の期間工になりました。
日給は9000円でした。
ただし期間工は期間限定とはいえ
トヨタ自動車の「社員」ですから、
社員寮にタダで住めます。
また、
トヨタ自動車の「社員」ですから、
寮や工場の食堂でご飯を食べると
社員割引があるわけです。
600円のご飯が400円で食べられます。
(おいしかったです)。

■正社員が400円で食べるメシを600円で……
ではトヨタ自動車は
どこから収奪してあれだけ儲けているのでしょうか。
実はトヨタ自動車は
下請け企業から部品を安く買い叩いて儲けているのです。
トヨタでは部品を安く買い叩くことを
「安く買う」とは言いません。
「原価改善」と言います。
トヨタ自動車から「原価改善だ」と言われた
1次下請けは、
部品を安く納めなければなりません。

するとどうなるか。
トヨタ自動車の期間工を辞めたあと、
次に私は1次下請けのトヨタ車体で
派遣工として働きました。
1次下請けのトヨタ車体になると、
直接雇用の正社員と期間工とだけでは
やっていけなくなり、
ここで初めて派遣社員が登場するのです。

トヨタ車体の派遣工は時給1200円です。
時給を8倍してもらえばわかりますが、
給料だけを見ると
トヨタ自動車の期間工よりも
労働条件は良いように見えます。

しかし、
派遣工はトヨタ車体の社員ではなく、
派遣会社の社員です。
ですから、
トヨタ車体の寮に住ませてもらうには
寮費を払わなければなりません。
私の場合は1ヶ月で4万9000円取られました。
同じ仕事をしているのに、
トヨタ自動車の期間工だった時には
かからなかった寮費が、
派遣工になったとたんにのしかかってくるのです。

そして、
派遣工は
トヨタ車体の社員ではなく派遣会社の社員ですから、
トヨタ車体の寮や工場の食堂でご飯を食べても、
社員割引は効きません。
一部上場企業の正社員であるトヨタ車体の社員が
400円で食べているメシを、
非正規雇用労働者である派遣工は
600円出さないと食べられないことになるわけです。
不条理な話です。

■違法・脱法が横行する2次下請け
その後、
私は愛知の地域労組・名古屋ふれあいユニオンの
運営委員長として、
トヨタ生産構造のさらに下、
2次下請けや3次下請けの実態も
見ていくことになりました。

1次下請けのトヨタ車体が
トヨタ自動車から「原価改善だ」と言われると、
トヨタ車体はさらにその下請けである2次下請けに
「原価改善だ」と言って転嫁するのです。
するとどうなるか。
1次下請けのトヨタ車体の製造工程には
日本人の労働者しかいませんでしたが、
2次下請けの会社になると外国人労働者が出てきます。
もちろんみんな派遣です。
私が名古屋ふれあいユニオンの運営委員長に
なったばかりのころは、
雇用保険にも社会保険にも入れてもらっていない
外国人労働者がたくさんいました。

さすがに最近では、
社会保険はともかく
雇用保険に単純に入らない会社は
ずいぶんと少なくなってきました。
しかしそれでも、
脱法的なやり方で
「合法的に」労働者を
社会保険・雇用保険に入れない手口や、
社会保険料や雇用保険料を半額にする手口
(当然、
 労働者が失業したときにもらえる手当も
 半額になってしまう)
を編み出す業者が跡を絶ちません。
悪質派遣会社やブローカーが
ここでは横行しているのです。

■最低賃金も払えない3次下請け
これが3次下請けになると、
ついに労働者に最低賃金も払えなくなるのです。
ここで外国人「研修生」(今は「実習生」)が出てきます。
法律が改正されて今はそうではなくなりましたが、
私が
名古屋ふれあいユニオンの運営委員長になった当時は
彼らには労働法が一切適用されませんでした。
彼らは労働者ではなく、
車づくりのお勉強に来ている「研修生」なのです。
ですから最低賃金も適用されません。
時給300円とか350円とかで
朝から晩まで長時間、
黙々と働くというのが当たり前でした。

彼らは労働者ではありませんから
今でも職業選択の自由がありません。
会社をクビになれば、
勝手に他の会社に移って働くわけにはいかないのです。
「○○会社の工場で3年間車づくりの勉強をする」
という資格で日本に来ていますから、
社長がクビだと言えば原則 強制帰国です。
ですから会社にものが言えず、
セクハラ・パワハラも横行しています。
だから実習生制度は
「人身売買」・「奴隷労働」と批判されるのです。

■労働者は労組で団結! 下請けも協同組合で団結を!
こうした構造を打ち破るには、
個々の労働者を労働組合に組織して
個別企業と闘っていくのも もちろん大切なのですが、
それだけでは
構造そのものを変えることはなかなかできません。
下請け会社も
一面では大企業によって搾取される側にあるということを
理解し、
中小企業等協同組合法に基づく協同組合に
下請企業を組織して
下請企業同士の分断を打ち破り、
協同組合法の共同受注・共同販売制度で
下請企業が団結して価格決定力を取り戻していくことを
追求していくべきだと思います。
(協同組合法に基づく共同販売
 ――みんなで結託して同じ値段で物を売る――には
 独占禁止法の適用が除外されます。
 また協同組合には取引先との団体交渉権があり、
 大企業は協同組合との交渉に
 誠実に応じなければなりません)。
「原価改善」の押し付けに抗して
今こそ幅広い共同闘争を組織し、
アベノミクスインフレ(物価上昇)下での大幅賃上げ、
下請け単価の引き上げを求めて
春闘決起集会=トヨタ総行動・名古屋集会
(2月2日午後1時~白川公園、
 地下鉄東山線伏見駅下車)に大結集しましょう。

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# by imadegawatuusin | 2014-01-30 15:17 | 労働運動

「性同一性障害」で
女性から男性に性別を変更した人の妻が
第三者の精子で妊娠した子について
最高裁は、
法律上 夫の子と見なされるという決定を
12月10日に下した。
民法772条には
「妻が婚姻中に懐胎(筆者注:=妊娠)した子は
 夫の子と推定する」とあり、
「夫が元女性の場合を除く」という法律は
ないのであるから、
当たり前すぎるほど当たり前の判決だ。
むしろ、
国権の最高機関である国会で決められている法律を
無視して
こうした子供を夫の子と認めてこなかった
法務省の見解が
国会軽視、
ひいては国民軽視のものだったのだ。

同様の事例はすでに39例あるという
(朝日新聞12月12日)。
こうした子供が法律通り
夫婦の子と認められるようにしてほしい。

【参考記事】
役所は法律通り出生届の受付を

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# by imadegawatuusin | 2014-01-24 16:59 | 暮らし家庭

女性から男性に性別を変えた人と結婚した妻が
第三者の精子で妊娠して産んだ子について最高裁は、
法律上 夫婦の子であるとする判決を
昨年12月10日に出した。

民法772条には
「妻が婚姻中に懐胎(筆者注:=妊娠)した子は
 夫の子と推定する」とあり、
「夫が元女性である場合を除く」とは
どの法律にも書かれていない。
そして夫も妻も、
その子が自分たちの子とされることに
何ら異議を申し立てていないのである。
そうである以上、
役所は
国権の最高機関である国会で決められた法律に従い、
夫婦の子として届け出られた出生届を
粛々と受理すべきだったのだ。

にもかかわらず法務省は、
夫と子との間に「血縁関係がないのは明らか」などと、
法律のどこにも書かれていない理屈を持ち出して、
こうした事例では
妻が婚姻中に妊娠した子でも夫の子とは認めないよう
市町村に通達してきた。

他方、
生まれながらの男女の夫婦が
人工授精で子をもうけたときは、
血縁があろうがなかろうが
従来から夫婦の子として扱われてきた
(朝日新聞2013年12月12日)。
夫婦関係が破綻しており、
妻が夫以外の男性との間に子をもうけた場合でさえ、
妻が別の男性との間に生まれた子として
届け出ようとしても、
自治体の窓口は民法772条を持ち出して、
あくまで夫との間に生まれた子としてしか
受理しないという問題さえあるのである。

にもかかわらず
夫が元女性である場合だけ
法律上の根拠もなく別の扱いをするというのは
全くの差別だ。
最高裁判決が出た以上、
今後同様の事例があった場合は
法律通り夫婦の子として扱うように
法務省は全市町村に通達すべきだ。


【参考記事】
「血縁なくても父子」、法律上当然

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# by imadegawatuusin | 2014-01-23 14:13 | 政治

今日の『朝日新聞』の投書欄に、
「『普通に見える』裏の苦労」という
私の投稿が載りました。

私には「注意欠陥/多動性障害」という障害があります。
「注意欠陥」が特に強く、
財布をなくしたことはこれまでに30回ではすみません。
携帯電話も20回以上なくしました。
子供のころには体育の授業がある時に
体操服を持って行かなかった日の方が多かったりします。
「コンサータ」という治療薬を飲むようになって
物忘れや物なくしは減りましたが、
そうしたことが全くなくなったわけではありません。
2年前には障害者手帳も頂きました。

私の頭は
一度に二つ以上の物事を同時に考えることが
難しい仕組みになっているようです。
たとえば、
駅の自動販売機で切符を買います。
切符が出てくると、
「切符を取ろう」と考えます。
そのとたん、
持っていた財布のことは
たちまち頭から抜け落ちてしまうのです。

ところが
人と話したりものを書いたりといったことには
問題がありません。
知能テストでも、
テストだけに集中すればいい点が取れます。
ですから、
「物忘れや物なくしがひどい」と言っても
気が緩んでいるだけとしか思ってもらえませんでしたし、
自分でもそう思っていました。
しかしさすがにおかしい、
若年性痴呆症か何かではと思い病院に行ったところ、
「注意欠陥/多動性障害」とわかったのです。

私は今、
財布と携帯電話にヒモをつけ、
ズボンにくくりつけて暮らしています。
そうしなければ
これらの大切なものをたちまちなくしてしまうからです。
ですがこれが格好悪く見えるのか、
「ヒモに頼ってはいけない。
 財布や携帯電話は
 『心のヒモ』でつなぎとめておくべきだ」などと
言われることがあるのです。

私が、
物忘れや物なくしをしないように
気をつけていないわけではありません。
むしろ人一倍 気をつけて生きてきました。
ですが、
私のこの頭では
「気をつける」だけではダメなのです。
さらに進んで、
大事なものはヒモでつるすなどの
創意工夫が要るのです。

足の悪い人が杖をついているのを見て、
「杖に頼るな。
 『心の杖』で歩くべきだ」という人はいません。
目の悪い人がメガネをかけているのを見て、
「メガネに頼るな。
 『心のメガネ』で ものを見ろ」という人もいません。
「注意欠陥/多動性障害」を持つ私にとって
財布や携帯電話をつるすヒモは、
足の悪い人の杖や
目の悪い人のメガネのようなものなのです。

世の中には自分の持つ障害を
工夫や努力で補っている人がいます。
そうした人の中には、
少し見ただけだと
どこが障害者なのかわからない人もいます。
けれどだからといって
その人が障害に苦しんでいないわけではないのです。
「普通に見える」・「障害者に見えない」裏で
普通の人には必要のない
苦労や努力や工夫をしている人がいることを、
ぜひ知っていただきたいと思います。

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# by imadegawatuusin | 2014-01-22 17:59 | 暮らし家庭

――護衛艦「たちかぜ」いじめ自殺事件――

■海上自衛隊の書類隠し暴いた3等海佐
海上自衛隊の護衛艦・「たちかぜ」における
乗組員のいじめ自殺問題で、
いじめの事実を示す文書を海上自衛隊が隠していると
内部告発した3等海佐に対し、
海上自衛隊が懲戒処分の手続きを始めた。
3等海佐が告発の際、
関連文書のコピーを
証拠として自宅に保管していたことを
規律違反であるというのだ。

乗組員が2004年に自殺した直後、
海上自衛隊は「たちかぜ」の乗組員190人に
アンケートを行なった。
回収されたアンケートには、
自殺した乗組員が
艦内で先輩隊員からエアガンで打たれたり、
胸ぐらをつかまれたりしていたと記されていた。
自殺した乗組員の遺書にも
先輩隊員から暴行を受けたと記されており、
アンケートはこれを裏付けるものだった。

ところが、
乗組員の遺族が2005年に情報公開請求をしたところ、
海上自衛隊は
このアンケートの原本が存在していたにもかかわらず
「破棄した」と回答。
原本の存在を知った3等海佐が
2008年に防衛省の公益通報窓口に内部告発した際も、
アンケート原本の存在を認めなかった。

公益通報窓口への告発で問題が解決しなかったため、
3等海佐は2012年4月に、
「海自は文書を隠している」とする陳述書を
東京高裁に提出。
同年6月に海上自衛隊内で「調査」が始まった。
だが、
アンケートの原本の存在を知っていた
3等海佐とは別の海上自衛隊事務官が
上司に相談すると、
「捨てろ」、
「あれは『ない書類』だ。
 あってはならない書類だから」と指示され、
翌日には上司から、
「指示した件は、
 誰にも見られないよう秘密裏に実施してください」
とのメールが届いたのだ。

幸い、
この事務官が「やはり破棄はできない」と判断し、
さらに別の上司に報告したことで、
アンケート原本はかろうじて破棄を免れ、
遺族側に開示された。
内閣府の「情報公開・個人情報保護審査会」は、
「文章発見後も破棄を働きかけるなど、
 組織全体として
 不都合な事実を隠蔽しようとする傾向があった」と
認定している(朝日新聞2013年12月8日)。

このような
「不都合な事実を隠蔽しようとする傾向があ」る
組織において、
ないはずの書類が実はあると
何の証拠も持たないままに内部告発すると、
当の書類そのものが隠滅され、
3等海佐のがわが嘘つき呼ばわりされかねない。
(実際、
 原本は一度は破棄されかけた)。
自らの身を守るためにも、
内部告発にあたって証拠を手元にとっておくのは
当然の行為だ。
これが規律違反とされてしまえば、
組織の不正を正す告発は怖くて誰もできなくなる。

組織の不正を暴いた3等海佐の行動は
証拠の保管も含めて正当なものであり、
懲戒処分にするなどというのは
全くとんでもない話である。
懲戒処分を受けるべきは、
遺族の情報公開請求に対して
書類はないと嘘をついた担当者や、
書類の破棄を命じた上司の方だ。

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# by imadegawatuusin | 2014-01-21 17:34 | 政治

――職場の理不尽を許さない強く優しい地域労組を――

■大きな展望を持つユニオン運動
わが国の労働組合組織率は
ついに18パーセントを切った。
働く者の非正規化・外注化が進み、
大きな会社の既存の社内組合が
自動的加盟制(ユニオンショップ)で組み入れてきた
労働者の層は
薄くなるばかりだ。
逆に言うと、
会社に労働組合がない、
あっても非正規・間接雇用で社内労組に入れないという
働く人が
日々次々と生み出されているのである。
正規と非正規との分け隔てを破り、
国籍の違いをも乗り越えて
労働者として固く一つに結びつき、
働く者の権利を守る個人加盟制の労働組合・ユニオンが
強く求められている。
私たちユニオンの闘いには今、
組織拡大の大きな展望が存在するのだ。
労働組合を必要としている人々に大きく門戸を開き、
組織を大きくして組合の力を強くする絶好の時が
訪れている。
「組合員が増える→争議動員力・交渉力が高まる
→解決力が増し組合員が増える
→専従スタッフも増える」という良い流れを
今こそ作っていかなければならない。

■「一人の問題」を「みんなの問題」に
労働者と経営者との間には、
社会的にも経済的にも圧倒的な格差がある。
労働者一人一人が経営者とケンカをしても
はっきり言って勝ち目はない。
しかし、
労働者が地域労組に集まれば話は別だ。
「経営者VS一労働者」というあり方を
「経営者VS地域の労働者」というあり方に、
そして「経営者VS全国の労働者」というあり方にまで
押し広げていけば
力関係をひっくり返すこともできるのだ。
そうした勝利をいとぐちに
職場で働く者の多数を組織できれば、
やがては職場の支配権を
株主(金持ち)に選ばれた経営者から奪い返し、
選挙で選ばれた職場労働者の代表が
経営に加わっていく
職場民主化への道も開かれていく。
職場生産点で日常不断に闘う労働組合の存在が
働く者を労働者として結びつけ、
世直しの土台と条件とを作り出していくのである。

■労働運動には社会を変える力がある
働く者の武器は団結だ。
団結して行動することだ。
本質的に少数者である経営者たちは、
労働者が結び合うことを何よりも恐れている。
労働者へのあらゆる形の攻撃は、
労働者が「団結しないこと」を
大前提にしているのである。

労働組合には世の中を変える力がある。
職場の理不尽を一掃し、
格差是正・貧困撲滅への道を切り開くには
闘う労組の存在と働く仲間の団結が欠かせない。
職場で汗を流して働いて
実際に世の中を動かしている労働者こそが、
格差を是正し貧困をなくし、
歴史をつくり世の中を変える力を持った存在なのだ。

職場の理不尽を許さない強く優しい地域労組の建設を!
地域の他労組とも協力し、
愛知県の全ての職場に労働組合を建設しよう!

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# by imadegawatuusin | 2014-01-20 14:12 | 労働運動

――修養団・國分正明理事長に反論――

■政治と宗教のけじめと公私のけじめ
元文部省事務次官で、
精神修養団体・修養団の理事長を務める國分正明氏が
修養団機関誌・『向上』2014年1月号に
「『遷御の儀』に参列して」という文章を発表した。
この中で國分正明理事長は、
伊勢神宮の祭神である天照大神の「ご神体」を
20年に一度 新たに建てた神殿に移す
「遷御の儀」について、
「私は参列してみて、
 これは日本文化の源泉、
 日本人の心のふるさとだ、
 決して宗教行事という性格のものではないと
 改めて感じました」とした。
そしてその上で、
安倍総理以下数名の官僚がこれに参列したことを
菅官房長官が
「私人としての参列」と記者会見で述べたことについて、
「官房長官は議論になるのを避けて
 『私人としての参列』と述べたのでしょうが、
 総理が総理として閣僚が閣僚として参列したとしても、
 多くの国民は、
 千三百年前から続く
 我が国の伝統的な行事への参加と
 とらえるのではないでしょうか」と
述べているのである。

國分正明理事長は、
「西洋の絶対的な唯一神と
 神道の八百万の神とは
 同じ神という言葉でも全く異なる概念ですし、
 同じく宗教という言葉でくくってしまうことに
 私はいささか違和感を覚えます。
 折から憲法改正論議が盛んですので、
 現行の政教分離の規定自体を
 日本の実情も踏まえて
 再検討すべきではないでしょうか」と言う。

確かに、
「西洋の絶対的な唯一神と
 神道の八百万の神とは
 同じ神という言葉でも
 全く異なる概念」だということは
事実であろう。
だが、
だからといって、
「同じく宗教という言葉でくくってしまうことに」
問題があるとは思えない。
和食と洋食とでは
料理といってもその背景にある考え方や作り方が
全く異なっているかもしれないが、
だからといって
『同じく料理という言葉でくくってしまうことに
 違和感を覚え』る人はいないであろう。
どれほど さまざまな部分が違ったとしても、
「食べるために食材に手を加えたもの」という点では
和食も洋食も共通しており、
どちらも料理であると言わざるを得ないからである。
同じく、
たとえ「神」の概念がどれほど違っていようとも、
「実在が証明できない霊的な存在に祈り、祭る」
という点では
キリスト教やユダヤ教も日本の神道も共通している。
その点をとらえて、
両者を同じ「宗教」という概念で把握するのは、
和食と洋食とを
同じ「料理」という言葉でくくるのと同じ
自然なことだ。

そもそも、
伊勢神宮やその上部団体である神社本庁は
自ら望んで
「宗教法人」という法人格を取得したのであって、
誰かがそれを強制したわけではない。
自分たちは
キリスト教やユダヤ教と同じ「宗教」という枠には
当てはまらないというのであれば、
あえて任意の団体として活動してもよかったのであるし、
あるいは社団法人や財団法人として
登記してもよかったのである。
にもかかわらず、
伊勢神宮や神社本庁は
自ら望んで宗教法人として登記している。
(税金がかからないようにするためであろうか)。
理由が何であれ、
伊勢神宮や神社本庁が
自ら望んで宗教法人として登記している以上、
伊勢神宮や神社本庁が宗教として扱われるのは
実に当然のことなのである。

だいたい、
「絶対的な唯一神」の概念を持つ宗教は、
世界的に見ても
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など、
その信者数は多くても、
宗教の数としてはごく少数に限られる。
世界の圧倒的に多くの宗教は、
神道と同様の「八百万」型の多神教である。
これが宗教でないのだとすれば、
中国やアフリカやインドや東南アジアの多くの人々は
宗教を持たないということになる。
ついでに、
アジアに拠点を置く宗教の中にも
イスラム教など
「絶対的な唯一神」の概念を持つ
典型的な大宗教があるのに、
「絶対的な唯一神」は「西洋の」ものと決め付けるのも
乱暴だと思う。
(イスラム教は
 「アラブの宗教」という印象が強いのかもしれないが、
 ――実はアラブも
   れっきとしたアジアなのであるが――
 世界で最もイスラム教徒が多い国は
 東南アジアのインドネシアである)。

「これは日本文化の源泉、
 日本人の心のふるさとだ、
 決して宗教行事という性格のものではない」
というのもおかしな文章だ。
ここでは
「日本文化の源泉、
 日本人の心のふるさと」であるということと、
「宗教行事」であるということとが
対立するかのように書かれている。
けれども、
これはずいぶんと「宗教」に対して
失礼な物言いではないだろうか。
宗教行事の中に、
「日本文化の源泉、日本人の心のふるさと」が
あらわれるということは当然ありうる。
神道のように
日本民族(大和民族)の歴史と伝統に密着した
宗教の場合は なおのことである。
だから、
「日本文化の源泉、
 日本人の心のふるさと」だからといって
その行事が宗教行事ではないということには
ならないはずだ。

また、
「日本人の心のふるさと」というが、
ここでいう「日本人」に、
アイヌ民族や沖縄の人々は含まれるのだろうか。
どう考えても
伊勢神宮がこうした人びとの
「心のふるさと」であるとは思えない。
ここで言う「日本人」というのは
あくまで日本民族(大和民族)のことなのだろう。

もちろん、
内閣総理大臣にも
個人としての信教の自由がある。
一人の神道の氏子として伊勢神宮に参拝したい、
神事に参加したいというならそれは自由だ。
だがそこには、
おのずと公私のけじめがなければならない。
この点をあいまいにしないことが大切である。
 
日本人みんなが神道の氏子ではない。
日本民族(大和民族)のすべてが
神社参拝をするわけでもない。
日本で最も大きな仏教宗派である浄土真宗は
「神祇不拝」を掲げ、
神社には参拝しないことを宗旨としているし、
日本で最も大きな新宗教である創価学会も
「神天上の法門」を掲げ、
神社には参拝しないことを宗旨としている。
もちろん、
キリスト教などの一神教に入信している日本人も
存在している。
内閣総理大臣はそうした日本人すべての代表なのである。
「総理が総理として閣僚が閣僚として」
伊勢神宮の神事に参列すれば、
公私のけじめがあいまいになり、
政治と宗教とのけじめがつかなくなってしまう。
総理個人が神社神道を奉じているからといって、
その信条で国を私(わたくし)してはならないのである。

以上の理由で私は、
特定宗教の神事に
「総理が総理として閣僚が閣僚として参列」することには
断固反対である。
また、
憲法改正論議においても、
私自身は同性婚禁止規定(憲法第24条)の削除や、
国の象徴を血筋で決める皇室制度の廃止を求める
改憲論者であるけれども、
政治と宗教とのけじめをあいまいにする
政教分離の緩和には断固反対だ。

國分正明氏は文部省の元事務次官である。
文部省(現在の文部科学省)は
宗教行政をつかさどる役所でもある。
総理や閣僚の伊勢神宮の神事への参列を
「私人としての参列」と説明した
官房長官の見解について、
「官房長官は議論になるのを避けて
 『私人としての参列』と述べたのでしょう」としか
とらえられない見識の人物が
宗教行政をつかさどる文部省の事務方のトップを
務めていたのかと思うと、
そら恐ろしい気がしてならない。

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# by imadegawatuusin | 2014-01-14 13:55 | 宗教

――実は単なる縁起かつぎ――

■理屈もへったくれもない「10回プラス」
2011年12月31日の『毎日新聞』朝刊に、
「除夜の鐘はなぜ108回なの?」という記事が
載っていた。

「除夜の鐘」の「原形は
中国で宋代(960~1279年)に始まったとされ、
日本には鎌倉時代、
禅宗とともに伝わりました。
……室町時代になってから、
大みそかに108回鳴らすようになったと
いわれています」とのことである。

ではなぜ108回なのか。
世の中ではよく、
それが仏教でいう煩悩の数だからなどと
まことしやかに言われている。

確かに、
もともとの起源は
インドの仏教書・『倶舎論』にあるらしい。
ただし、
「実は、倶舎論にある煩悩の数は98なんです。
 しかし、
 いつからか10回プラスされて
 108という縁起のいい数字に数えられています」と
いうのである。

だとすれば、
「108」という数は
仏教とも煩悩の数とも縁もゆかりもない、
ただの縁起かつぎだということになる。
縁起かつぎで「10回プラス」とは、
理屈もへったくれもないむちゃくちゃな話だ。

「教理よりも縁起かつぎ」。
これが、
除夜の鐘108回の真相であるようだ。

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# by imadegawatuusin | 2013-12-31 17:37 | 仏教

心がボロボロになりそうな人や、
心がボロボロになって立ち直ろうとしている人に
何か1冊薦められる本があるかと聞かれれば、
私はこの本を挙げたい。
この本のキャッチコピーには、
「つらい気持ちが消えていく、
 すっきり心が軽くなる」とある。
対人関係療法という、
その効き目が科学的に明らかにされている心理療法の
わが国における第一人者である
医師・水島広子さんが書いた本だ。

世の中にはつらいことや苦しいことがたくさんある。
そうしたつらさや苦しさを
すべて無くせるなどとはこの本は言わない。
たとえば、
パワハラ上司に罵倒されたとする。
不愉快な経験であることは間違いない。
だが、
本当に心をボロボロにするのは
上司の暴言「そのもの」だけではないとこの本は言う。
その証拠に、
同じ暴言を浴びた人でも、
周りに
「あの上司ひどいよね。君も苦労するよな」と
言ってくれる仲間がいるのといないのとでは、
その人が心を病んでしまうかどうかに
雲泥の差があるのである。
パワハラ上司から暴言を受けた瞬間に
強い衝撃を受けるのは
人という生き物に備わった当たり前の生理的機能である。
ただし、
それを受けてそのことを何度も思い返し、
「自分が否定された!」・
「自分が攻撃された!」・
「誰も自分のことをわかってくれない!」と
嘆き悔やみ苦しみ続ける負の力は
自らの心の中で生み出されるものであり、
パワハラ上司の暴言「そのもの」とは
分けて考えられるべきものである。
そしてとどのつまり、
自らを追い詰め、
心を蝕んでいくにあたっては、
そうした自らの心が生み出している負の力の影響が
色濃いのである。

もちろん、
だからといってパワハラ上司の責任が
免責されるわけではない。
「騒音がどこまでいっても騒音であるのと同じように、
 その
 (暴力的な態度をとられたことの)ストレスだけは
 なくすことができませんが、
 反対に言うと、
 そのストレス『だけ』に減らすことは目標にできる」
とこの本は言う。

つらい思いをしたならばそれでもう十分なのだ。
何度もそのことを思い返して
そのたびに腹を立てたり、
自分で自分を責めたりして
ますます自分を苦しめ続ける必要はない。
これは、
「人生は苦である」としながらも、
悟りを開くことにより苦しみを「単なる苦」に転換でき、
それ以上の苦しみを味わわずに済むと説く
仏教にも通じる考え方ではないだろうか。

またこの本は、
未来への不安に自分を乗っ取られるのでも
過去を思い返して苦しむのでもなく、
今この瞬間を丁寧に生きろと説く。
この点も上座部仏教や禅の教えに通じるものがある。

この本を読み終わった人は、
同じ水島広子さんが書いた
『なんだか「毎日しんどい…」がスッキリ!晴れる本』や
『すべての「イライラ」を根っこから絶ち切る本』に
手を伸ばしていけばいいだろう。
いずれも、
心安らかに人生を生きていくための
優れた手がかりがたくさん詰まった名著である。
ぜひ一読を薦めたい。

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# by imadegawatuusin | 2013-12-06 16:13 | 倫理

民主的選挙で選ばれた大統領を
軍部が拘束して政権を奪うクーデターのあった
エジプトで、
治安の悪化が文化事業に影を落としているという。
日本の援助で進んできた新博物館の建設も
観光収入の激減で資金難に陥っているといい、
完成予定も遅れる見込みだ。

暫定政権の考古相は新博物館の建設について、
「5千人がこのプロジェクトで働いており、
 重要なのは中止しないことだ」と述べ、
「日本からの追加融資が頼りだ」と
期待を示しているという(朝日新聞10月22日)。

だが、
同国初の自由な選挙で選ばれた政権を
武力で打倒した軍部が実権を握る現在の政権に
これ以上融資を行なうことは、
民主主義の破壊を容認することにつながる。
新博物館の建設は不要不急のハコ物事業に他ならない。
飢えに苦しむ人々への食糧援助や医療援助などは
軍事政権下でも続けなければならないが、
文化事業はそうしたものとは性質が違う。

確かに文化財も大切だろう。
だがそれ以上に大切なのは、
国民の意思が国家を統治するという
民主主義の理念である。
国家が国民のものでなければ
博物館も国民のものにはなりえず、
軍政の悪を覆い隠す
権威装置としての役割しか果たさない。
エジプトの民主主義の回復までは
わが国も不要不急の援助を凍結するべきであり、
新博物館への追加援助要請には応じるべきでない。


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# by imadegawatuusin | 2013-11-08 16:05 | 国際