(2013年10月9日掲載)

野党第一党・民主党の大畠章幹事長は8月11日に
豪雨被害の視察で岩手県を訪れ、
前日にゴルフをしていた安倍晋三総理大臣を批判した。
「大規模水害で犠牲者が出ている中、
 笑顔でゴルフに興ずる首相の神経は
 全く理解できない」という(日刊スポーツ8月12日)。

もちろん、
健全な民主主義の確立のためには、
政権に批判的な野党の存在が欠かせない。
たとえ複数の政党があっても、
政権に批判的な勢力がなければ
独裁国家となってしまう。
しかしだからといって、
とにかく総理のやることは
何でも批判すればいいというものでもないはずだ。

もしも総理が、
出すべき指示を出さずにゴルフに興じていたのなら
大問題である。
しかし、
今回の豪雨にあたっての政権の対応に
特に問題があったとは思えない。
総理は現在夏休みで静養中である。
総理大臣であろうと誰であろうと、
休暇中に私的な時間を楽しむことは、
心身の健康を維持する上でむしろ必要なことだと思う。
ゴルフをすることもあるだろう。
その中で笑顔が顔に浮かぶのも自然なことだ。
人間、
災害があったからといって
24時間悲痛な顔をしていることはできない。
これは、
当の被災者自身でさえ そうなのである。

「こんな時にゴルフ」式の批判は
ためにする批判でしかない。
野党にはより本質的な政策論争を期待したい。


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# by imadegawatuusin | 2013-08-12 14:51 | 政治

(2013年9月13日掲載)

8月8日の『朝日新聞』の投書欄で、
「麻生発言 報道批判に驚いた」を読んだ。
麻生副総理の「ナチス改憲」発言の報道や批判について
インターネット上で、
「全体の一部だけを抜き出したメディアの捏造だ」とか、
「事実をねじ曲げている」といった言説が
氾濫しているという。

確かに麻生氏は発言の冒頭で、
「当時欧州で最も進んだ」「ワイマール憲法」に
対比する形で
ナチス党首の「ヒトラー」を持ち出している。
ナチスそのものについては否定的なようだ。
しかし発言「全体」を見ていくと、
彼はナチスそのものには否定的でも、
その改憲の「手口」については
肯定的にとらえていたとしか思えない。
彼は
「狂騒のなか」・「喧噪のなかで」の憲法改正に対して、
「憲法はある日気づいたら……変わって」、
「誰も気づかないで変わった」ナチスの「手口」に
「学」ぶべきものがあると言ったのだ。
「本当にみんないい憲法と、
 みんな納得してあの憲法変わっているからね」と、
それが麻生氏が否定する
「狂騒のなか」・「喧噪のなかで」の憲法改正では
なかったことを強調したあと、
「ぼくは民主主義を否定するつもりは
 全くありませんが……」と、
自らの発言が「民主主義を否定する」ものと
映りかねないものであると認識していたらしいことまで
示唆する発言もある。

報道は捏造ではない。
批判は事実に基づいて行なわれるべきだ。

【参考記事】
「ナチス改憲」失言、麻生氏辞任を


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# by imadegawatuusin | 2013-08-08 17:03 | 政治

7月29日の朝日新聞の投書欄に、
「こなかった投票券 制度に疑問」との投書が載っていた。
引っ越して3ヵ月以上住んでいないと
新住所では投票できないと言われ、
では前の住所ではできるのかと聞くと、
そこでも無理だと言われて投票できなかったという。

私もこれを受け、
「3ヵ月以下の居住でも投票券を」という文章を
同欄に投稿し、
8月1日に載せてもらった。
だが、
字数の調整で重要な論点が割愛されてしまったので、
その論点について以下に書きたい。

愛知県の選管に問い合わせたところ、
一定の住所に3ヵ月以上 住民票を置かないと
その地の選挙人名簿には登録されないという。
では前の住所には登録が残っているかというと、
転出から4ヵ月経つと選挙人名簿から削除するという。
だから、
「2ヵ月程度で住所を転々としていると
 どこの選挙人名簿にも登録がない事態は
 生じうる」と言う。

例えば、
住所Aから住所Bに引っ越し、
2ヵ月ほどで別の住所Cに引っ越し、
それから2ヵ月半 経ったところで選挙があったと
考えよう。
今の住所Cの選挙人名簿には、
転入して3ヵ月経っていないので登録がない。
Bでも3ヵ月住まなかったので登録はなく、
Aの選挙人名簿からは
転出して4ヶ月以上経っているので
登録が削除されている。

「住み込み派遣」などで働いていると、
2ヶ月ごとに住所を転々としなければならないことは
ざらにある。
そうした最も弱い立場の人々が、
制度的に選挙に行けない仕組みになっているのは
おかしい。

参政権は憲法が定める固有の権利だ。
住所を転々とする国民にも選挙権があるべきだ。


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# by imadegawatuusin | 2013-08-07 16:41 | 政治

――名古屋ふれあいユニオン、公開学習会開催――
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■「新たな労働分野の規制緩和を問う」

愛知県の個人加盟制労働組合・名古屋ふれあいユニオン
(「コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク」加盟)は
8月3日に名古屋市中区の女性会館で
一般市民も対象とした公開学習会を開き、
名古屋大学の和田肇教授が
「新たな労働分野の規制緩和を問う」と題して話をした。

和田教授は、
「世間では雇用崩壊などと言われているが、
 雇用は崩壊したのではない。
 破壊されてきたのだ」と言い切った。
「労働法制の規制緩和といえば
 小泉内閣と思われているが、
 その根っこは80年代の中曽根内閣ごろから始まり、
 90年代の橋本内閣のころから本格的になってきた」と
言うのである。

「私は当初から、
 こういう改革が続いていると
 非常に大きな問題になると警告を発してきたが、
 今になってみれば考え方が甘かった。
 リーマンショックの派遣切りを目の当たりにして、
 これほどひどい状況になるとはと衝撃を受けた」と
和田教授は振り返る。

「その後、
 労働法は民主党政権になったときに
 少しは良い方向に改められたが、
 自民党政権になって
 せっかくの新しい流れが
 また元に戻されようとしている。
 これが進んでいくと、
 ちょっとはマシになったものが
 以前よりもさらに悪くなる」と和田教授は言う。
そして、
この流れが最も典型的に表れているのが
派遣法であるというのだ。

■派遣労働者はモノ扱い

「派遣労働者は人数だけで言うと、
 全労働者の2パーセントに満たない。
 なのになぜこれほど大きな問題が
 この2パーセントの人々に集中するのか。
 それは、
 国の雇用政策の矛盾が
 集中的にあらわれる働き方だからだ。
 派遣労働者の多くは有期雇用で、
 かつ間接雇用で女性も多い。
 人を働かせるものが雇うという
 直接雇用原則の例外的存在となっている。
 他の会社から人を借りてきて、
 いらなくなったら元に返す。
 物品と同じ扱いをされるのが派遣労働者という存在だ」
と和田教授は憤った。

「だから元々、
 派遣はどこにでもできるものではなかった。
 交渉力のある専門職、
 専門技術を持つ人だけを対象とした
 特殊な働き方だった。
 それが今や、
 製造業などの単純労働にも派遣ができる。
 元々弱い立場の労働者が
 こうした働き方をさせられている。
 これは労働政策の基本にかかわる大問題だ」と
和田教授は説明した。

■整合性欠く「雇用改革」

その上で和田教授は、
「アベノミクスにおける雇用政策は、
 『日本を企業が世界で一番活躍できる国にする』
 という総理の言葉に象徴されるように、
 労働者の雇用の保護をどんどん無くして
 企業の自由度を高めるというものだ。
 これを受けて
 厚生労働省にワーキンググループができたが、
 労働者保護法制の極めて弱い国と比較して、
 『日本は規制が厳しすぎる』というような議論が
 まかり通っている」という。

「たとえば解雇問題。
 アメリカやデンマークといった、
 世界の先進国でも非常に特殊な国と比べて、
 日本は労働者の保護が強すぎるという話になっている。
 しかし日本の社会保険制度などは
 イギリスやドイツをモデルにしている。
 それを、
 解雇や残業代の問題だけアメリカ型にしようというのは
 無理がある。
 その国のシステム全体を把握したうえでの議論には
 なっていない」と和田教授は指摘した。

「たとえばアメリカというのは、
 自分の身を拳銃を持って
 自分で守れというような
 非常に特殊な自己責任主義の国。
 あまり日本の参考にはできない。
 また、
 解雇自由が原則ではあるが、
 差別禁止規定は日本よりはるかに厳格で、
 実際には好き勝手に解雇できるというわけでもない」。 

「そしてデンマークは
 労働組合の組織率が80パーセントの国だ。
 労働者は法律ではなく、
 労組の力によって保護されている。
 ところが一部の経済学者は、
 そうした実態を見ずに法律の規制だけを比べている」と
 和田教授はこうした動きを厳しく批判した。

■労働組合にこそ社会的責任がある

「総選挙でも、
 憲法9条や96条は比較的注目が集まったが、
 労働法には関心が集まらない。
 結局、
 労働問題の一番の解決手段は労働組合だ」と
和田教授は言う。
「労働法と労働組合とは車の両輪だ。
 両方が機能してはじめて労働者の権利は守られる。
 片方がなくなると曲がった方向に行ってしまう。
 我々は企業の社会的責任などとよく言うが、
 労働組合にも社会的責任がある。
 特に、
 個別の労働者が抱える問題に取り組もうとしない
 一部の労組は
 労働組合としての適格性が問われる」と和田教授は、
最後に厳しい言葉を述べ、
労組の取り組みに奮起を促したのである。

すべての くにの はたらたみは、
むすがろう! 


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# by imadegawatuusin | 2013-08-06 14:47 | 労働運動

エジプト初の民主的選挙で大統領に選ばれたムルシ氏を
軍部が拘束して政権を奪った政変について、
アメリカのケリー国務長官が
「民主主義を取り戻した」と述べ、
肯定的に評価した。
政変の直後はアメリカ政府も、
軍によるムルシ氏排除と憲法停止を
「深く懸念する」とする声明を
発表していたにもかかわらず、
ケリー氏は8月1日のテレビインタビューで、
「軍は何百万人もの要請に応じた」と述べたのである
(朝日新聞8月3日)。

確かにムルシ政権は政変前、
稚拙な政権運営などで
エジプト国民の支持が低下しており、
退陣を求める大規模なデモも起っていた。
しかし、
民意は常に揺れ動くものだ。
前回の選挙結果と直近の民意との間に
ずれが生じることは
民主主義の想定内の事態でしかない。
そうした場合に容認される対抗手段は、
署名活動や集会・デモ・ゼネラルストライキなどの
平和的で大衆的な圧力で
退陣を迫るやり方に限られるだろう。
民主的選挙という手続きを経て選ばれている政府を
軍部が武力で恣意的に打倒し政権を奪うような事態を
認めていいということにはならない。
日本でも、
末期の民主党政権は国民からの支持が低落していた。
けれども、
だからと言って自衛隊が反乱を起こして
政権をすげ替えることを
「民主主義を取り戻した」などとは絶対に言わない。

軍による民主的政権の転覆は
どう言いつくろってもクーデターである。
アメリカ政府の態度は、
親米勢力が主導権を握る民主化は支持するが、
ムルシ氏などのイスラム勢力が主導権を握る民主主義は
破壊してもかまわないという
身勝手なものにしか映らない。

【関連記事】
クーデター起こしたエジプト軍への援助停止を
エジプト治安当局の人民虐殺に抗議
エジプト新博物館援助は凍結を


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# by imadegawatuusin | 2013-08-05 17:19 | 国際

――文脈上、「ナチス改憲」の肯定は明らか――

自民党の麻生太郎副総理が憲法改正をめぐり、
ナチス政権を引き合いに出して
その「手口に学んだらどうか」とした発言が
国内外の批判を呼んでいる。
麻生氏は8月1日に
「誤解を招く結果となった」として発言を撤回したが、
ナチス発言については
改憲の「悪しき例としてあげた」と弁明した
朝日新聞8月1日夕刊)。

確かに麻生氏の発言の全体を見ると、
彼がナチス政権を肯定的にとらえていないというのは
事実のようだ。
発言の冒頭で、
「ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下に
 ヒトラーが出てきた。
 常に、
 憲法はよくてもそういうことはありうる」と
言っている。
ここでは確かに、
「当時欧州で最も進んだ」ワイマール憲法に対して
ナチスの党首であるヒトラーが
「良くないもの」として出てきている。
しかし、
問題になっている改憲発言ではどうか。
その文脈からは、
麻生氏はナチスそのものについては否定的だが、
その改憲の「手口」については
肯定的にとらえているとしか聞こえないのだ。

麻生氏はこう述べている。
「今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。
 ……静かにやろうや、と。
 憲法はある日気づいたら、
 ワイマール憲法が変わって、
 ナチス憲法に変わっていたんですよ。
 誰も気づかないで変わった。
 あの手口に学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。
 本当にみんないい憲法と、
 みんな納得してあの憲法変わっているからね。
 ぼくは民主主義を否定するつもりは
 全くありませんが、
 私どもは重ねて言いますが、
 喧噪のなかで決めてほしくない」
(朝日新聞8月1日)。
ここでは、
「狂騒のなか」・「喧噪のなかで」の憲法改正に対して、
「憲法はある日気づいたら……変わって」、
「誰も気づかないで変わった」ナチスの「手口」が
肯定的に評価されている。
「本当にみんないい憲法と、
 みんな納得してあの憲法変わっているからね」と、
それが麻生氏が否定する
「狂騒のなか」・「喧噪のなかで」の憲法改正では
なかったことを強調したあと、
「ぼくは
 民主主義を否定するつもりは全くありませんが……」と、
自らの発言が
見方によっては「民主主義を否定する」ものと
映りかねないものであると認識していたらしいことまで
示唆している。
麻生氏の言う、
「悪しき例としてあげた」との弁明が
ごまかしにすぎないことは明らかである。

この発言は麻生氏のいい加減な歴史認識と
危険な憲法観とを示すものだ。
ナチス政権は
正確には「ナチス憲法」なるものをつくっていない。
俗にそう言われているのは、
最高法規であったワイマール憲法を越える権限を
政府に与えるという「全権委任法」という法律だ。
ナチスはただの法律をもって
ワイマール憲法を骨抜きにし、
事実上の「改憲」を成し遂げた。
これは世界の憲政史上、
最悪の「改憲」例の一つである。
このような「手口」に見習うべきものは何もない。
麻生発言の本質は
単なる「ナチス発言」であるだけでなく、
憲政否定の発言であるということなのだ。

日本国憲法の第99条は、
「天皇又は摂政及び国務大臣、
 国会議員、裁判官その他の公務員は、
 この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と
明確に定めている。
正規の手続きをもって憲法を改正することは
何ら否定をしていないが、
ナチスのように法律や政府の決定をもって
憲法を骨抜きにする「改憲」を、
特に大臣などの権力者に対して
厳重に禁じているのである。
これは、
ナチスが行なった数々の非人道的犯罪行為を思えば
当然のことであるだろう。

憲政否認の大臣はただちに辞職しなければならない。
日本国憲法による憲政を否認する者に、
日本国憲法下で大臣をやる資格はないのである。
私は一人の日本国民として、
麻生副総理の大臣辞任を強く求めるものである。
麻生副総理が自ら職を辞さないならば、
安倍総理は麻生副総理を
きちんと辞めさせるべきである。

【参考記事】
批判は事実に基づいて行なって


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# by imadegawatuusin | 2013-08-02 10:37 | 政治

(2013年9月6日掲載)

エジプト初の民主的選挙で大統領に選ばれたムルシ氏を
同国の軍部が拘束して政権を奪った政変について、
アメリカ国務省はクーデターと認定しないことにした。
アメリカ国務省の報道官は、
「そうした決定をすることは米国の国益にならない」と
説明したという。

アメリカの対外援助法は、
民主的な政府がクーデターで倒された国に対しては
援助を見合わせるよう定めている。
今回の事態をクーデターと認定した場合、
エジプト軍への軍事援助など
総額15億5千万ドルもの援助が凍結される。
そうなると、
軍事協力を通じてエジプト軍への影響力を強めることで
アメリカの友好国であるイスラエルの防衛を図ってきた
外交戦略に影響が出るため
判断を避けたのだと見られている(朝日新聞7月28日)。

確かにムルシ政権は、
稚拙な政権運営や経済立て直しの失敗などで
エジプト国民からの支持が低下していたとも
言われている。
イスラム主義を背景とする
ムルシ氏の「自由公正党」や
その母体である「ムスリム同胞団」が
政治権力を握る事態を
好ましくないとする考えも
理解できないわけではない。
しかしだからと言って、
エジプト初の民主的選挙で選ばれた政府を
軍部が武力で打倒して政権を奪う事態を
容認していいということにはならない。

民主的手続きを経て選出された政権が
直近の民意を反映しない場合の正当な対抗手段は、
署名活動や集会・デモ・ゼネラルストライキ・
不服従運動などの
平和的かつ大衆的な圧力で
辞任に追い込むことくらいだろう。
また宗教勢力が
民主的手続きを経て政権を取ること自体が
いけないのだということになれば、
宗教的な政治の実現を求める人々は
暴力的な政変に訴えるしか方法がなくなる。
民主主義は、
民主的な手続きに参加して政治を動かしていこうとする
あらゆる勢力に開かれたものでなければならない。
民主的システムがあらゆる勢力に開かれてこそ
社会は安定するのである。

イラク戦争などでアメリカは、
「民主化」を理由に
他国への侵略攻撃を正当化してきた経緯がある。
そのアメリカが「国益」を理由に、
こともあろうかクーデターを起こした軍部に
莫大な軍事援助を与え続けるのは
ご都合主義に他ならない。
軍による民主的政権の転覆は
どう言いつくろってもクーデターである。
自国の都合でクーデターと認定したり
しなかったりするのでは
二重基準のそしりを免れない。

アメリカはエジプト軍への軍事援助を
ただちに凍結するべきだ。
日本もエジプトへの援助の見直しが必要だ。
同志社大学大学院の内藤正典教授は、
「新博物館の建設など、
 不要不急のハコ物援助については、
 暴力で民主化を破壊した国には、
 断固として認めない姿勢を示す必要がある」と
指摘する(朝日新聞7月31日)。
自由と民主主義とを
本当に世界に広げてゆくのに大切なのは、
イラク戦争のような武力攻撃への追随ではなく、
今回のクーデターのような民主主義の危機に際して
筋の通った対応を地道にきちんと取ることであろう。

【関連記事】
エジプト治安当局の人民虐殺に抗議
ケリー氏のクーデター肯定発言を憂慮
エジプト新博物館援助は凍結を


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# by imadegawatuusin | 2013-08-01 17:04 | 国際

――帽子屋が示した「資本主義の倫理」――
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■母狐のつぶやきの意味は

『手ぶくろを買いに』は
大正・昭和初期の童話作家・新美南吉の有名な作品だ。

冷たい雪でしもやけになった子狐の手を見て母狐は、
毛糸の手袋を買ってあげたいと決意する。
そこで母狐は子狐の片手を人の手に変え、
銅貨を握らせ、
かならず人間の手のほうをさしだすんだよと
言いふくめて
町の帽子屋へ
毛糸の手袋を買いに行かせてやるのである。

ところが子狐は間違って、
母狐が出してはいけないと言っていた狐の手の方を
帽子屋に差し出してしまう。
帽子屋は一目で狐であると理解するが、
それでも持ってきた銅貨が本物であることを確認し、
きちんと毛糸の手ぶくろを子狐に持たせてやったのだ。

ある経済学者が、
健全な資本主義の発展に必要なのは、
この『手ぶくろを買いに』の帽子屋が示した態度であると
言っていた。
相手が人間の子供であろうと子狐であろうと、
きちんとお金を持って来たら
きちんと手ぶくろを売ってあげるという
資本主義の倫理だ。
相手が狐だからといってお金をふんだくったり、
値段を吊り上げたりはしない。
そのお金を客がどうやって手に入れたのかも問わない。
客がお金を差し出せば、
正直に、
誠実に、
こちらも商売をするという姿勢が
資本主義の倫理なのだ。
この姿勢がないと、
市場経済というものは正常に機能しないというのである。

資本主義が当たり前になった今に生きる私たちは、
お金を持ってきた子狐に
手ぶくろを売った帽子屋の態度を
ごく当たり前であると感じる。
特段賞賛するほどのことをしたのだとは
思わないのではないだろうか。
どうして母狐が
帽子屋の態度にこれほど驚いたのかが
もはや理解できないほど、
私たちにはこの資本主義の倫理が
当たり前のものとして染み付いている。

けれど、
資本主義勃興の当時にあって、
「お金を持って来さえすれば、
 相手が狐でも物を売る」という態度は
決して当たり前のことではなかった。
そのことを踏まえなければ作品の終わりの、
「ほんとうに人間はいいものかしら。
 ほんとうに人間はいいものかしら」という
母狐のつぶやきの意味は理解できないのである。

【参考記事】
書評:『ごんぎつね』(新美南吉)
新美南吉「おじいさんのランプ」について


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# by imadegawatuusin | 2013-07-25 15:16 | 文芸

政府のクールジャパン推進会議が、
「正統な」日本料理の伝道師育成を
打ち出していることを
5月31日の朝日新聞社説で知った。
「海外での正しさの押し付けは逆効果」と
社説は指摘する。
私も同じ考えだ。

たとえば日本の家庭に定着しているカレーは、
インドの「正統な」カレーとは別物だ。
だが、
インドから「正統なカレー」を押し付けられていれば、
これほど日本で子供たちに親しまれるものには
ならなかっただろう。
ラーメンも、
しょうゆや味噌ラーメンは中国にはなく、
「日式老麺」と呼ばれているという。

現地の文化に溶け込んでこそ外来文化は広まり、
定着する。
新聞社説にもある通り、
「謙虚さこそ、日本文化のクール」な戦略なのだ。


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# by imadegawatuusin | 2013-07-24 09:45 | 文化

『倫理宏正新聞』2013年4月下旬号に、
日本人の性質として次のようなことが書かれていた。
「日本人の心とは、
 桜のようにパッと咲いて、パッと散るのを
 潔しとする――とよく言われる。
 しかし、
 勤勉で我慢強く、コツコツと努力する人を見ていると、
 そうとも言えないのでは? と首を傾げたくなる人も
 いるのではないか」。

たしかに、
「勤勉で我慢強く、コツコツと努力する」のは
日本人の特質とされる。
しかしそれは、
あくまで
見込みがあると思っているうちの話なのでは
ないだろうか。
ひとたびダメだと「見切りをつける」と、
「無駄な努力」は「あがき」とみなされ、
「諦めが悪い」と軽蔑されるように思えるのである。

「無駄な努力」をしないで
「見切りをつける」生き方は
ある意味「効率的」で「合理的」ではあるだろう。
だが、
「諦めが悪いあがき」の中から
逆転勝利が見えてくることもあるのではないか。

昔、
将棋の名人の強さの秘訣を探ってみると、
「勝ってから喜び、負けてから悲しむ」ことだと
わかったという話があった。
実際に勝つまで気を抜かない。
実際に負けるまであきらめない。
勝負は終わってみなければ分からない。
そんな不屈の心意気の中から
生まれるものもあるはずだ。


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# by imadegawatuusin | 2013-07-23 09:48 | 雑記帳