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板野博行『語句ェ門777』について(その2)

――「因果関係」と接続語――

■「なので」の用法
本書の「因果関係」欄の四コマ漫画は
非常に示唆的である。

1.国語が苦手だった。
  なので、
2.「楽しく覚える方法が
   あればなぁ」と思った。
  だから、
3.4コマとゴロで、楽しく
  しっかり勉強。
  したがって、
4.大学
  合格!
  結果のあるところには
  必ず原因があるのだ!(本書8~9ページ)


1から2、
2から3、
3から4がすべて、
「なので」・「だから」・「したがって」と
順接の接続語でつながっている。
「AだからB」、「BだからC」、
「CだからD」という流れである。

ところが、
こうした因果関係を形成しているのなら、
「よってAだからD」と言えるかと考えると、
そうはいかないのである。
Aは「国語が苦手だった」であり、
Dは「大学合格」なのだ。

「国語が苦手だったから大学合格」というのは
論理的に考えて明らかにおかしい。

よくよく考えると、
AとBとの間に
一種の飛躍があるのではないか。
「国語が苦手だった」けれども(逆接)
「『楽しく覚える方法が
  あればなぁ』と思った」というのが
実際のところではないだろうか。

ただ、一般的な理屈として、
「国語が苦手だった。
 なので、
 『楽しく覚える方法が
  あればなぁ』と思った」というのは
よくわかるような気もする。

散文における順接の接続語は、
純粋論理学の「順接」とは
微妙にズレがあるのかもしれない。

もっとも、
「因果」という考え方を突き詰めて言えば、
究極的にはこの世界に「しかし」はありえない。
世界が全て合理的な物理法則に基づく
因果関係によるならば、
全てが「だから」でつながっていることになるだろう。


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by imadegawatuusin | 2008-12-04 22:51 | 日本語論
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