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「最小不幸社会」菅新総理に期待

「政治の役割は、
 国民や世界の人々が不幸になる要素を
 いかに少なくしていくか、
 『最小不幸の社会』を作ることだと
 考えている。
 貧困、戦争などをなくすことにこそ、
 政治は力を尽くすべきだ」。
菅直人新総理は就任会見の冒頭で、
長年の持論である
「最小不幸社会」論を
打ち出した(朝日新聞6月9日)。

一般的に民主主義政治の目的は、
これまで
「最大多数の最大幸福」の実現であると
されてきた。
選挙においても各候補者は、
いかに自分が国民を幸せにできるかを
訴え合うのが常である。

私が所属する
社会民主党の綱領である
「社会民主党宣言」の冊子でも、
冊子の冒頭、
(「宣言」本文ではないが)
福島みずほ党首の発言として、
「社民党がつくろうとしている社会は、
具体的にどんな社会でしょうか」
として、
「『勝ちか負けか』を
尺度とするのではなく、
『幸福かそうでないか』を
尺度とします」と
書いてある。

一人一人の内面的な価値観に多くを負う
「幸福」という概念が
政治の尺度とされることに、
私は以前から
微妙な違和感を感じていた。
「国民総生産」ならぬ
「国民総幸福」の拡大を
国家目標としている国があると聞くが、
「そんなもんどうやって計測するねん」
という素朴な疑問以前の問題として、
国を挙げて国民の「幸福」を
実現しようという姿勢そのものに、
何か大きなお世話というか、
グロテスクなものを感じていた。

先の総選挙で
「幸福実現党」なる宗教政党が
登場するに至り、
その違和感は
ほとんど確信に近いものとなった。
「政治の力で人間を幸福にするなんて、
それは政治の傲慢ではなかろうか」と。

ひるがえって見れば日本国憲法にも、
「幸福追求権」は書かれていても、
「幸福権」は書かれていない。
国家が国民に保障するのは
あくまで
「幸福追求権」(=幸福に『なれる』権利)」であって、
実際に幸福に『なる』こと、
幸福そのものまでは
国家は保障しないし、
保障できないのである。

個々人の内面的な価値観に多くを負う
「幸福」は、
政治の力で
画一的に実現することは難しい。
もし本気で
政治で幸福を実現しようとするならば、
宗教政党が祭政一致の政治を行ない、
国民の価値観を統一してから
するしかない。
国が国民を「幸福」にするなど、
どだい大きなお世話なのだ。

では、
国家がなすべきこととは何か。
個人の力ではどうしようもない
不幸や理不尽に対処するために
あるのではないか。
幸福追求が可能となる
スタートラインまで、
苦しい立場にある人々を
底上げするためにあるのではないか。

戦争や貧困・差別のような
恐怖と欠乏・理不尽から
人々を守るのが政治であり、
その後に
一人一人が幸福を感じる人生を
生きられるかどうかは、
言葉の正しい意味での
「自己責任」の問題といえよう。

「最小不幸」を政治の使命と自覚すれば
必然的に、
「もっと上を」を求める強者ではなく、
スタートラインにも立てていない
弱者の側に
視線を振り向けることになる。
それはきっと、
私が理解するところの
社会民主主義の理想と
近いものがあるのではないか。

「人の幸福・不幸は
すべて自己責任」と突き放す
冷たい放任主義でもなく、
人の幸福まで
政治で実現してやろうという
大きなお世話の介入主義でもない
「最小不幸社会論」。
それは、
政治の力でできることと
できないこととをわきまえた上での、
地に足のついた政治理念だと
私は思う。

「美しい国」とか「友愛」とか、
いままで歴代の総理大臣が
「理念」を前面に押し出したとき、
私の目にはこれまでは、
そうした「理想」は
「現実」の対義語であるとしか
思えなかった。
どこか遠い世界の、
ありもしない夢を追っているようにしか
見えなかった。

けれど今回、
菅新総理が打ち出した
「最小不幸社会」という理念は、
そういった類のものとは
違うのではないか。
「最小不幸」という政治理念は、
現実政治の改革を進める指針に
なりうる方針ではないか。

こうした政治理念を
就任会見の冒頭ではっきりと打ち出した
菅新総理に、
私は期待をしたいと思う。
苦しいときにはみんなの力で助け合う、
そんな日本を作りゆくために。
JanJan blog6月10日より加筆転載)


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by imadegawatuusin | 2010-06-10 12:50