![]() 生産そのものは ますます社会的になっていき、 ――いく十万、いく百万の労働者が 計画的な経済有機体に 結びつけられてゆく――、 しかし、 共同労働の生産物は、 ひと握りの資本家たちによって着服されている。……/ 資本主義体制は 労働者の資本への隷属を増大させながら、 結合された労働の偉大な力をつくりだす。〔注1〕 ■一番最初に取り組む「古典必読文献」 その昔、 日本共産党には「独習指定文献」といって、 「共産党員たる者このくらいは読まなきゃ」という 必読書リストが存在した。 最初は マルクス・エンゲルス・レーニンらの著作が リストにはズラリと並んでいた。 だが、 いつしかそうした「古典」は減ってゆく。 宮本顕治元議長・不破哲三前議長・志位和夫委員長ら 「党指導者」の著作が 幅をきかせるようになっていったのだ。 特に「初級課程」では (必読書リストにもランク分けがある!)、 暴力革命を鼓舞するのでケシカランということなのか、 マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』までもが 削除されてしまう。 そんな中、 最後の最後まで独習指定文献に残り続け、 かつ初級課程の文献として 古典の中で一番最初に読むようにと指導されていたのが レーニンの 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」である。 つまりこの論文は、 日本共産党作成の独習指定文献表に従って学習を進める 模範的な日本共産党員が 最初に出会うマルクス・エンゲルス・レーニンの 古典文献ということになる。 もちろん、 この論文が独習指定文献に残り続けたことには それなりの理由がある。 まず、 暴力革命を呼びかけるなどの不穏当な部分が無く、 「議会における多数派獲得による平和革命」を目指す 今の日本共産党の路線と相性がいい。 この「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」は もともと 『プロスヴェーシチェーニエ』(「啓蒙」の意)という 「ボリシェビキ(評者注:=後のロシア共産党)の 合法的な月刊機関誌で、 社会・文化雑誌であ」った雑誌の 「マルクス死後三〇年記念号」に 発表されたものという〔注2〕。 「合法的な月刊機関誌」とはすなわち、 当局も検閲済みの 「オモテ」の出版社から出た雑誌であるということだ。 「初心者」に読ませても 変な暴力思想にかぶれさせる心配がない。 おまけにこの論文は ページにしてわずか11ページである。 「初級」学習者にとって「短い」ということは 何にもまさる美点であって、 これなら30分もあれば最後まで読了できる。 この「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」を 手始めとして、 初級・中級・上級……とランクアップし、 最後はマルクスの『資本論』が読破できれば マルクス主義の「免許皆伝」、というのが 日本共産党の模範的党員養成カリキュラムだった。 ■マルクス主義の「スゴさ」を力説 しかし、 人間とは弱いもので、 こういう「系統的な独習」というものは えてして「三日坊主」に終わることになる。 挫折しては 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」に、 また挫折しては 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」に 戻って学習のやり直し……という人も 珍しくない。 つまり、 計画性と根性の欠如した、 あまり模範的でない党員は、 生涯に何度もこの論文を 読み返すことになってしまう。 資本論など一度も読んだことがないくせに、 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」だけは 何べんも読んだという 不思議な「マルクス主義者」がここに生まれる。 生半可な「共産党員」ほど、 この論文の印象が頭に焼き付き、 こびりついて離れなくなるのである。 では、 この論文には何が書かれているのか。 一言で言えば、 それは「マルクス主義はスゴイ!」ということである。 この論文の中でレーニンは次のように言っている。 マルクスの学説は正しいから、 全能である。 その学説は完全で均整がとれており、 どのような迷信とも、 どのような反動とも、 またブルジョア的抑圧のどのような擁護とも 妥協できない、 全一的な世界観を提供している。 それは、 人類が一九世紀にドイツ哲学、 イギリス経済学、 フランス社会主義という形でつくりだした最良のものの 正統な継承者である。〔注3〕 それはすごい。 「マルクスの学説は正しいから、 全能である」というのである。 要するに、 「マルクスはスゴイからスゴイ」と 言っているだけなのであるが、 これを何十ぺんも読む人間には、 中身はよく分からないが ただ「スゴイ」という印象だけが残る。 この論文を収録している 新日本出版社(日本共産党系の出版社)の 『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分/カール・マルクス ほか』 (「科学的社会主義の古典選書」シリーズ)の 「解説」では、 「この論文は、 序論と三つの節から成っていますが、 序論が大切です」と書かれている(232ページ)。 その、 一番大切な「序論」の結論部分、 一番サビの部分にあたるのが、 上であげた 「マルクスの学説は正しいから、 全能である」云々の部分なのだ。 「解説」はさらに、 「序論につづく三つの節も、 “唯物論とは”とか“労働価値説とは”とかの 入門的説明をしているわけではなく、 哲学、経済学、社会主義理論のそれぞれについて、 科学的社会主義の理論が、 それ以前の人類の 価値ある知識の継承と発展であることを 示しています」とする(232ページ)。 マルクス主義学習の初心者に対して、 「“唯物論とは”とか“労働価値説とは”とかの 入門的説明を」せず、 とにかくマルクス主義はスゴイぞ! ということを ビシッと最初にたたき込んでおくという 論文なのである。 ■「20世紀の妙法蓮華経」!? 「この調子の古典はどこかで読んだことがある」と 常々思っていたのであるところ、 最近、 大乗仏教の経典・「妙法蓮華経」(いわゆる「法華経」)が こんな感じだったと気がついた。 よく「南無妙法蓮華経」とかやっている、 あれである。 法華経は古来、 「諸経の王」と呼ばれてきた。 とにかくスゴいお経だという。 実際に読んでみたら、 たしかに「スゴい」。 全編、 「法華経はスゴい」という自画自賛と、 そのためのたとえ話ばかりなのだ。 なるほど、 たしかに法華経が「スゴい」ということはよくわかった。 では、 その法華経は一体何を教えていて、 私たちは何を信じればいいというのか。 そこのところが法華経を読んでも、 さっぱり分からないのである。 江戸時代の国学者・平田篤胤は 「法華経というのは この薬は凄いと書いた効能書きだけで、 薬の入っていない薬箱のようだ」と評したという〔注4〕。 また先日亡くなった宗教社会学者の小室直樹氏も、 「仏教にしても最もカルト的な法華経の系列が いまの日本では一番活発であろう。/ どこがどうカルトかというと、 法華経に含まれている根本の協議である。 法華経を信じれば何でもできる、 どんな奇跡でも起きる。という考え方は、 カルト以外の何ものでもあるまい」と指摘している〔注5〕。 私はどうもこのレーニンの 「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」を 読むと、 こうした「法華経」を連想せずには いられないのである。 ■マルクス主義学習の見取り図として ただしこの論文は、 マルクス主義の構成要素を 「哲学」・「経済学」・「社会主義」の三つの要素に分解し、 マルクス主義を学習するうえでの指針というか、 見取り図的な役割を果たしてくれる文献であるのも また事実である。 解説の小林榮三氏は、 「科学的社会主義が、 哲学、経済学、社会主義理論の三つの構成部分からなり、 そして、それぞれが ドイツの古典哲学、イギリスの古典経済学、 フランスの社会主義思想を 三つの源泉としているという、明確な規定で 科学的社会主義の体系と特徴を定式化したのは、 レーニンのこの論文が最初です」と この論文の意義を説明している(232ページ)。 その意味でもこの論文は、 やはりマルクス主義学習を志す者が 最初に手にすることになる論文なのだろう。 なお先の解説は、 この論文について、 「マルクス主義は『訂正』が必要だという 修正主義の議論が横行するなかで、 科学的社会主義が 不断に進歩し発展する科学としての生命力を もつことを明らかにするというところに、 レーニンがこの論文を書いた目的があると いえるでしょう」と書いて 文章を締めくくっている(233ページ)。 本当に「科学的社会主義が 不断に進歩し発展する科学」であるならば、 当然多くの人々の検証にさらされ、 絶えざる「『訂正』が必要」となるのではないだろうかと 思ってしまうのは私だけなのだろうか。 〔注1〕レーニン、高橋勝之・大沼作人訳「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」、『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分/カール・マルクス ほか』13ページ、新日本出版社「科学的社会主義の古典選書」シリーズ 〔注2〕小林榮三「解説」、レーニン、高橋勝之・大沼作人訳『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分/カール・マルクス ほか』232ページ、新日本出版社「科学的社会主義の古典選書」シリーズ 〔注3〕レーニン、高橋勝之・大沼作人訳「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」、『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分/カール・マルクス ほか』8ページ、新日本出版社「科学的社会主義の古典選書」シリーズ 〔注4〕小室直樹『日本人のための宗教原論』303ページ、徳間書店 〔注5〕小室直樹『日本人のための宗教原論』390ページ、徳間書店 レーニン「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」 評価:3(普通) 【参考記事】 『社会民主党宣言』を読む 新しい社会主義像を求めて 小牧治『マルクス』について 『唯物論哲学入門』(森信成)を読む
by imadegawatuusin
| 2010-10-05 09:56
| 政治
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名前:酒井徹(さかいとおる)
生まれた日:昭和58(西暦1983)年8月22日 世わい:42歳 住みか:〒460-0021 日本国愛知県名古屋市中区平和一丁目3番24号 スフジビル406号 電話番号:070-4531-5528 電子郵便宛先:sakaitooru19830822@gmail.com カテゴリ
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