――根元的な「救いのなさ」を描ききる――■子供相手に手加減無し「国語の教科書」で出会った作品で、
いつまでたっても気になり続ける作品は
ないだろうか。
僕の場合は、
高校時代の中島敦『山月記』と、
小学校時代の新美南吉『ごんぎつね』とが
それに当たる。
特に『ごんぎつね』である。
よく考えてみれば救いのない話だ。
完全に理不尽な話かといわれると、
必ずしもそうではない、というあたりが、
ますますリアルに救いがない。
ブログ
「子どもの時間」を主宰する
asagiさんは、
「ごんぎつね」という記事の中で、
「その頃読んでいた子ども向けの本は、
たいてい
『良いことをすれば報われる』
『悪いことをしても
心から悔いて償えばいつかは許される』
というようなものばかりで、
『ごんぎつね』のような悲しい結末には
免疫がなかった」と言っている。
ちょっとしたいたずら・出来心が
思いがけず
取り返しのつかない結果を招いてしまうということは、
人生の中でもしばしば起こる。
「そんなつもりじゃなかった」などという言い訳は
通用しない。
これが、
100パーセント相手が悪い理不尽であればまだ、
相手を恨むことも
自分を悲劇の主人公に仕立て上げることもできる。
だが、
事の発端はやはり自分。
悪いのも自分。
そんなことは誰に言われなくてもわかっている。
だから つらいのである。
物語は最後、
いたずらぎつねの主人公・「ごん」が、
母を亡くした百姓・兵十に
火縄銃で撃たれて殺されるところで
幕を閉じる。
だが、
それでもごんは
兵十を恨むことができなかったはずである。
「童話」といっても子供相手に手加減がない〔注1〕。
この、
根元的な「救いのなさ」を正面から描いた作品を、
小学生に読ませる日本の国語教育は
まだまだ捨てたものじゃない。
あのころ、
教科書で読んで覚えた心の痛みは、
今でも消えることがない。
〔注1〕前出のasagiさんは、
《本読みを終えた娘が言うには、
「先生がみんなに感想を書かせたんだけどね、
みんな
『ごんがかわいそう。ぜんぶ兵十が悪い。』って
いうのばっかりなんだよ。
兵十だってかわいそうだよねえ?」
…はじめて「ごんぎつね」を読んだ子どもは、
結末のショックが大きすぎて、
ただただ
「ごんがかわいそう→兵十のせいだ」って
思うんだろうなぁ》
と述べている。
また、
「ブログ版:春日井教育サークル」を開設している
竹田博之さんは、
「『ごんぎつね』をどう読むか」の中で、
「『ごんぎつね』を低学年に読ませると
『死んでいない・生き返る』として読む子が
多いそうだ。
生きていてほしい・
死んでしまうなんて悲しすぎると思うから、
生きていると信じたいのだそうだ。
そして
『ごんは死んだ』と
悲劇を受け入れて読めるのが
10歳前後=4年生という発達段階なのだそうだ」と
この作品が小学4年生の国語の教材として
採用されている理由を説明している。
ともに、
「ごんぎつね」の手加減のなさを物語る
挿話だと思う。
新美南吉『ごんぎつね』(金の星社)
評価:3(ふつう)【参考記事】新美南吉『手ぶくろを買いに』について新美南吉「おじいさんのランプ」について
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