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『唯物論哲学入門』(森信成)を読む・その3

エンゲルスの説明

本書・『唯物論哲学入門』の著者・森信成氏は
観念論の起源について、
まずエンゲルスの書いた『フォイエルバッハ論』から
引用をする。

エンゲルスは哲学の根本問題を、
「思考と存在との関係の問題である」と規定する。
哲学史はつまるところ、
この問題への解答をめぐって
論争を繰り広げてきた歴史であるとみるわけである。
そしてその論争をエンゲルスは、
人間の無知を基盤とする観念論が少しずつ、
合理的・科学的な唯物論によって
覆されてゆく過程であると理解した。

原始時代には「思考と存在との関係の問題」は、
「魂と肉体」の関係の問題としてあらわれたと
エンゲルスは言う。
肉体の実体験とは関係なしに見る「夢」の存在から、
人は肉体とは別に「魂」というものの存在を想定した。
そして、
肉体とは別物である魂は
人(=肉体)が死んだ後も不滅であると
思うに至ったというのである。

ところがエンゲルスはここで、
非常に興味深いことを言っている。
「このこと(筆者注:=魂の不死という観念)は、
 人類の発展のこの段階では、
 人々には慰めとは思われず、
 さからいがたい運命と思われ、
 ギリシャ人においてみられるように、
 しばしば積極的な不幸と思われていた」。

ここではギリシャ人と書かれているが、
古代インド人などもほぼ同じような感覚を持っていた。
古代インド人は生まれ変わりを信じた。
だがそれは、
死後の世界への希望を語る物語ではない。
この苦しい人生からは
肉体が死んでも逃れることはできないのだという
究極の絶望の物語であったのだ。
「人類の発展のこの段階」において、
生きるということがいかに苦しいことであったかが
よくわかる。

またエンゲルスのこの書きぶりからは、
マルクス主義者が宗教を、
いかなる場合にも人生の苦しみから目を逸らすための
「民衆のアヘン」とばかり
見ていたわけではないという意外な事実が
明らかになる。

この場合、
魂の不滅(宗教)を信じることは、
それを信じないことよりも
はるかに苦しいこと・つらいことであり、
人々にとって何の慰めにもなることではなかった。

エンゲルスはこの記述の後、
「一般に人々が
 個人の魂の不死という
 退屈な想像を持つようになったのは、
 宗教的な慰めの要求からではなく、
 同じく一般的な無知のために、
 一度認めた魂というものを、
 肉体の死後どう取り扱ったらいいか
 当惑した結果である」と書いている。

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by imadegawatuusin | 2011-10-08 17:47 | 弁証法的唯物論