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クリスマス(12/25)はイエスの誕生日ではない

――聖書には、「誕生日の夜、羊飼いが野宿」と記述――

■イエスの誕生が冬であった可能性は低い

12月9日の『中日新聞』読書欄に、
随筆家の酒井順子さんが
「聖書を開くクリスマス」と題する文章を寄せていた。
「クリスマス間近。
 いまや万人にとっての楽しい行事ですが、
 本来はイエスの誕生日ということで、
 これはキリスト教のお祝いです」と書かれている。
そして、
「クリスマスくらい
 聖書をひもといてみようか、という方に」
新共同訳聖書を読むことを勧めている。
「クリスマスには
 なぜ三人の博士や羊飼いが登場するのかも、
 理解できることでしょう」というのである。

しかし、
実際に酒井さんの薦める新共同訳聖書を開いてみると、
イエスを訪ねてきた「博士」が「三人」であるなどとは
実はどこにも書かれていないことが分かる。

『新約聖書』の「マタイによる福音書」には
この挿話について次のように書かれている。

  イエスは、
  ヘロデ王の時代に
  ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
  そのとき、
  占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
  言った。
  「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、
   どこにおられますか。
   わたしたちは東方でその方の星を見たので、
   拝みに来たのです。」……
  王は民の祭祀長たちや律法学者たちを皆集めて、
  メシアはどこに生まれることになっているのかと
  問いただした。
  彼らは言った。
  「ユダヤのベツレヘムです。……」
  
  そこで、
  ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、
  ……ベツレヘムへ送り出した。
  彼らが王の言葉を聞いて出かけると、
  東方で見た星が先立って進み、
  ついに幼子のいる場所の上に止まった。
  ……家に入ってみると、
  幼子は母マリアと共におられた。
  彼らは……宝の箱を開けて、
  黄金、乳香、没薬(もつやく)を
  贈り物として献(ささ)げた。(「マタイによる福音書」2・1~11)
 
このように『聖書』には、
「占星術の学者たち」が三人だったとは
どこにも書かれていない。
「彼らは……宝の箱を開けて、
 黄金、乳香、没薬(もつやく)を
 贈り物として献(ささ)げた」と書いてあるので、
三つの贈り物を
一人が一つずつ三人で持っていたようにすると
絵などに描きやすいという都合で
「三人の博士」ということになったのかもしれない。
だが、
少なくとも聖書本文からは
「占星術の学者たち」が三人だったとは
断定できないのである。

それどころか、
酒井さんが紹介する「羊飼いが登場する」挿話を読むと、
イエスが生まれたのが
本当に12月25日だったのかどうか、
そのこと自体が疑わしく思えてしまうのである。

そもそも『聖書』には、
イエスが生まれたのが12月25日だったとは
どこにも書かれていない。
それどころか『新約聖書』の「ルカによる福音書」には、
イエスが生まれたその日の夜、
近くで羊飼いたちが
野宿をしていたと書かれているのである。
果たしてパレスチナの地で
12月25日の極寒の冬のさなか、
テントの外で野宿などできるものなのであろうか。

「ルカによる福音書」の記述は次のとおりだ。

  皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、
  登録をせよとの勅令が出た。
  これは、
  キリニウスがシリア州の総督であったときに
  行われた
  最初の住民登録である。
  人々は皆、
  登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
  ヨセフもダビデの家に属し、
  その血筋であったので、
  ガラリアの町ナザレから、
  ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ
  上って行った。
  身ごもっていたいいなずけのマリアと一緒に
  登録するためである。
  ところが、
  彼らがベツレヘムにいるうちに、
  マリアは月が満ちて、
  初めての子を産み、
  布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
  宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
  
  その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、
  夜通し羊の群れの番をしていた。
  すると、
  主の天使が近づき、
  主の栄光が周りを照らしたので、
  彼らは非常に恐れた。
  天使は言った。
  「恐れるな。
   わたしは、
   民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
   今日ダビデの町で、
   あなたがたのために救い主がお生まれになった。
   この方こそ主メシアである。
   あなた方は、
   布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている
   乳飲み子を見つけるであろう。……」
  すると、
  突然、
  この天使に天の大軍が加わり、
  神を賛美して言った。
  
  「いと高きところには栄光、神にあれ、
   地には平和、御心に適(かな)う人にあれ。」
  
  天使たちが離れて天に去ったとき、
  羊飼いたちは、
  「さあ、
   ベツレヘムへ行こう。
   主が知らせてくださったその出来事を
   見ようではないか」と話し合った。
  そして急いで行って、
  マリアとヨセフ、
  また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を
  探し当てた。(ルカによる福音書2・1~16)

イエスが生まれたその日、
近くにいた羊飼いたちは「野宿をしながら、
夜通し羊の群れの番をしていた」のである。
到底寒い12月のこととは思えない。
当時この地方の羊飼いたちは、
春から秋にかけては屋外で羊を放牧し、
12月や1月には
羊たちを寒さや雨をしのげる場所で
飼育していたと言われている。
当時、パレスチナでは、
12月ごろは寒い上に雨も多かったからである。

ユダヤの暦では今の暦の12月ごろは
「第九の月」(9月)に相当する。
『旧約聖書』の「エズラ記」には、
この「第九の月」の「二十日」に
イスラエルの民が
エルサレムの神殿の広場に集められた際、
「民は皆、
 ……雨が降っていたために震えていた」と
記されている。
そして集められた群衆の側も、
「雨の季節でもあって外に立っている力はありません」
と言ったと記されているのである(「エズラ記」10・9~13)。
また『旧約聖書』の「エレミア書」にも、
現在の12月に相当する
ユダヤ暦の「九月」のできごととして、
「王は宮殿の冬の家にいた。
 時は九月で暖炉の日は王の前で赤々と燃えていた」と
書かれている(「エレミア書」36・22)。

昼間でさえこうなのである。
まして寒くて雨の多い12月の夜に、
羊飼いたちが「野宿をしながら、
夜通し羊の群れの番をしていた」とは到底思えない。

そもそもイエスの父母であるヨセフやマリアが、
出産も近いというのに
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」からといって
あっさりあきらめて家畜小屋に泊まったりしていたのも、
寒い冬の日の出来事ではなかったからだと思うと
しっくりとくる。

以上の理由から、
聖書を素直に読む限り、
イエスが生まれたのが寒い冬、
まして雨の多い12月であった可能性は
限りなく低いと言わざるをえないのである。

実際、
イエスの直弟子であるペテロや
キリスト教の基礎を築いたパウロなどが
クリスマスを祝ったという記録はどこにもない。
歴史的には、
12月25を「クリスマス」として祝うようになったのは、
イエスが生まれてから
300年以上あとになってからだという。
17世紀半ばには、
政権を握った
急進派のキリスト教徒である
清教徒(ピューリタン)たちが
議会において
クリスマスを禁止する法令を制定したこともあるらしい。
アメリカのマサチューセッツ州議会でも
同じくクリスマス禁止の法案が
可決されたことがあるという。
『聖書』を大切にする清教徒たちにとって、
クリスマスは
『聖書』に何らの根拠もない異教の祭りに
他ならなかったのである。

■キリスト教で大切なのはイエスが「死んだ日」

そもそも『聖書』では、
イエスは自分の誕生日を祝えなどとは
一言も言っていない。
イエスが記念するようにと命じた日は
自分が生まれた日ではなく、
自分が死んだ日なのである。

聖書によると、
イエスは官憲に引き渡され処刑された日の夜
(現在の感覚では「前夜」であるが、
 当時のユダヤでは
 日没から新しい日が始まり
 翌日の日没で一日が終わると考えられていたから、
 処刑の前夜が「処刑された日の夜」となる)、
イエスは「主の晩餐」と呼ばれる
記念の式典を制定したことになっている。

『新約聖書』の「コリントの信徒への手紙 一」には
次のように書いてある。

  主イエスは、
  引き渡される夜、
  パンを取り、
  感謝の祈りをささげてそれを裂き、
  「これは、
   あなたがたのためのわたしの体である。
   わたしの記念としてこのように行いなさい」と
  言われました。
  また、
  食事の後で、
  杯(さかずき)も同じようにして、
  「この杯は、
   私の血によって立てられる新しい契約である。
   飲む度(たび)に、
   私の記念としてこのように行いなさい」と
  言われました。(「コリントの信徒への手紙 一」11・23~25)
 
キリスト教では、
イエスが全人類の罪を背負って
人類の代わりに殺された結果、
人類は罪が許されて救済されたと説いている。
人類の先祖であるアダムが犯した罪を清算するためには、
アダムに代わって
罪のない(アダムの血を引いていない)イエスが
殺される必要があったのだというのである
(「ローマの信徒への手紙」3・23~25、5・12~19、
 「コリントの信徒への手紙 一」15・21~22、
 「テモテへの手紙 一」2・6、
 「ヘブライ人への手紙」10・10)。

したがって、
キリスト教の教義から言えば、
人類はイエスが生まれたことによってではなく
死ぬことによって救われたのだから、
イエスの誕生日よりも
処刑された日のほうが大切なことは明らかである。
イエス自身も自分の死を記念するようにとは言ったが、
自分の誕生日を記念しろとは言わなかった。
イエスが
「私の記念としてこのように行いなさい」と言ったのは、
自分の誕生日ではなく、
死の日の夜のことだった(「ルカによる福音書」22・19)。
イエスが弟子たちに行うように命じたのは、
イエスの誕生ではなく、
死を記念することだったのだ。

また、
『新約聖書』に収録された
イエスの伝記である四つの「福音書」の中で、
イエスの死について触れていないものは一つもないが、
イエスの誕生について触れているのは
「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の
二つだけである。
「マルコによる福音書」と「ヨハネによる福音書」は、
イエスの誕生について何も語っていない。

そして何より、
『聖書』には
イエスの誕生日がいつであるかは書かれていないが、
イエスが処刑された日がいつであったかは
はっきりと書かれている。
それは
ユダヤ暦1月14日(現在の3月から4月ごろ)に
行なわれる
「過越」の日(「過越の小羊を屠る日」・「過越祭の日」)
である
(「マルコによる福音書」14・12、15・6~9、
 「マタイによる福音書」26・17~19、27・15~17、
 「ルカによる福音書」22・7~16、
 「ヨハネによる福音書」13・1、13・29、18・39)。

『旧約聖書』の「コヘレトの言葉」にも、
「死ぬ日は生まれる日にまさる」とある(「コヘレトの言葉」7・1)。

「クリスマス」はイエスの誕生日ではない。
そしてそもそもイエスの誕生日自体が
キリスト教の教義からすれば
さして重要なものとはいえない。
「死ぬ日」の方が「生まれる日にまさる」のである。
イエスの死んだユダヤ暦1月14日を祝わずに、
イエスの誕生日かどうかもはなはだ疑わしい
「クリスマス」を祝ったりするのは
明らかにキリスト教の本旨を履き違えたものなのだ。
そして、
キリスト教的にさえこの「クリスマス」なるものに
大した根拠がないことを知れば、
ましてキリスト教徒でもない人間が
クリスマスだクリスマスだと言って
乱痴気騒ぎをすることが
いかに愚かなことであるかも
自然にわかるはずである。


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by imadegawatuusin | 2012-12-24 16:00 | キリスト教
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