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白取春彦『仏教「超」入門』について(その2)

■生者に尻を向けて経を唱える現代の僧侶
「日本の僧侶たちは、
 仏教の言葉を分かりやすい日本語にする努力を
 怠ってきた」
白取春彦さんは、
本書・『仏教「超」入門』の中で主張している。
そしてそれが、
「仏教が難解に思われる一因でもある」という(本書40ページ)。

確かにその通りだろう。
葬式などでお坊さんがやってきて、
お経をあげて帰ってゆく光景をよく目にするが、
そこで唱えられているお経は日本語ではない。
ブッダ(=お釈迦さま)の言葉(とされているもの)を漢語、
つまり古代中国語に訳したものをそのまま、
日本語に翻訳することなく読んでいる。

だから例えば、

ブッセーツマーカーハンニャーハーラーミーター

なんてお経を聞いても、
こっちにはさっぱり意味がわからない。
いや、お坊さんにはそもそも、
「こっち」にわからせようという考えそのものがないのではないか。
その証拠にお坊さんは、
お経を唱えているあいだ、
決して「こっち」を見ようとはしない。

「話をするときは相手の目を見て話せ」とはよく言われることだが、
お坊さんはお経を唱えているあいだ、
僕たちの目を見るどころか、
僕たちに尻を向けている。
では、誰のほうに目を向けているのか。
それは、死者の遺影や位牌である。
お坊さんは死者に向かってお経を唱えている。
逆に言えば、
生きている僕たちから目を背けている。

これは、本来の仏教のあり方から考えればおかしなことだ。
なぜならブッダの教えは、
何よりも「この現実」を最重要視するものであったからだ。

そのことを示す有名な話が
ブッダの「毒矢のたとえ」である。
本書にも掲載されている。
ちょっと長いが、ぜひ読んでほしい。

それは、ブッダがある弟子から、
「人は死後も存在するか、否か」と問われたときの話である。

この質問への答えをブッダは捨ておいたのだが、
弟子は執拗に食い下がった。
そこでブッダはしかたなく、
次のように返答した。

ある青年が毒矢に射られたとしよう。
すると、
連れの青年が医者を呼んで治療を頼もうとした。
ところが、
矢の刺さった青年がこう言った。

「その前に、
 この毒矢がどこから飛んできたか知りたい。
 どんな素性のどんな名前の、
 どのくらいの年齢の人がこの矢を放ったのか知りたい。
 また、
 この矢の材質が何であるか、
 毒の材料がどんなものなのか、
 それらがはっきりするまで矢を抜いてはならない」

そして、
この青年の体に毒が回って死んでしまった。

死後がどんなだろうと聞きたがるのは、
この青年の疑問とまったく同じではないか。

その間に、
この世で修めるべきことがおろそかになって、
何も得ることなく、
ついには死んでしまうではないか。

まずしなければならないのは、
死後がどうであるかを知ることよりも、
この現世で悟りを得ることではないか。(本書117~118ページ)


ブッダが求めたものは
「あの世」で幸せになることではなかった。
そうではなく、
「この世」の苦しみや理不尽に対する解決策を見出すことが
ブッダの求めたものだったのだ。

だからブッダは、
「人は死んだ後にはどうなるのか」とか、
「世界はどうやって始まったのだろう」とか、
そういった類の推測にうつつを抜かすこと自体を拒否した。
そういった類の推測はいずれも、
「この人間世界でより良く生きてゆくこと」とは無関係であり、
また、
それに対する、確かな根拠や経験に裏付けられた回答を追究するには、
人間の一生はあまりにも短いと
彼は知っていたからだ〔注1〕。
上に引用した「毒矢のたとえ」は、
そのことを鮮やかに示している。

ブッダの教説の中心は生きた人間である。
この世における人間対人間の正しい関係の確立こそが、
彼の追究した事柄だった。
だから、
「ありがたいお経」は死んでから聞いても意味がない。
そもそもお経は、
ブッダが生きる人々に対して語ったものであって、
死者に向かって説いた経など一つも存在しないのである。

〔注1〕東洋では儒教の祖・孔子も同様に、
「未(いま)だ生を知らず、
 いずくんぞ死を知らん」(『論語』通番264、「先進篇」11)、
つまり、
「生きることの何たるかも分からないのに、
 どうして死のことが分かろうか」と戒めている。


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by imadegawatuusin | 2007-11-25 15:26 | 仏教
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