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白取春彦『仏教「超」入門』について(その3)

■「実体はないけど現象はある」? わけわかんねーッ!
話を元に戻そう。
本書・『仏教「超」入門』の中で白取春彦さんは、
「奈良、平安、鎌倉時代から今に至るまで、
 仏教では翻訳作業に精を出してこなかった」(本書186ページ)、
「仏教経典を日本語に正しく翻訳する努力すら
 なされなかった」と指摘している(本書178ページ)。

我が国では昔から、
僧侶は漢語、
つまり古代中国語のままで経を読み、
僕たち庶民もそれを、
意味がわかりもしないくせに(あるいは意味がわからないからこそ?)
ありがたそうに聞いてきた。

だから、仏教の理解に欠かせない言葉が、
いまだに日本語の中に
きちんと消化されていないという事態が起きている。
例えば、「縁起」や「空」といった言葉である。

白取さんはこの「縁起」や「空」といった概念を
何とか僕たち日本人にわからせようと、
以下のような説明を行なうのだが、
正直言って、成功しているとは言いがたい。

「空」とは、
そこに見えているものには「実体がない」ということを
意味している。

ふつうは、
実体があるからこそ、
そこに物や人が存在していると考える。
しかし仏教では、
その存在はたんに現象にすぎないのだと見る。

だから、
「空」とは、決して存在の「無」を意味する言葉ではなく、
実体の「無」を意味すると同時に、
現象の「有」を意味している言葉、となる。

では、
そこに実体がないのに、
どうして現象が生じているのか。

現象が相互に限定したり、
依存したりすることによってである。

現象のこの相互依存は、
「縁起」と呼ばれる関係である。
「縁起」によって、
現実世界がここに生じているというわけだ。(本書75ページ)


……。
この文章、一読して、意味が理解できるだろうか。
少なくとも、僕は理解できなかった。

白取さんの言うとおり、
昔から日本の仏教界は、
中国から中国語で伝わったその教えを、
自分たちの国の言葉に翻訳して人々に分かりやすく説明する努力を
怠ってきた。
だから「縁起」や「空」といった仏教用語は、
いまだに、
そのままの形で日本人に理解できる言葉にはなっていない。

そこで白取さんは、
自身の専攻分野であるドイツ哲学の用語である、
「実体」や「現象」といった言葉を使い、
これを説明しようとしたわけである。
(白取さんは獨協大学外国学部ドイツ語科卒業。
 その後ドイツのベルリン自由大学に入学して哲学を学んでいる)。

しかし、これまたやはりよくわからない。
「『空』とは、決して存在の『無』を意味する言葉ではなく、
 実体の『無』を意味すると同時に、
 現象の『有』を意味している言葉」とか、
「現象が相互に限定したり、
 依存したりすることによって」、
「実体がないのに……現象が生じ」るのだ、などと言われても、
こちらとしては面食らうばかりで、
何も得るものがない。

結論から言おう。
「空」という概念を「実体がない」という日本語に翻訳するのは、
かなりまずいと僕は思う。
というのも、
白鳥さんが専門とするドイツ哲学業界における「実体がない」という言葉と、
僕たちが普段、日常生活の中で使う「実体がない」という言葉とでは、
大きく意味が食い違っているからだ。
そこのところの説明のないまま、
ドイツ哲学の感覚で「実体」という言葉を使われたら、
僕たち普通の日本人には理解不能な文章が
できあがってしまうことになる。
上に記した引用文はその典型例と言えるだろう。


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by imadegawatuusin | 2007-11-26 15:36 | 仏教