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白取春彦『仏教「超」入門』について(その8)

■仏教は悲観論か 
本書・『仏教「超」入門』白取春彦さんも指摘するとおり、
ブッダは、
「人間存在を苦しみであると見るところから出発した」(本書34ページ)。
このような仏教を、
「悲観論」あるいは「厭世論」であるとして非難する人もいる。

確かに、
「人生は苦しみに満ちている」という結論で終わってしまえば、
それは確かに悲観論・厭世論というものである。
しかし、
ブッダにとって「人生は苦しみである」というのは
あくまで出発点にすぎない。

彼は菩提樹の下で悟りを開き、
苦しみ=心の病を自らの力で克服し、
心の平穏を獲得した。
そしてその後は、
以前の自分と同様の「病」に今も苦しむ人たちに
自分の獲得した心の平穏を分け与えようと、
布教と説教にその生涯をささげた。

これが果たして、
単なる悲観論者・厭世論者の行動であろうか。

「インド仏教徒のバイブル」と言われる
『ブッダとそのダンマ』(B=R=アンベードカル)は、
この点について実に的確な指摘をしている。

ブッダのダンマは厭世観を生むと非難されてきた。
その非難の根拠は、
この世は苦であると説いた最初の説法にある。
しかしその苦に対する考察がそのような批判を呼ぶというのは
いささか意外である。
カール・マルクスは、
この世界には搾取が存在し、
富めるものは益々富み、
貧しいものは益々貧しくなるといっている。
だが誰も
マルクスの思想は厭世的だとはいっていない。
だのに何故ブッダの思想には
異なった態度をとるのか。
おそらく最初の説法の中で、
“生まれることは苦であり、
 老いも死も苦である”と語ったと記録されていることから、
教義の厭世観が殊更(ことさら)強調されたのであろう。

……しかしブッダは第二の説法で、
この苦は取り除かれねばならぬと強調している。
苦の除去を力説するために
苦の存在に言及したのである。
苦の除去こそ
ブッダが極めて重視したものである。
……

このようなダンマが
どうして厭世的といえよう。
苦の克服に熱心であった教師が厭世的だなどと
どうして非難できるのだろうか。(第6部第4章-3)



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by imadegawatuusin | 2007-12-01 16:18 | 仏教
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