■「空」=「実体がない」=「絶対でない」
「空」という仏教用語がある。
しばしば「全てのものには実体がない」という意味だと説明されるが、
僕は、この説明がかなりの誤解を生んでいるのではないかと思っている。
問題は「実体がない」という言葉の意味だ。
僕たちが普段、日常生活の中で使う「実体がない」という言葉と、
哲学・宗教用語としての「実体がない」という言葉とでは、
大きく意味が食い違っている。
普通、世間の人々は、
「実体がない」という言葉を聞けば、
「実は存在しない」とか「見せかけだけが存在する」という意味だと思ってしまう。
「○○という会社は単なるペーパーカンパニーで実体がなかった」
というような具合に使用する。
これに対し、
哲学・宗教用語としての「実体」という言葉は、
「他の何者からも完全に独立して存在する性質」という意味をあらわす。
「絶対的な性質」と言い換えることもできよう。
よって、
仏教関係の本に「実体がない」という言葉が出てきたときは、
とりあえずその部分を「絶対でない」と読み替えておくと
わかりやすくなることが多い。
より正確に説明すると、
「空」とは、
「全てのものの性質は、
そのものの性質として他から完全に独立して存在するのではなく、
他のものとの関係のなかで
はじめて そのものの性質として成立する」
という考え方のことである。
「全てのものは移り変わる」との意味もあるとの主張もあるが
(日本ではむしろこちらのイメージのほうが強いが)、
これは二義的な意味に過ぎない。
全てのものの性質が、
他のものとの関係によってはじめて成立するものである以上、
他のものから何の影響も受けず、
たとえ周りが変わっても その有り様が永遠に変わらないものなど
在りうるわけがないからだ。
(詳しくは
[白取春彦『仏教「超」入門』について(その4)]を参照のこと)
《参考サイト》
白取春彦『仏教「超」入門』について