風習に流されず自分で判断を

『朝日新聞』の昨年12月23日の投書欄に、
「正月の風習 少しだけでも守る」と題された投稿が
載っていた。
その文章は、
「商店街の門松もめっきり減り、
 しめ縄飾りをする家もまばらになった」と
書き起こされ、
「せめて、
 家の中でもおせち料理を作り、
 鏡餅を供え、
 おとそで新年を祝うことだけは守っていきたい」と
締めくくられている。

だが、
門松・しめ縄飾り・鏡餅といったものは
単なる風習ではない。
本来は神道という特定宗教と結びついた
宗教グッズなのである。

たとえば門松は、
正月の神である「歳神様」が訪れるための
目印であると説明され、
松が「(歳神様を)待つ」に通じるとされている。

しめ縄飾りは
「穢れ・不浄を防ぎ、
 歳神様を迎える家を神聖な領域にするもの」とされ、
歴史的には差別や偏見とも結びついてきた
「穢れ意識」とも関わりが深い。

そして何より鏡餅は、
「家の中で歳神様が宿る依り代」であり、
いわば神の「ご神体」となるものなのだ。

ただただ前例を無批判に踏襲し続けていると、
日ごろどんなに宗教を遠ざけ理性的に暮らしていても、
非合理な宗教的観念や穢れ意識に
知らず知らずに侵されてしまう恐れがある。

「風習」だから「伝統」だからと
思考停止に陥るのでなく、
意味や由来をきちんと知って、
その是非を自分の頭で一つ一つ判断していく
主体的な態度が必要だ。
そうした態度を身につけてこそ、
不要なものまで売りつけて金儲けを図る商業主義に
踊らされずに
無駄を排する賢い消費者となることができるのである。


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by imadegawatuusin | 2013-05-22 18:14 | 文化