――人権と民主主義を重んじる左派こそ改憲の提起を――■血筋や家柄で ものを決めない国にするために 最近、
皇室制度のあり方についての議論が盛んである。
皇室では現在、
皇太子である徳仁親王にも、
その弟の秋篠宮文仁親王にも男の子供がいない。
「天皇は男系男子に限り、
皇族は養子を迎えることができない」という今の規定を護り続けるかぎり、
このままでは天皇の位を継ぐ人がいなくなる。
女帝の即位を認めるべきか、
それとも戦後になって民間人となった旧皇族の子孫の男子を
皇族に復帰させるべきか……、と
活発な議論が行なわれている。
確かに、
日本国憲法が国家および国民統合の象徴として
天皇の存在を規定している以上、
現憲法のもとでは、
長期にわたって天皇が不在となる事態は
法治国家として許されない。
天皇になる人が将来いなくなることが想定されるにもかかわらず、
国会が何の対策もとらず、
実際にそのような事態が起こった場合、
国会は憲法上当然取るべき措置を怠ったとして
不作為による違憲行為の責任を問われるだろう。
しかし今、
わが国最大の政党である自民党が新憲法草案を発表するなど、
その日本国憲法自体を改正する機運が高まっている。
今こそ、
憲法改正の議論の中で、
皇室制度という制度そのものの是非を問い直すべきなのではないだろうか。
そもそも僕は、
国家の象徴である「天皇」という役職を
血筋によって世襲する
皇室制度に反対である。
民主主義の世の中に、
生まれながらに法律によって
職業や身分を規定されてしまう個人がいるのはおかしいと思う。
社会学者の上野千鶴子さんは、
皇室制度(天皇制)について次のように言っている。
戸籍も住民票もなく、
参政権もなく、
そして人権さえ認められていない皇族のひとたちを、
その拘束から解放してあげることだ。
住まいと移動を制限され、
言論の自由も職業選択の自由もなく、
プライバシーをあれこれ詮索され、
つねに監視下に置かれている。
こんな人生をだれが送りたいと思うだろうか。
失声症や適応障害になるのも無理はない。
天皇制という制度を守ることで、
日本国民は、
皇族という人間を犠牲にしてきたのだ。(「朝日新聞」2005年8月17日夕刊)
僕たちはこのような非人道的な「犠牲」を、
今後も皇族の人々に強いてゆくつもりなのであろうか。
このような「犠牲」を前提とする憲法を
今後も護り続けるつもりなのだろうか。
少なくとも僕は、
自由と人権と民主主義を重んじる一人の「左派」として、
皇室制度を規定する現在の憲法の改正・皇室制度の廃止こそが、
今回の「皇位継承問題」への答えであると訴えたい。
左派陣営の中にはとかく「改憲」をタブー視する風潮もある。
だが、
人は血筋や家柄ではなくその 行ないによって評価され、
処遇されるべきだと主張してきた僕たち左派の人間にこそ、
より民主的・より平和的・より人権擁護的な改憲案を提起し、
世論を喚起してよりよい社会を築くべき責任があるのではないかと思うのだ。
【関連記事】三笠宮寛仁親王の随筆は時代錯誤だ憲法記念日に際して左からの改憲提言はタブーか「守る」運動から「変える」運動へ「改憲派」社民党員の提言改憲、社民党での論議を歓迎2人の「左翼」が僕を改憲論者に転向させた
..... Ads by Excite 広告 .....