『論語』「郷党篇」「色の悪しきは……」

■今の生活の裏にある、先人たちの尊い犠牲 
今日の「朝日新聞」夕刊で作家の陳舜臣さんが、
『論語』第10篇の「郷党篇」について語っていた。
この「郷党篇」は「子曰く」で始まる文章が一つもなく、
衣食住や公私の生活・礼儀について述べられたものである。

この中で陳さんは、

色の悪しきは食(くら)わず、
臭いの悪しきは食わず。(『論語』243、「郷党篇」8)


つまり
「色の変わったものは食わぬ。
 臭いの悪くなったものは食わぬ」(宮崎市定訳『現代語訳 論語』岩波現代文庫)
という「郷党篇」の文句に、

あたりまえだ


と短く一言
突っ込みを入れている。

確かに、
食べ物が豊富な現代では、
だれも すき好んで
「色の変わったもの」や「臭いの悪くなったもの」を
食べようなどとは思わない。
しかし、
飢えと貧困の時代、
人間は ひもじいと
ついつい何でも口にしてしまったのではないだろうか〔注1〕。

孔子は、
どうしても飢え死にしそうなほどの限界の状況でもない限り、
そこでグッと我慢しろと言いたかったのだと思う。
さもなければ、
一時の空腹は満たせても、
結局かえって命を落とすことになってしまうぞ、と。

〔注1〕「納豆」とか
「カマンベールチーズ」などという食べ物が今の世に存在するのは、
おそらくついつい「色の悪しき」・「臭いの悪しき」に
手を出してしまった貧しい人民の功績であろう。
そしてその輝かしい「功績」の裏には、
「色の悪しき」・「臭いの悪しき」にあたって腹を下し、
死んでいった幾多の犠牲があったのだろう。
こうした先人たちの尊い犠牲の上に
今の僕たちの生活がある。
[PR]
by imadegawatuusin | 2005-11-08 17:21 | 儒教