孔子は「怪奇」「神秘」を語らず

■当たり前のことを当たり前に 
儒教の祖・孔子の言行を記した『論語』に、

(奇跡のようなことを行わないでも)
最も近いところで、説明のできることをするのが、
仁者のやり方というものだ。(『論語』通番147章)


とある。
また、

仁の道は遠くにある理想ではない。
いま自分が仁を行おうと思えば、
仁はすぐそこにあるのだ。(『論語』通番176章)


とも言っている。
今この場から、
当たり前のことを当たり前に行なっていくことが
大切だということであろう。

実際、
『論語』の「公治長篇」で、
孔子の弟子の子貢が、

先生の生活の哲学は、
これまでいつも教えを受けてきたが、
先生の性命論と宇宙論とは、
ついぞ伺ったことがない。(『論語』通番104章)


と証言しているし、
また『論語』の「述而篇」には、

孔子は
怪奇、暴力、背徳、神秘なことを話題にしなかった。(『論語』通番167章)


とある。

孔子の教えはあくまで、
「この現実」を重視する実際的なものであった。
これは、
のちの儒者(特に朱子の一派の学者)たちが、
孔子の名を語りながら怪しげな「性命論」や「宇宙論」
(福沢諭吉の言うところの「腐儒の腐説」・「陰陽五行説の妄誕」)を
展開したのとは対照的な態度である。

※翻訳には『現代語訳論語』宮崎市定訳(岩波現代文庫)を使用した。
[PR]
by imadegawatuusin | 2005-11-20 17:27 | 儒教